1.旬の過ぎたオメガ
面倒くさ、と内心吐きすてながらネージュは口を開いた。
「お客様、花たちに暴力を振るわれる方は出入りを禁止させていただいております」
「はぁっ?」
カシャン! とテーブルの上の酒器を落として男は立ち上がり、ネージュの衣装の首元を掴んで持ち上げた。
襟が乱れて、長い漆黒の髪が背後に流れ落ちる。白い喉元が露わになり、男がゴクリと喉を鳴らした。
「金はあるんだぜ。お前たちみたいなオメガは結局、金のために体を売ってんだろ? 俺がアンアン言わせてやるよ、お前みたいに旬の過ぎた男でもな」
「……私は売り物じゃありません。旬が過ぎてるので」
「つべこべ言ってんじゃねぇっ」
男が腕を振りかぶるなか、やっと店内の様子に気づいた鈍ちんの用心棒がこちらへ駆け寄ってくるのが見える。が、それよりも男の拳の方が速いだろう。
ネージュは衝撃に備えて目を閉じた。
「おいおっさん、喧嘩なら俺が付き合おう。ちょうどむしゃくしゃしてたんだ」
「う、ぐっ……」
背後の席に座っていた客だろうか? 若い男の声がしたと思った瞬間、伸びてきた手に男の胸ぐらが掴まれる。パッと逆に離されたネージュはふらついて、背後の男の胸に背中を受け止められた。
揺るぎない体だ。
「ほら、外へ出ろ。店のやつに迷惑かけるなんて、アルファの風上にも置けないやつだな。……あ、ベータか。虚勢を張りたいだけだろ、おっさん」
出ろ、と言いながらも片手で男を掴み上げたまま、若い男は店の外へ向かっていく。ネージュが視線で用心棒に引き取れと指示していると、見ているだけだった男娼の花たちがワッと集まってきた。
「ネージュさんっ、怪我はないですか?」
「僕、ごめんなさい上手く立ち回れなくて……」
簡単に乱れてしまう長衣を慣れた手つきで直してから、しゅんと落ち込んでいる子の頭を撫でてやる。様々な色の衣装が集まると本当に花畑にいるみたい。
男娼たちが着ているのは足首まで覆う長衣だ。オリエンタルな雰囲気を纏ったガウンのようなもので、前開きの衣装を羽織り、腰のあたりを細い帯で締める。ネージュ以外はみんな華やかな色合いのものを着ていた。
ネージュは店の中をぐるりと見回してから、やれやれとため息をつく。店の雰囲気が悪くなってしまった。
ヴィエーヴ王国で三番目に大きな州レーヴ。王都の隣で国最大の歓楽街を有しており、その中心地には新旧大小さまざまな娼館がある。
ここ“シャルム”はオメガの男娼だけを求める人のための店で、その珍しさも相まって高級娼館にまでのし上がった。
高級娼館は値が張るぶん、花達の教養もあり秘密を守れる。王国の高官たちも足繫く通う店ではあるが、分をわきまえない迷惑な客というのは必ずいるものだ。
あの男は出禁にするし、当然ネージュは花街組合でこの件を報告するつもりだ。
男の人相を頭の中に書きつけつつ、ネージュは二階へ上がる階段の曲がり角にある小さな踊り場で椅子に腰掛ける老人に声をかける。
一言二言交わしてから振り返ると、何をするのか分かった客や男娼たちの「おっ」という期待に満ちた声が背中に掛かった。
振り返って優雅に一礼する。
「みなさまの良き夜に水をさして申し訳ありません。お詫びに一曲歌わせていただきます」
リュート独特の柔らかな音色でアップテンポな曲が始まると、ネージュはよく通る声を音に乗せた。酒場でよく歌われる、酒を飲む喜びと自由を表現したものだ。みんな合わせて歌ったり手を叩いてくれる。
聞いている誰もが笑顔になり、店に活気が戻ってくる。酒の注文が増えた。
全ての店がそうではないが、娼館では吟遊詩人や楽器の奏者を置く。リュート奏者はその代表格だ。店の雰囲気が良くなるのもあるし、一階と上階で物音や雰囲気を隔てる意味があった。
歌っているうちに外に出ていた男が戻ってきたのが見えた。背の高い、見ただけで騎士とわかる体格をしている。鈍い輝きを放つ金髪は無造作に掻き上げられているが、ゆるくウェーブする癖があって短いのに色気を感じる。
きょろきょろと左右を見渡し、同じテーブルの人がネージュの方を指さす。歌っているネージュに気づき、シルバーグレーの瞳が一瞬見開かれる。
生意気そうに少し吊り上がった目。高い鼻梁とシャープな輪郭。
高貴な生まれなんだろうなぁ、アルファの。
金髪の男が戻ってきてすぐに歌い終わり、ネージュが階段を下りようとすると待ったがかかる。「もう一曲!」の声はあちこちから聞こえてきて、チップをちらつかせてくる。
こうなることをわかっていたネージュは老人から大事にリュートを受け取って、階段に腰掛けた。それほど演奏が上手いわけではないから、スローテンポで。
幼いころ母が歌ってくれた、自分しか知らない子守唄を静かに歌い始めた。
『眠れ 我が子よ 雪と優しく眠れ
夜は黒いけれど 赤い日が昇ると
朝は白んでゆく ……――……
眠れ 我が子よ 雪に愛されし子』
ときおり不思議な表現の混じる歌詞だったが、しっとりした曲調と甘い声音に客は夢うつつの表情になる。男娼たちはここぞと身を寄せ、オメガのフェロモンで客を誘う。
娼館なのにテーブルで眠ってしまった客もいたが、順に二階へ上がっていくのをネージュは端に身を寄せて見送った。
長引かせずに歌い終えて、今度こそリュートを返す。賛辞とチップを受け取りながらテーブルを巡り歩くとなかなかの臨時収入だった。
(明日、花たちに美味しいものを買ってあげよう)
ネージュは花車といって、男娼を育て監督し店を取り仕切る立場だ。もう現役を引退した、旬の過ぎたオメガなのである。
酒場のようになっている一階部分は盛況だ。そのなかに変な客がいないか、あぶれている客がいないか確認しながら、ネージュはひとつのテーブルに近づいた。
「騎士様、先ほどは助けていただきありがとうございました」
「お前のためじゃない。俺はああいう低俗な男が大嫌いなだけだ」
にこりともせず返された言葉に、ネージュはルビーのように赤い目を丸くした。
「こいつ、不愛想でごめんねー? せっかく来たのに、花たちに見向きもしないし」
「俺は来たくて来たんじゃない! オメガなんか、臭くて嫌いだ」
「おいイデアル、やめろよー……僕のお気に入りの店なんですけどぉ!?」
「ヴェリテが勝手につれてきたんじゃないか」
(あら、あらあら。イデアルくん、珍しいタイプだこと)
娼館へ無理やり連れてこられる人というのも少なくないが、ここまで嫌悪を露わにされることはそうない。
オメガを嫌い見下している人は一定数いるから、なんのダメージもないけれど。金のないオメガが真っ先に尋ねるのが娼館だという時点でたかが知れている。
友人らしいヴェリテの慌てたフォローに微笑んで、ネージュは酒を一杯ご馳走すると申し出た。そこは素直に酒を注文してきたのでネージュはテーブルを離れ、ヴェリテが先ほどからチラチラと見ていた子を差し向けてやった。
店を切り回し男娼を采配して過ごしていると、先ほどのヴェリテがわざわざネージュに近寄って話しかけてきた。ネージュが花車であると聞いたのだろう。
「ネージュさん。僕はこれから二階へ上がらせてもらうんだけど、イデアルのこと任せていいかな」
「任せる……とは? 世話の必要な幼子でもないでしょうに」
「それがさー、必要なのよ。僕、あいつの兄貴に頼まれちゃって」
ヴェリテが語ったところによると、イデアルは公爵家の次男で王国騎士団の一員だ。現当主である父親は素行が悪く少々問題のある人物らしく、嫡男である長男がなんとか爵位を生前譲渡させようと努力しているのだという。
長男は結婚しているものの子がなかなかできず、イデアルにも結婚するよう頼んでみるが断固拒否。しかも閨教育でさえ拒否されているため、少し遊ばせてやるよう騎士団の友人ヴェリテに頼んできたそうだ。
「そんな、経験くらいあるんでしょう?」
「いや、あれはないなー。女もオメガも苦手だとかいって、失敗するのが怖いんじゃないか? だからさ、プロで筆下ろししてやれば、安心してどっかのご令嬢かご令息と結婚できるんじゃないかと思って」
「うーん。意図はわかりましたが、さすがに本人のやる気がないと……」
いくら頼まれたとしても、本人の了承もなく二階へ上がってもらうことなんてできない。いや、二階へ上がって『お話』するだけの客もたまにいるけどそれはそれ。
「発情期の子いないかな? あいつだってアルファなんだし、発情期のフェロモンには逆らえないだろ」
「それこそいけません。両者同意の上でないと、私は発情期の花買いを許しておりませんから」
発情期のオメガを抱きたいという客は少なくない。しかし発情期のフェロモンは通常時のものと比べ物にならないほど濃く、アルファであればラットという発情状態になってしまう。
したがって何度も通ってもらった上で安全な客だと判断し、アルファ側には番契約を結んでしまった場合に責任を取る誓約書まで書かせる。項を守るための丈夫な首輪も、アルファに突破されてしまうことがあるからだ。
結局あれこれ説明しても食い下がるヴェリテに折れた。ネージュが「可能な限り、なんとかしてみます」と頷くと、彼はホッとしたように笑う。どうやら女性だけの娼館にも以前連れて行ったが惨敗だったらしい。
男娼を連れて二階へ上がっていくヴェリテを見送って「はぁ、」とこっそりため息を吐いた。
(今日は面倒くさいことばっかりだな……)
難攻不落のお坊ちゃんを、どうやる気にすればいいのか。好みに近い男娼を連れて二階で会話でもしていれば、やる気になってくれないだろうか。というか、それしかないよな?
とりあえずの目標を決めて、イデアルに近づいていく。
夜も更けて、二階が一番賑わっている時間帯だ。新しく来る客も少なく、一階は少し閑散としている。
異国風の店の雰囲気に合った、エキゾチックな曲がリュートで奏でられている。
音楽のおかげでゆったりとした空気が流れている店内で、相変わらずイデアルはぶすっと不貞腐れていた。顔色は変わらないが酒は進んでいるようで、目がうつろだ。
「騎士様、話しかけていいですか?」
「もう話しかけてるじゃねーか」
隣に座るのは憚られて、向かいの椅子にちょこんと腰掛けて話しかける。イデアルが帰らずにだらだらと酒を飲んでいるのは、ヴェリテの策略で今夜の宿は取っていないかららしい。
普通の宿屋はもう受け付けていないし、騎士団の宿舎も遠くて娼館に泊まるしかない。それも嫌だから、朝まで飲もうと思っているのだろう。
「誰かと、お話だけでもしたらどうですか。一人では手持ち無沙汰でしょう。オメガは嫌いとおっしゃっていましたが、一人くらい興味のある子はいませんか?」
「いない」
「……ここはあと半刻ほどで閉店です。行き場がないなら、誰かを連れて二階に宿泊していただかないと。添い寝だけでも構いませんし、部屋でなら一晩中飲んでいても構いませんよ」
そっけない返事に、ネージュも仕方なく現実を伝えた。
この店は朝まで開いているわけでなく、ある程度客が入ったら一階の酒場機能はたたむ。二階では金額によって、砂時計の刻む時間か、朝まで男娼と過ごすことができる。
イデアルは顔を顰めた。一応、友人を置いてここを離れるつもりはなかったらしい。彼は残っている男娼を見もせずに、「お前はどうだ」と言った。
「え!? 私は現役じゃないんです。さっき聞いてましたよね?」
「違うに決まってるだろ! 誰がお前なんか抱くか。――ひと晩酒に付き合え。歌ってくれたらなお良い。金は払うから」
ギョッとして、素っ頓狂な声を上げてしまった。するとイデアルも反射で否定してきたから、悔しくてちょっとだけ傷ついた。
ネージュは人差し指に細い顎を乗せて考える。公爵家ともなれば家に楽団とか呼んだりするのだろう。この傲慢な男の誘いは腹だたしく感じたが、自分が提案した手前断りづらい。
ネージュを買うなら本来の目的は達成できない。ヴェリテには後で謝ることにしよう。ここは娼館だけど、本人の意思は尊重してあげたい。
幸い、今夜これ以上の問題は起きることもなさそうだ。ネージュが朝方まで抜けても問題ないだろう。
イデアルを見上げ、「いいでしょう」と頷いた。
「料金上乗せしますからね」
「現役じゃないくせにか?」
「ええ、もちろん。私はこの店で一番偉いので」




