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たぶんは危険

 目の前には待ちに待った黒いキャリータイプのハードケース。今日届いた動作確認用VRデバイスだ。


 段ボールの中にはハードケースの他に一枚、担当らしい杉山さんの名刺が入っていた。何かあればこの人に相談すればいいのかな?

 

 ――それよりも。

 

「この中に動作確認用VRデバイスが」


 机の端に投影されていたフェリナの猫アバターが、耳をぴくりと動かしてケースを見つめた。


『ついに届きましたね。Synquanta製のFullDive用デバイス……正式名称は《S.A.I Dive Unit》、開発者向けモデルなので詳細情報は出回ってませんね』

 

 ケースのロックを外し、ゆっくりと蓋を開ける。内部は二重構造になっており、上段には各種ケーブルとドキュメント類、そして下段に鎮座するのはフルフェイス型のデバイス。


 漆黒の外装は鈍い光沢を帯び、無駄な装飾は一切ない。前面のシールドは一枚の曲面で滑らかに覆われ、内部には高密度に配置されたBMIマイクロ電極アレイがわずかに覗いていた。


「おぉ、思ってたよりコンパクトだね。もっと無骨な見た目を想像してたけど、意外と洗練されてる」


『開発者向けとはいえ、人体装着デバイスですから。機能美優先ですね』


 デバイスを持ち上げるとその重量感と表面の質感から、開発者向けってなんかカッコいいって気がしてくる。フルフェイス型デバイスの光沢ある外装をじっと見つめた。指先に伝わるひんやりとした質感が、気持ちよかった。


「……本当は今日は開封だけのつもりだったんだけどな」


 机の端でホログラムを投影しているフェリナが、ぴくりと耳を動かす。


『我慢できない顔をしていますよ、怜汰くん』


「うっ……いや、我慢っていうかさ。

 キャラ設定して、ちょっとだけ中がどうなってるか見たいなって……ちょっとだけ」


『……結局、やるんですね』


 フェリナの猫アバターが、ため息をついたように尻尾を揺らした。

 苦笑しながらケースからケーブルを取り出し、必要な配線だけをつなげる。


「でも、遅くまではしないよ。キャラクターメイキングしてログインテストして、今日は終わり。たぶん」


『たぶん、は危険信号です』


 フェリナがそう言いながらも、しっかりシステム初期化を始めているのが、なんとも言えない。

 今まで頑張って作ってきたゲームがどこまで出来上がっているのか、彼女も興味津々なのかもしれない。


 怜汰はデバイスを机の上に置き、パソコンへ専用ケーブルを接続した。

 画面の右下に、見慣れないアイコンと共にポップアップが表示される。


《S.A.I Dive Unit / DEV-Kit 01 接続完了》

《開発者モード:有効》


「……よし、問題なし」


 卓上に浮かぶフェリナのホログラムが、ほんの一瞬だけ強く光を帯びた。


『通信経路を確立。デバイスとのリンクは正常です。

ただし、現在の設定では私にアクセス権はありません。キャラクターメイキングには干渉できません』


「うん、それは想定済み。……待っててね」


 設定メニューを開き、開発者向けオプションを展開する。画面下部の「外部アシストAI権限」欄にフェリナの名前を書き加え、項目を有効化。


《FELYNA:Dive Assist Mode / 有効》


 クリックと同時に、フェリナのホログラムがふっと揺らぎ、机の上から消えた。


「……フェリナ?」


『Dive Unit内部インターフェースへの転送が完了しました。怜汰くんが装着すると、視界HUDに私を常時表示できます』


「なるほどな。じゃあ、もう中で待機してるってことか」


『はい。Dive Unitのシールドを閉じたら視界データの同期を開始します』


 俺はベッドに腰を下ろし、Dive Unitを両手で持ち上げ、ゆっくりと頭に装着した。シールドが閉じると、外界の音がすっと消え、世界が一段階静まり返る。

 視界の端には、HUDが自動で展開し、進捗ログが次々と流れた。


《接続シーケンス開始》

 ▼ Dive Unit認証……OK

 ▼ 神経インターフェース同期……OK

 ▼ 感覚転送チャネル準備完了


 次の瞬間、内部ディスプレイが起動し――視界には、現実の部屋が表示された。

 実際に外を見ているわけではなく、外部カメラで取得したデータをMRで再構築した映像だ。壁も机も、すぐそばのテストキットのケースまでも、まるで本物のように立体的な質感で描かれている。


『視界データリンクを開始……同期完了。

これで、怜汰くんの見ている映像をリアルタイムで取得できます』


 フェリナが視界中央に現れた。机の上で浮かんでいたホログラムがそのまま移動してきたように、自然な立ち位置でMR空間内に投影されている。


「おお……本当にこっちにいるみたいだな」


 フェリナは軽く頷き、口元に笑みを浮かべた。


『これで、Dive中も怜汰くんの視界をサポートできます。

HUDの拡張も有効化しましたので、必要な情報を任意で表示可能です』


「なるほど、普段からこれで作業してもいいかもしれないね」


 ベッドに腰を下ろし、そのままゆっくりと仰向けになる。こめかみと額のセンサーがしっかりと肌に密着する感触を確かめながらヘッドセットの位置を微調整した。

 そして、視界に浮かぶアイコン群へと視線を移した。

新たに「LOGIN」アイコンが追加されている。フェリナがそれに気づき、視線をそっと上げて頷いた。


『ログインシーケンスを開始する準備が整っています。

このまま初期設定を続行しますか?』


「もちろん。フェリナ、起動プロセスに同時介入して」


『了解しました。ルート権限を取得……完了。同期準備、整いました。……ユーザー認証を開始します。開発者アカウントでよろしいですか?』


「うん、開発者モードで。フェリナ、起動プロセスに同時介入して」


『了解しました。ルート権限を取得……完了。

Dive準備、整いました』


 視界の右端に進捗バーが静かに伸びていく。

HUD内では、システムログとフェリナのウィンドウが並んでリアルタイムで更新されていた。


《Dive起動シーケンス》

 ▼ 神経インターフェース同期……OK

 ▼ 感覚転送チャネル……準備完了

 ▼ Diveサーバー接続……オンライン


『インターフェース同期、正常です。視覚・聴覚・体性感覚を順次切り替えます』


 その声と同時、視界が暗転した。微かな光が点滅し、暗闇の奥から星屑の粒子が舞い上がるように広がっていく。


 そして、フェリナの声が、今度は仄かな残響を伴って響いた。


『Dive空間への転送、開始します』


 星屑はやがて緻密な幾何学模様を描き、目の前に巨大なゲートが形成された。

その中心から放たれる淡い光に吸い込まれるように――

俺の意識は現実からゆっくりと切り離され、仮想世界へと滑り込んでいった。

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