霧
「……風?」
突如、滝の奥から不自然な風が吹き抜けた。
巻き上げられた霧が、流れるように形を変えていく。
いや――違う。
流れているんじゃない。集まっている。
同時に、肌を刺すような殺気。反射的に視線を投げるが……霧が濃すぎる。
滝の周囲を警戒しても、それらしい姿は見えなかった。
気づけば、全員が戦闘態勢へ移行していた。フェリナもすぐさま全員にバフをリンクさせる。
刻々と霧が濃くなっていく。数メートル先すら曖昧になり、視界が死んでいく。
……まずいな。
後衛が狙われたら危険だ。
「みんな固まろう! 後衛を守るように円を作って!」
一瞬で全員が動いた。
互いに背中を預け合うように円陣を組み、それぞれが武器を構える。
俺も愛用の魔剣に加え、アイテムボックスからカイトシールドを取り出した。
そして――
静寂を破り捨てるように、殺気が爆ぜた。
直後。
獣の咆哮。
空気そのものを震わせる衝撃波が、全身を叩く。体が竦みそうになるのを耐える。
次の瞬間。
ギャリッ!!
「ぐっ!!」
霧を裂いて振り下ろされた巨大な爪との激突。
視界の端。ほんの僅かに揺れた霧を捉え、反射的にカイトシールドを差し込む事に成功したものの、腕ごと吹き飛ばされそうな衝撃。地面を削りながら踏みとどまる。
揺れる視界の奥。
霧の中で、銀灰色の獣毛だけが揺れた。
地を這うような四足姿勢。
赤色の瞳。
2メールはありそうな大きな銀色の狼がいた。
だが――次の瞬間には、気配ごと霧に溶けて消えてしまう。
「フェリナ、見えた?」
「はい。《霧喰らいのライカンスロープ》です」
「霧喰らいってことは……やっぱりこの霧、あいつが原因か」
俺とフェリナのUIは、対象さえ視認できれば鑑定情報を取得できる。
視界端へ、簡易ウィンドウが表示された。
個体名称:霧喰らいのライカンスロープ
種別:変異種(ライカンスロープ系)
レベル:40Lv
変異種。
つまり、ここのボス個体ではない。
それでも、変異というだけあって周囲のモンスターとは、明らかに格が違った。
「来るぞ!!」
ガルドの叫び。
直後、霧の奥で複数の光が灯る。
赤い瞳が峠道を走るテールランプのように流れる。
その瞬間。
霧の中からトラックかと錯覚するほど、勢いある巨躯が飛び出した。
速い。
ライカンスロープは地面を滑るように駆け、ロブへ向かって爪を振るう。
ロブが剣で受け流す。
爪とは思えない金属音が鳴り響く。
そこへ、横からエーヴェルの炎弾が発動する。
「いけ!《ファイアーボール》」
すぐ近くで吹き荒れる爆炎。
しかし、爆煙の中から飛び出してきた銀影が、今度は向きを変え凛へ迫る。
「凛!!」
迫り来る脅威に怯む事なく、菜々は凛の背後からジェネラルボウを引き絞り、強力な一撃を射る。
吸い込まれるように心臓へと飛来するも紙一重の所で狙いをずらされ肩を撃ち抜く。
「ありがとっ!」
すかさず凛が追撃を行う。鋭い踏み込みから放たれた斬撃がライカンスロープの負傷している肩に追い撃ちを掛ける。
傷口からは灰色の粒子が大きく舞う。
しっかりとダメージが入っている。だが、ライカンスロープは痛みを感じていないかのように後ろへ飛び、空中で身を捻って着地した。
着地と同時、奴の姿が再び霧に沈む。
「また消えた!?」
「離れるな!!」
ガルドの大声が凛を引き止める。
静寂。滝の音に混じり、周囲のあらゆる方向から「ザッ、ザッ」と濡れた地面を駆ける足音が響く。
右、左、後ろ――いや、上か!?
「ガルド、真上!」
「おおおっ!」
先に気づいたフェリナの警告と同時に、ガルドが大剣を頭上へ思い切り振り上げる。
霧を割って降ってきた銀影と大剣が激突し、火花が散った。
だが、ライカンスロープは反動を利用してバク転するように距離を取ると、今度は四肢をしならせ、弾丸のような速度で円陣の外周を猛烈に旋回し攻撃を始めた。
一匹の狼に全員が翻弄されている。
霧の壁を高速移動するせいで、まるで銀色の帯が俺たちを囲んでいるようだ。
狙いは――フェリナだ!
円陣の隙間。フェリナを狙い、奴が霧を纏い突進する。
「させない!」
俺はスキル《縮地》を使いフェリナの前に割り込んだ。
勢いを活かしたままシールドを叩きつけるかの様にスキル《ガード》を発動。
ドォンッ! という重い衝撃。
正面からぶつかってきたライカンスロープの巨躯を、盾の面で真っ向から受け止める。
奴の顔が、目鼻の先まで迫った。
剥き出しの牙、獣特有の荒い吐息。――そして、どこか理性を感じさせる鋭い眼光。
「今だ、畳みかけろ!」
俺の声に反応し、ロブと凛が左右から同時に踏み込む。
「二連斬ッ!」
「三日月斬り!」
ロブの剣が脇腹を裂き、凛の刃が奴の側頭部を捉えた。
たまらずライカンスロープが大きく吹き飛ぶ。
そこへ、詠唱を終えたエーヴェルの追撃が重なる。
「逃がさないよ……《フレイムランス》!」
収束した炎の槍が、吹き飛ぶ獣の胸元を貫いた。
爆炎が滝の周囲を照らし出し、獣の絶叫が轟く。
……やったか?
だが、爆炎が晴れ、姿を表したライカンスロープは倒れてはいなかった。
胸の毛を焦がし、深手を負いながらも、奴は二本足でフラリと立ち上がったのだ。
そして、低く唸った。
肺の奥から絞り出すような、地響きに近い咆哮。
空気が、変わる。
「……なに?」
辺りを警戒していたカーラが小さく呟いた。
次の瞬間、周囲の霧が、意志を持ったかのように一斉に逆巻いた。
「なっ――!?」
風が変わる。
いや、違う。
辺り一面の霧が、ライカンスロープを中心に、吸い込まれるように渦を巻き始めていた。
暴風。
立っているだけで身体が持っていかれそうになる。
地面へ剣を突き立て耐える。
中心の霧がどんどん濃くなる。
渦巻く霧が球体状に変わり、全ての霧が吸収されると同時、弾けるように視界の全てが白に染まる。
時間にして、ほんの一瞬。
なのに――異様に長く感じる。
そして、風が止んだ。
辺り一帯の霧が、消えて、陽が差している。
滝の音だけが響く。
先ほどの爆心地。
そこに立っていたのは――
銀髪の、少し野生味のある男だった。




