春休み
午前も、昼休みも、午後の授業も気づけば終わっていた。
正直、ほとんど覚えていない。
どの休み時間もクラスメイトがやってきて、キリエを中心に話しかけてくる。
その輪に巻き込まれていれば、落ち着く時間なんてあるはずもなかった。
ホームルームが終わり、ついに放課後を迎えた。
椅子を引く音、笑い声、それぞれが動き出した。
俺は机の中をゆっくり片付けながら、深く息を吐いた。
……やっと終わった。
長かった。
一番の休息が授業とか、辛すぎる。
というか、みんな休み時間にあんなに話してて疲れないのかな。
俺には無理だ。やたら肩が重い。
「では、帰りましょうか」
当たり前のように一緒の下校。
教室の視線が背中に刺さるが……気にしない。
廊下に出ると、キリエが少しだけ声を落とした。
「よろしければ、この後食材を買いに寄っていただけますか?」
「そうだね、連日カップラーメンは良くないし、スーパーに寄ろうか」
そんな風にして、俺の日常が動き出した。
そして、気づけば日は過ぎていく。
障害物競走かの様にあっという間に木曜日まで飛び越え、残すところは最後の障害物(金曜日)、それさえクリアすればあとは春休みを堪能するのみ。
今日は二年生としての最後の登校日。
クラスメイトたちもさすがに落ち着き、なんとか今日も一日が終わり、下校時間を迎えた。
「んじゃ怜汰、またな! キリエさんもまた!」
「うぁーん! キリエちゃんと会えなくなるなんて嫌だぁぁあ」
そう言ってキリエに抱きつく彩月。
「一週間だろ、そしたらみんなでカロディールに行くんだから我慢しろって」
「そうですわ、彩月ちゃんともすぐ会えますわ」
三人のやりとりをただ見ていた。
そう、二人はキリエとあっという間に打ち解け、春休みにみんなでカロディールに行く約束までしていた。
もちろん二人はちゃんと親に説明し、お泊まりの許可をもぎ取っていた。
そこで少し冒険者の真似事をさせてもらうらしい。ちょうど良い初心者フィールドがあるし安全だろう。
そんな訳で、一週間後の金曜から行く事になったんだが……。
まずは先に向こうに行ってログインしてレベル上げしたい。それに、こっちの体でもちゃんと戦えるか分からない。
みんなとは軽く挨拶を交わし、俺は家へ向かった。
夕食を終え、食後のお茶を飲みながら、俺はキリエに切り出した。
「キリエさん。俺、明日からログインしようと思うんだけどさ」
「はい」
「他のエリア……日本とかには、どうやったら移動出来る?」
キリエは少しだけ姿勢を正し答えてくれる。
「冒険者、あるいは商人のギルドカードをお持ちであれば、ギルドマスターの許可を得て日本へ入国可能です」
「入国、って言い方がもう国だな……」
「市井の者は、王国へ事前申請を行い、許可証を発行してもらいますわ。ただ――あまり出たがる者はおりませんでしたが」
「なるほど」
向こうの常識からすれば、異世界に行く感覚なんだろうな。そもそも生まれ育った場所を離れる事も少なければ、旅行する事もないか。
「ってことは、俺がアバターのまま日本に来ることも出来るわけか」
「可能ですわ」
よし。
「まぁ、移動はまた今度。まずは霊峰に近づいてレベル上げだな。明日からGMアバター回収に挑戦してくる」
「承知致しましたわ」
キリエは迷いなく頷く。
「戦力面ではお役に立てそうにありませんので、わたくしは新たな屋敷の候補を見てまいります」
「お、もう見つかったの?」
「いくつか目星は付いております。怜汰様に相応しい屋敷をご用意致しますわ」
相応しい屋敷って何だよ……。今の部屋が一番相応しいと思うんだけど。
ふと思い出す。
「そういやさ、ゲーム内のお金あるから、そこから使って欲しいんだけど」
「いえ、不要ですわ」
即答だった。
「屋敷はカロディール家で手配いたします。ただ、怜汰様がお持ちの貨幣を換金するとなりますと……どの程度お持ちですか?」
「えーっと……ゲーム内表記でよく分からないけど、100Mゴールドくらい」
キリエが一瞬、考えるそぶりをした。
「……100Mゴールド、でございますか」
1Mゴールドが千円ぐらいになれば百万になるな。クエストで貰った四百万ちょいと合わせれば五百万超えになる。
これは、もっと食事で大冒険してもいいかもしれないぞ。
「ゴールドを貨幣にしますと、
1ゴールドで銅貨一枚。
1,000ゴールドで銀貨一枚。
100,000ゴールドで金貨一枚。
つまり……」
あれ?
金貨?
「金貨約1,000枚分ですわ」
嫌な予感がする。
「現在、日本と結んでいる協定価格ですと、金貨一枚につき約80万円」
「……」
「全て換金出来た場合、約8億円相当となります」
「……は?」
声が裏返った。
「まじで?」
「はい。ただし、市場に影響が出ぬよう、流通には規制をかけておりますわ。換金がご希望でしたらカロディール家が代行いたしますわ」
8億円分の金貨を持ってる事になるのか。
頭の中で数字がぐるぐるする。
……待てよ。
GMアバターの所持ゴールドって、青天井だったよな?
……やばない?
俺は咳払いをして誤魔化す。
「えっと、話変わるけどさ。ギルドでクエストクリアしたあとなんだけど、カードに日本円入れて貰ったの。これ、こっちでも現金化できる?」
「可能ですわ。スマートフォンのタッチ決済に対応しておりますし、各銀行への送金も可能です。銀行口座へ移していただければ、通常通り引き出せます」
「……すご」
そこまで連携してるのか。
「はい。今後、日本経由での大幅な流入があると想定しておりますので、事前に制度を整備しておりますわ」
「みんな優秀すぎるだろ……」
ひとまず、短期バイトを入れる必要は無さそうだ。
なら気兼ねなく向こうでレベ上げに励めるってことか。
キリエと明日やこれからの事についての話をして、一日を終えた。
キリエが来てから、ちゃんと朝食を取るようになった。
不思議なもので、それだけで生活のリズムが整う。学校でも前より眠くならなくなったし、少しだけ体が軽い。
今日も二人で朝食を取り、支度を終える。
そして、今日は別行動だ。
「では、行ってまいりますわ。怜汰様もお気をつけてくださいね」
「はーい、ありがとう。俺の住む家なのに、任せっきりでごめんね」
「いえ、お気になさらずに。では、また夜に」
そう言ってキリエは出掛けて行った。
ドアが閉まる音が、やけに響いた気がした。
そういや、こうやって離れるのは初めてか。なんだかんだ一週間ずっと一緒にいたんだ。
そんな事を考えつつ、体は無意識にダイブする準備をしている。
「フェリナ、ログインするよ」
『はい、怜汰くん、いつでもいけます!』
「さぁ始めるか! 行こう!」




