キリエとの距離感
エルコロを食べ終え、コップも空になったので、二つともキッチンへ持って行く。ついでに、さっと洗って、水切りカゴに置く。
あ、忘れてた……。
普段あんまり時間を気にして食べないから晩御飯をどうするか相談してなかった。
時計を見ると完全に夕食の時間を過ぎている。
歓迎会だなんだと言っておきながら、食べたのはエルコロとジュースだけ。これはさすがにダメだろ。
「……ごめん。晩ご飯、忘れてた」
キッチンから戻りそう言うと、キリエは少しだけ驚いた顔でこちらを見る。
「でしたら、すぐに何かご用意を――」
「ごめん、作りたくても食材が何もない」
冷蔵庫には飲み物と調味料ぐらいしか入ってない。
そっとキッチンに戻り食器棚の下を開ける。中に並んでいるのは、見慣れたカップラーメンのストック。今日は勘弁して貰うしかない。
「普段はこれで済ませること多くてさ」
「……こちらは?」
キリエは、初めて見る物を見るように、じっとカップを見つめている。
『カップラーメンですね。保存性と利便性に優れていますが、栄養はやや偏ります』
フェリナが淡々と補足する。
「耳が痛い」
かやくを入れ、お湯を注ぎ、待つこと五分。
太麺のちょっと良いカップラーメンが二つ出来上がった。
蓋を開けた瞬間に立ち上る匂いに、キリエが小さく目を見開いた。
「……良い香りですわ」
フォークを渡すと、少し戸惑いながらも口に運ぶ。
「……」
一瞬の沈黙。
それから、ぱっと表情が変わった。
「……美味しい」
「そうだろ、この味噌味のカップラーメンが一番好きでさ」
もう一口食べてから、キリエは言った。
「こういう食事は……初めてで。不思議ですが、落ち着きます」
カップラーメンで落ち着かれるのもどうかと思うけど、気に入って貰えたなら良かった。
食事を終える頃には、部屋の雰囲気もすっかり柔らいでいた。
今日は朝から色々ありすぎて、時間感覚が少しおかしい。それでも、不思議と疲労感は少なかった。
「……そういえば」
聞きそびれていた事を思い出し、キリエに聞いてみるか。
「明日からの学校どうするの?」
キリエは少し首を傾げてから、あっさり答えた。
「はい。明日から一緒に登校して授業を受けますわ」
「え、いきなり授業まで受けるの?」
思わず声が出る。てっきり職員室行って、説明とか受けてすぐ帰るものかと思った。
「春休みまで一週間と短いですが、後伸ばしにする必要もありませんので明日から行く事にしました」
理屈は分かる。分かるけど――。
「……そっか。えっと、それじゃぁ……制服は?」
その瞬間、キリエは微笑んだ。
「母上が特例として許可して下さるよう相談してくださいました」
「相談って……嫌な想像しか出来ないんだけど」
セラフィナは校長にどんな相談の仕方をしたんだよ。聞かない方がいいやつに違いない。
「んじゃ、メイド服で問題ない、と。でも、それで毎日行くの?」
間を置かず、即答。
「ええ。好奇の目など気にしなければ、何も問題ありませんわ」
「問題ありそうだけどなぁ……」
クラスの視線。先生の反応。質問攻めは避けて通れないか。考え始めた途端、胃の辺りが痛くなってきた。
「……まあ、いいや」
俺はソファに深く腰を沈める。
「この問題は、明日の俺に丸投げしよう」
キリエは、くすっと小さく笑った。
「その方が、健康的ですわ」
キリエは俺よりも大人びている気がしてしょうがない。その強い心が羨ましい。
俺は一度、息を整えてからフェリナを見る。
「フェリナ」
『はい』
「今、気になってることがもう一つあってさ」
昼間から、頭の片隅に引っかかっていたこと。避けてきたけど、聞かないわけにもいかない。
「いま、こっち側から……ゲームのシステムには、どこまで干渉できそう?」
フェリナはすぐには答えなかった。
猫の姿のまま、尻尾を一度、ゆっくり揺らす。
『現状の整理からお話ししますね。現在、ゲームサーバー本体は稼働状態にあります』
「じゃあ、動作しているから俺の体にも影響が出ているのかな?」
『はい。ログインサーバー、アバター同期機構及び、ゲームサーバーは正常に稼働しています』
なるほど。
だからログインも出来るし、ゲームでのシステムが適応されているのかも。
『管理者権限についてですが――』
一拍、間を置く。
『怜汰くんは、設計者としての権限を部分的に保持しています。ただし、それは閲覧と限定操作までです』
「限定操作?」
『ワールド構造の確認、ログの取得、アバター同期の維持。ですが、システムルールの直接改変や、強制イベント介入は不可能です』
つまり。今の俺は――
「ほとんどプレイヤーと変わらないってことか」
『はい。現在、GMアバターは切り離された状態で存在しています。仮に、霊峰に行った際に回収出来た場合、管理者権限が復旧出来る可能性が高いです。現在、GMアバターの位置座標は霊峰を示しています』
静かな沈黙が落ちる。
キリエは、少しだけ不安そうに俺を見る。
「……よく分かってないのですが、今の状況は危険なのですか?」
「どうだろうな」
俺は正直に答えた。
「俺もよく分からない。でも、分からないまま放置していい状態じゃないのは確かだと思う」
『現状では、怜汰くんは「設計者であり、観測者でありながら、管理者ではない」状態。致命的な何かがあった場合、制御できない状態は危険ですね』
「暴走する可能性もある、ってこと?」
『可能性は否定できません』
暴走とはどういう状況かは分からない。
けど、やるしかないんだろうな。
「……じゃあ、行くしか無いんだな」
『はい。予定通り霊峰へと向かい、調査しつつGMアバターの回収です』
キリエは、ぎゅっと手を握りしめる。
「でしたら……」
少しだけ、声を強くして言った。
「私も、お力になります」
「ありがとう」
その言葉は、自然に出た。
異世界の令嬢メイド。
感情を持ち始めたAI。
そして、俺。
他にも協力してくれる仲間もいる。
少しでも早く解決出来るように、レベルを上げて向かおう。
歓迎会と話し合いがひと段落して、時計を見るとすでにいい時間だった。
身体はそこまで疲れていないはずなのに、頭の方が先に限界を迎えている気がする。
今日はもう休む為にも、お風呂に浸かってリラックスしたい。特に声は掛けずリビングを後にし、風呂の支度を終わらせる。
「……いま湯を沸かし始めたから、風呂入ってもう寝ようか。明日も早いし」
「はい。承知しましたわ」
キリエもよく見ると目が眠そうに細まっている。人の顔を見るのが苦手だから気づくの遅れたかも?
フェリナも、卓上に投影されたまま尻尾を揺らす。
『あと五分で溜まります。体を温めてゆっくり休んでください』
「じゃあ、キリエさんお先にどうぞ。タオルは脱衣所に置いてあるやつ使ってね」
俺はキリエにそう言う。
キリエは少しの間、迷うような仕草を見せてから静かに頷いた。
「……ありがとうございます。では、お言葉に甘えさせていただきますわ」
キリエは着替えも入っている大きなカバンを持って浴室へ行く。ドアが閉まる音を聞いてから、俺はビーズクッションに腰を下ろした。
「今日は朝から色々あったなぁ」
『そうですね、でも、人見知りな怜汰くんがちゃんと女性に気を遣えていて偉かったですよ』
「偉かったって……子供扱いすんなよな……俺だって気を遣うぐらいは出来るよ、長時間だと逃げたくなるだけで」
『そうでした? キリエとは今日一日、一緒にいて大丈夫そうでしたけど』
「そうだな……お互いがめっちゃ気を遣ってるって分かってての距離感だから疲れなかったのかもね」
『距離感、難しいスコアですね』
「言葉には表しにくい、あやふやな感覚だからね、フェリナも学習出来るといいな」
『二人を観察して学習しますね』
「それはちょっと……」
フェリナと他愛無い話をしていると、浴室の方から控えめな声が聞こえた。
「……あの、怜汰様」
「どうした?」
「持参した寝間着が……少々薄手でして、このまま出るのは、少々……」
一瞬で察して、考えるより先に口が動いた。
「長袖とズボン、ドアの前に置いとくから中で待ってて」
洋服箪笥から部屋着を取り出し、浴室の前にそっと置いてすぐにリビングに戻った。
いつも寝巻きにしている長袖と長ズボンのスウェットはキリエには少し大きめだけど、仕方ない。
「……ありがとうございました」
そう言われたけどキリエを見るのを躊躇ってしまった……。
今更だけど、お風呂上がりの女の子を直視する勇気は無いぞ。視線を逸らしたまま、奥の部屋を指す。
「奥の部屋にベッドあるから使っていいよ。俺は……こっちで寝るし」
ローテーブル脇に置いたビーズクッションを軽く叩いて示す。
「そんな……」
キリエは戸惑ったように言ったが――
「大丈夫。ここで寝るのは慣れてるし」
それ以上、押し問答はしなかった。
「……では、お言葉に甘えさせて頂きますわ」
「んじゃ、俺もお風呂入るね、先寝ててもいいよ」
そう言い残し、俺は風呂に入った。
湯に浸かると、張り詰めていたものが一気に抜ける。
今日一日で一番緊張したかもしれない。これが毎日続くのは困る。早く引越ししたい……。
明日学校行きたく無いなぁ、でも、あと少し行けば春休みか。
もう少し頑張るかぁ……。
普段よりも少し長く湯船に浸かり、髪を乾かしてから静かに部屋へ戻る。
先ほど俺同じ様に明るいリビングで、ふと足を止めた。
クッションにもたれるようにして、キリエが眠っている。どうやら、ベッドへ行く前に力尽きたらしい。
「……」
『先に寝てしまわないように耐えていたようですが、先ほど睡魔に負けたようです』
「待たなくてもよかったのに」
起こすのは忍びない。でも、このままでは首を痛めそうだ。
……不可抗力だ。自分にそう言い聞かせて、そっと抱き上げる。
驚くほど軽い。
起こさないよう、慎重に奥の部屋へ運ぶ。
ベッドに寝かせ、布団を優しくかける。
それだけしたらすぐに離れた。
「……おやすみなさい」
小さく呟いて、部屋を出る。
俺はクッションに戻り、そのまま横になる。
天井を見上げながら、ゆっくりと目を閉じた。
明日も、きっと騒がしい。
でも――明日への不安は無くなっていた。
こうして、二人と一匹の、少し不思議な夜は静かに更けていった。




