空白の一年
視界が開けた。
木の香りと紙の匂い。どこか懐かしい温もりを帯びた空気。最後にログアウトした場所と同じ領主館の執務室……だったはずの場所。
机の配置。本棚の位置。壁際に並ぶ調度品。どれも知っているはずなのに、知らない形に移動されている。
こっちは46年も経てば変わるか。
「……二ヶ月前とはいえ、懐かしいな」
机の上には、見慣れない形式の帳簿と書簡。紙の質も、筆跡も、俺の知っているものじゃないなかった。
いや、むしろ、紙は白くて綺麗すぎる?
それにしても、アバターのはずだけど、動きがスムーズだな。実体がある……?
少ししてからフェリナも隣に現れた。フェリナも実体っぽいな。あとで解析をお願いしよう。
それより、これからどうするかな。誰か話せる人探し行くべきだよな。
「ここはレオニスの執務室のままになってる?」
「現在地、カロディール領主館・執務室。ログアウト地点と一致しますが……」
フェリナの声が続く。
「室内権限の保有者が変更されています」
「そうか、レニオスは……いつ?」
「6年前に、他界されています」
「……そっか、間に合わなかったね」
胸の奥が静かに沈む。この部屋で何度も言葉を交わした。厳しくて、不器用で、それでも確かに領主だった人。
「……最後ぐらい、ちゃんと言葉を交わせばよかった」
その時だった。
扉の向こうから軽い足音。カチャ、と控えめな音を立てて扉が開く。
金髪の少女が、書類の束を抱えたまま立ち止まった。
癖のない、綺麗に整えられたストレートの髪が、静かに揺れる。
「あら……?」
視線が合う。
「……この部屋に、どのようなご用件でしょうか?」
視線も鋭くなりかなり警戒されているのが分かる。この部屋に俺がいる理由なんて知る由もないだろうし。
彼女はここで仕事しているのかな?
『キリエ=カロディール。
現カロディール領主であるレックスとセラフィナの一人娘です』
フェリナがプライベート回線で教えてくれたことで、初めて気づいた。そうか、彼女が報告にあったレオニスの孫娘か。
「俺は――」
名乗ろうとした瞬間、扉の奥から、落ち着いた声が割って入った。
「おや……これは」
黒と銀の礼装。見覚えのある佇まい。
「おかえりなさいませ、怜汰様。フェリナ様」
「……やぁ、ディアス。久しぶりだね」
「ディアス、この方たちは……?」
キリエの声が、少しだけ強張る。
「ご安心くださいませ、お嬢様。こちらの方は、かつてお祖父様――レオニス様と深いご縁のあったお方にございます」
「初めまして、怜汰です。こっちはフェリナです」
一歩前に出て頭を下げる。フェリナもまた、自然な所作で一礼した。
「ご挨拶が遅れました。フェリナと申します。どうぞ、お見知りおきくださいませ」
その名に、キリエの表情が変わった。
「……フェリナ様?報告書の宛名に記されている、あの……?」
「ええ。いつもご丁寧なご報告、ありがとうございます」
「い、いえ……」
戸惑いながらも姿勢を崩さないあたり、領主の娘として頑張ってきたんだろうと思う。
でも今は……フェリナと視線が合う。
「ディアス、レックスさんは今、館にいる?」
「はい。レックス様の執務室に」
「案内してくれる?」
「かしこまりました」
その瞬間。
「あの……!」
キリエから弾けるような声。
「わ、私もご一緒してもよろしいでしょうか……!」
迷いのない瞳。好奇心と、ほんの少しの期待。
……強いな。
「いいですよ。一緒に行きましょう」
その一言で、彼女の顔がぱっと明るくなる。
今の領主であるレックスに、この一年で、何が起きたのかを聞きに行こう。
ディアスが先導し、廊下を進む。
領主館の内部は、記憶している頃と大きくは変わっていないようだった。けれど、細かな装飾や調度品の配置に、時間の積み重ねを感じる。
「こちらが、レックス様の執務室にございます」
扉越しに、かすかな人の気配を感じる。
やっぱり仕事中らしい。
ディアスが一歩前に出て、扉をノックする。
「レックス様。少々、よろしいでしょうか」
「入れ」
間を置かずに低い声が返ってきた。
扉を開け、全員で執務室へと入る。
室内は広く、整然としていた。大きな机。壁際に並ぶ書棚。窓から差し込む午後の光。
そして机の向こうで、書類に目を落としていた一人の男。
黒に近い濃紺の室内服。肩肘を張らず、自然と背筋の伸びる佇まい。鋭さよりも、落ち着きを感じさせる眼差し。年齢は、四十代半ばほどだろうか。
数拍遅れて、男が顔を上げる。
そして。
その視線が俺を捉えた瞬間、彼の目がわずかに見開かれた。すぐに表情を整え、深く息を吐くようにして、口を開く。
「……あなた方は」
低く、よく通る声。
「怜汰殿とフェリナ殿……ですね」
状況からしてすぐバレるか。こんな夜にアポ無しで通すなんてそうそうないだろうし。
「……そうです」
頷くと、彼は小さく苦笑した。
「やはり。お待ちしておりました」
そう言ってから、姿勢を正す。
「初めまして」
胸に手を当て、静かに頭を下げた。
「カロディール領主を務めております、レックスと申します」
「初めまして、ですね。怜汰です」
そのやり取りを、少し後ろでキリエが息を詰めて見ている。レックスはちらりと娘の方を見て、わずかに眉を下げた。
キリエは父の圧に負けまいと一歩前に出て、俺を真っ直ぐに見た。
「この方が……?」
「そうだ」
レックスは視線を俺に戻す。
「この御二方が、このカロディール領のみならず、王都の礎を築いた人だ」
一瞬、言葉に詰まった。
確かに設計をしたとは言え……いま直面しているアクシデントの事を考えると素直に受け取れなかった。
「レックスさん、ここに来たのは今の状況を教えて欲しいからです。ここはカロディールですか? どこか別の場所にいたりなんかしませんか……?」
「ええ、怜汰殿が想像している通りかと」
レックスは、静かに頷いた。
レックスは、椅子から立ち上がり、窓の方へと歩み寄った。厚い石壁に囲まれた執務室。その窓の外には、変わらぬカロディールの街並みが広がっている。
「ここは、確かにカロディールです。ですが――」
一拍、言葉を選ぶような間。
「一年前、霊峰が突如、未曾有の魔力暴走を起こしまして。我々の世界は別の世界と繋がったのだと判明しました」
「別の世界に繋がった……?」
それってやっぱり俺の知る世界。
キリエが小さく息を呑む。
「当初は混乱しました。未知の事態でしたから。すぐに軍と調査団を派遣し、周辺の偵察を行いました」
レックスは、窓の外から視線を戻す。
「そこで遭遇したのが、見知らぬ人族でした。
我々と似た姿をしていながら、文化も、装束も、技術体系も異なる存在」
「……」
「向こうも武装しており、警戒は避けられませんでしたが――不可思議なことに、言葉が通じたのです」
胸の奥で、何かが静かに繋がる。
「幸いな事に、互いに敵意がないと分かるまでそう時間はかかりませんでした。彼らもまた、突然異世界と繋がった被害者だったのですから」
レックスは、こちらをまっすぐに見据えた。
「その国の名が――日本。
彼らは、自らを日本人と名乗りました」
その言葉を、今度は俺が受け止める番だった。
「……レックス」
ゆっくりと、息を整える。
「その日本って国……俺の故郷だ」
一瞬、室内の空気が止まった。
レックスは目を見開き――そして、深く息を吐いた。
「……そうでありましたか」
その声音には、驚きよりも、安堵が混じっていた。
「では……穏便に事が進んだのも、道理ですな」
「ん?」
「怜汰殿が築いた世界と、怜汰殿の生まれた国が繋がった。それ以上に、理解し合える土台はありますまい」
静かに、しかし確かな重みをもって、レックスは言い切った。
「最悪の事態にならず、本当に良かった」
レックスは、静かに問いかけてきた。
「では、怜汰殿の世界は今、どうなっているのですか」
その問いは、責めるものでも、探るものでもない。ただ、事実を知ろうとしているんだと伝わってくる。
「……正直に言うと、俺にもよく分からない」
言葉を選びながら、ゆっくりと続ける。
「多分……きっかけは霊峰だ。俺が守護獣を倒したがだと思ってる」
レックスの表情が、わずかに引き締まる。
「討伐直後、霊峰は魔力暴走を起こした。山頂から、魔力が噴き上がって……壁みたいに広がっていった」
あの光景が、脳裏に蘇る。
「俺は、その魔力の壁に飲み込まれて――気づいたら、ベッドで寝ていたんだ」
一息。
「だから、時間の感覚としては……俺にとっては昨日の出来事なんだ」
「……そうでありましたか」
「それなのに、現実では一年前の出来事だって言われてる」
どこか他人事みたいに感じる。自分じゃない誰かの話だと思えて仕方ない。
なのに、自分の出来事なんだと突きつけられている。
「どう考えても、おかしいだろ」
レックスは、しばらく黙っていた。
やがて、静かに口を開く。
「霊峰での件については、他にも記録が残っています」
「……記録?」
「はい。霊峰の異変を確認した際、我々は調査団を派遣しました。リュシオーネ率いる調査団です」
「……リュシオーネとはその場で会ったな」
「ええ」
レックスは、淡々と事実を述べる。
「その日、怜汰殿と接触したと、報告が残っております」
「……」
「ただ」
レックスは、そこで言葉を区切った。
「それもまた、一年前の記録です」
頭の中で、何かが軋む音がした。
「……そうか」
昨日のはずの戦闘。
昨日のはずの討伐。
昨日のはずの記録。
それが、すべて一年前での出来事になっている。
「どこかで……」
自分の声が、低く落ちる。
「どこかで、ズレてる」
時間。
世界。
記憶。
どれが原因で、どれが結果なのか。
まだ、何ひとつ掴めていなかった。




