Leonis Report.024
— Leonis Report.024 —
現在、カロディール領全域における統治および運営は、概ね安定した状態を維持しております。
王都を中心とした商業・物流網は順調に拡張され、周辺都市および街道の整備も計画通り進行中です。人口増加に伴う治安低下は確認されておらず、騎士団および自治組織による巡回体制は有効に機能しています。
一方で、王都内部においては、貴族間の影響力を巡る動きが徐々に顕在化しております。現段階では小規模な派閥形成に留まっており、統治に直接的な支障はありませんが、今後の推移については引き続き注視が必要と判断しています。
また、王都背後に位置する霊峰において、魔力放出量の微減を観測しました。
現時点では生活基盤および魔力網への影響は確認されておらず、変動幅も許容範囲内です。ただし、長期的な傾向として継続観測を推奨します。
私事となりますが、本報告をもって一件、共有事項があります。
つい先ほど、第一子となる娘が誕生したとの報告を受けました。母子ともに経過は良好とのこと。
娘の名を、セラフィナと申します。
この世界が、次代にとっても穏やかであるよう、統治者としてより一層の責務を果たす所存です。
以上、現時点での報告といたします。
――レオニス・カロディール
レポートを送り終えた後、レオニスは端末を静かに閉じた。
執務室の窓から差し込む陽は、いつもより柔らかい。
王都の喧騒も、今日はどこか遠くに感じられた。
「……終わった、か」
誰に向けるでもなく、呟く。
その時、廊下の向こうから控えめな足音が近づいてくる。
許可を告げる前に、扉が静かに開いた。
「レオニス様」
侍女は一礼し、少し声を落として告げた。
「母子ともに安定しております。ただいま身支度を整えておりますので、少々お待ちください」
「……そうか」
それだけで精一杯だった。
侍女はそう言い残し、静かに扉を閉める。
再び、執務室に静寂が戻った。
椅子に深く腰を下ろし、レオニスは大きく息を吐いた。
剣を握っていた時も、領地の命運を左右する決断を下した時も、ここまで落ち着かない時間は、そうなかった気がする。
――父、か。
しばらくして、再び扉がノックされる。
「レオニス様、ご案内いたします」
その言葉に、レオニスは立ち上がった。
廊下を進み、幾重もの扉を抜けた先。
妻・エリシアの寝室の前で、足を止める。
ほんの一瞬だけ、深く息を吸う。
そして、静かに扉を開いた。
扉の向こうは、ひどく静かだった。
先ほどまで聞こえていたはずの慌ただしさはなく、空気そのものが落ち着きを取り戻している。香草を焚いた柔らかな香りが、部屋に満ちていた。
「……エリシア」
寝台の上で、妻は穏やかな表情を浮かべていた。
長い時間を耐え抜いた痕は確かに残っているが、その眼差しには確かな光が宿っている。
「……お待たせしました、レオニス」
声は少し掠れていたが、微笑みはいつもと変わらない。そして、その腕の中には……。
レオニスは、言葉を忘れたまま、ゆっくりと近づく。
侍女が一歩下がり、静かに視線を伏せる。この瞬間が、二人だけのものであると理解しているようだった。
「この子が……」
問いかけるような声に、エリシアは小さく頷いた。
「ええ。あなたの娘よ」
布の隙間から覗く、わずかな頬。
小さな手。確かに生きている証としての、微かな温もり。
レオニスは、そっと膝をついた。
「……セラフィナ」
名を呼ぶと、不思議なほど自然に胸の奥が熱くなる。
戦場で多くの命を預かってきた。
それでも、この重みは、まったく違っていた。
失えば終わる。
守れなければ、すべてが崩れる。
だが同時に――
これほど「守りたい」と、迷いなく思える存在も、初めてだった。
「……無事で、本当に良かった」
それは娘に向けた言葉であり、妻に向けた言葉でもあった。
エリシアは、少しだけ目を細める。
「あなたが待っていると聞いて、安心しました。
……不思議ね。ひとりじゃないと思えるだけで、耐えられたわ」
レオニスは何も言わず、ただ深く頷いた。
父として。
この地を預かる者として。
役割は増えるばかりだ。
だが今は――
「この子が生きる世界を、少しでも良いものにしたい」
自然と、そう口にしていた。
エリシアは静かに微笑む。
「ええ、あなたなら、きっと」
窓の外、霊峰は変わらずそこにあった。
だが、確かに世界は動き始めている。
新しい命とともに。
静かな決意とともに。
レオニスは、娘の眠る顔を見つめながら、そっと誓った。
次、怜汰殿にお会いする事は、叶わないかもしれない。レオニスは、そう理解していた。五十年という時は、あまりにも長い。
それでも。
私が築いたこの地そのものをもって、応えましょう。
言葉にする必要はない。
街があり、人が生き、次の世代が笑っていれば、それでいい。
あなたから私に託された種が、確かに根を張り、育ったと示せるなら。それが、辺境伯としての務めであり――
怜汰殿への、ささやかな返礼だ。




