日常
昼休みの教室は、期末テスト前特有の空気に包まれていた。
ざわついているはずなのに、どこか張り詰めている。笑い声や雑談の隙間から、焦りの匂いが滲んでくる。
机の上にはノートやプリント、単語帳が広げられ、赤ペンとシャープペンが無秩序に転がっている。
誰もが自由に話しているようで、話題は自然とテスト範囲に収束していった。
「テスト範囲、広すぎじゃない?」
そう言って頬杖をついたのは昂太だった。
机に突っ伏したまま、恨み言みたいに天井を睨んでいる。
「今さら気づいたの?」
隣で彩月が、ため息まじりにプリントをめくる。
紙の擦れる音が、やけに大きく聞こえた。
「去年まであった中間テストが無くなるなんてありえなくなくなーい?! 今年からは中間と期末をまとめた範囲だなんてさ。先生、本気で殺しにきてるよね」
「ほら、先生も忙しいからさ……」
昂太が曖昧に言葉を濁す。
「こないだも一人辞めたし」
二人の会話を、俺は自分の席で聞き流していた。
聞いてなくなくなーいわけじゃない。ただ、頭の中ではプリントの問題の答えを書きつつ、今週の勉強計画をなぞっている。
「怜汰はどうよ。対策できてる?」
不意に、昂太がこちらを見た。
「一応。数学と物理と化学は今週で潰すつもり。暗記系は、その後かな」
「え、真面目……」
「それ、褒めてる?」
「褒めてる褒めてる。彩月なんて、昨日までまだまだ余裕って言ってたからな」
「うっさい! 余裕は心の余裕の話だから! いま頑張ってるからきっと赤点は無いはず!」
軽口を叩き合う二人を見て、少しだけ口元が緩む。
こういう時間は嫌いじゃない。特別でも、刺激的でもないけど、心地いい。
「そういえばさ」
彩月がペンを止め、ふと思いついたように視線を上げた。
「怜汰って、恋愛とか興味ないの?」
唐突すぎる話題転換に、手が止まってしまった。
シャープペンの先が、ノートの余白に小さな点を残す。
「ちょ、なぜ今それ聞く?」
「いいじゃん。テスト前ってストレスとか色々溜まるから、そういう話になるもんでしょ」
「いや、ならないと思うけど……」
少し考えてから、俺は正直に答えた。
「ないわけじゃないけど……相手を思ってサプライズ考えたり、気持ちを察したりする未来が想像できないかな。たぶん、愛想尽かされると思う」
「へぇ。そりゃすぐ振られそうね。女の子って、いつだって特別扱いしてほしいもん」
「普段から将来設計とか考えてそうだよな、怜汰は」
「別に。大して考えてないよ」
実際、目先のことで手一杯だった。
将来なんて、考える余裕すらない。ただ、今はやることが多すぎる。それだけ。
少し間を置いて、俺は何気ない調子で口を開いた。
「そういう彩月と昂太は、付き合ってるの?」
一瞬、教室の音が消えた。
「――は?」
最初に声を上げたのは昂太だった。
完全に思考が追いついていない顔で、俺と彩月を交互に見る。
「ちょ、ちょっと待て待て待て!? なんでそうなる!?」
「いや、なんとなく。仲いいし、距離感も近いし」
「近くねぇよ! ただの腐れ縁だ!」
「ん!? 私とだと腐ってるってこと?」
彩月が即座に食い気味で睨み返す。
「だいたい、なんでそこで私と昂太がセットになるのよ!」
「いや、自然だろ。二人とも誰が見ても明らかに距離近いし」
「それは――」
彩月が言いかけて、言葉に詰まる。
「……それは、昂太が勝手に絡んでくるだけだから」
「は!? お前の方から話振ってくることも多いだろ!」
「それは話題がないからでしょ!」
「それを言うならお前が――」
「ちょ、ちょっと待って」
二人の言い合いを制するように、俺は手を上げた。
「否定の仕方が、カップルのそれなんだけど」
「「違う!!」」
声が、ぴったり重なった。
周囲の視線が、一斉にこちらへ向くのが分かる。
数人がニヤニヤしながら、露骨に聞き耳を立てていた。
「ほら! 見て! 注目されてるし!」
「誰のせいだよ!?」
「怜汰のせいでしょ!!」
「え、俺かな……」
「急に爆弾投げる方が悪いに決まってるでしょ!」
彩月は頬を赤くしながら、下敷きで顔を扇ぐ。
「だいたいね、仮に付き合ってたとしても、怜汰に言う義理ないし!」
「ふぅーん、仮に、ね」
「言葉尻取らない!」
昂太が頭を抱える。
「もういいから! この話終わり! テスト前だよ!?」
「一番動揺してる人が言う台詞じゃないよ、それ」
「うるさい!!」
二人のやり取りを眺めながら、俺は内心で少しだけ思った。
――ああ、これは。
「……やっぱり付き合ってるんだ」
「だから違うって言ってるでしょ!!」
「その割に否定が必死すぎるんだよなぁ」
「怜汰ぁ……!」
昂太の声が、半ば悲鳴になっていた。
「その絡み方、女子に嫌われるよ! マジ気をつけなっ」
彩月が、半分呆れたように、半分本気で言った。
「ご、ごめん」
反射的に謝ると、彩月は一瞬だけ目を伏せてから、すぐに視線を逸らした。
その瞬間、チャイムが鳴り響く。
「助かった……」
昂太が、心の底から安堵した顔をする。
「この話、今後も禁止だからね!」
彩月が指を突きつけてくる。
「了解」
短く答えながら、俺は思った。
やっぱり付き合ってるよね。
放課後。
最寄り駅へ向かう坂道を、一人で歩く。
制服の上からでも、夕方の冷えがわかる季節になってきた。
吐く息が、ほんのり白い。
俺は今、親元を離れて暮らしている。
理由は単純。高校へ通う都合で一人暮らしを選んだ。それだけの話。
親は、王都のモチーフとなった富士山の麓に近い場所に住んでいる。
小さな頃からあの山をずっと見てきた。
晴れの日も、曇りの日も、雪をかぶった姿も。
夕陽が雲海の縁でほどけ、音もなく夜へと傾いていく――あの移ろいが、とても綺麗だった。
空を自由に飛べたらいつだって見られるのにと今でも思う。
だからだろうか。
王都の立地を決める時、無意識にあの場所を選んだのは。
郷愁なんて言うほど大げさじゃない。ただ、馴染みがあるだけ。それだけに大切な場所。
帰宅して、鞄を置く。
部屋は静かで、生活音は自分の動作だけだった。
机に向かい、参考書を開く前に――声をかける。
「フェリナ、今話せる?」
『はい。お疲れさまです、怜汰くん』
落ち着いた声。
近すぎず、遠すぎない。意図的に調整された距離感。
「テスト勉強するから、しばらくは重要事項だけの報告にして」
『把握しています。その間は、私の方で申請確認と軽微な調整のみ行います』
「助かる」
画面の向こうで、フェリナは一瞬だけ思案するような間を置いた。
『進捗については――概ね順調です』
「……そっか」
詳しくは聞かない。
聞かないと、決めている。
「何かあったら、すぐ言って」
『ええ。その時は』
短い会話。それで十分だった。
机に向かい、ペンを取る。
窓の外は、すっかり夕暮れだ。
ゲームの世界は今も五十年分の時間が流れている。
けれど今の俺は、ただの高校二年生。
期末テストを乗り越えて、また戻る。
楽しみは、それからでいい。
今は――
目の前の問題を、一つずつ解こう。
ストックが残り9話になりました。
無くなるまでは毎日2話。
無くなったら極力一日1話を目指します。
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