第12話 削除実行(デリート)、そして……
隔離結界『デュエル・フィールド』の内部。
そこは、青いグリッド線だけが広がる無機質な仮想空間だった。
現実の物理法則は適用されず、すべては私の記述次第で決まる世界。
『ア゛ア゛ア゛アッ!!』
レオンが絶叫と共に突っ込んでくる。
その速度は音速を超え、巨大な鎌が私の首を刈り取ろうと迫る。
普通なら反応すらできない速度。
でも――。
「遅い」
私は指先ひとつ動かさず、目の前にウィンドウを展開した。
『Target: Leon / Action: Speed_Adjustment (速度調整) / Value: 0.1x』
瞬時に世界がスローモーションになる。
レオンの動きは泥の中を泳ぐように鈍重になり、私はあくびをしながらその鎌を避けた。
「今まで私が『オート回避』を入れてあげてたから気づかなかったでしょうけど、敵の攻撃って、自分で避けるのは大変なんですよ?」
私はすれ違いざまに、レオンの横っ腹をデコピンした。
『Hit Effect: Impact_Boost (衝撃増幅) x1000』
――ドゴォオオンッ!!
指先が触れただけなのに、レオンの巨体は砲弾のように吹き飛び、結界の壁に激突した。
『グガァアッ!? ナ、ナゼダ……ナゼ当タラ゛ナ゛イ゛……!!』
「それがあなたの本当の実力だからです」
私は空中を歩くように近づいていく。
「魔女の実験でステータスを盛ったみたいですけど、基礎値が腐ってたら意味ないんですよ。スパゲッティコードみたいにぐちゃぐちゃで、見てて気持ち悪い」
『ウル゛サ゛イ゛! オレ゛ハ勇者ダ! 選バレシ者ナ゛ン゛ダァアッ!!』
レオンの背中から、無数の黒い触手が射出される。
それは全方位から私を襲う飽和攻撃。
しかし私は、冷静に次のコマンドを入力する。
『System Command: Select_All_Tentacles (触手全選択) → Delete (削除)』
シュンッ。
迫り来る触手が、私の鼻先で一斉にデータ粒子となって消滅した。
『ア゛……?』
「理解できました? この空間では、私がルールなんです」
レオンの動きが止まる。
胸に埋め込まれた人間の顔が、恐怖に歪んでいくのが見えた。
圧倒的な力の差。ようやく彼にも、「勝てない」という事実が浸透し始めたようだ。
『タ、タス゛ケテ……』
不意に、レオンの声色が変わった。
怪物の咆哮ではなく、かつての弱々しい人間の声。
『悪カッタ……オレ゛ガ悪カッタ……ダカラ、助ケテ……』
涙を流しながら懇願するその姿。
情けない。本当に情けない。
でも、かつて数年間、一緒に旅をした仲間だった男の成れの果てだ。
私は少しだけ目を伏せた。
殺すのは簡単だ。『Delete』キーを押せば、彼は塵一つ残さず消える。
でも、それでは私の目覚めが悪い。
「……はぁ。私ってば、本当にお人好し」
私はため息をつき、最後のコマンド入力を始めた。
それは『削除』ではなく、『初期化』のコマンド。
「レオン様。あなたのアカウント(存在)を消すことはしません。でも、その汚染されたデータ(怪物化した肉体と歪んだ精神)は、すべてリセットさせてもらいます」
『リ……セット……?』
「レベル1から、いいえ、赤ん坊からやり直してください。今度こそ、自分の力で生きてみなさい」
私は右手をかざした。
眩い光がレオンを包み込む。
『System Execute: Factory_Reset (工場出荷状態に戻す)』
『Target: Leon & Maria (Inside)』
『イヤ゛ダ……オレ゛ノ力ガ……消エ……ル゛ゥゥ……!!』
断末魔の叫びと共に、怪物の肉体が光の粒子となって分解されていく。
黒い瘴気が浄化され、後に残ったのは――。
◇
結界が解除され、私は王都の正門前に降り立った。
周囲には、恐る恐る様子を伺う衛兵たちが集まっている。
「あ、あの……怪物は……?」
「倒しました。もう大丈夫です」
私は彼らに背を向け、地面に転がっている「それ」を指差した。
そこには、記憶を失い、あどけない顔で眠る二人の赤ん坊がいた。
レオンとマリアだ。
肉体年齢も精神も、すべてゼロに戻った彼ら。
「この子たち、近くの教会に預けてあげてください。……親はいないみたいなので」
衛兵たちは呆然としながらも、赤ん坊を保護した。
二人がこれからどんな人生を送るのか、それは私には関係ない。
二度と関わることもないだろう。
「ふぅ……疲れた」
私は肩を回し、空を見上げた。
紫色の空は消え、澄み渡った青空が広がっている。
「やあ、お疲れ様。素晴らしい『処理』だったね」
屋根の上から、カイルが拍手しながら降りてきた。
「君、やっぱり優しいね。僕なら消してたよ」
「……うるさいな。バグ修正はエンジニアの嗜みでしょ」
私はそっぽを向いた。
これで、私と勇者パーティの因縁は完全に断ち切られた。
これからは本当の意味で、新しい人生が始まるのだ。
……と、思ったのに。
「おお! あの方が救国の英雄だ!」
「アリス様万歳! アリス様万歳!」
気づけば、城壁の上から、街の中から、割れんばかりの歓声が上がっていた。
私は顔を引きつらせた。
まずい。
『目立たないスローライフ』計画、完全に失敗った……?
(第1部・完)




