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国葬に着ていく服を考えておかなくてはと王太子の元婚約者となった令嬢は薄く微笑む〜お高くおすましている生意気女を怯えさせるために仕組んだだけなのにと言われましても〜

作者: リーシャ

静寂を破ったのは、甲高く、そして嘲笑に満ちた王太子の声。


「これで、きみもようやく、自分の分をわきまえるだろう」


目の前に広がるのは、古びた洋館の重厚な扉。


埃を被り、不気味な彫刻が施された扉は、巨大な墓石のよう。


エリスティア・ローゼンバーグは、感情を読み取らせない無表情で、その扉をただ見つめていた。


王太子の婚約者という立場でありながら、何の愛情も抱いていなかった。


彼もまた、私のことを鬱陶しい存在としか思っていない。


だからこそ、このゲームが始まったのだ。


「エリスティアさま〜。屋敷には、幽霊が出るとかねてより噂されているの。一人で一夜を過ごせば、高慢な態度も少しは改まるでしょ〜?ふふふ、あははっ」


王太子の隣に立つ、公爵令嬢のミュミルが、扇で口元を隠しながら可憐に笑う。


彼女こそが、王太子が心から愛する女性であり、計画の真の首謀者。


「さあ、入って。どれだけ怖がるか、楽しみにしているわ!」


ミュミルの言葉に、王太子は満足げに頷いた。


屋敷に閉じ込めて、怯える姿を翌朝まで見物するつもりなのだろう。


静かに口を開いた。


「ご希望とあらば、喜んで」


予想に反する返答に、王太子とミュミルは一瞬固まる。


自分でも不思議なほど冷静だ。


恐怖はなかった。


ただ、馬鹿げた企みが早く終わればいい、と願う。


扉を開け、一歩足を踏み入れた。


瞬間、背後から強烈な突風が吹き荒れる。


「え、きゃああ!」


「待て!な、なんだこれは!」


王太子の悲鳴が聞こえて。


振り返る間もなく、巨大な扉は轟音を立てて閉ざされた。


王太子の悲鳴は、扉の向こうで激しく揺れ動く甲冑の音と、ミュミルの引きつった叫び声に変わる。


振り返る間もなく、視界が闇に包まれるのを感じた。強烈な衝撃が背中を襲い、そのまま床に投げ出された。


薄暗い視界の中、立っていた場所は、床が不自然に低くなっていることに気づく。


振り返ると、こちらを押し倒すようにして倒れ込んでいる王太子の姿があった。


「エリスティア!お前、なぜ中にいるんだ!」


混乱していた。扉の向こうにいるはずなのに。


「それは私の台詞です、殿下」


王太子の隣では、ミュミルがドレスの裾を強く握りしめ、青ざめた顔で見つめている。


髪は乱れ、先ほどの可憐さは跡形もない。


「な、何かの間違いよ!わたくしたちは外にいたはずだわ!そうよね?」


ミュミルは錯乱したように叫ぶ。


だが、足元には、間違いなくこの屋敷の床が広がっていた。


王太子が用意したはずの、嵌めるための仕掛け。


罠に嵌まったのは、己だけではなかった。


「殿下、落ち着いてください。扉は、外側からしか開かないようです」


閉ざされた扉を静かに見つめた。


扉は固く、びくともしない。


王太子は扉を何度も叩き、叫び続けた。


「開けろ!誰かいないのか!」


叫び声が虚しく響く中、足元に落ちていた一枚の紙切れを拾い上げた。屋敷の間取り図らしい。


間取り図は、何者かが悪意を持って書き換えたかのように、不自然な空白や歪んだ線で埋め尽くされていた。


手の中にある間取り図は、王太子の計画とは全く無関係の、別の何者かの意図を感じる。


「これを見なさい、殿下」


間取り図を広げ、王太子とミュミルに見せてみたら二人は顔を寄せ合い、不気味な図面を覗き込む。


「な、なんだこれは?こんな、はずでは。ありえん!」


王太子の声が震えていた。


用意した仕掛けは、舞台装置だったはず。


間取り図は、壁や部屋の配置が現実とは食い違い、迷宮のよう。


その時、ミュミルが悲鳴を上げた。


「見て!この部屋、窓がない!」


指差す先を見ると、確かに窓が描かれているはずの場所に、不自然な黒い空白がある。


空白は、手の中にある図面と、目の前にある現実の部屋の壁と、完璧に一致していた。


「屋敷は、知っているものとは違うようですね」


呟いた瞬間、屋敷の奥から、ピアノの音がかすかに聞こえてきた。


優雅で美しい旋律だったが、なぜか胸の奥をかきむしられるような不気味さを伴っている。


王太子は顔を真っ青にして、睨みつけた。


「エリスティア、これは、お前が仕組んだことだろう!この醜い罠で、私を陥れようと!」


睨みつけても意味はない。


女は首を横に振った。


特大ブーメランと分かってないのかもしれない。


「いいえ、殿下。私たちは全員、屋敷のゲームに巻き込まれたのですよ」


ピアノの音は次第に大きくなり、旋律は狂ったように速まっていく。


これから何が始まるのか、まだ誰も知らなかった。


ピアノの狂気に満ちた旋律が止むと、代わりに甲冑が床に打ち付けられるような重い足音が響き始めた。


一歩、また一歩と、音は徐々に近づいてくる。


ミュミルは身震いし、王太子の背中にしがみついた。


「来るわ!本当に幽霊が出るのよ!」


「馬鹿な!お前の仕掛けた罠だろう、エリスティア!」


王太子は掴みかかろうとしたが、素早く身をかわした。


「殿下、この状況でまだ疑うのですか?用意した自分を差し置いて、言うのはやめてください。それより、間取り図を見てください。足音がどこから来ているのか、ヒントが隠されているかもしれませんし」


床に間取り図を広げ、指で一つの場所を指し示した。


「この位置です。ここは、王太子殿下が閉じ込めるために用意した、監視用の部屋のはず」


王太子は顔を歪ませた。


「その通りだ。だが、部屋の構造は単純なものだ。こんな足音は」


「ですが、見てください。間取り図には、もう一つ別の部屋が描かれています。壁を隔てて、この部屋と繋がっている」


瞬間、ピアノの音色とは異なる、甲高く乾いた笑い声が屋敷に響き渡った。


「見つけた!見つけましたよ、お嬢様方!」


声は、屋敷の奥からではなく、部屋の壁の向こう側から聞こえてきた。


王太子とミュミルの顔から、血の気が完全に引く。


彼らがこの屋敷でこちらを脅すために雇ったはずの男が、なぜか同じ部屋の、別の壁の向こう側にいたのだから。


「誰だ、お前は!早く開けろ!命令だ!」


王太子は壁を叩いて怒鳴った。


「命令?それはもう終わりですよ、殿下。今から始まるのは、こちらからの命令です」


声は楽しげに語りかける。


「お嬢様、お嬢様、あなたはどちらのお嬢様ですか?私に教えてくれませんか?」


ミュミルが震えながら口を開こうとした時、彼女の口を素早く手で塞いだ。


「喋るな」


冷たい声に、ミュミルは恐怖に目を見開いた。


男は、こっちを誰か知っているし、図には知らない別のゲームが仕掛けられている。


塞いだミュミルの口元から、か細い悲鳴が漏れた。


悲鳴に呼応するように、壁の向こう側から、さらに大きな笑い声が響き渡った。


男の笑い声が止むと、壁の向こう側から、何かが引っ掻くような鋭い音が響き始めた。


巨大な爪で石壁を削り取っているかのようだった。


「何が、何が始まるというのだ!る」


王太子は怒鳴りながらも、声には恐怖が滲んでいた。


「貴様、一体誰だ!金を渡したはずだろう!」


壁の向こうの男は、問いには答えなかった代わりに、楽しげな声で歌い始めた。


「さあ、見つけましょう、本当のお嬢様を。見つけてあげましょう、本当のお嬢様を。嘘つきは、お化けに食べられちゃうぞ!」


歌声は、王太子が雇った男のものとは思えないほど、幼く、狂気に満ちていた。


不思議と怖くない。


間取り図の監視用の部屋と謎の部屋を隔てる壁から、ゴリゴリと音を立てて、小さな穴が開き始めた。


穴から漏れ出すのは、腐敗したような甘い匂いと、暗闇。


ミュミルが悲鳴を上げようとした瞬間、彼女の耳元で囁いた。


「黙りなさい。命が惜しければ」


ミュミルは顔を真っ青にして、睨みつけた。


彼女は己を憎んでいる。


それでも目には、縋ろうとする本能的な恐怖が宿っていた。


「殿下、男は、私たちが誰なのかを確かめようとしています」


「だから何だ!我々は王族と貴族だぞ!そんな下賤な男に」


「男は、私たちが誰なのか、知っているはずです。嘘をつくかどうか、試そうとしているのです」


言った瞬間、ミュミルの顔が恐怖で歪んだ。


彼女は、王太子に愛されるために、家柄や出自、何もかもを偽っている。


嘘が、屋敷のゲームの鍵となっているのかもしれない。


壁の穴は、さらに大きくなっていた。穴から、黒い泥のようなものが、ゆっくりと流れ出てくる。


王太子とミュミルに背を向け、間取り図を広げた。


「屋敷の本当の持ち主は、誰だったのでしょうね?」


手の中にある間取り図は、生きているかのように、不気味な線を刻み続けていた。


壁の穴から流れ出てきた黒い泥は、床に広がり、不気味な模様を描き始めた。


匂いは、腐敗した花の香り。


「ひ、ひぃ…………!」


ミュミルは王太子の腕を掴み、震えながら後ずさりする。


王太子もまた、顔を歪ませ、泥から遠ざかろうと必死。


冷静に、間取り図の不自然な空白部分に目をやった。


空白は、部屋のどこかに存在するはずの窓を塗りつぶした跡。


窓の向こうには、庭園があるはず。


「庭園に、何かあるのかもしれません」


呟いた時、壁の向こう側から、男の声が再び聞こえてきた。


「見つけた、見つけた、お嬢様。でも、嘘つきはどこかな?」


部屋に仕掛けられたスピーカーから、耳元で囁かれているかのように聞こえてきた。


王太子は反射的に壁を叩き、怒鳴りつける。


空虚に響くだけだ。


「お前が嘘つきだ!卑怯者めが!」


「ふふふ…………嘘つきは、お化けに食べられちゃうぞぉ!」


男の言葉と同時に、ミュミルの足元の床が、生きているかのようにギシギシと音を立て始めた。


「やめて!やめて!」


ミュミルはパニックに陥り、王太子の腕から離れて部屋の中を走り回ったが床の軋む音は、どこに移動しても追いかけるように響き渡る。


「殿下、床の構造を見てください」


間取り図を指差す。


部屋の床には、不自然な亀裂が描かれていたそれは、王太子が陥れるために用意したダミーの亀裂。


今やそれは、ミュミルを追い詰める本物の罠になっていた。


ついに、床の亀裂の上に足を踏み入れてしまう。


「あっ」


足元がガラガラと崩れ落ち、悲鳴と共に彼女の姿は闇へと消えていった。


残されたのは、一人の女と、絶望に顔を歪ませた王太子。


ミュミルが消えた穴の奥からは、しばらく悲鳴が響いていたが、やがて不気味なほど静か。


王太子は床に膝をつき、茫然と穴を見つめている顔は恐怖に凍りつき、いつもの傲慢さのかけらもなかった。


「なっ!ミュミル、ミュミル!なぜだ、なぜこんなことが!」


冷静に、間取り図をもう一度見つめた。


ミュミルが落ちた場所は、部屋の不自然な亀裂。


亀裂は王太子が用意したはずの仕掛けだが、屋敷の意志に利用されたかのよう。


「殿下、床の罠は、あなたがお作りになったものですね?」


問いに、王太子は顔を上げ睨みつけた。


「そ、そ、そう、そうだ。お前を驚かせるための、か、簡単な仕掛けだ!ただ、床が揺れるだけで、おち、落ちるはずなど」


「ですが、落ちた。ミュミル様が」


王太子は、事実を受け入れられないかのように首を振る。


愛した女性は、彼自身が用意した罠に嵌まり、消えた。


これ以上の皮肉はないだろう。


壁の向こうの男の声が、再び聞こえてきた。


「嘘つきは、もういないのかな?ならば、次のゲームを始めましょう!」


王太子は震えながら、こっちを見た。


「エリスティア次は、どうすればいい?」


ため息を吐く。


間取り図から、一つの部屋を見つけると、不自然に歪んだ線が描かれていた。


「次に進むには、この部屋の謎を解く必要があるようです。ただし、この部屋は」


王太子の顔が、さらに恐怖に歪む。


「ああ。部屋は、あなたの隠し財産が置かれている場所ですね」


王太子は言葉を失い、手の中にある間取り図を凝視した。


彼が嵌めるために雇った男は、屋敷の持ち主は、全員の秘密を、手に取るように知っている。


王太子の顔は恐怖と怒りで歪んだ。「馬鹿な!なぜお前がそのことを!いや、貴様、一体どういうことだ!」


壁の向こうの男の声が、楽しげに歌う。


「見つけちゃった、見つけちゃった、王様の秘密。見つけちゃった、見つけちゃった、隠し財産!」


王太子は顔を真っ青にして、壁を強く叩いた。


「貴様!誰に命令されて!」


「命令?いいえ、命令などされていませんよ。ただ、屋敷の持ち主は、面白い遊びがしたかっただけです」


男の声は、子供が話しているかのように無邪気。


無邪気さが、逆に王太子を追い詰めていく。


「さあ、王様。お遊びの時間です。お前の隠した財宝を、この部屋のどこから取り出すか教えてくれませんか?」


「そんなもの、あるはずないだろう!」


王太子は、顔を真っ赤にして否定した。


「嘘はいけませんね。嘘つきは、お化けに食べられちゃうぞ!」


男の歌声と共に、部屋の奥にある重厚な本棚が、ギギギ!と音を立てて動き始めた。


本棚の隙間からは、黒い泥が流れ出てくる。


泥は、ミュミルが落ちる前に床に広がったものと、同じ匂いだ。


「殿下、本棚の裏に、何かを隠しているのですね?」


問いに、王太子は顔を青ざめさせたまま、睨んだ。


「黙れ!お前は何も知らない!」


既にミュミルを失った今となっては、何の説得力も持たない。


隠し財産を隠していた部屋。


謎を解くことが、次の脱出への鍵になっている。


屋敷は、心の闇を、一つずつ暴いていくように設計されているのかもしれない。


再び間取り図に目を落とした。


本棚が動き、隠されていた空間が露わになったが、中には宝箱などではなく、一つの古びた日記帳が置かれていた。


男は顔を歪ませながらも、おそるおそるそれに手を伸ばす。


「これは?」


日記帳を開くと、教養のある美しい文字で、屋敷の持ち主であったと思われる女性の悲痛な思いが綴られていた。


愛する男性の裏切りによって、全てを奪われた過去を記してある。


「嘘つき……嘘つき……!」


女性の日記には、裏切者への呪いが込められていた。


呪いは、ミュミルが落ちていった穴や、本棚から流れ出た泥の正体が、彼女の流した血と涙、憎悪の念であることが示唆される。


「嘘つきは、嘘つきの罠に嵌まる」


壁の向こうから、男の声が聞こえてきた。


声は、ミュミルが落ちた穴の奥から聞こえる、すすり泣くような声と重なる。


王太子は絶叫し、日記帳を放り投げる。


彼は、自分の仕掛けが屋敷の持つ本物の呪いを呼び起こしてしまったことを悟ったのだろう。


日記帳の最後のページに書かれた、不気味な詩を見つめた。


『偽りの愛を告げたならば、その身を血で染め、偽りの誓いを立てたならば、その心を泥に埋めよ』


この詩は屋敷のゲームのルールを暗示しているらしい。


図の次のページが、誰かの意思によってめくられたかのように、風もないのに動く。


一つの部屋が描かれていた。


屋敷の持ち主であった女性が、愛する男性に偽りの愛を告げられた、舞踏会の間。


間取り図に描かれた次の部屋を見た瞬間、王太子の顔が恐怖に歪んだ。何かに気づいたかのように、その場に立ち尽くす。


「殿下、どうなさいました?」


問いかけに、王太子は顔を真っ青にして首を横に振る。


「いや……違う、そんなはずはない……」


その時、壁の向こうの男の声が、再び響き渡った。


「見つけましたよ、次の舞台を。さあ、王様。舞踏会へとお出かけください」


共に、部屋の奥にある甲冑が、ギシギシと音を立てて動き始めた。


それは、驚かせるために用意した、ただのハリボテ。


甲冑はまるで生きた人間のように、王太子の方を向いて立ち上がる。


仕掛けが本物の狂気に変わってしまったことを悟り、彼は、絶叫しながら、舞踏会の間へ続く扉へと走り出す。


「待ってください、殿下!その扉の向こうには……!」


警告も虚しく、王太子は扉を開け、部屋へと飛び込んでいった。


一人残され、舞踏会の間に向かう扉を静かに見つめていた。


扉の向こうから、悲鳴と甲冑が床に打ち付けられるような音が聞こえてくる。


間取り図をもう一度見つめた。


舞踏会の間の真ん中に、不自然な黒い斑点が描かれている。


誰かの血が染み込んだ跡に見えた。


斑点の周りには、一つのメッセージが記されていた。


『偽りの愛に、踊り狂え』


屋敷の本当のゲームが、これから始まることを悟った。


王太子の悲鳴と甲冑の音が、屋敷の奥へと遠ざかっていく。


間取り図の、最後のページをめくった。


最後のページは、屋敷全体の俯瞰図。


歪んだ部屋や、不自然な空白だけではなかった。


屋敷のルールを書き換えるための鍵もある。


部屋の隅に置かれた、王太子が驚かせるために用意した、もう一つの仕掛けに気づく。


指輪の形をした奇妙な鍵だ。


指輪は、屋敷の持ち主が作った、ゲームの管理者となるためのアイテム。


指輪を手に取り、間取り図の扉のマークにそっと触れた。


瞬間、指輪が光り輝き頭の中に、屋敷の全ての情報が流れ込む。


王太子が用意した罠、ミュミルが抱えていた秘密、屋敷の本当の持ち主の悲劇的な過去……。


全てが、一つの物語として、脳裏に焼き付く。


扉、のマークを指でなぞり、そこに開放、という言葉を念じた。


最初に入ったはずの巨大な扉が、ギギギ……と音を立てて開く。


ちらりと過ぎる生存者たち。


……まぁ、いいか。


王太子とミュミルがまだ閉じ込められている屋敷を振り返ることなく、静かに外へと歩き出した。


外は、すでに夕闇が迫り、冷たい風が吹き始める。


屋敷の周囲には、王太子が雇った男たちがいたはずだが、彼らの姿はどこにもない。


仕掛けた罠が、巻き込んだのかもしれない。


それとも。


考えても意味はなさそう。


馬車を呼び寄せると、そのまま屋敷を後に。


己の屋敷に戻り、自室の暖炉に火を入れ、熱いシナモンティーを淹れる。カップから立ち上る湯気は、冷え切った体をゆっくりと温めていく。


一口飲むと、シナモンの甘い香りが、口の中に広がる。


屋敷の中で起こった出来事を、まるで他人の物語のように思い返していた。


王太子の傲慢さ、ミュミルの嘘、屋敷の持ち主の悲劇。


全ては、淹れた一杯のティーと同じくらい、無関係なこと。


おそらく、王太子も周りの者達も屋敷のことは誰にも言っていない。


令嬢を監禁する目的をもってことをなすのだ、誰かに言うわけがないだろうし。


ただ、一つだけ確かなことがある。


王太子との婚約は、正式に破棄されるだろう。


「国葬へ着ていく服を今から考えておかなくちゃ」


シナモンティーを一口飲み、静かに微笑んだ。

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