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睨む俺に悠がため息をついた。そんな反応をされたのは初めてで、やっぱり悠じゃないんだと痛感させられる。
(……違う、これだって悠だ)
悠の言っていることが本当だったとしても、幼馴染みという設定を作ったというだけの話だ。元々いた山内悠という人物を演じていたわけじゃない。それなら俺が知っている悠も目の前にいる悠も全部ひっくるめて悠ということになる。
「全部偽物なんて信じない」
悠は悠だ。そう思った俺は宣言するようにもう一度口にした。
「たしかに中学からの記憶は本物だけど、それだって嘘の上に作られたものだよ。始まりが嘘なら、その上にできあがったものは本物じゃない」
「そんなことない。そりゃあ始めは嘘だったかもしれないけど、そのあと実際にあったことは偽物なわけないだろ」
言い切る俺に悠がまたため息をつく。灯りの影になって表情は見えないけど、雰囲気から呆れているのはわかった。
(見えなくたって、俺には呆れてる悠の顔をはっきり思い浮かべることができる。そのくらいいろんな悠を見てきたんだ。それなのに全部が偽物で嘘だったなんて、そんなの信じられるか)
笑顔も呆れた顔も、困ったような顔も驚いた顔だって偽物のはずがない。全部そのとき悠が感じて浮かべたもので、それが全部嘘だったなんて絶対に信じない。
「悠は悠だ。いままでも、この瞬間だって俺の大事な幼馴染みだ」
「だから、それは記憶操作された結果だって言ってるのに」
「じゃあ、なんで俺のそばにずっといるんだよ」
「え?」
「生き残るために地球人に成りすますだけなら、何年も一緒にいる必要なんてなんてないだろ? 最初はそういう設定が必要だったのかもしれないけど、その後もずっと一緒にいる理由なんてないよな? しかもみんなに兄弟だって言われるくらい仲良くする必要だってなかっただろ」
「それは……」
珍しく悠が言葉を詰まらせた。表情は見えなくても視線を逸らしているのは予想できる。見えなくてもいまの表情を思い浮かべることができるのだって、これまで隣でずっと悠を見てきたからだ。
同じように悠も俺のことをずっと見てきたはずだ。だから俺がどんな性格でどうされると喜ぶかわかっていて世話を焼いてくれたに違いない。そこまでするのが偽物の関係のためだなんて、そんなの誰が信じられるかって話だ。
「悠さ、俺が距離取ろうとしてたこと気づいてただろ。だから最近一人でどっかに行くようになったんだよな?」
「広樹がそうしたいように見えたからね」
「そういうのって、俺のこと考えて行動してくれてるってことじゃないのか?」
「……」
今度は何も言い返さなかった。
(おまえのそういう性格、ちゃんとわかってんだからな)
これだって俺がずっと悠の隣にいたからだ。ただの記憶操作で、ここまでの関係が築けるとはどうしても思えなかった。
「嘘つくなよ」
「嘘って?
「悠が言うように全部偽物なら、俺のことをいろいろ考える必要なんてないだろ? 俺のことなんて適当に相手してればよかったはずだ。面倒くさい幼馴染みなんて立場もさっさと放り出せばよかったはずだよな?」
また悠が黙った。ため息をつくこともない。今度は困ったように眉毛を下げている表情が頭に浮かぶ。
「おまえだって本当は俺のこと幼馴染みだと思ってんだろ? 最初は嘘だったかもしんないけど、いまはもう偽物だなんて思ってない。だから俺が考えてることに気がついて協力してくれようとした。おまえは優しいやつだけど嫌だと思ってることはしない。悠はそういうやつだ」
駐輪場は校舎や運動場から離れた場所にあるからか、シンと静まりかえっている。そんな中で俺は悠を睨みつけた。
一瞬だけため息をつくような気配がした。暗くて表情まではわからないけど、なんとなく悠の雰囲気が変わった気がする。もしかして俺の話に納得してくれたんだろうか。それでも言い足りなくて「まだ何か言う気かよ」と睨みつける。すると悠が少しだけ笑ったような気がした。
「そうかもね」
いつもの悠の声だ、すぐにそう思った。声色というか雰囲気というか、とにかくそういうものが俺がよく知っている悠に戻っている。
(俺の知ってる悠だ)
ホッとしたからか全身から力が抜けた。思っていたより緊張していたらしく、座っていたのに足に力が入らない。手が少し震えていることに気づいて「なんだこれ」と思ったところでポロッと涙がこぼれた。
「あれ?」
慌てて目元を擦ったのに、なぜか次々と涙があふれ出す。「なに泣いてんだよ」と焦って目を擦るのに全然止まってくれない。
「え? なに? ははっ、なんだこれ」
ごまかそうと笑った俺に悠がハンカチを差し出した。
「あ、ありがと」
「鼻かんでもいいよ」
「んなことしないし」
「しそうなくらい泣いてるからさ」
「……ははは、いつもの悠だ」
嬉しくて、ついそんなことを言ってしまった。するとポンと頭を撫でられる。いつもの悠の雰囲気と仕草に、またポロッと涙が出てしまった。そんな俺を見ながら「本当はさ」と悠が口を開く。
「もっと早くに消えるつもりだったんだ」
「え……?」
「取りあえず幼馴染みって設定で潜り込んで、一年くらい過ごせば地球人としての生活にも慣れるだろうって考えてたんだよね。この見た目なら成人って設定でも生きていけることはわかったし、成人なら密な関係を築かなくてもいい。下手に地球人に関わるよりは一人で生きるほうが気が楽だからね。そう思ってたのに、できなかった」
悠が空を見上げた。灯りに照らされた横顔はいつもどおりの悠だ。そのことにホッとし、俺も空を見上げる。いつの間にか夕焼けは消えてすっかり暗くなり、星がいくつか光っているのが見えた。
「地球人なんてただの鑑賞物なのに、段々興味が湧いてきてさ。広樹の世話を焼くのだってなんだか楽しくなって……気がついたらはまってた」
「なんだよ、それ」
「ほんと、なんだろうね」
そう言った悠の声は笑っているような、でも呆れているようにも聞こえた。
「気がついたら離れなきゃって気持ちが消えてた。このままでもいいかなぁって思うようになってた」
「そう思ってんなら、このままでいいだろ」
「うーん、それでいいのかなぁ」
「いいんだって。それに俺はおまえが本当に宇宙人だったとしても気にしないし。っていうか悠は悠だろ。これまでも、これからも悠は俺にとって幼馴染みで親友の悠だからな」
「ははっ。そういうところは広樹らしいよね」
「なんだよ、それ」
「褒め言葉だよ」
空を見上げる悠の横顔はいつもどおりだ。
「そうか、このままでもいいのか」
たしかめるように囁いた悠の声は少しだけ寂しそうに聞こえた。それにドキッとし、慌てて俺も空を見る。
(あの星の中に悠の故郷があるのかな)
宇宙人だという悠の言葉を信じるなんて馬鹿げている。それでも俺は悠の言葉を信じることにした。そもそも悠は意味もなく嘘をついたりはしない。少なくとも中学から今日までの間、そういう悠を見たことはない。
(悠がいなくても平気にならないとって思ってたけど……やっぱりやめよう)
一人ぼっちの悠を突き放すなんてできるはずがなかった。「これからも俺が一緒にいてやらないと」と考えた俺は、立てていた目標を“悠とずっと一緒にいること”に変更することにした。