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「……は?」
最初に出たのはそんな間抜けな声だった。
「悠ってばなに言ってんだよ」
俺がそう突っ込んだのは当然だと思う。いきなり「山内悠なんて人間は存在しないんだ」と言われて「はいそうですか」と納得するやつはいない。
「言葉のとおりだよ」
「……意味がわからない」
戸惑う俺に悠は笑っている。これまで何度も見てきた顔のはずなのに、本当に別人になった気がして怖くなった。
「そのまんまなんだけどな」
「そのまんまって、」
俺を見ながら悠が「うーん」と考えている。そういう仕草もこれまでと違って見えた。
「本当は話すべきじゃないんだろうけど……まぁ、いいか。どうせ後で記憶は全部消去するんだし」
「記憶、え? なに?」
何か恐ろしい言葉が聞こえて来た気がする。ますます不安になる俺に悠がまたにこっと笑いかけてきた。
「俺さ、宇宙人なんだよね」
「……は?」
「だから俺、宇宙人なの」
こいつは何を言い出すんだ。まさかドッキリでも仕掛けているんだろうか。「うちゅう、じん」とオウム返しにつぶやきながら悠を見ると「うん、そう」と何でもないことのように頷かれた。
「いやいや、なに言ってんだよ。宇宙人って、いくら俺でもそんな嘘で驚いたりしないって」
「地球人じゃないから宇宙人って表現したんだけど、間違ってるかな」
「地球人じゃ、ない、」
「うん」
「ははっ、なんだよそれ。ドッキリにしてはつまんなさすぎだろ」
「ドッキリ? あぁ、そういう娯楽文化があるんだっけ。残念ながら娯楽はまだあまり得意じゃないんだ。ゲームと漫画はなんとかマスターできたけど、ほかは勉強中でよくわからない」
そう言いながらにこっと笑った顔にゾッとした。声や顔は同じなのに、目の前にいるのは悠じゃない、なぜかそう感じた。
「その……ほんとなのか?」
声が段々小さくなる。こんなに震えた声なんて自分じゃないみたいだ。そんな俺に「そうだよ」と答える悠の声はいつもどおりで変わらない。
「四年前に観光船が故障して宇宙に帰れなくなったんだ。すぐに迎えが来ると思ったのに、待てど暮らせどやって来ない。いくら地球が外れにあるからってあまりにも遅すぎる。仕方ないから、取り残された俺たちは地球人に成りすまして生き残る道を探ることにしたんだ」
何を言っているんだろう。今日やった数学の小テストや英語のヒアリングのほうがまだわかったような気がする。
「幸いなことに個人デバイスは生きていたから、全員うまいこと地球人に成りすますことができたんじゃないかな。ただ観光用データじゃ限界があるみたいで、いろいろ不具合が出始めてね」
「不具合って、」
「俺の場合はきみかな」
「俺……?」
突然指を指されて驚いた。
「段々と記憶操作の効果が弱くなってきてる」
「記憶操作……?」
「最近、昔の記憶が曖昧になってきてるでしょ? それ、記憶操作の効果が弱くなってきてる証拠なんだよね」
「昔の記憶……あ、」
もしかしてと思った。幼稚園や小学生で起きたことを思い出そうとすると、なぜか記憶が曖昧になることがある。というより悠とのことだけぼんやりしてしまうのだ。ちょっと前まではそんなことなかったのに、最近急にそうなってきた。
(もしかしてそういうのが“記憶操作”ってやつ……?)
ということは、俺の記憶は……。
「思い当たる節があるって顔だね」
「あ……いや、」
「念のため何度か記憶の上書きをしたんだけど、やっぱり効果は薄かったか」
「上書き?」
訝しむ俺に悠が「こうやって上書きをするんだよ」と言って頭をポンと撫でた。そのときとても小さなピピッという電子音が聞こえた気がした。慌てて悠の手を掴むと「大丈夫、いまはやってないから」と言って、いつものようにポンポンと撫でられる。
「あんまりやると脳に負担がかかるから、これ以上は厳しいなって思ってたところだったんだ。そういう意味でもそろそろ限界かなと思って」
「……もしかして、それが原因で転校することにしたのか?」
「そのとおり。といっても俺は元々存在してないから、これまで関わってきた地球人の記憶を消すだけなんだけどね。記憶が消えればきみたちは元どおりの生活に戻る。俺と深く関わった地球人は少ないから何の問題もないよ」
そう言って悠がにこっと笑った。いつもと同じ笑顔なのに何かが違う。そう思った自分に胸がザラザラしてきた。ザラザラした奥から怒りにも似た感情がわき上がってくる。
(何の問題もないって、そんなことあるわけないだろ)
少なくとも俺はショックだ。悠のことを忘れるなんて嫌に決まっている。それに、これまでの悠を全部否定された気がして腹の奥がグッと重くなった。
「んなことないだろ」
「なに?」
「その事故っていつのことだよ」
「きみが中学生になった後あたりかな」
ということは、そのとき山内悠という人間が現れたということなんだろう。
(だから中学の記憶ははっきりしてるのに、小学校までの記憶はぼんやりしてたってことか)
それでも中学から今日までは間違いなく悠という幼馴染みがいたということだ。
「中学からいままではおまえ、存在してるだろ」
「まぁそうだけど、どちらにしても山内悠というのは俺が作った架空の地球人でしかない。家族構成も周囲との関係性も俺が作った設定だ。ゲームと同じようなものだよ」
ゲームと同じだという言葉に腹が立った。そんな言葉で済ませようとする悠にも腹が立つ。
「設定なんて言うな」
「広樹?」
「それに記憶を消去すれば元どおりなんて簡単に言うな」
「だってそうでしょ」
「俺にとっておまえは存在しないやつなんかじゃない! 俺にとって山内悠は大事な幼馴染みだ! それとも幼馴染みってのは設定だけで、おまえにとって俺は簡単にさよならできる存在だったってことかよ!? 中学からのこと全部、ただの設定だったって言うのかよ!? 俺のこと、どういう存在だと思ってたんだよ!?」
言いながら涙がボロボロ出てきた。二人の時間を全部否定されたような気がして、それが悔しくて涙が止まらない。腹が立って腹が立って、とにかくいろんな感情が一気に噴き出した気分だった。
「そんなこと言われても困るな」
悠の冷静な態度に、また涙が出る。
「そもそも幼馴染みの設定だって四年前に急きょ作ったものだしね。俺は幼稚園のときの広樹も小学生のときの広樹も知らない。きみの中にある幼馴染みの俺との記憶は偽物でしかないし、俺にとってはただの情報だ。それなのにどんな存在かなんて言われてもね」
偽物なんて言うな。設定でしかないなんて言うな。ただの情報だと言い切る悠に胸がギリギリと捩られたような気持ちになった。いつも隣で笑っていた悠は全部偽物なんだと言われて喉がギュッと苦しくなる。
(今朝だって、いつもどおり起こしてくれたくせに)
今朝も「ほら、朝だよ」と笑って起こしてくれた。いつもどおり髪を整えてくれたし、目玉焼きに醤油もかけてくれた。週末、一緒に買い物に行こうかと話していたのも偽物のつじつま合わせだったということなんだろうか。
(そんなわけない)
これまでのこと全部が偽物だったなんて信じられない。いや、信じたくなかった。
「小学生までの記憶は偽物だったとしても、中学からのは本物だろ」
俺の言葉に悠は何も言わない。日が暮れて、駐輪場を照らす灯りがついた。その灯りが背後にあるからか、悠の顔は影になっていてよく見えない。それがますます俺を不安にし、同じくらいイライラさせた。
「なるほど、そうきたか」
悠の声が変わった。声自体は同じはずなのに丸っきり違う人にしか聞こえない。もしかして、これが本当の悠の声なんだろうか。それでも俺は「偽物なんかじゃない」と思った。
(全部が偽物のはずない。ずっと一緒にいた悠の全部が偽物だったなんて、そんなの信じない)
「全部が偽物だったなんて、俺は信じないからな」