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始業式の今日は授業がない。午前中だけだから、昼はハンバーガーでも食べてそのまま俺の家に行こうと悠と話していた。
「悠、帰ろ……」
振り返りながら「帰ろうぜ」と言いかけた言葉が止まった。悠が隣の席のやつと笑いながら話しているのを見て、なぜか声をかけられなくなる。知らない顔だから一年のときは別のクラスだったやつだろう。
(さっきも楽しそうに話してたよな)
そんなことを思った自分に驚いた。悠が誰と話そうとかまわないのに、なぜか胸がザラザラする。朝クラスメイトに言われた「そんなんじゃおまえ、そのうち見捨てられるぞ?」という言葉が蘇り、ザラザラしたものが体中に広がるような気がした。
(別に俺以外に仲がいい友達の一人や二人くらいいても変じゃないし)
そう思いながら「そういや去年、そんなやついたっけ?」ということに気がついた。思い出そうとしても一人も思い浮かばない。
(いやいや、一人ぐらいはいただろ)
ちゃんと思い出そうとしたものの、やっぱり誰の顔も思い浮かばなかった。
よく考えれば悠はいつも俺と一緒だった。俺以外の誰かと出かける話を聞いたことがない。クラスメイトたちとは仲良くしていたけど、放課後一緒に出かけたり休日を一緒に過ごすようなやつはいなかった気がする。
(もしかして、俺が新しい友達ができるの邪魔してたとか……?)
ふと浮かんだ考えに体がギュッと固まった気がした。俺がいつも一緒にいるせいで悠に新しい友達ができないのかもしれないとしたら大問題だ。よーく思い出せば、小学校のときから悠には俺以外に仲がいい友達はいなかった気がする。
「まさかな」と思いながらも気づいたことに段々真顔になっていく。「俺、本当に悠の邪魔しかしてなかったことか?」と考えていると、「広樹?」と声をかけられハッとした。
「帰る準備終わった? ちょっと待ってて、俺も……」
「俺さ、ちょっと用事あるから先帰るわ」
「広樹?」
本当は用事なんてない。今日は昼飯を食べた後もずっと悠と一緒に過ごすつもりだった。春休み中二人でやり込んだゲームのボス戦を周回してレアアイテム取りまくる予定も立てていた。夕飯も俺の家で食べる予定だったし、そのままいつもどおり寝る直前まで二人でダラダラ過ごすつもりだった。
(そういうのがダメってことなんだよな)
きっとこういう部分が悠の邪魔をしているに違いない。悠は何も言わないけど、本当は俺以外のやつと遊びたいのかもしれないと思うと暗い気持ちになった。
これまで何も考えずに悠にべったりだった自分が嫌になる。同じくらい、悠と一緒に過ごせないのが嫌だと思ってしまう自分に嫌気が差した。いくら一緒にいるのが楽しいからって、悠の邪魔はしたくない。ザラザラしたものを感じながら「じゃあな!」と言って急いで教室を出る。
(……俺、ずっと悠の邪魔してたのかな)
廊下を歩きながらそんなことを考えた。せっかく今年も同じクラスになれたのに初日から最悪な気分だ。
でも、俺のせいで悠が新しい友達を作れないのはもっと嫌だった。そう思っているのに、心のどこかで「俺以外に友達なんていなくてもいいのに」と思ってしまう自分がいる。こんなの友達として最低すぎる。
(きっと朝変なこと言われたからだ)
クラスメイトに言われたことが次々に蘇り、思い出せば思い出すほど気持ちがザラザラした。
(やっぱり悠も俺のこと、迷惑だって思ってんのかな)
悠にそんなことを言われたことは一度もない。でもクラスメイトからそう言われるってことは、本当は迷惑がっているのかもと思えてしょうがなかった。
(高二で幼馴染みにべったり……たしかにないかもしれない)
いくら幼馴染みでもダメな気がする。悠は優しいから、これまでずっと我慢してきただけかもしれない。
考えれば考えるほどグルグルしてきた。体の中全部がザラザラしているような気がして嫌な気分になる。
(なんで初日からこんな嫌な気分にならないといけなんだよ)
八つ当たりするようにふて腐れながら昇降口で靴に履き替えたところで「神林が一人なんて珍しいな」と声をかけられた。振り返ると一年のとき同じクラスだった森川が立っている。
「山内はどうしたんだ?」
「二人ワンセットみたいに言うな」
「だっておまえらワンセットだろ?」
「それは……まぁ、そんな感じだったけど」
思わずそう答えたら「だろ?」と笑われてしまった。
「っていうか、森川こそ部活は?」
「始業式だから休み。明日からは新入生捕獲のための準備で忙しくなるからな」
「捕獲って、なんのハンティングゲームだよ」
「書道部は人気がないから、それだけ必死なんだよ」
そう言って笑う森川は、一見すると運動部のエースみたいないい体つきをしている。それでも一年のときから書道部一筋だ。「そういや去年も同じこと思ったっけ」なんて、入学したばかりの頃を思い出す。
「去年も言ったかもしれないけど、森川ってパッと見だとバスケ部とかバレー部っぽいんだよなぁ。あ、サッカー部でもいける気がする」
「背があるからか?」
「うん」
「まぁ、たしかによく言われる。でも俺は書道一筋だから」
「知ってる」
森川はおばあちゃんが書道の先生をしているらしく、小さい頃から書道漬けの毎日だったと聞いた。小学生のときにはすでにいくつもの賞を取るほどの腕前だったらしい。本人も書道が好きだと言っているから、このまま書道部の部長になるに違いない。
「それで、山内は?」
悠の名前を聞いた途端に胸がザラザラした。そのせいか、「俺だってたまには一人で行動することもあるし」と怒っているような口調で答えてしまった。
「なんだ、ケンカでもしたのか」
「してねぇよ!」
つい声を荒げてしまった。「しまった」という顔をしたからか、今度は「何したんだよ」と笑い返される。
「だから何もしてないって。っていうかケンカなんてしてないし」
「山内が何かするとは思えないから、何かしたとすれば神林のほうだろ」
「どういう意味だよ」
「神林は山内におんぶに抱っこ状態だからな」
「なんだそれ」
ちょっとだけ睨むと「ははは」とまた笑われてしまった。
「ま、山内の気持ちもわからないではないけど」
「どういう意味だよ」
「神林って妙に保護欲をそそられるっていうかさ。いや、こういうのは庇護欲だっけ?」
「俺に聞くな」
「そりゃそうだ」
森川が笑いながら頭をポンと撫でてきた。まるで小さい子どもにするような仕草にムッとなる。悠も似たようなことをするけど、悠は幼馴染みだから許しているだけだ。
「やめろって」
睨みながら手を払いのけると、「なるほど、撫でたくなる高さだ」なんて余計なことまで言い始めた。
「はぁ?」
「去年一年間、山内がポンポンするのを見てたけど、たしかにそうしたくなるのもわかる気がするって話」
そう言いながら、またポンと手を頭に載せる。しかも気のせいでなければ若干笑っているような顔をしていた。
「森川、バカにしてんだろ」
「照れるな」
「照れてないし! だからやめろってば!」
森川の手を掴んだところで「広樹?」という声が聞こえてきた。視線を向けると靴箱の影から悠が出て来る。
「よかった、追いついた」
そう言った悠が、森川の手を掴む俺の手を見て森川の顔を見た。それから俺の顔を見て、もう一度掴んでいる手を見る。
「もしかして邪魔した?」
「え?」
どういうことかわからなくて悠を見た。だけどそれ以上は何も言わない。首を傾げていると、なぜか俺の手を掴み返した森川が「さぁ、どうだろう」と答えた。
「たまには正直に行動したほうがいいぞ、山内」
「どういう意味?」
「元クラスメイトからのアドバイス」
「おい、何の話だよ森川」
そう言って森川を睨んだが、森川の顔は悠のほうを見ていなかった。どこを見ているんだろうと視線をたどると、どうやら開いている窓の先を見ているらしい。
(あれって……友ちゃん?)
昇降口の窓の向こう側には職員室がある。その前の廊下に立っていたのは担任の友ちゃんだ。
「やっぱり邪魔したみたいだね」
悠の言葉にハッとした。
「用事って森川だったんでしょ?」
慌てて違うと言いかけて言葉が詰まる。
「ええと……」
違うと言えなかったのは、否定すると悠と一緒に帰ることになると思ったからだ。一緒に帰れば、また寝るまでべったりになってしまう。
本当はいつもどおり悠と一緒に帰りたい。昼飯を食べてゲームして、どうでもいい話をして一緒に過ごしたかった。でも、それじゃあ悠の邪魔をすることになる。
(たまには別々の時間を過ごしたほうがいいよな)
そうすれば悠も俺以外の誰かと遊ぶ時間ができるに違いない。
(それに別々の大学に行ったときの予行練習にもなるだろうし)
「ナイスアイデア!」と思ったものの、すぐに胸がザラザラしてきた。思わず眉間に皺を寄せていると、「じゃあ、また明日」と言って悠が昇降口を出て行った。
「追いかけなくていいのか?」
「……別に、今日は用事ないし」
「用がなくてもいつも一緒にいるだろ」
「森川には関係ない」
つっけんどんに返事をする俺に「おまえって本当に弟みたいだよな」と森川が苦笑する。
「何だよそれ」
「五つ下の弟に似てるなと思って」
「はぁ?」
「俺の弟と神林が似てるって話」
「五つ下って……それって小学生じゃん。いくら何でもそれはない」
「いいや、似てる。山内がかまいたくなる気持ちがよくわかった」
「何だよそれ」
「ま、何にしても喧嘩なら早く謝ったほうがいいぞ。長引かせるとこじれるし、ろくなことにならないからな」
そう言った森川が、また窓の向こう側を見た。「まだ友ちゃんがいるのかな」と思って森川の視線を追ったものの、そこにはもう友ちゃんの姿はなかった。
「早く謝れよ」
「だから、ケンカなんかしてないって」
反論する俺に「仲直りしたほうがいいぞ」と森川が手を振りながら去って行った。
「だから違うって言ってんのに」
ぼそっと文句を言いながら靴に履き替えて昇降口を出る。あちこちから聞こえてくる部活動の声を聞きながら歩くのはいつもどおりなのに、何かが違う気がして足が段々遅くなっていく。
(放課後ってこんなに騒がしいんだ)
いつもは気づかない吹奏楽部の音まで聞こえる。それが妙に気分を焦らせて、気がつけば早足になっていた。