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「やったー! 今年も悠と一緒だー!」
「はいはい。あ、ほらタイが曲がってる」
そう言って悠がタイの結び目に指を掛けた。顎を少し上げて「へへっ」と直してくれるのを待っていると、一年のときからのクラスメイトが「おまえら兄弟かよ」と笑い出す。
「違うって言ってるだろ。悠とは幼馴染みなだけだって」
「幼馴染みっていうより、山内がやってんのまんま弟の世話を焼く兄貴って感じだよな。山内も広樹の面倒ばっかで大変じゃねぇ?」
「そんなことないよ。昔からこうだったし。……はい、これでよし」
「さんきゅー」
「広樹、おまえもそんなんでいいのかよ」
「え? 何が?」
首を傾げながらクラスメイトを見ると大きなため息をつかれてしまった。「広樹ってそういう奴だよな」なんてことまで言われてしまう。
「なに? 俺なんか変なこと言った?」
よくわからなくて悠に尋ねると「いつもどおりの広樹だよ」と言ってポンと頭を撫でられた。
「山内はいいとしてさ、広樹のほうはそんなんじゃこの先大変じゃねぇ?」
ほかのクラスメイトまでそんなことを言い出す。
「別に大変なことなんてないだろ」
ムッとしながらそう口を挟んだ俺に、みんなが「ハァ」とため息をついた。
「だっておまえ、山内がいないとダメダメじゃん。どうせ朝も起こしてもらってんだろ? でもって宿題も予習も一緒にやって、なんなら寝かしつけまでやってもらってんじゃねぇの?」
「あー、あり得る。っていうかめっちゃ想像つくわ。もしかして子守歌付きだったりして」
「子どもじゃないんだから一人で寝られるわ!」
「そこしか否定しないってことは、朝は起こしてもらってんだな」
「うるさいな。昔からずっとそうだからいいんだよ」
そう答えると数人のクラスメイトが「そういうとこだよな」と笑い出した。
「そんなんじゃおまえ、そのうち見捨てられるぞ~?」
「そうそう。さすがの山内も高二になってまで幼馴染みの面倒見たいとは思わないよなぁ?」
「これが可愛い女の子だったらまだしもなぁ」
「女の子だったら同じ学校に通えねぇじゃん。ここ男子校だぜ?」
「それもそっか」
そんなことを言ってまた笑っている。俺はムッとしながら悠を見た。悠のほうは苦笑するような顔でクラスメイトたちを見ている。
「たしかに広樹って甘え上手だし弟キャラっぽいけどさ。来年はもう受験生だって自覚ある? いつまでも山内に頼ってばっかだと、大学行ったときどうすんだよ」
「そうそう。まさか面倒見てもらうために同じ大学行くなんてしないだろ?」
「山内だってそんなことのために広樹と同じ大学に行ったりしねぇよなぁ」
クラスメイトたちの言葉に口ごもってしまった。「大学受験」という大きな壁を思い出して嫌な気分になる。同時に「悠とそんな話したことなかったな」ということに気がついた。
(悠は頭いいし、当然大学に行くんだろうけど……)
チラッと悠を見る。クラスメイトたちから「おまえって面倒見よすぎなんだよ」と言われて「そんなことないよ」と笑って答える横顔に胸の奥がざらっとした。
(大学行ったら悠とは離れ離れになるのかな)
そう思った途端に目の前が真っ暗になった気がした。幼稚園のときからずっと一緒だった悠が急に遠くに行くような気がして体の中がザラザラしてくる。嫌な気分に顔をしかめたところで「あ、先生来たぞ」という誰かの声がした。
「じゃ、また後で」
軽く手を振った悠が自分の席に戻っていく。なんとなく遠ざかる背中を目で追っていると教室のドアが開く音がした。
「はい、みんな座ってー。はいはい、静かにね」
そう言って教壇に立ったのは一年のときも担任だった国語の中林先生だ。ふんわり笑った顔は男の人なのに可愛くて、みんなから「友ちゃん」と呼ばれている。名前が「中林友紀」だからだけど、「友ちゃん」と呼ぶたびに「先生って呼べよー」と笑いながら許してくれる懐の深い先生だ。
内心「今年も友ちゃんでラッキー」と思いながら、さっきのクラスメイトたちの話を思い返した。
(悠とは幼馴染みだし、昔からこんなだから別にいいじゃん)
山内悠は幼稚園のときからの幼馴染みだ。家が同じマンションということもあって、いまでも互いの家を行き来するくらい仲がいい。
悠の両親は出張が多い会社に勤めているとかで、ほとんど家にいない。だから小さい頃はしょっちゅう泊まりに来ていた。母さんも悠のことを可愛がっていて、そういう意味では兄弟同然に育ったと言ってもいい気がする。
(だからって悠が兄貴って……そりゃまぁ、自分でもちょっと頼りすぎてる気はしてるけどさ)
それが甘えているみたいに周りに見えるんだろう。でも、実際に悠は俺より年上なんだからしょうがない。
悠は四月生まれで俺が三月生まれだから、悠のほうが一年近く早く生まれたことになる。だからか、小さい頃は悠のほうがずっと大きな体をしていた。小さくて鈍くさい俺より運動もできたし、言葉も俺よりずっと達者だったらしい。
(って、いまも体は俺より大きいか)
頭半分の差だけど悠のほうが大きいから、視線を上げないと目が合わないのが地味に悔しい。中学の頃に比べれば俺も随分背が伸びた気がしていたけど、あんなに牛乳を飲んだのに結局悠には届かなかった。頭の出来も……いや、こっちはまだまだ伸びしろがあると俺は信じている。
「神林~。神林広樹くんは欠席かな~?」
「え? あ、は、はい! いますいます!」
先生の声に慌てて手を挙げた。すると教室のあちこちからクスクスと笑い声が聞こえてくる。
(こういうところが弟キャラって言われる原因なんだろうけどさ)
ちょっと子どもっぽいのは自分でもわかっている。大人びている悠と並ぶと余計に子どもっぽく見えることにも気づいていた。
それでも悠から離れようとは思わなかった。小中高とずっと一緒だったし、これからも隣に……そこまで考えて「大学行ったときどうすんだよ」というクラスメイトの言葉が脳裏をよぎる。
(そんなこと言われなくなって俺だってわかってるよ。でも、悠の隣にいるのが一番落ち着くんだからいいじゃん)
何より一緒にいると楽しい。好きな漫画もゲームもほとんど同じだし、不思議と食べたくなる物も空腹になるタイミングも一緒になることが多かった。学校帰りの買い食いだって休みの日のゲームだって、悠と一緒というだけで楽しくなる。悠もそう思っているからいままで一緒にいたに違いない。
(まぁ、確かめたことはないけどさ)
斜め後ろに座っている悠をチラッと見ると、隣のやつと笑いながら話をしている。
(なに話してんだろ)
なんてことない光景が、なぜか急に気になった。別に誰と何を話していてもかまわないのに、楽しそうに笑っている悠を見ると焦りのような変な気持ちになる。
(あいつらが変なこと言うからだ)
もし別の大学に行ったとしても俺と悠が幼馴染みなのは変わらない。そりゃあいまみたいに一日中ずっと一緒にいることはできなくなるけど、だからって幼馴染みでなくなるわけじゃない。
それなのに胸の奥のざらっとした感覚がなくならなくて、思わず顔をしかめてしまった。