シャルロッテの考え
戻ってきたくま執事が、人数分のティーカップと平皿の上にスパゲッティのように盛られたアイスを、銀のワゴンに乗せて運んできた。アイスはシャルロッテの目の前にコトンと置かれた。
「これ!この前カルロがね、面白い名前のデザートがあるっていうから、クマちゃんにお願いして作ってもらったの、すごいでしょう。スパゲッティ・アイスっていうから、本物のスパゲッティがくると思ったら、全部アイスクリームでできてるの!」
すこし興奮気味に説明してくれるシャルロッテはとても可愛らしい。エリナは出張でドイツを訪れた際に、カフェのメニュー表でスパゲッティ・アイスの写真を見たことがあった。そのため存在を知ってはいたのだが、実は今の今までシャルロッテと同じく、本当にスパゲッティが使用されていると思っていたので驚いた。
「え!面白い、本当のスパゲッティじゃないんだ!」
「おい。さすがのドイツ人も、パスタとアイスを混ぜて一緒に食べたりはしないだろ。」
呆れた表情のカルロが、やれやれといって両手を上に肩をすくめる。
「一緒に食べましょう?」
シャルロッテがエリナに対してそういうと、すかさずくま執事が取分け用の食器を出してくれる。
「いいの?ふふ、ありがとう。私もこれ、ずっと興味があったの。名前だけは知っていたんだけど、ほんとうにスパゲッティにアイスがかかったものが出てきたら、ちょっと困るなって思って…」
今になってみればばからしい話だが、当時は心の底から心配していた。思い出し笑いをしながら話すと、シャルロッテも笑顔になる。
「うふふ…やっぱりびっくりするわよね?私だけじゃなかったんだわ。」
――かわいい!
最初はかなり大人びてみえたシャルロッテだが、こうしてみると普通に十三歳くらいの少女というかんじだった。エリナは元来、かわいらしいものは何でも好きなこともあって、シャルロッテのことも好印象に捉えていた。通常の丁寧な物腰と比して、ふと垣間見える少女らしさが守ってあげたくなる感じだ。
「シャルロッテってすごく大人びてみえたり、年相応に見えたり、かわいらしいね。」
エリナはためらうことなく率直に好意を伝えてみた。すると少し眉根を寄せたカルロがカップを片手に割って入ってきた。
「オーケー、良い子なのはわかるが無理なときはちゃんと言えよ?カッフェの件も、次からは苦手なものなら遠慮せずに言うといい。普通の大人は、提案を断られたくらいで怒らないから。」
さきほどのカッフェ・コンパンナの件で、シャルロッテはコーヒーが得意ではなさそうだったことを気にしたのだろう、カルロがシャルロッテに心配そうに伝えた。言われた方のシャルロッテは、それでも気にしていないような風で、ニコッと微笑むと
「まあ、ありがとう。けど、これからもあなたの提案はどんどん受け取るわよ。だって、そうじゃないと、私以外の人間が存在している意味がないもの。」
と言った。その返答に、カルロの拍子抜けしたような表情が目に入った。
「なんだそれ。」
「そのままの意味。私だけの目線で生きていたら、私以外に他の人間が存在している意味がないってことよ。自分には思いつかない選択肢を、代わりに他人に思いついてもらってこそ、この世に自分以外が存在してる意味があるじゃない。今日だって、本当に私の人生に本当に必要なものは、カッフェ・コンパンナだったかもしれなかったわけでしょう?」
「なんか…哲学者みたいなこと言うんだな。」
カルロが口をへの字にして、ぐっと背もたれによりかかる。
「これって哲学なの?」
シャルロッテがエリナの方を見て尋ねる。
「哲学かはわかんないけど、その年でその世界観が出来上がってるのはすごいと思うよ。」
エリナはシャルロッテのこの一言に、なぜ彼女が大人びて見えるのかの片鱗を見た気がした。自分と他者について、ここまでハッキリと主観と客観の視点で区別できている十代って、珍しいのではなかろうか。さすがは貴族…と言っていいものなのか。そのあたりの事情が分からないなりに、エリナはぼんやりとそんなことを思った。
「シャルロッテの言うことわかるよ、私。他人の言いなりになるってことじゃなくて、もっとこう、積極的に冒険しに行くっていうかんじ。他者の視点は、日々のちょっとしたスパイス的な。」
「日々のスパイスか、なるほどな。」
「けど、今でこそ私も同じように思うけどさ。私が十三歳くらいの時って、もっと周りに自分を合わせて生きてたよ。だから、シャルロッテがそういう考え方をしている事がすごいと思うの。若い時ってさ、周りを気にしないと生きていけない弱さって、あると思わない?」
同意を求めるようにカルロに話を振る。カルロは私の顔を見て「そうだな…」と腕を組んで考えた後、こう答えた。
「まあわかる。小さい時は欲しいもの一つとっても、大人にお願いしなきゃいけないからな。けど、その場に合わせた行動をとることと、ずっと他者に合わせて生きることは違うぞ。一日二十分の筋トレをすることと、日常生活をスクワットで移動していくことくらい違う。」
「あはは!一日中スクワット移動はヤバすぎるでしょ。」
「まあ、つまり自分に苦しみを科しながら生きるのは大変だってことだ。ただ最近は俺も、ほんのちょっとずつだけ他人に合わせたりすることは、自らの楽しい人生にはむしろ必要なのかもしれないと思い始めた。たぶん、シャルロッテが言いたいのもそういうことだろ?」
カルロがシャルロッテに笑いかけると、シャルロッテが頷いた。
「そうね、だいたいそういうことよ。」
ティーカップを片手にニコッと答えると、シャルロッテはそのまま口元へ紅茶を運んだ。香りを楽しんでいるときの、ふんわりと伸びきった表情をしている。
「へえ~、二人とも言葉にするのがうまいねえ。私は、二人と同じこと思うってくらいしか言えないや。」
エリナは感心しきりで、素直に思ったことを口に出してみた。
「それはちょっと嫌な言い方だろ。まだ出会って数十分しかたってないのに、何自然に自分を下に置こうとしてるんだ?やめろよ、それ。エリナにも十分いいところあるぞ。」
カルロの心に引っかかる言い方をしてしまったらしい。エリナには自分を卑下しているつもりは全くなかったのだが、言われてしまうということは、無意識に自分をそう思っていた可能性もあるのだろうか。結局、文化の差かもしれないなくらいに考えて、とりあえず返事をしておくことにした。
「ああ、ごめん。気を付けるね。」
「いや、謝らなくていいけど…。」
「え?…うん。」
一瞬、やや気まずい空気が流れる。
ーーあ。
これぞエリナが海外で頻繁に感じていた「コミュニケーション方法の差による齟齬」という感じだった。この日本的な、とりあえず謝っておこうとする習慣は、文化的な背景に根付く「コミュニケーションツール」としてのものなので、エリナとしてはそこまで深い意味を含んだつもりはなかった。外国人との会話では、何度もこの問題にぶつかってきたし、どう対処すべきかも知っていたはずだけれど、なかなか変えらないのがとっさに出る「習慣」というものだ。
この問題がいつだって難しいのは、そこには「前提条件の齟齬」が発生しているだけなのに、それに気がつかずにお互いを「変な人間性の人」だと思ってしまう可能性があるという点だ。
「謝るのは悪いことをしたときだ」という前提意識と「会話のワンクッションとして軽く謝る」という前提意識。言葉が完全に通じているこの不思議な空間においても、お互いの文化と常識を、一朝一夕に理解することは難しい。
カルロとの間にそれが発生してしまったかもしれないと思うと、エリナは少し悲しくて、怖かった。
無意識に助けを求めてシャルロッテの方を見ると、少女の大きな丸い緑の瞳と目が合った。
「まあまあ、エリナがそこまで深い意味を持たせて発言したとは思えないし、カルロはカルロで、エリナと対等でありたいって言いたいだけなのよね?」
すぐにエリナの視線の意図を酌んで、助け舟をだしてくれるほどに彼女は賢くて優しかった。この場で一番若い少女に仲裁させてしまった自分を少し情けなく思いながらも、笑顔でもって心からのありがとうを伝えた。
「いや、考えてないならなおさら心配なんだが。…まあ、その通り。俺はみんなと対等に話がしたいから、自分はあれができないとか、これができないとか、言わなくていいぞ。俺を褒めてくれるのは、いつだって歓迎するけどな!」
体の前で両手をひらひらさせながらそう言うとカルロは、言いたいことは言い切って、最後にはやはりおどけてみせながらエリナにウィンクをくれた。
「それに、エリナは俺たちがすごいっていうけどさ。俺からすると、エリナは人の話をよくきいて、それを咀嚼してより分かりやすくまとめるのが上手いよ。俺、最初シャルロッテの言ってた哲学みてえな話、よくわかんなかったもんな。」
「ふふ、ありがとう。シャルロッテも、カルロもさ、二人とも基本的にとってもやさしいよね。」
「そうかしら?」
「!…男子たるもの女性には優しくあれ、っていうのはじいちゃんの教えだからな!きっと天国で俺を褒めてくれてるんじゃないか。」
すました顔で紅茶を嗜むシャルロッテと、ヒマワリの大輪のような笑顔のカルロ。カチャリとカップを置いて微笑んだシャルロッテと、少し誇らしげになカルロが笑っているのを見ていると、先ほどの会話で生じた不安感はもはや無く、エリナは心がふわっと浮上してくような感じがした。
20241015_修正