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みちびきの星

 

 スペイン東部のとある町、日も落ちてあたりが真っ暗になった頃、大きな荷物を背負った二人組が町はずれにある小高い丘を登っている。二人は時折会話をはさみつつ、なるべく上を見ないようにしながら黙々と上を目指して登っている。


「お、着いたんじゃない?」


「そうだな、この辺にするか。」


 頂上の開けた場所で荷物を下ろして大きく息を吐いた二人は、背伸びをして吹き抜ける風を身いっぱいに受け止めた。少し冷たさを感じる空気を吸い込んでようやく上を見上げると、そこには文字通りの満天の星空が広がっていた。大小の星々が、ところせましと夜空に敷き詰められている。


「星って、こんなに存在してるんだな。」


 ほとんど独り言のような言葉は静かに夜空へ溶けていき、目を見張る輝きに二人はしばらく目を奪われていた。顔を戻すと、丘から見下ろす広大な土地の一画に街明かりが見える。その小さな灯の集まりを見つめていると、この星の自然の中に人々は身を寄せ合って生きているのだという、人間の営みのエネルギーを感じる。しばらく景色を楽しんだあと二人は、背負ってきた荷物に手を付けた。


「俺、こっちで望遠鏡の準備してるから。」


「わかった、じゃあ俺はイスとか準備する。グアダルーペは、コーヒー飲むか?」


「ああ、ありがとう。」


「わかった。」


 各々が準備に取り掛かり、しばらくして望遠鏡の手前で簡易イスに座った二人はコーヒーを片手に星空を眺めていた。時折暗闇に光る携帯電話の画面には、星空解説のページが映っており二人はそれと見比べながら天体観測を行っていた。


「思ってた百倍はキレイだ。アントニオ、連れてきてくれてありがとう。」


「ああ、ずっと一緒に来たかったんだよな。」


「俺は星を見るとかそんなに興味なかったけどさ、確かにこれは見る価値があるよ。かなり感動する。」


「そうだろ?百聞は一見に如かずというやつだ。」


「初めて会った時、君がメキシコに旅行に来た時も、星を見に来ていたんだよな?俺の運転するバスに君が乗って来て、天体観測しに丘へ行くからどのバスに乗ればいいかって。その時は君のこと、宇宙研究者の人かなんかだと思ってたよ。」


「ははは、何回聞いても面白いよ。」


「いや、俺みたいな人間からするとそういうなんというか…崇高そうな趣味の人間は、みんな頭良く見えるんだよ。」


「崇高な趣味を持つ人間が、バスの運転手をナンパしたりしないだろ?」


「あれはびっくりしたな。普通ならめちゃくちゃ警戒するところだけど、君は全く無害そうだったから。」


「ははは。」


 グアダルーペがもう湯気のたたなくなったコーヒーに口をつけると、ふわりとナッツの香りがした。隣に座るアントニオを見上げると、初めて出会った時にはなかった目尻のシワが暗闇にもはっきりと見える。笑った時に深く刻まれるそれを見るのをグアダルーペは気に入っている。見つめられていることに気がついたアントニオが、こちらを向くとニコリと微笑んだ。


「それに関しては、僕が父親に似ていなくてよかったと思う唯一の点かもしれない。」


「君のパパ、筋肉隆々ですごいもんね。」


 二人が同時に思い浮かべているのは、常時タンクトップで左肩にタトゥーを入れた男が、お気に入りの黄色の長靴を履いて釣りをしている姿だ。アントニオがぱっと見、細身長身の優男なのと比較すると対照的だ。


「あれくらいムキムキの僕に話しかけられていたら、さすがのグアダルーペも警戒しただろ?」


「どうだろうな。見た目が違ったところで君の優しいところは、隠せないんじゃないかな。それに君、ずっと趣味の話をするだろ?警戒している方が馬鹿らしくなるっていうか。」


「その点はまあ、父親に似ていてよかった部分だな。」


「ははは。」


 グアダルーペは笑いながら立ち上がって望遠鏡を覗き込んだ。肉眼で見るよりも星々の大小がはっきりと分かる。知識があれば、しっかりそれぞれを区別して星座がわかるのだろう。振り返ってアントニオの元へ戻る。


「星が近すぎるな。俺には過ぎた技術だ。」


「はは、Osa Major(北斗七星)は分かるんじゃないか?」


「これだけ星が見えていると、かえって街中にいる時よりも見つけるのが難しそうだ。」


「言えているが、あっちのほうだな。じっと見ていると、ひときわ大きい星が見えてこないか?」


「うーん。…ああ!見えて来たかも、あれか。」


「…たぶん。」


「星座でいつも思うんだけどさ、あの形でなんで『大熊』なんだ?」


 ひときわ輝く北斗七星を指さしながら唇をとがらせていると、アントニオは楽し気に星とグアダルーペを交互に見つめながら解説してくれた。


「実は、実際のおおぐま座はもっと広い範囲をとっていて、その一部が北斗七星のことを表しているんだよ。」


「ええ?そうなのか?」


「そう、Big DipperとかPloughって聞いたことないか?」


「いや、ない。」


「他の国では鍋とか柄杓とか、そういう名前がついていたりする。」


「へえ、そうなんだな。おれはスペイン語のが好きだな。おおぐまって、神話っぽくてかっこいいし。」


「ロマンがあるよな。」


「そうそう。それに…。」


 さきほどから北斗七星を見つめていると、どうしてか心の奥がきゅうっとなる。グアダルーペはそれでも、星から目を離さずにいた。


「少し…懐かしい、響きに感じる。」


 グアダルーペのいつになく神妙な声色に、アントニオもすぐには返事をせず二人の間は一瞬シンとなった。数秒経ったのち、アントニオがさらに神妙な面持ちで口を開いた。


「…昔、クマ飼ってたのか?」


「ははは!」


 アントニオの冗談に、思わず大きな声で笑い声をあげた。その瞬間、ガザガザと木々の揺れる音がすると二人の足元に大きな白ネコが姿を現した。


「ああ、ごめんな。おれたちの声が大きすぎたかな?」


「びっくりしたのかな。」


 白いネコは優雅にアントニオの足元にすり寄ると、伸ばされた手に素直に撫でられ目を細めた。グアダルーペが甘える白ネコを微笑ましく見ていると、バチリと目が合い数秒間見つめ合った。不思議と目を離せないでいると、不意に猫が片目を閉じてウィンクをした。


「!」


 偶然そう見えただけなのだろうが、この一瞬でグアダルーペは自分の記憶の奥底に眠っていた景色を断片的に思い出していた。


 ――大きな館のティー・テラス、美しい庭と、白いネコ、白いバラに…


「グアダルーペ。」


 ハッとして名を呼ぶ声がした方を向くと、満天の星空とアントニオの顔。


「…?」


 自分の人生には存在しないはずの記憶が溢れ、あっという間に引いて行った。まるで朝起きた瞬間から夜に見た夢の内容をどんどん忘れていくように、さっきまでの情景が思い出せない。動揺していると心配そうな顔をしたアントニオが自分の被っていたニット帽をグアダルーペにかぶせてくれた。


「少し寒くなってきたかな。降りるか?もう、ここにはいつでも来れるしな。」


「…ああ、そうだね。」


「これからは週末に来ることだってできるからな。」


 ニコッと笑ってみせたアントニオが望遠鏡を片付け始めたのを見ていると、白ネコがグアダルーペの前に座り込んだ。にゃあと小さく鳴いたあと、顔を洗ってその場に行儀よく佇んでいる。じっと見ていれば先ほど頭によぎった映像について、何かわかるかと思ったグアダルーペはじっとネコを見つめていたが、ついに何も思い出すことはなかった。


「さあ、帰ろう。」


 二人は荷物を背負うと、行きと同じ道を戻っていった。イスを置いていた跡の残っている地面の上には、今度は白いネコが座ってじっと星空を見つめていた。


「幸せそうで何よりだにゃ。」


 その場を立ち去った二人の男たちの耳には届かなかったその呟きも、もしかすると遠くの星の誰かには聞こえているのかもしれなかった。




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