ラウラ
久々にやってきた湖の景色は、記憶にある姿のままだ。美しいグリーンにもみえる透明な湖面の向こうに、雪を頂いた高い山々が見える。
「ずっと昔の記憶だけど、そのまんまだ。」
「あなたも似たようなことを言うのね。」
キラキラと光り輝く黄色の石を抱えたミリアは、湖面の手前でとまるとエリナの方を振り返った。
「ねえ、私やっぱり今すぐこの石を持って帰りたくなっちゃった。だからお話はまた今度でもいいよね?」
「え?帰っちゃうの?」
「うん。じゃあ私はもう行くね。」
「え、私はどうしよう。」
「うーん?好きなようにすればいいんじゃない?」
エリナに心底不思議そうな顔を向けたミリアは、こちらへ近づくとすぐにその表情を明るいものに変えた。ミリアの瞳には彼女の抱えた美しい石の輝きが映っている。その揺らめきを見つめていると、彼女は近づいてきてその小さな手でエリナの頬に触れた。
「素敵な石を本当にありがとう。私はいつも森にいるから、いつでも遊びに来てね。」
手を離すとミリアは「いいこと思いついた!」という顔になり、再度近づくとチュッとエリナの頬にキスをした。
「私これから毎日、洋館にお花を選んであげるわ。精霊様にお願いしてあげる!タマラに渡すから楽しみにしていてね!」
「!…毎日お花を?…ミリア、ありがとう。嬉しいわ。」
ミリアはエリナの返答に満足そうに頷くとニコニコと離れ、そのままエリナに背を向けて森へと飛び立っていった。彼女の飛び立っていった後には、エリナが一人残された。
「……。」
遠ざかっていく友人を見送りながら、エリナの胸はドキドキと脈打っている。
この世界へ戻って来てからの出来事を振り返って、エリナには気になることが一つあった。
――なぜ私がこの世界に戻って来たのか。
この世界へ来た直後には思い出せていなかった記憶も、徐々に思い出してきていた。それは、エリナが赤ん坊の時の、今まで一瞬たりとも覚えていなかったような記憶に始まり、幼少期、学生時代…と。それはまるで人生における点が順々に線でつながって、エリナの歴史をたどる映画を見ているかのようにして思い出されていった。
いまようやくその歴史の終わりを見届けて、エリナは自分が全ての人生を全うして、ここへやって来ていることに確信をもった。
――私の記憶と、今のミリアの言葉…
エリナは一歩一歩踏みしめて、湖へと歩みを進める。全身があつくなって緊張感とも高揚感ともいえるような感覚が体中をめぐる。
――私がここへ来たのは、必然だ。なぜなら…私は……
じっと自分のつま先を見つめながら、湖の手前で立ち止まったエリナはそのまま目を閉じた。
心を落ち着けてゆっくりと目を開くと、その水面を見つめる。そこに映っていたのは、懐かしい姿。
――ラウラ…
エリナがその場にしゃがみこむと、水面に映ったラウラも全く同じ行動をとった。
気づけば水面に映ったラウラは涙を流していた。それを見て、エリナは初めて自分が泣いているのだと理解した。
――私が、ラウラだったんだ。
エリナが立ち上がり後ろを振り返る。
――そして…
「…会いたかったよ。」
そこにいたのは、執事服を着た大きなクマのぬいぐるみだった。
懐かしいそのフワフワした姿が、ポリポリと頬を掻きながらエリナに近づいてくる。
(エリナ、おかえり。)
クマ執事の口元は動いていなかったが、彼の言葉は確かにエリナの心に響いた。エリナも彼の方へと歩いていく。
――そういうことだったんだ。
彼の元へたどり着いた瞬間、クマ執事はエリナを抱きしめた。
「カルロ。」
ふかふかの腕に抱きしめられて、エリナは愛おしさが込み上げた。見上げると、彼は優しい表情でエリナを見つめていた。もう一度、ぎゅーっと力強く抱きしめられる。ちょっと強すぎてエリナの背中が反ってしまうほど抱きしめる彼に、エリナは「ああ、本当に彼なんだな」と微笑んだ。
「ねえ、カルロ。カルロが大きなくまのぬいぐるみの姿なのってさ、もしかして…」
そこまで言うと、抱きしめていた腕を緩めた彼が気恥ずかしそうにした。
「やっぱり、そうなの?」
(……そうだな。)
「へえ、実は結構気に入ってたんだ。」
(…いや、これはその。ホラ、印象に残ってたっつーか。)
何故か言い訳をし始めた彼に、笑いが込み上げる。
「あはは。カルロ、こっちきて。」
エリナが手で顔を近づけるように指示すると素直に顔を寄せてきた。エリナは近づいてきた彼の両頬を包み込み、その鼻先にちゅっとキスをした。
「かわいい私のくまちゃん、本当にくまちゃんになっちゃったのね。」
エリナがニコッと笑うとくまのカルロは恥ずかしそうに身をよじった。
(ここに戻って来た時にやっとクマの理由がわかって、俺は恥ずかしかった。)
「あはは!え~いいじゃん。なんで?私は嬉しいよ、大好きな私のくまちゃん。」
(こんな単純な理由でクマの形をとっていただけなのに、色んなヤツに理由を聞いて回っていた自分が恥ずかしい。)
「ははは、それはまあしょうがないよ。」
(はあ。)
「ていうか、私もあなたから『僕の宝物』って呼ばれてたから。私が四角い宝箱の姿になってしまわないで本当によかったわ。」
(ははは、確かに。)
そう言って離れた二人は横に並び立った。そのまま洋館の方へ歩いてゆくのだろうと感じ取ったエリナは、とくに何かを聞いたりすることもせずそのまま彼の行く先へついて行くことにした。
「カルロは、わたしよりずっと早くにここへ戻ってきたんだもんね?」
(そうだな、実感はないが。俺が死んだ後も、寂しくなかったか?)
そう言って肩を引き寄せられたエリナは、そのフワフワした腕に手を添えた。
「寂しかったよ。…すごく寂しかったけど、支えてくれる人がたくさんいたから。カルロが教えてくれた通りだったよ。」
(そうか。)
「うん…」
それからしばらくは、カルロの知らない後の歴史を語った。急に住んでいたアパートを急に理不尽な理由で追い出されて、友人宅を転々としたこともあった。恐慌のせいでほとんど仕事がなくなり、新しい仕事探しをしなければならなかったこともある。カルロの弟が破産したときの話になると、さすがのカルロもため息をつき、申し訳なさそうにエリナに謝った。そんなカルロをなだめるように手を繋いだエリナが笑顔で「カルロの代わりに両親を支えられてうれしかった」と言うと、カルロは立ち止まってエリナを抱きしめた。ニコニコと笑顔の二人は再び歩き出し、ついに話が晩年エリナの病気が発覚した頃の話になった。そのあたりから話の中心は、エリナの数年の闘病生活を支えてくれた一人の介護士の女性になった。
「それがラウラなの。」
(え!そうだったのか?)
「うん。この姿も、ラウラのもの。」
(そういうことだったのか。ずっと…エリナは誰の姿を取っているんだろうと思ってたんだよ。)
「自分の年齢の半分もいってないような若い子だったけど、私は彼女のことをすごく尊敬していた。もし私に別の人生が与えられたら、彼女みたいに人に寄り添いながら、誰かが生きていく手助けを出来るような人間になりたいなって。」
(…そうか。)
「何にせよ、おばあちゃんの自分の姿でここに来なくてよかったわ。」
(そうなのか?おれは可愛いおばあちゃんになったエリナも見て見たかった。)
横を見ると、エリナを優しく見下ろすカルロの瞳と目が合った。黒髪のクールだけど優しい青年だったときとは全く違う、ふわふわとした存在がそこにいる。けれどエリナにとって、カルロはカルロでしかなかった。
(エリナの側に、支えになってくれる人たちがいてよかった。)
「うん…本当に。」
カルロが若くして急逝した時、ショックが大きく打ちひしがれていたエリナを支えてくれたのはエリナの友人、カルロの家族、いつも彼女の周りいてくれた人たちだった。彼らがいなかったらきっと、エリナ一人でここまでやってこれなかったはずだ。
「でもね?いなくなってからも、いつだってカルロが私を支えてくれていたんだよ。」
(…というと?)
「何か大変なことがあってもさ、カルロとの会話を思い出すんだよ。一緒にいたときのこと、些細な事でもずっと忘れないでいてさ、ずっと記憶の中のカルロに励ましてもらってた。アップデートはないから、一生懸命、過去の記憶を掘り起こしてね?だからかな、私最後まであんまりボケてなかった。」
エリナがケラケラ笑うと、ふっと微笑んだカルロが手をつないだ。
――ふわふわだ。
思わずクスリと笑うと、エリナが何を思ったのか分かったらしく、カルロはムスッとなった。
(おい、おれだってもっとカッコいい姿でエリナを迎えたかったんだよ。)
「いや、ふふ…ごめん。気にしてたんだ?」
(そりゃあ気にするだろ。まさかこの俺がこんなに…可愛らしい存在になってしまうなんてな…!)
「どんな姿でも素敵よ、私のくまちゃん!」
仰々しく落ち込むフリをしたカルロに、エリナがぎゅーっと抱き着くと、カルロはまんざらでもなさそうにエリナの背中をポンポンと撫でた。言うほどショックを受けているわけではなさそうだ。
そんなことをしてじゃれていると、エリナの目に懐かしい庭とテラスが目に入った。庭には相変わらず白いバラが咲いていて、綺麗に手入れがされている。エリナは、白と黒のネコちゃん二人組の姿を思い出す。まだラウラになったばかりの今のエリナが体験したことはないはずなのに、二人のネコちゃんと一緒にこのバラ庭園の手入れをした記憶が頭をよぎる。エリナは立ち止まるとおもむろに目の前のバラの花を手に取り、顔を近づけて香りを探った。瞬間、エリナは洋館での出来事と懐かしい友人たちのことを思い出す。くるりとカルロの方を振り返ると、エリナは疑問を投げかけてみた。
「これってさ、またみんなに会えるってことよね?」
(ああ、そうだな。俺はもう完全にこちらの存在になったから、話すことはできないが。)
「!…そうなの?けど言われてみれば、執事のくまさんって全く話さなかったものね。」
驚いてカルロに続きを促すと、少し困り眉のエリナのくまちゃんが頭をポリポリと掻きながら語り始めた。
(俺は力を借りる条件として、俺の全部を明け渡す約束をした。この世界には、時間がないだろ?そこには過去も未来もない、文字通り俺のすべてなんだよ。)
「…?記憶をなくしたの?」
(いや、俺そのものを…?とられたらしい。だからカルロとしての一部だけが、ここに…俺としてとどまっている。)
カルロがトントンと自分の胸をたたいている。その手の動きを見つめながら急速に思考を巡らせたエリナは、眉根を寄せたままカルロの顔に視線を戻した。
「え、幽霊みたいなこと?」
(そう言われると、なんかイヤな気分になるな…)
「あ、ごめん。そんなネガティブな意味はなかったんだけど。…本当に。」
(いや、それはそうなんだろうけどさ。)
「ごめんって。」
(まあ、いつものエリナだな)
口をへの字に曲げてエリナが後悔している横で、カルロは顎に手を当ててしみじみと頷いている。
「…ホラ、幽霊にも善し悪しがあるでしょ?」
(いや、そもそも俺は幽霊じゃない。)
「そっか、じゃあ…ここってたしか、同じ銀河系内に存在する星だったよね?つまりカルロの地球での輪廻は終わり、この星の存在として生まれ変わったってこと?」
(仏教的考えだとそうなのかもな?俺は、生まれ変わったというよりかは、完全に新しいグループに参入した感じじゃないかと考えている。)
「新しい輪廻の輪に入った…じゃあ今は私も魂を明け渡して、ここにラウラとしているのかな?」
エリナが自分の手のひらを閉じたり開いたりしながらまじまじと見つめていると、カルロは「いや…」といいながら、少し考えをまとめてから話し始めた。
(……おそらくそれは違うと思う。エリナは石、どうした?)
「石?私のは、妖精のミリアが持って行ったわ。」
(なるほど。エリナ、俺のは精霊に粉々に砕かれて湖に撒かれたぜ。)
「えええ?!粉砕されたの?!」
(割れたそれらは水色じゃなくて、かけら全部が集まって虹色のような輝きを放つ透明の石だった。)
驚いたエリナはまるでマンガのように、両手で自分の頬を挟んで悲鳴に近い声をあげた。そんなエリナを見てカルロはくすくすと笑っている。
(それが何を意味するかは分からないけどな?その瞬間、俺はもう人間として生まれることはないんだろうなと思ったよ。仏教的な輪廻転生とかを信じていたわけじゃ、ないけどさ。)
「…なるほど。」
すこしの間押し黙ったエリナに合わせて、カルロも沈黙を保っていた。数秒の後、考えをまとめたエリナはくるりとカルロの方へと体を向けた。
「言われてみれば、私のその辺の思考ってかなり仏教的だよね。全然意識したことなかった…けど今は、その考え方で説明するのが一番簡単だと感じる。」
(というと?)
「あなたは元の世界の輪廻を外れて、新しくこの星の輪廻に加わった。けど、私は元の世界の輪廻にいるまま、こちらの世界に遊びに来ているだけ。過去の私たちが、人生の途中にここを訪れたみたいにね。」
(…なるほど。)
「だから私は、自主的にこの場所に留まることにするわ。そしたらまたあなたと一緒に過ごせるでしょ?」
(…!)
「まあ、また生まれ変わってもここへやって来て、あなたと出会うことはあるかもしれないけれど。そうなると私はエリナとしての記憶を失うと思う。私はエリナとしての記憶を思い出した今のまま、この素敵な世界に、あなたと一緒に留まっていたい。」
(それって何かその…問題があったりしそうか?エリナに不都合なこととか…)
「いや…特にそういう不具合は起きないと思う。」
(そうか、なら良いアイディアだな!)
エリナが話す間も難しい顔をして、最終的に心配そうな表情をしていたカルロだったが、問題ない宣言でやっと安心したのか屈託ない笑顔を見せてくれた。
――嬉しそうなカルロ、久しぶりに見たな。
「よかった」で心が満たされ、懐かしい彼の笑顔をじんわりと胸に染みわたらせているとカルロは手を口元にもってきて、くつくつと笑い始めた。
「え、なに?」
(いや、しばらく前からだけどさ。エリナって俺が楽しそうにすると、その顔するよな。)
「え?…そうなの?」
(ああ、そうだ。)
カルロはまだおかしそうに笑っていたが、エリナは二人の間にある時間のギャップを感じていた。本当に、この世界…この星には時間が流れていないのだ。先ほどのミリアとの会話のように、エリナは軽い衝撃を覚えていた。これからエリナがラウラとして体験する出来事は、知っていることも知らないことも全てないまぜになって起こるのだろう。
「…じゃあ、手始めに洋館の、あの部屋を占領しに行きましょうか。」
(ああそうだな。俺、結構訓練したからめちゃくちゃ仕事、速いぜ。刮目せよ、だな。)
その言葉にエリナは、くま執事の仕事は何をさせても常軌を逸した早さだったことを思い出した。
「ああ、そうだったね!ふふふ。じゃあ、あのお部屋は空いているのね?」
(ああ、あそこはずっとあのままだ。)
二人は手を取り合うと、白いバラの咲き誇る庭園を抜けて階段を上り、テラスへと降り立った。見覚えのあるティーテーブルが三つ、イスと合わせて並んでいた。カルロはエリナを近くのイスに座らせると、掃き出し窓から室内へ入っていった。その姿を見送ったエリナが何か考え事をしようとする前に、くま執事のカルロはあっという間に、銀のワゴンと共にテラスへと戻って来た。
「は、早ァ!」
(くく…さあどうぞ、お嬢様。)
相変わらずナイスリアクションのエリナに気をよくしたのか、ウィンクをしながら温かい紅茶を手際よく淹れてくれたカルロは、小さなクッキーの添えられた可愛らしいティーカップをエリナのまえに差し出した。
「ありがとう、カルロ。」
お礼を言い、カップを口に近づけると鼻腔をローズの香りがくすぐる。口に含むと、少しだけフルーツのような甘みも感じた。
「え!美味しい…!これ、今までで一番おいしい紅茶かも…!」
エリナが感動のあまり目を輝かせてカルロを見つめると、カルロはフンと鼻を鳴らし、得意げに胸を張って見せた。
(まあな。最後に旅行行ったときに、気に入ったって言ってたやつと同じだぜ。)
「…!確かに、そうだったわ。カルロ、そんなことまで…」
(あたりまえだろ。)
みたことないくらい得意げにしているカルロに、初めは感動していたエリナも可笑しさの方が勝るようになった頃、二人の耳に懐かしい少女の声が耳に届いた。
「あの…すみません。こちらは…いったいどのような施設でしょうか?」
声の主の姿をみとめたエリナは思わず目尻を下げ、まだ幼さの残る少女へ近づくと目線に合わせて、かがんで挨拶をした。
「うふふ。初めまして、私はラウラよ。ここは森の洋館、もしよければ私とお茶をいかがかしら?」
話しかけてきた直後には不安気にしていた少女が、突然のお茶会のお誘いに一瞬キョトンとしてラウラとくま執事を交互に見た。そしてほんの数秒の後、少女は桃色のスカートを持ち上げると、ニコリと笑ってお辞儀をした。




