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懐かしい世界

 

 瞼の内側で一瞬、何かがパチパチ、キラキラと明滅するのを感じる。

 それをきっかけにゆっくりと目を開けるとそこは、どこか見覚えのある街だった。どの町だったかわからない。長い人生の間、たくさんの国を訪れ、多くの人に出会った。ずっと昔に訪れた場所のようにも思えるし、いつかの旅の途中に通り過ぎただけのどこかの街だったような気もする。

 辺りを見わたすと砂岩でできたレンガの石畳の道に、ところどころ赤の見える街並みが広がる。立ち並ぶ店の前には人々が行きかっていた。一歩を踏み出す前に周囲をじっと観察していると、楽しそうな声を上げる子供たちが後ろから元気よく駆け抜けて行った。それ見て、少し肩の力の抜けたエリナはつられるように前へと歩き出した。


 街を貫く坂道を下り始めてすぐ、左手に並ぶ店々のなかに雰囲気のある洋裁店が目に入った。近づいて中を覗き込むと、手前のトルソーに薄黄色のワンピースがかけてある。


「アレ?これって…」


 しまい込んでいた記憶が引っ張り出される感覚を覚える。けれど肝心な部分だけ霧がかかったように、はっきりとは思い出せない。エリナは洋裁店のウィンドウから離れると、再び道の真ん中へ戻り、ゆっくりと坂を下りていった。行き交う人びとの声がざわざわと穏やかに心地よく耳に入る。目に映る先々の方まで店先には鮮やかな赤色の花たちが飾られており、時折ふきぬける優しい風に花弁が揺られていた。


 ――前に来たことが、ある気がする。


 ゆらゆらと揺れる花は生命力を感じさせ、穏やかな微笑をたたえた人々と合わせて街の情景は平和そのものだ。


 ――素敵な町、やっぱり…


 初めは半信半疑だったエリナも、この頃には自分の心当たりは間違っていないと感じ始めていた。エリナはここに来たことがあるはずだ。ただし街の表情は、記憶の中のそれとかなり異なっている。


 ――ここがもしあの時の、あの街なのだとしたら。


 今いる道から右手に伸びる横道に入って、大通りよりも細くなった坂道をおりてゆく。ゆっくりとした歩みからだんだん速度を上げていく、エリナの気持ちは急いていた。こんなに軽やかに道を駆け下りるのは久々な気がしていた。

 砂岩と白壁でできた建物の間を抜けて坂道を下り終えると、目の前に川が現れた。既視感のあるその川岸には四、五隻のボートが桟橋の先に並んでつながれている。そして桟橋の手前には一人の男の姿があった。今は後ろ姿しか見えないその男は、筋肉隆々で左肩にタトゥーが入っておりピカピカの黄色の長靴を履いている。図体に見合わない低めの簡易イスに腰かけて、釣りをしているようだった。

 エリナが近づいていくと桟橋の木板が音を立て、そこでようやく男は振り返ってエリナを一瞥した。男はエリナの予想よりもずっと若く、あどけなさの残る顔はこちらを見て驚いている様子だった。


「あ、すみません。向こう岸に行きたいのですけれど、この船を使ってもいいですか?」


「ん…ああ、いいよ。…のせてってやろうか?」


「え!いいんですか?すごく助かります!」


「ああ、もちろん。ちょっと待っててな。」


 エリナが笑顔で男の提案に飛びつくと、ニコッとさわやかに笑った男はスッと立ち上がり釣り道具を片付けはじめた。道具をしまった男は一旦ボートの方へ行くと、並んだ四、五隻のボートを一通り見た後に戻って来た。


「一番手前のを使おう。」


「ありがとうございます。」


 そう言って差し出された手に、エリナは素直に自分の手を重ねると彼に従ってボートに乗り込んだ。極力揺れないように足で船体を抑えてくれた男は、エリナが座り込んだのを確認してから乗り込んだ。男は桟橋につながれていたロープをしまうと、手慣れた様子でオールを手に取り川へと漕ぎだした。こうして流れるように出発したボートは、川の流れの速さの割に真っ直ぐに対岸へと進んでいった。


「わあ、力持ちねえ。私も昔、一人で川を漕いで渡ったことがあるけど、どんどん流されたし、進むのにもっと時間がかかったのよ。」


「へえ、一人で川を?競技ボートか何かか?」


「いや、普通に川を渡りたくて。」


「はは、やんちゃだったんだな。」


「そう?」


「いや、実はそうでもないかもな。そういえば俺の妹も、一人で漕いでいきそうだ。」


「妹さんがいるのねえ。」


「ああ、すごく気が強いのが一人いるよ。」


「ふふふ。じゃあ、あなたはいいお兄ちゃんなのね。」


「そうかな…この長靴も妹セレクトなんだよ。歳が離れてて妹はまだ五歳なんだけど、黄色が一番好きだからって。俺の長靴なのにな。」


「あはは、可愛い!つまりお兄ちゃんが一番好きなんだ。素敵な長靴だね。」


 そんな話をしているうちにボートは対岸へ到着した。男は足がつく場所に至ったところで川中に降り、エリナが上陸するためにボートの向きを整えてくれた。


「ちょっと濡れるかもしれないけど…それか俺が抱えるか?っと、はは。」


 手厚い補助の提案してくれる間にすでに船首ぎりぎりまで移動していたエリナは、足元を気にせずにそのままバシャっと音を立てて陸に降り立った。


「いや~これはやっぱり、やんちゃだな。」


 手を差し伸べたままの格好でエリナの行動を見ていた男は、行き場を失った手を彷徨わせ、両手を大きく広げると、大げさな表情で肩をすくめた。


「あはは。そしてあなたはやっぱり、すごくいいお兄ちゃんなのね。」


「まあな。」


 ニヤッと笑った彼はその後、周囲を見渡すとエリナの方を向いてザッと頭からつま先までを一瞥した。


「こっち側には詳しくないけど、森の中に入っていくのか?」


「ええ、奥に建物があるはずだから。」


「もしかしてあの洋館か?」


「そう。知っているの?」


「あそこで釣りしてると見えるからな。一人でいけるか?」


「ええ、大丈夫よ。ありがとう、本当に優しいのね。」


「あなたは俺の妹と同じで、元気いっぱいやんちゃレディーみたいだからな。」


 一瞬だけ眉を八の字にした男は、エリナと顔を見合わせるとフッと表情を緩めた。ほとんど同時にエリナも笑った。


「あはは。」


「はは、森を通るなら気を付けて行けよ。」


「ええ、ありがとう。あなたも帰り道に気を付けてね。まあ問題ないとは思うけど。」


「俺はせっかくこっち側に来たし、すこし釣りでもしてくよ。帰って来た時にまだ俺が居たら、またのせて帰ってやるから。」


 さすがのエリナもそこまでの親切は予測していなくて、目を丸くして男を見た。そんな彼はエリナと顔を合わせることはなく、そそくさとボートへ近づいて行った。そしていつの間に載せていたらしい、釣り道具を降ろし始めた。


「ありがとう!けど、私は今日中に戻らないかもしれないから。」


「そうか。」


 彼は振り返らず、短く返事をすると最初に向こう岸で見たときと同じように、小さなイスに腰かけて釣りを始めた。


「本当にありがとう、助かりました。釣り、楽しんでね。」


 エリナが声をかけると、彼は振り返らずに水面を見つめたまま、片手をあげて送り出してくれた。図らずも親切な青年と出会い、温かい気持ちになったエリナは足取りも軽く、森の中へと分け入った。どちらの方向へ行けばよいかは分からないが、とにかく記憶を頼りに森を進んで行く。ほんの数分ほど森を行くと、獣道を探しながら木々の間を歩いていたエリナは何者かに話しかけられた。


「…あら?あなた、エリナじゃない?」


 声の出処を探してキョロキョロと左右を確かめると足元からふわりとピンク色が現れた。エリナはその姿に、確実に見覚えがあった。


「…ミリア!!」


「ちょっと、声が大きいわよ!」


 思わず声が大きくなると、耳をふさぎながら迷惑そうな顔をした小さな妖精が、エリナの鼻先までやって来た。


「ごめん!嬉しくて!大きな声出しちゃった。」


「まあ、いいのよ。」


「ねえ、ミリア。ここはその…私、戻って来たのよね?」


「…?戻る…?」


「そう、私昔ここに…若い時に洋館に来たことがあって…」


「昔…若い…?…ああ、そういうことね。エリナ、石は持っている?」


「石?」と首を傾げてみたが、声に従うように自然と手が動いた。エリナが自身の体をパッパッと触ってみると、ポケットのあたりにゴツゴツした感触を発見した。


「そういえば…石って、あの黄色い?」


 急いでポケットに手を突っ込んで手に触れたものを取り出すと、それは黄色いキラキラと輝きを放つまん丸とした宝石のような石だった。ミリアと別れたとき以来に見るその石は、最後に見たときの何倍も輝いているようだ。


「ワオ!素晴らしいわねエリナ!やっぱりあなたに渡して正解だったわ。ちょっと触らせてね。」


 ミリアが石に触れると、何かが起こるわけでもない。しかしミリアはとても幸せそうに石を抱きしめた。その姿を見ていると、どういうわけかエリナも幸せな気持ちになってくる。エリナはずっと彼女に伝えたかった言葉を思い出した。


「ねえミリア。私、あなたにずっとお礼が言いたくて。私がミュンヘン近くの湖でおぼれた時に、助けてくれたのってミリアよね?もしそうなら、あなたには本当に…」


 そこでエリナは口を噤んだ。エリナが話しかけ始めてからも、ミリアはただひたすらに目を閉じたまま石に触れていた。これはもしかするとただ黙っているわけではなく、何かを行っている途中なのかもしれないと思ったエリナが黙ってその様子を見守っていると、十数秒ほどたった頃だろうか、彼女はパチリと目をあけた。


「なるほど!そうね、あなたがここへ来るのは久々みたい。そして湖で溺れているあなたを引き上げたのは確かに私よ。エリナには分かったのね。」


 誇らしげな表情で腕を組み、満足そうにひらひらと目の前を飛んでいるミリアは、記憶の中の彼女よりもさらにキラキラと輝いているような気がした。


「…ああ、そうか。ここには時間が流れていないから。」


 ミリアと会話をするうちにゆっくりと記憶を取り戻しつつあったエリナは、落ち着いてこの事実を思い出していた。ミリアとの会話や彼女の様子から垣間見える、違和感の正体が分かる。おそらく人間の記憶を点だとすると、点と点同士をつなげるために引いた線が時間で…だとすると、ミリアのようなこの世界の住人には、無数の点だけがちらばって存在しているのだろう。


「あなたたちのような生き方をするものにとっては、そう言えるわね。」


「なるほどね…でも、見るからに違う部分もあるでしょう?あれからずいぶん時間が経って、私の姿も変わったわ。それとも、それも妖精には些細なことなのかな?」


 エリナが首を傾げるとミリアはじっとこちらを見つめ、みるみる難しい顔になっていった。何をそんなに訝し気にしているのか、エリナには彼女が頭を捻っている様子すらも可愛らしくて、自然と笑みがこぼれた。するとそんなエリナの様子を見て嬉しくなったのか、唐突にミリアもニコッと笑顔になった。


「うん、特に何も変わりはないわよ!あなたは、あなたでしかない。」


「……そうなんだ。」


 クルッと一回転して喜びを表すミリアに、エリナは心の芯の方から温まってゆくのを感じた。こういう思考に触れられることは、この世界で幸福を感じられる事のうちの一つだったことを思い出す。エリナの口元が弧を描く。


「湖に行きましょう!あなたを待っているひとがいるから。」


「え?」


「やっぱりあなたに石を渡したのは、正しい選択だった。私って本当に素晴らしいわ!」


「ねえ、待っている人って…?」


 嬉々として自画自賛する彼女の耳には、エリナの問いは耳に入らなかったようだ。エリナが前を行く彼女に先導されながら森の中をしばらく歩いていると、木々のむこうにキラキラと反射する湖面を見ることができた。


 ――本当に、戻って来たんだ…



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