妖精の宝物と湖
大樹の根元までたどり着くとエリナは素直にその大きさに感嘆した。生い茂る枝葉が影になっていても所々に花が群生しているのは、それでも十分な光が届いているからだからだろう。この空間一帯がおだやかな光と静謐さを湛えている一方で、すぐ側にある池に視線を落とすと、そこには文字通り底の見えない闇が広がっていた。
――なんか怖いな。
水は透き通っているのに、いやむしろ透き通っているからこそ奥に見える暗闇の存在が強く印象に残る。足を踏み外してしまえばきっと、自力で戻って来れないんじゃないかと思ったエリナは、少しだけ踏ん張って池底を眺めてみたがすぐに身震いをして後ろに下がった。
「エリナ!」
振り返るとミリアがこちらへ向かってきているのが目に入り、エリナは小走りで彼女のもとへ向かった。
「おかえり!」
「はい!これが…あなたの石!」
そう言ってポイっと放られたものを慌ててキャッチする。石は一、二度手の上で跳ねたがエリナはそれを落とさなかった。握りしめた掌の中を確認すると、そこには薄黄色に輝く石があった。
「あれ、なんかすごく丸くない?」
いままでに見た他の石はみんなゴツゴツとした石らしい石だったのに、これは丸くてピカピカしている。エリナが不思議に思って尋ねると、良い指摘だと言わんばかりにミリアは誇らしげに腕を組んだ。
「まあね。私、丸くてピカピカな石が好きなのよ。」
エリナの頭に最初に思い浮かんだのは、いつも泥団子をピカピカに磨き上げていた小学校の時の同級生の姿だ。もう彼の顔も思い出せないけれど、今のミリアが当時の彼の姿と重なる。
「じゃあ、もう一つの石はさっさと返しましょう!」
「はーい。」
陽気にそう宣言したミリアにエリナも元気よく返事を返す。彼女を目で追うと来た道を引き返すのかと思いきや、真っ直ぐ彼女が向かっていたのは大樹の根元にある池だった。面食らったものの表情を変えずにエリナが池を眺めると、相変わらず吸い込まれそうな錯覚を覚える深さをしている。
「見ててね、面白いから。」
「うん?」
エリナが戸惑い立ちすくんでいるとミリアは楽しそうに空中で一回転し、どこからともなく草笛のようなものを取り出した。それにミリアが思い切り息を吹き込むと、高いが決して耳障りではない、柔らかい音色がまっすぐに響いた。
ポコポコ…
明らかな水音が聞こえて池へ視線を向けると、水面が揺れて気泡が上がってきていた。その光景を前にワクワクした様子で飛び回るミリアと、その様子と裏腹に不安を抱えたエリナ。エリナがじっと水面を見つめていると何かが底の方からやって来ている。それはパシャっと音を立てて水中から小さな物体が跳ねあがった。
「きたきた!」
飛び出したそれが空中で留まっているのをミリアは嬉々として迎えに行った。
「じゃーん!これ、分かる?」
ミリアが抱えていたのは小さな小麦色のクッキーだった。みんなでお茶会のときにつまんでいた見覚えのあるクッキーが少し濡れそぼっているが全く形は崩れることなく、糸の先にくくられていた。
エリナはこの珍妙な状況にただ困惑した。ミリアがクッキーを抱えてエリナに近づくと、たわんでいた糸がゆっくり延びていく。
「はい、エリナ。手を出して。」
「あ、はい…!」
言われるがままに差し出した手のひらにクッキーが置かれる。それは本当に何の変哲もないクッキーだった。
「ふふふ、ぎゅって引っぱってみて!ぎゅっ、ぎゅって!」
「ええ?…わかった、引っ張るんだね?」
半信半疑の表情のエリナは言われた通りにクッキーを握りしめると、糸ごとぎゅっと引っ張った。つながっている糸の長さにまだ余裕があったので後ろへ下がり、腰を使って凧揚げの要領でぎゅっぎゅっと何度か引っ張った。
「よしよしよし!」
まるでスポーツ観戦でもしているかのように興奮したミリアがすっと飛んできて、彼女がクッキーを握り込んでいるエリナの拳に自分の手を重ねた。
「絶対はなしちゃだめよ!」
「え?……ぎゃーっ!!」
不意にとんでもない横の力に引っ張られたエリナは、地面から足が離れそうになるほど強く池の方へと引きずられた。一瞬の出来事だったにもかかわらず、エリナは律儀にミリアの言うことを聞いて握ったクッキーを離さない。体ごと引きずる力に負けないよう、池の縁で踏ん張ろうとしたエリナの気概も虚しく、エリナはドボンと大きな音をたてて水中へ引きずり込まれた。
――え!やばいやばい!
水中へ投げ出されたエリナは目を開いてどういう状況か確認しようとしたが、なぜか周囲は真っ暗で上下左右の区別もつかない。焦りかけたところでものすごい勢いで糸に引っ張られる。自然とぎゅっと目をつぶってしまったエリナだが、わずか一、二秒で自らの体に掛かる水圧が軽くなったのを感じたかと思うと、ザバッという大きな水音がした瞬間にはもう、勢いよく水面に顔を出していた。
「…は?…え、はあああ?!エリナ?!!」
目を明けたエリナの前には、釣り竿を引いたままの格好で仰天しているカルロの姿があった。
「…エ、エリナ!!大丈夫か!?」
聞いたことない大声で叫ぶようにエリナに呼びかけるカルロは、これでもかというほどに目を見開いている。対して目を白黒させているエリナが自らの状況を把握した頃、カルロはガシっとエリナの腕を掴んで岸に引っ張り上げた。
「なんでエリナ…!え…?どういうことだ…?!」
顔を出した場所が岸のすぐ側だったこともあってエリナはすぐに地上へ戻ってこれた。何が起こったか分からない感覚はまるで夢をみているようだ。エリナはまず周りを見渡すと、その見覚えのある風景からこの場所が洋館からも見えるあの湖だと推測した。ゆっくりとカルロを振り返えると、困惑している焦げ茶色の瞳と目が合った。
「カルロ…い…今のはいったい…?」
「いや、それは俺が聞きたいっていうか…」
エリナが岸に引き上げられてそのまま地面に座り込んでいた二人は、困惑の表情を浮かべながらお互い話し始めた。
「俺はエリナがいるって聞いて湖まで来たんだが、歩いている途中にポケットに…釣り用の糸、前にここでグアダルーペと釣りをした時のやつな。それでさっき持ってきたクッキーを括って、その辺の枝を拾って…」
「釣りを始めたんだ、ふふふ。」
「ああ。グアダルーペのことを思い出したら、自然とそういう行動をとっていたな。それでクッキーを投げ込んでからじっと待っていたら、尋常じゃない引きがあって…。」
「私が釣れたんだ。」
「いや本当に驚いた、未だに信じられない。ここに来れば会えるとは思っていたが、全く予想してなかった形だった。エリナの方はどうなってたんだ?一体なぜ…エリナが釣れたんだ?」
困惑しながらも起きた事象の滑稽さにエリナが笑っていると、カルロもつられ笑いをした。エリナは固くしていた体がやわらかく戻っていく感覚を覚えた。
「……私は妖精のミリアと森を歩いていたら、大きな樹と池のある開けた場所へたどり着いた。そこで彼女に石をもらって、さあカルロに会いに行こうと言って、彼女が草笛を吹くと目の前の池からクッキーが出てきた。」
「唐突だな。」
「それを思い切り引っ張れって言われたから、その言葉に従って力いっぱい引っ張ったら、池に引きずり込まれて、あっという間にここに来た。本当に。」
「はは、つまり妖精のいたずらか?」
「うーん、どうなんだろう。確かに私が引きずり込まれる直前はかなり楽しそうにはしていたけど。一応、私がカルロのところへ行きたいという願いを叶えてはくれたから…」
そこまで言って初めて、エリナはさっきまで一緒だったはずの妖精の所在が気になった。
するとちょうどその時、背後の湖からバシャっと跳ねる水音がした。エリナとカルロの二人が同時に湖面を振り返るとそこには、さっきまで水中で一緒だった妖精のミリアがいた。
「エリナ!」
ミリアはすごく興奮した様子でまっすぐこちらまでやって来た。彼女の飛び出してきた勢いで顔に水が掛かったらしかったカルロは、やや顔をしかめると口を開いた。
「エリナが釣れたのはお前の計らいか?」
「うふふ、すぐに会えたでしょう?ねえエリナ、すごい?」
エリナの目の前までやって来たミリアは、カルロの問いには直接答えず、エリナに褒められるのを期待している。そんな彼女に「うん、すごいよ。ありがとう」とお礼を言って見つめていると、再び湖から水音がした。
今度は三人して湖の方を向くと、そこには神々しくも美しい存在が姿を現していた。
「あ、精霊様…?」
思わず立ち上がり、眩い美しさに目を細めたエリナが反射的に呼びかけると、精霊は微笑み頷いて目の前の三人を見下ろした。ミリアはと言うと、さっさとエリナの後ろへ身を隠したようだった。
「エリナ、石をそちらへお返しなさい。」
「あ、はい…」
おそらくカルロの水色の石のことだと思ったエリナは、すぐにそれをポケットから取り出すとカルロへと渡した。一歩踏み出すと濡れたままのエリナの服から、ぽたぽたと水が滴り地面に吸い込まれていく。エリナは軽く咳ばらいをし、一呼吸をおいて再び口を開いた。
「私も自分の石をもらったんだ、だからこっちのはカルロに返すね。」
そう言ってカルロに石を渡し終えたエリナは、今度は自分の薄黄色の石を彼に差し出して見せた。カルロは立ち上がると、差し出された石を少し前かがみになってじっと見つめた。
「なんか丸くてピカピカだな。」
その言葉に、背後にいるミリアが喜んだのが背中越しにも伝わって来た。
「ミリアと話してて、カルロの石は返さないといけないってなってね?私もカルロに会いたかったから、じゃあ早速会いに行こうってなって。それで二人で、ふふ…餌のクッキーにつられてここまで来たよ。意外な合流方法だったけどね。ありがとうカルロ、また会えてうれしい。」
軽やかに笑って話したエリナに、カルロは近づいてそっと肩を抱いた。
「俺も会えてうれしい。けど次は普通に、地上で待ち合わせしような。」
肩をすくめるカルロに、エリナは小さく笑った。そして落ち着きを取り戻して湖に視線を戻すと、そこに立つ神々しい存在に話しかけた。
「あの、精霊様は何かしにいらっしゃったんですか?」
精霊は妖精よりも地位が高そうなこともあり、不躾かもしれないと思ったがエリナは構わず疑問をぶつけた。すると精霊はすぐに口を開いた。
「あなた方は、元居た場所に戻っても一緒にいたいのですね?」
「…!」
エリナは少し驚いた程度だったが、隣のカルロは言葉に詰まっていた。精霊はそんな彼をじっと見据えると言葉を続けた。




