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洋館の主のもとへ

 


 カチャリ、と扉が閉じる。

 今、廊下にはカルロとくま執事の二人だけだ。


「で、お前は俺なのか?」


 念のため尋ねてみるとすでに前を歩き始めていたくま執事はパタリと動きを止め、こちらを振り返って頷いた。カルロは「やっぱりそうか。」と呟くと、くま執事をじっと見つめた。始めて見たときになんとなく自分のじいちゃんと雰囲気が似ていると感じた理由が、今分かった気がする。


「洋館の主に会いたい。」


 カルロがそう言うとくま執事はもう一度コクリと頷き、再びトコトコと歩き出した。その後ろについてカルロは長い廊下を真っ直ぐに歩いていく。

 先ほどエリナと話した時のカルロは、思考だけがどんどん先走り、とっぴょうしもない発言を繰り返していたと思う。そのことにエリナも初めは戸惑っていたけれど最後には笑ってくれた。ああいう彼女の根本のおおらかさみたいなものも、カルロがエリナを好きだと思う理由の一つだ。しっかりとした話し合う時間もとれなかったのに彼女が一旦自分を受け入れてくれたことは、一緒に過ごすうちに築き上げてきたものが実ったようでカルロはとても嬉しかった。

 だからこそカルロはまだこの場所で二人が話をできるうちにと、いつ自分たちも消えてしまうか分からないからこそ急いだのだった。あの時点では気がついた事もあったが、同時にたくさんの疑問も残っていた。まずは一つ一つを解消すべく、カルロはあの場を離脱した。


「お前が…いや、俺が。そうなった…というか?そうなる、のはエリナのためか?」


 くま執事は、ポリポリと頭をかきながら困った表情になる。


「じゃあ、俺自身の願いのためか。」


 改めて聞き直すと顎に手を当てて考えるそぶりを見せた後、くま執事はひかえめに頷いた。


「そうか…」


 それを聞いてカルロはしばらく黙りこんだ。「自分の願い」という言葉を聞いてすぐ頭に浮かんだのは、過去に一度だけ見たことのあるエリナの表情だった。


 あれは何度目かのお茶会でのことだったか。何の話をしていたかあまり記憶にないが、思い返せば、シャルロッテが自身の家族について話していた時だったかもしれない。ずっと穏やかに会話をしていたはずの彼女の様子がほんの一瞬、ピリッとした雰囲気を纏ったと思えたことがあった。気になって彼女の目を覗き込んだ時、いつも穏やかでユーモアのある優しい彼女の瞳の奥に底知れない「虚ろ」を見た。カルロはその、何もかもを諦めたようにも見える瞳に釘付けになった。驚いて固まっていると、やがてこちらの視線に気がついた彼女はすぐにいつもの優しい雰囲気へと戻り微笑えんだ。カルロが思いを寄せる彼女の、思いもよらなかった暗い影の部分はあっというまに見えなくなったのだった。


 それからというもの、カルロはどうにもあの瞳が気になったが、その後エリナは楽しそうに笑う姿しか見せなかった。彼女の笑顔を見るとカルロは幸せな気持ちになったが、それでも、いつかまたエリナがあの瞳になってしまうんじゃないかと想像するとどうにも辛くて、カルロは彼女の顔をよく見つめるようになった。ずっと笑っていてほしい、けれど、それだけだといつか彼女には二度と会えなくなるような予感がしていた。


 カルロは、エリナには何か「救い」のようなものが必要だと感じていた。それは、自分がヒーローとして颯爽と彼女を救い出すような物語ではなく、彼女自身が向き合わなければならない何かがあること、自分は彼女の選択を尊重し支える事しかできないことも感じ取っていた。だからこそまずはエリナがラウラと話し合うことで、彼女の心中の問題を少しでも取り去ることが出来ればよいと思ったのだ。


 思い返しているうちに、自分とくまの執事が今洋館のどの道を通っているかなんて分からなくなっていた。次に気がついたときカルロは豪奢な扉の目の前に立っていた。隣に立つくま執事の様子を見るに、どうやらここがカルロの会いたかった「洋館の主」がいる場所なのだろう。目が合うとくま執事は大きな両開き扉の片方を開けてくれた。体を滑り込ませるようにして入室したカルロだったが、まず目に入ったのは映画でしか見たことのないような、大きくて長いダイニングテーブルだった。


「ここに、この洋館の主がいるのか?」


 辺りを見渡してみるが何の姿も見えない。くま執事にアイコンタクトをとると、彼は頭を掻きながらコクリと頷いた。


「これ映画とかで見るやつだよな?それでホントに会話できんのかってくらい、長いテーブルな。」


 カルロがおどけて言いながら近くのイスに両手をかけたところで、目の前のテーブルの真ん中にポンっ!と、フルーツ盛りとバラの花瓶が姿を現した。


「わ!」


 驚いて声を上げると白いクロスの上、フルーツ盛りの横に見慣れた母国の流麗な文字が浮かび上がった。


 ―なかなかどうして、とても想いの強い子が来たね。


 カルロは思わず周囲をキョロキョロと見回したが、どこにも誰の姿も見えなかった。ファンタジー映画で見るような事象にすこしだけ胸が躍る。姿は見えないがこの文字を書いているのが洋館の主、ということになるのだろうか。


 ―その通り。


「!」


 じっと見つめていると、先ほどの文字が消え、同じ場所に新しい文字が浮かび上がった。


 ―君が会いたかった洋館の主というのは私のことだね。この星の音声伝達では君たちが聞き取れる周波数に合わせてあげられないから、文字で失礼するよ。


「!そうか。まあ、そういうこともあるよな。意思疎通がとれるだけありがたい。」


 ―それで、何か聞きたくてここにきたのかな?


「そうだ。」


 ―それが何か聞いても?


 音は届かないが、文字を読みながらカルロが何となく頭の中で想像したのは、物腰柔らかなおじいさんの声だった。


「ビクトリアが言うには、この洋館のある世界はおおぐま座?の、あたりにある星だと聞いたが、本当なのか?」


 ―ああ、正しいね。


 やはりそれが真実なのだとしたら、自分の今の状況は体ごとこちらにやって来ているのか、幽体離脱的なものなのか…何にせよ、今の自分の状態と言うものに興味のなかったカルロは、頭の中でこれをさほど重要ではない情報として処理した。


「あなたが、洋館の主ということでいいのか?」


 ―洋館の主、と言うよりかは…そうだね。この場所に或る意思、と言った方がいいかもしれないね。


「土地の意思…。」


 ―そう。


 あまりピンとこないがビクトリアが「この世界が感情を中心に動いている」と言っていた事と関係があるのだろうか。


「なるほどな。じゃあもう一つ、俺はいつかここにいるクマになるらしいんだが、何故そんなことなるのか理由は知っているか?」


 ―知っているよ。


「よければ、教えてくれないか?その…いきさつを。」


 ―話してしまってもいいのかな?


「まあ、そうなるという結果だけは知っているからな。今更だ。」


 そう言うと綴られた文字がゆらゆらと揺れて動き回った。おそらくこれは感情を表現していると考えるのが自然だろうか。


 ―なんとも、あちらの世界の住人らしい言葉だね。とても面白いよ。


「そうなのか?含みのある言い方だな。」


 なんとなく馬鹿にされたような気分になったカルロは、ムッと口をとがらせる。


 ―いや、そんなことはないよ。気に障ったのなら申し訳ない。ただ時々君たちの行動は私たちの想像をはるかに超えてくるんだ。純粋に、とても面白いんだよ。


 カルロは動き回る文字を見つめながら「違う世界に生きているもの同士ならそんなもんか」と自分に言い聞かせた。


「それで、俺はエリナの…いや、俺自身の願いのためにクマになると思うんだが…願いをかなえるだけで、何故こうなってしまうんだ?ひょっとして何かとんでもない契約を結ぶとか…?」


 半目になりながら隣に立つ大きな、ほぼぬいぐるみに見えるでかいクマを指す。


 ―君の想いはとても強い。ともすれば強欲、と言えなくもないほどに。しかしそれ以上に君は深い慈しみの心を持っているね。…面白い、君にとってエリナという子のことはそんなに譲れないことなのかな?


「!…ああ、そうだ。俺はエリナだけはどうしても。元の世界の、元の場所に戻っても、彼女に会いたいと思ったんだよ。」


 ―なるほどそれがあの部屋の存在意義だと。その優しさと慈悲深さ故にこれまでいろんなことを他人に譲り続けてきた君が、唯一譲れないものが彼女だったんだね。


「…!」


 ―ここには時間の概念がないからね。君の心に眠る『想い』を感じることで、君のこれまでのことはある程度の情報として理解できるよ。


「俺たちとはコミュニケーションの方法が、全然違うんだな。」


 ―根差す世界が、違うからね。


「なるほどなあ。」


 感心して顎に手を置いてみたが、実際には異星人だとか、あっちの世界だとかこっちの世界だとか聞いていると、浮世離れしすぎてまるで神話を読んでいる気分だった。けれどカルロが比較的冷静に文字の主と問答を重ねることができたのは、自身の中に明確な意思と望みがあって、それが道しるべとなっていたからだ。


 ―話を戻すけれど。


 目の前にスルスルと文字が消えては現れて、会話の続きが紡がれる。


 ―君の望みを叶えるには、今君がもっているもののいくらかを手放す必要があるね。


「…だろうな。元の世界でも古今東西そんなもんだ。」


 ―はは。けれど君の想像するような、悪魔契約的なものではないよ。単純に、必要と不必要の話だ。


「オーケー、良心的だな。」


 肩をすくめて見せるとゆらゆらと揺れる文字の周りに、地球と同じくらいの大きさの星の絵が現れた。そしてその二つの星間を、何かのキャラクターのようなものが行き来している。それも少しだけ動いた後消えていくと、ゆっくりと次の文字が浮かび上がってきた。


 ―はじめ、君はここを夢の世界だと思ったかい?


「そう…思ったな。けれど目覚めるまでが長すぎるから、次に考えたのが俺たちはもう死んでいるんじゃないかということだった。」


 ―時間感覚は君たちに特有の尺度だね。


「…聞く限りマリーサやグアダルーペはもっとハッキリ、ここが『夢』だという感覚があったみたいだが。」


 ―個人差はあるだろうね。


 人間が均一でないことを前提に話すくらいには、人間について知っているんだなと思うと面白い。


 ―それで初めてエリナと出会ったとき、君はこの世界から覚めてもまた彼女に会いたいと思ったんだね?


「なんか、そうやって言われると……まあそうだな。俺は元の世界に戻っても彼女に会いたいよ。」


 ―なるほど。


 また何か面白い絵柄が出てこないかなと、文字が出てくるテーブルをじっと見つめる。見つめていると数秒経ってから文字が綴られた。


 ―この洋館はね、普段は色んな存在…君たちで言うところの『魂』たちが、ふとした刹那にふらりと訪れてはまた去っていく、そんな世界なんだよ。けれどその中に突如として『つながり』を持つ者が現れた。


「俺たちのことだな。」


 ―その通り。君たちはここで、自分の願いを見つけたわけだ。


「…。」


 ―君は時間の概念を重視する世界の住人だ。なるべく分かりやすく伝わるよう努力するよ。…繰り返しになるけど、まずこの洋館のある世界には時間と言うものが存在しない。


「らしいな。あまり実感はないが。」


 ―そう、実感がないだろう?つまり時間は流れていなくとも、この世界で君たちが出会い過ごすなかで育んだものは確かに存在するんだ。そんな君たちの想いが連続的に存在し、つながって固定され続けることでここにも疑似的な『時間』の流れが発生した。それがあの部屋だよ。彼女とクマの彼が織りなす、ティータイムを提供するあの部屋。そしてそれはこれから君が、君のチカラを以て構築するものだ。


「すげえ、全然わかんねえ。」


 ―君の一番強い想い…君の願いだよ。君は元の世界に戻っても彼女に、エリナにまた出会いたいと思ったね。この世界での思い出を記憶したまま、元の世界でも再び出会いたいと思っている。


「…そうだな。」


 ―実は君たちの世界において発生する事象を意図的に選択することは、それほど難しいことではないんだよ。けれど君の世界にいる人間の誰しもができる事でもない。こちらの世界とあちらの世界では、世界を構成しているルールが違うからね。君たちには『時間』と、そして『魂』の概念も存在する。


「…。」


 ―そういう理由もあって君の願いを叶えるには、君の世界の在り方に合わせて、いくつかの事象を君に都合よく空間に固定しなおす必要が出てくるんだ。君自身の存在をはじめとして、色んな事を少しずつだ。


 どんどん綴られていく文字を必死に目でなぞっていく。不思議なことに、一度で理解できずに一文前に戻って読み直そうとするときには必ず、文字は消えずに残ったままになっていった。


「…ふんふん。まあ、そっちは何となくわかった気がする。」


 ―素晴らしい。


「で、そうやっていくと?俺はエリナには会えるようになる。けどどういうわけか?最終的にこのふわふわなクマの執事さんになってしまうってわけか?」 


 色々な複雑な話を聞いたが結局、今の話がそこ(クマ)に繋がる理由が分からなかった。


 ―なぜその姿なのかは、これからの楽しみに取っておくといいよ。思い出を胸にしまっておくことも、今からの君には大切になるだろう。


 意味ありげな言葉だが複雑すぎる。今は考えることが多いのだ。その言葉に思考の焦点を合わせることはせず、カルロはひたすら己がクマになることのデメリットについて考えていた。

 文字の主は否定したが、願いと引き換えに自分が別の存在なるという結末は、やはり何か悪魔契約的なものに思えてしょうがない。色々と逡巡したカルロは最終的にうんざりとした気分なって頭をポリポリと掻いた。


「…はあ。」


 ため息のような返事をすると、再び目の前に文字が現れた。


 ―再構築は人間だけで行うことが不可能なんだ。だから君はこの世界と君の世界の両方につながるものたち…つまり妖精や精霊のような存在に力を借りることになる。それらの存在は君に力を貸す代わりに君を欲しがるだろう。つまり人間を、最も人間たらしめている素晴らしい部分をというわけなのだけれど。」


「それはやっぱり悪魔契約じゃ…?いやでも、それで俺はエリナと再び出会えるわけだ。」


 ―その通り。


「けど精霊のチカラを借りるっていうのはどういうことなんだ?俺は元の世界に戻った後、普通に人間として生きていられるのか?それともこのままクマまで一直線か?」


 ―君たちの世界には『時間』と言うものが存在するから、その規則性を利用すればあるいは。まあ君の交渉次第というわけだよ。


「なるほど精霊と交渉するってことか。まあ俺は生きることを人生の長さとイコールで考えていないから、戻って即刻クマになるとかでないならなんでもいいかな。」


 ―その考え方はすごく私好みだよ。そういう君だから私はここへ通したんだ。そしてやっぱり君との話は楽しかった。


 目の前の文字の横にデフォルメされたくま執事が描かれた。


「そうか、それはなにより。」


 ―そんな発想を持つ君だ。もう分かっていると思うけど君の想定通り、確かに結末はもう決まっているんだよ。


「ああ。」


 これはカルロがラウラとくま執事について、彼らの役割と正体に確信めいたものを得たときから、ずっとそうじゃないかと思っていたことだ。


 ―だけど、これからエリナがどういう選択をするかはまだ分からないんだよ。


 思わぬ言葉に、驚いてテーブルに身を乗り出し手をついたまま固まる。


「…よく分からないな。もう結末は決まっているのに?」


 ―時間の流れに因果関係を見出す君たちだ、分からなくなるのも無理はない。


「ここまでやってエリナに振られる可能性があるの俺、めちゃくちゃ嫌なんだけど。」


 ―そうはいっても君が自由にできるのは全部、君自身の想いと関連する事実だけだからね。君が行う世界の再構築を、彼女が受け入れるかは彼女の自由意思だ。


「ちょっと怖くなってきたな。できれば俺が俺として生きている内に好きになってもらいたい。」


 ―自分が彼女に選ばれないかもしれないことが怖いのかな?


 普通に考えてそれは全然あり得る事なのだが、カルロはその言葉にスッと背中が冷えるのを感じた。


「…そうだな。」


 ―けど、君は彼女を選んだ。違うかい?


「…!それは、そうだな。」


 心の中の不安を無理やりその手に握りこむ。そんなカルロの様子を見て文字は満足そうに渦を巻いて中心に消えていった。


 ―願わくは、君の最善と彼女の最善が重なり合わんことを。


「…ありがとう。」


 文字の主はカルロとエリナ二人を応援してくれるらしい。戸惑いながらもテーブルに向かって礼を言った。


 ―なら話はここまでかな。まだ聞きたいことはあるかい?


「そう…だな、とりあえずエリナのところに戻りたい。エリナはまだ…ここにいるか?」


 もはやカルロの気がかりは、離れている間にエリナが消えてしまわないかということだけだった。


 ―君は好きな時に、彼女の元へ行けばいい。


 全然答えになっていなかったが、カルロは肩をすくめると気持ちを切り替えることにした。


「まあ、そうだな。くま執事に案内を頼んで、とりあえず部屋へ戻るか。」


 ―ここには時間がない。つまり必要なことが必要な場面で発生する。決めるのは君の心だ。君の心の在り方こそが、君が次に何をするか、どこへ訪れるか、全ての指標となる。君の想いこそが、君の人生を切り開くための最も重要なシグナルになる。カルロ、幸せに。


 その言葉を最後に、テーブルの上で動くものは何もなくなった。くま執事を探してあたりを見回してみたが彼の姿は見えない。この部屋のどこか奥の方へ進んで行ったのだろうかと、薄暗い部屋の奥を見つめてみるがよく見えない。早々に諦めるとカルロはとりあえず目の前イスに腰かけた。テーブル上の色とりどりのフルーツを眺めていると、ティータイムを共にした仲間たちの顔が浮かんでくる。あたたかな陽に包まれながらみんなで色んなことを語り合った、テラスでのティータイム。すでに懐かしささえ覚える光景に、思わず目を閉じた。その瞬間。


「…!?」


 一陣の風がぶわりとカルロの黒髪を巻き上げ、目を閉じていても分かるくらいに一気に視界が明るくなった。



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