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エリナの半生②

 


「…あのね、例えばあなたの知り合いとか友人が、泥棒をしていたとするでしょ?すると『ああ危ない人だったんだ』って言ってその人から離れてしまえるでしょ?」


「その通りよ。」


「けど、もしそれが自分の家族だったら?ずっとずっと『やめなよ』って言い続けて、いつか自分の声が届くはずだって思って、いつかやめてくれるって思って、対話を求めることは、間違いなのかな?」


「…いえ、間違いじゃないわ。」


「時間を無駄にしてるって、ことなのかな。」


「無駄じゃない、無駄じゃなかったわ。エリナ、大丈夫よ。あなたは頑張ったわ。」


 溢れる涙は止めることができず、ただただ悲しみだけがエリナの全身を貫いた。


「…私ね?最後にお母さんとお話した時、私にも自分の人生があるからもうこれ以上は難しい。家族を虐待して他に恋人を持つあなたの夫と、母と妹を暴力から守ってきたあなたの娘、どっちが大切か選んでって言ったの。」


「うん。」


「そしたら『どちらも同じくらい大切』っていわれた。」


「…うん。」


「それで私思ったのよね。不貞を働いて娘にその相手の名前をつけて、財産を我が物顔で使い込んで暴力をふるう人間と、物心ついたころから家でも学校でも家族のために働いて、罵り殴られても家族を守ってきた娘を比べたら、母にとって私はそのクズみたいな男と同価値でしかないんだって。母性は?どこへ行ったの?って感じでしょ。そんなのってエリナという人間の、私の半生の、敗北に他ならないじゃない。」


「エリナ、違うわ。それは違う。」


「そう、違う。分かっているの!私の価値はそんなことで貶められないって、自分で分かってる。だって私は幼いころから、自分がちゃんと大人まで育つように必死に考えながら生き抜いてきたから。それが無価値なわけないじゃない?けどね『自分のいい所を十個書き出せるからと言って、自分を好きでいられるかどうかは別』でしょ?」


 未だにラウラと繋がれていた手に力がこもる。


「私は、生まれてすぐに母親が最も敵視する女の名前をつけられた人間だよ。母親は娘の名前を呼ぶたびに、自分の夫の愛人のことを思い出す。母を苦しめる、私は『エリナ』であるだけで罪なんだよ。」


「エリナ、あなたには何の責任もないじゃない。」


「そう。生まれてすぐの出来事なんて、どうしようもないよ。だから私にとって、夫婦っていうのは支配と隷属。家族っていうのは犠牲なの。私、もう絶対に、何にも支配されたくない。もう他人の分は持ちたくない。自分の分だけで、いたい。」


「エリナ、大丈夫。落ち着いて。」


 ラウラにぎゅっと抱きしめられたのが分かった。けれどもう、嗚咽は止まらない。エリナはしばらくしゃくりあげて、子供のように泣いた。


 ラウラはエリナを抱きしめたままずっと、背中をトントンとあやすようにたたいていた。


「私の心配事はいつも、他人が自分を支配しようとしているんじゃないかってことばかり。ひとつも安心できないの。誰かが好意を寄せてくれたらまず、この人は私の何が目的だろうって思う。もしそれが純粋な好意だったときは、疑った自分がクズに思える。そう思った次の瞬間には、結局それも私の思い込みで騙されているだけかもしれないって考える。…ずっと恐怖に付き纏われるの、ずっと。」


 唐突に母が父に首を絞められているのを引きはがそうとして、殴り飛ばされた瞬間が脳裏にフラッシュバックした。


「…どんなに素敵な相手だと思っても信じられない、そんな自分が心底嫌い。けどそうやって警戒しないと、いざ心を許してしまったらもう自分のことを守ってあげられない。転んだらもう二度と自分では起き上がれない。」


 涙でぐしゃぐしゃになったエリナはしゃくりあげながら、必死に続きを、言葉を紡いだ。


「だから私には、人を愛する資格がないの。こんな考えじゃあ誰かと生きていく資格なんてない。みんなに失礼だし、不誠実すぎる。だから私いつでも一人で死ねるように、一人でいたいんだよ。……だってもう…これ以上。私、努力…っ、頑張れないから…」


「「…エリナ。」」


「…今まで頑張って来たけど…これからは自分のためにって言われるけど。…もうこれ以上頑張ろうと思えるほど、自分にも、周りにも、価値を見出せないよ。」


「そこまでにしなさい」と優しい声色で呼びかけられた。ラウラが赤子をあやすようにエリナの背中をトントンとたたき、その低い音が体中にこだまする。その間エリナは彼女の肩に顔を埋めてしゃくりあげることしかできなかった。


「エリナは賢いけど、だからって自分自身を論破して絶望しなくていいわ。大事なのはエリナの心よ。傷ついてもう歩けないなら…感情が理論や思考に追い付いていないなら、少し『時間』をおきましょう。人間の人生には『時間』が必要なこともあるの。生き急がなくていいのよ。立ち止まったって、案外大丈夫なように人生はできてる。」


 自分のしゃくりあげる声で、エリナはラウラの言葉の半分くらいしか聞けていなかった。


「早く大人にならなければいけないと、自分で受け入れ、決心したのよね。…エリナはよく頑張ったわ。」


 トントン…と一定のリズムで背中をたたく、心音に近いその音に、エリナは早かった自分の鼓動がだんだん落ち着いてきているのを感じていた。


「…あんまり自分に鞭を打っていると、いつか本当に死んでしまうわよ。」


 いつでも明るいアンゲリカが苦し気に放った、快活な彼女が使うにはふさわしくない気さえする「死」という言葉を耳にして、エリナの嗚咽はだんだんと収まっていった。彼女が言うほど自分が深刻な状態だなんて思っていなかったけど、今はその言葉が妙に腑に落ちた。びっくりしているとラウラが顔をのぞき込んだ。


「エリナ。…エリナはそれでも家族でも愛していたのよね。家族のために…あなたはとても愛情深い人間よ。だから、あなたは愛し方がわからないんじゃないの。」


「……。」


「エリナはね?愛し方が分からないんじゃなくて、愛の受け取り方が分からないの。だって、エリナは『自分だけが愛している』状況に慣れすぎてしまっているから。」


「…?」


「正直に言ってしまえばエリナ、確かにあなたの家族のなかに、あなたのことを考えてくれている人はいないように思えるわ。…愛があったんだとしても、それはとても歪だった。」


「……うん。」


 嗚咽もおさまり、返事ができるようになったエリナは短く答える。


「けど、エリナは家族を愛していた。はじまりが『自分が他者を愛することしか起こらなかった世界』で、あなたはそこにずっと生きてきたのよ。家族からの愛を十分に受けなかったから。」


「…」


「エリナ、もう一度言うけどね?エリナは『自分だけが愛している』という状況に慣れすぎたの。だから、これからは『自分も愛される』ということに慣れていかなきゃいけないわ。」


「うん…」


「そうね。ラウラの言うことが正しいと思うわ。エリナ、私はあなたを誇りに思う。無責任に聞こえるかもしれないけどね、私のこれも私なりの『愛』なのよ。」


 アンゲリカがそう言うと、その場に静かな時間が流れた。吹き抜ける風とエリナが鼻をすする音だけが聞こえる。


「エリナ。私はシングルマザーとして息子を育てているけど、その中で分かったこともあるの。」


 アンゲリカはそう切り出すと、エリナの肩にやさしく手を置いた。


「あなたは強いわ、よくここまで一人で頑張ってきた。でもね、私は一人で何でもできる人を強い人間と言うわけじゃないと思うのよ。あなたは自分の力を他人に分け与える経験はしてきたでしょう?けど逆にあなたの力になりたいという人も結構いるのよ。私も、ラウラも、そしてほら…カルロもね。」


 その名前を聞いて、意識が一気に「今」へと戻ってくる。そういえば彼は今どうしているのだろう。洋館の主には会えたのだろうか。


「…ねえエリナ、気がついてる?」


「…何に?」


「カルロのことよ。エリナは『わからない』って言ったけど、彼の話をする時のあなたはいつも、未来を見据えている。いろんな話を踏まえると私には、エリナが『カルロのことが好きすぎて不安』と言っているようにしか聞こえないのよね。」


 ラウラがクスリと笑って見せる。エリナは、ラウラがこんな笑い方をするのを始めて見たなと思った。同時に自分の問題を軽くみられたような気がして少しムッとした。


「なにそれ…そんな単純な問題にされたくないんだけど。」


「心中の障害を取り払った後は、物事はごくごく単純に考えてみると分かりやすいわよ。」


「私もその意見にはおおむね賛成よ。」


 エリナはラウラの肩に埋めていた顔を上げ、二人の言葉を聞いて深くため息をついた。そしてまた肩に顎を置く。赤ちゃんにでもなった気分だ。


「ふふふ。…あはは、ちょっとカルロの気持ちが分かるかも。」


「…なにそれ。」


「エリナ、あなたは他者を信じられないんじゃなくて、自分だけが信じることに慣れてしまっているのよ。」


 ラウラがエリナの肩に手を置き、真剣な眼差しを向けて口を開く。


「どうか、人を愛しているのが自分だけだなんて、思わないでほしいの。」


「…!」


「これ以上頑張って何かを身に着けたり、他者に何かを与えようとしたりしなくていい。ただ一つだけ…」


 ラウラがエリナの顔を両手で包み込み、視線を合わせた。


「みんなの、エリナが好きだという心、気持ちを認めてあげてほしいの。愛しているのが、自分だけだなんて思わないでほしい。」


 動揺して視線を彷徨わせたエリナをラウラがぎゅっと抱きしめた。アンゲリカもエリナの肩背に手を置いてさすってくれているのが分かる。しばらくその状態で落ち着いていたエリナは、ややあって口を開いた。


「…ラウラ、アンゲリカ。私、ホッとする気持ちと、怖い気持ちとが両方ある。自分に都合の良い、優しい世界を想像することは危険なんじゃないかって。でも二人の言うことを聞いていると、やっぱり嬉しい気持ちの方が強いのかな?」


「…そう。」


「ラウラ、アンゲリカ。」


「なあに?」

「なにかしら?」


「ありがとう。」


「…うん。」

「…。」


「私は自分のこと、愛のない欠陥人間かと思っていたけど、本当はそうじゃなかったのかな。」


「私も長く生きてきたけどね、致命的欠陥のある人間ってのは、そう多くは存在しないものよ。」


「そうなんだ。」


「そうよ。」


 ラウラに抱かれたまま、顔を横にしてアンゲリカと会話する。


「言われてみたらさ、確かに私『私はみんなを愛するけど、みんなは私を愛していない』って思うようにしていたのかもしれない。期待しないで生きるって、そういうことだと思っていた。口にしてみると、バカみたいな話だけど…」


「ううん。そんなことないわ。…ほら、他の生き物でも育児放棄された動物はそういう行動をとるでしょう?生き物として普通…当たり前のことよ。」


「…。」


「じゃあエリナ、こうしてみたらどうかしら?」


 すっとラウラの背筋が伸び、エリナは体を離して顔を上げた。彼女は優しく微笑んでエリナの両肩に手を置く。


「まずはこれまでの自分自身を労わって、自分自身を最愛のパートナーとして考えてみるの。よしよし頑張ったねって、自分を優しく扱ってみるの。エリナ自身がエリナの一番気にかける人。カルロはそうね…第二夫君とかでいいわ。」


「ふふ…何それ。」


 エリナが笑顔を見せると二人も口元を綻ばせた。先ほどまでエリナのために涙を流してくれていたアンゲリカは、再び明るさを取り戻している。


「割といいアイディアだと思うわよ。そうね…例えばロープ渡りをするじゃない?その時にずっと体を掴まれて他人に運んでもらったらつまんないでしょ?初心者に理想的なのは、とりあえず自分で進んでみて、ぐらついた時にパッと手をとって支えてもらうこと。練習してバランスがとれるようになったら、一人で歩いて行ける。そしてカルロはきっと、あなたが向こう側にわたり切るまでずっと隣で見守っていてくれるわよ。」


「あはは、面白い。変テコな例えだけど分かりやすいかも、さすが学校の先生。」


「アンゲリカ、とっても良い例えね。何かあった時に咄嗟につかめるものがあれば、時間をおいてまた前に進める。それは家族だったり、友人だったり、恋人だったり…お金だったりもする。」


「…確かに。」


 ラウラは真っ直ぐにエリナを見据えると、一番大切なことを伝えてくれた。


「けどやっぱりまずはエリナがエリナ自身を、大切なパートナーとして扱うことがとっても大事よ。他人の分の人生まで背負ったり、他人に左右されるような幸せを探そうとするんじゃなくてね?自分自身の幸せにフォーカスするの。カルロはきっと、良いお手本を見せてくれるわ。」


「そうね。最初は彼の真似してみるといいかもしれないわよ?彼は他者を愛しながらも、自分の願いを大切にできるタイプみたいだから。奉仕と自立のバランスのとり方がうまいのよね。」


「もしエリナが自分を大切にできないときがやって来たとしても、きっと彼があなたを大切にしてくれる。」


「…よく二人とも、そこまでカルロのこと信頼できるね?その、ネガティブな意味はなくて。純粋な疑問というか。」


 言い方がまずかったかと口をもごもごさせていると、アンゲリカが肩をすくめてフンと鼻を鳴らし、ニヤリと笑った。


「ハッキリ言って、カルロってあなたのこと大好きだと思うわよ。まあ好きの傾向がその…ちょっと犬っぽいって言うか…一緒に住んだりしたら、あなたが帰宅するたびに大喜びしてそうじゃない?あなたたちが同じ空間にいる時、彼の目線ってずーっとエリナに向いているし。あなたが笑うと、ぱあっと嬉しそうに笑うし。そのうちしっぽが見えてくるかもしれないわよ。」


「ちょっと…ふ…ひどくない?…ふふ」


 犬っぽいという点はエリナにも同意できて、彼の顔を思い出すと思わず笑みがこぼれた。


「ふふふ、ワンちゃんかどうかは置いておいても、アンゲリカの言うことすごくわかるわよ。彼は言葉よりも行動に表れるわよね。惚れた女には優しくしろって」


 ――ああ、知ってる。これはカルロの…


「「じいちゃんが言ってたからな」って言って……」


「…!」


「でしょ?」


 エリナがニヤリとすると、ラウラは目を丸くした後すぐ花のように笑った。そんな二人の様子を見てアンゲリカがくすくすと笑った。


「それ、カルロが言っていたの?」


「そうそう。」


「ふふふ。」


 このころにはエリナの心も初めよりは軽くなっていた。一旦心の中が片付いたエリナは二人に向きなおり伝えたいことがあった。


「さっきは怖くなって彼を拒絶しちゃったけど…けどそれ以上に、カルロに不誠実な事をしたくないんだ。彼を悲しませたくもない。できるならずっと、くだらないことで一緒に笑っていたい。私から彼に、何をしてあげられるのかは分からないけど。」


 ーーそもそも私って元の世界に生きて戻れるかどうかも


「まあ、その辺は二人で考えたらいいわ。」


「ふふ、素敵ね。」


 顔を上げて、ラウラとアンゲリカの顔を見る。


「ラウラ、アンゲリカ、二人ともありがとう。」


「いいえ、エリナこそよく話してくれたわ。さっきの話を打ち明けられるのは、過去に向き合う強い心を持っている証拠よ。こうやって今あなたのことを抱きしめながら、小さい頃のエリナのことも一緒に抱きしめてあげたい。」


 アンゲリカはやはり親として子供に感情移入するらしく、横からエリナをぎゅっと抱きしめて頭を撫でてくれた。それはエリナの記憶にはないはずの母のぬくもりを思い起こさせた。


「まずはあなたが幸せになって。」


「…はい」


「それでまたお話ししましょう?ここには時間がないから、私はいつでもいつまででもあなたの話を聞くわよ。」


 アンゲリカに抱きしめられ、心地よいぬくもりにエリナの心は落ち着いた。そうして一度安心を覚えたところで「そういえば」とエリナの頭をよぎるものがあった。


「けど、どうしてカルロは私がラウラたちと話をした方がいいって思ったのかな。」


 そう言って考えるエリナを静かに見つめ、ラウラが逡巡しているのが分かった。反対側ではアンゲリカがうーんと悩む素振りを見せている。


「年上の同性に相談するのが一番だと思ったとか?けどエリナの過去については、カルロは知らないんでしょ?」


「うん、あんまりいい環境で育ってこなかったことくらいしか知らないと思う。」


「そうよねえ。ていうかそもそも、なんでエリナの過去の話になったんだったかしら。」


 アンゲリカと二人で色々と憶測を立ててみるが、どれもしっくりこない。


「ねえ、ラウラ。カルロは自分が執事のくまさんになるんだって言っていたけど、どういうことだと思う?」


 エリナの質問に目を伏せたラウラだったが、やがてゆっくりと口を開いた。


「カルロはこの洋館のある世界が『感情』を中心に動いて、時間は流れていないことを知った。それで直感的に気がついたのだと思うわ。」


「…何に?」


「執事さんと…それからたぶん、私の正体に。」


「…ラウラの正体?」


 エリナは眉をひそめてラウラを見つめた。


「ええ。たぶん彼自身のことよりも先に、私のことに気がついているはず。」


 一瞬にして警戒の色を強くしたエリナにラウラは苦笑いをした。


「ちょっと、そんなに警戒しなくても大丈夫よ。」


「だったらなんで、そんなに怪しい雰囲気が出せるの!」


 確かにエリナは警戒はしたが、ほとんどはラウラの事情というものを慮って彼女を心配する気持ちが強かった。


「ふふ…ごめん、ごめん。」


「ラウラ自身の正体?とかいうのについては、言えないってこと?」


「うーん、なんというか。あなたが自分自身で気がつくほうが良いと思うのよね。」


「まーたカルロみたいなこと言って。二人とも、実は何も分かんないけどそれっぽく適当なこと言ってる、なんてことはないよね?」


 あからさまに胡散臭いなあという顔のエリナに、ラウラもアンゲリカも笑った。


「カルロね?彼はおそらく自分で言った通り、結果しか知らない。けど私は過程も知っているわ。」


 よく分からなかったがエリナは、唐突に仲の良い友達が自分を誘わずに遊びに行ったみたいな気分になった。変な表情になったせいでアンゲリカがくすくすと笑っている。


「そうね…今説明してあげることはできないけど。」


 そういってエリナに手を差し出した。


「あなたが自らのチカラで理解して、納得して前に進むために、行くべき道は示してあげられるわ。」


 エリナは差し出された手を見つめ、ラウラの顔を見つめる。


「それはきっと、私がここにいる理由の一つでもある。」


 手を差し出されているのに、不思議な緊張感を覚えたエリナはすぐに反応ができなかった。するとラウラは初めて会った時のように、優しい母のような眼差しでエリナの顔を見つめた。


「エリナ。私はエリナとカルロの幸せを、ただ祈る者よ。信じてくれる?」


 ――…祈る


 エリナはその言葉になぜか強く心を動かされた。これまでの自分の人生には全く登場してこなかった、その言葉に。


「…わかった、お願いします。」


 ほとんど呟くようにして返事をするとエリナはラウラの手を取った。改めて触れたその手は美しくも逞しい手だった。


「信じてくれてありがとう。じゃあ、行きましょうか。」


 そう言って立ち上がるとバラ園の出口へといざなわれた。ラウラに手を引かれながら、エリナは振り返ってアンゲリカを見た。笑顔の彼女が手を振っていた。


 ――ああ、アンゲリカともこれで最後なのかな。


 エリナは後ろ髪を引かれたがラウラの歩みは止まらず、テラスに上がってもう一度バラ庭園を振り返ると、アンゲリカの服の色だけが垣根の隙間から見えた。こちらが見えているかは分からなかったが、もう一度手を振るとエリナは洋館の室内へと戻った。


 掃き出し窓から室内に戻るとそこは見慣れた部屋の風景だった。今エリナは初めてこの部屋に入った時のドキドキした胸の鼓動を思い出している。そういえばあれは一体何だったのだろうか。部屋を通り突き当りのドアのノブに手をかけると、ラウラはエリナを振り返った。エリナは目が合うとコクリと頷き、それを見届けたラウラもまた頷いた。


 カチャリ、とドアが開く音がする。


 ラウラとエリナは静かに部屋を後にした。数秒後、ちゃっちゃっ、という四つ足の歩く音が彼方へと消えていったのを最後に、室内には誰もいなくなったのだった。





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