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エリナの半生①

 

「エリナ?」


 ラウラがエリナの様子を伺いながら尋ねる。


「なあに?」


「寂しい?」


 エリナは「最初に尋ねることがそれなんだ」と思った。拍子抜けしたがふわふわと頭の回らない、今の自分にはこういった簡単なやりとりが良いのかもしれない。


「…うん、少し寂しいかも。でも、」


 エリナはくるりと隣に座るアンゲリカにも顔を向けると、笑顔を作ろうとして少し失敗した。


「まだ、アンゲリカも、ラウラもいるから。」


 アンゲリカは一瞬意外だという表情をしてから、すぐに嬉しそうに顔をほころばせた。


「あら、ふふふ…そうね。」


「タマラもいるにゃ!」


 抗議の声が入って、思わず笑ってしまう。


「あはは、ごめんごめん。」


 彼女のゆったりとした声で頭が少し軽くなった気がする。続けてタマラの顔を見ると、抗議が聞き入れられて満足そうな顔をしている。実はイヌ派のエリナだが、ネコちゃんもかわいいななんて考えながら、先ほどカルロが戻っていった方向を見つめた。


「カルロは私に、ラウラたちと話をしろって言っていたけど、一体どういうことなんだろう?ラウラは何か心当たりは、ある?」


「そうね、私も気になるわ。なんせ『アンゲリカも』って、ついでみたいに言われたからね。」


 アンゲリカが肩をすくめると、タマラがクスクスと笑った。数秒の沈黙があってラウラが口を開く。


「ねえ、エリナはカルロのことどう思っているの?」


「え?」


 何か話すにしても、初っ端そんな話になるとは思っていなかったエリナは言葉に詰まった。しかしラウラはエリナからの回答を待っているようで、その場に再び沈黙が訪れる。


「………わからない。」


「…そう?」


「うん…どうしてそんなこと聞くの?」


「さっき生い立ちが自分を踏みとどまらせるみたいなこと、言っていたでしょう?そのせいで彼の言うことを受け入れられないということ?」


「…そうだね。正直、恋人とか夫婦とか家族とか、そういう繋がりに良いイメージはないからかな。」


「自分が彼にふさわしくないと思う?」


 その言葉にエリナの胸がツキンと痛んだ。瞬間、エリナ自身も気がつかないうちに胸の奥に小さな怒りの炎が灯った。


「…まあ、ある意味そうだね。私は家族とか恋人とか、手に入れようとは思わない。」


「どうして?」


「もう十分だから。」


「エリナ、もう十分って言うのは?もしかしてあなた結婚してたの?」


 驚いたアンゲリカが目を丸くし、急いでカップをカチャカチャとテーブルに戻すとエリナの方に身を乗り出した。


「いや、結婚はしてないよ。ただ最近、仲の良い先輩と色々話した時に色々考えることがあってね。先輩がいうには、私の家族に私のことを考えてくれている人が一人もいないんだって。だからさっさと家族を捨てて自立しろって言われちゃった。私自身、家庭に恵まれていない自覚はあったからまあそう思うよねって感じで。それから紆余曲折あって家族とは縁を切ったんだけど、自分のことだけしか考えなくていいのって、こんなに楽なんだ~って気がついて!そう思ったら、もう他人は十分!と思っちゃったかな。」


 できるだけ明るく簡潔に話すが、この話をするときはいつも惨めでなげやりな気持ちになる。感情にのまれそうになっては、自分はまだ乗りこえられていないのかと落胆する。エリナは急いで口をつぐんだ。


「…その先輩には自分のこと、全部話したの?」


「全部ではないけど。だいたい五分の一?くらいかな。時間の都合もあったし。」


「誰かに、自分のことを全部話してみたことはある?」


「…いや、ないかな。小出しにして色々な人に相談することはある。けど、全部を話すとなると問題の数が多すぎるから。」


「そっか…なら私に話してみる?ほら、ここには時間の制約のないじゃない?」


「…確かに、いつまででもお話しできるよね。」


「気の向く限りね。」


 それからぎこちないながらに四人はいくつかの会話を重ねた。ラウラはその後もエリナに質問をしていたが、それ以上核心に触れるような話はしなかった。アンゲリカは優しい言葉にユーモアを挟みながら会話を広げてくれ、タマラも気ままに振舞うようでいて、エリナが急に心を閉ざしたりしないよう気にしてくれているのが分かった。

 そんな気遣いを受けたエリナは、他人にこんなに気を遣わせてしまう自分が情けなく思えたけれど、それ以上にみんなの優しさを嬉しく思っていた。だからなるべく尋ねられたことには真摯に答えながら、ゆったりと会話を紡いでいく。そのせいか、しばらく経った頃には少しだけ息がしやすくなって、かなり躊躇はしたけれど、思い切って自らの人生を話してみることにしたのだ。


「ねえ、ラウラ。私の名前…エリナってね。父の、前妻さんの名前なの。」


「………そうなのね。あなたは悪くないから、自分を責めちゃだめよ?」


 自分が何故、始めにそんな話題を選んだのかは分からない。こんな暗い話はすぐに「ごめんね」と言って、ここで一切をやめれば良いはずだった。けれど自分を責めないでというラウラの言葉に「ああ、理解してくれているんだ」と感じたエリナは、他人に弱みを見せないためのブレーキが壊れてしまったのだろう、頭の中では色々な記憶と思いが溢れて止まらなくなっていた。

 今日はシャルロッテがいなくなり、マリーサもグアダルーペもいなくなって、カルロもここを出て行った。怒涛の展開にあるいは、エリナの心は自身でも分からないうちに恐怖に侵食されていたのかもしれない。いつもなら抑えこむことができたはずの感情も今はコントロールが効かず、そんな状況もあいまってエリナは初めて心の内を外側に吐きだそうとしていた。


「…そう、わざとその名前にしたんだって。お母さんと再婚した後も、前の奥さん…えりなさんのところへ行って朝まで帰ってこないこともあった。母は口では父を責めていたけどそれでも父を好きだったみたい。仕事辞めて、義両親の財産を頼りにして、毎日家族の人格を否定する暴言を吐いて、気に入らなければすぐに手を出すような男なのにね。」


「エリナそれは…ごめんなさい。私、なんて言っていいか分からないわ…」


 アンゲリカが悲しい顔をしている。その顔を見ても、ちょっとだけ申し訳ないかなと思ったくらいで特に感情が動かされることはなく、エリナは淡々と言葉を紡いでいく。


「ごめんね、アンゲリカ。」


「いえ…。」


「エリナ、続けてみて?」


 エリナはもうこの話は止めようと思ったが、ラウラはさらに続きを促した。戸惑ってアンゲリカを見ると、彼女はこくりと頷いた。


「…母はね、何百回と暴力を受けても、いつも『お願いします、やめてください』って言って命乞いして、父の要求をすべて受け入れるような女性だった。母が殴られる時はいつだって、私が仲裁にはいって止めてたよ。体張って止めなきゃだからもちろん、父とは殴り合いになった。」


 その時の光景が昨日のことのように思い出される。エリナと父が取っ組み合いになると母が間に体を割り入れるせいで、母を傷つけたくないエリナの手だけが止まり、殴りを止めない父によって自分だけがボコボコにされるのだ。これは何度繰り返しても同じ結果になる。記憶力がいいのも考え物だった。


「十二歳頃になれば私は体が大きい方だったから、家族で唯一父を止めることが出来たの。けど何度それを繰り返しても、母は父のことを許せるのよね。で、『エリナちゃんいつもありがとう、ごめんね』って…意味わかんないでしょ?まあ、そんな母の本性を見抜けずに、被害者だと思って父から切り離そうとして十何年も頑張っていた私も、結局ぜんぜん意味わかんないんだけどね。」


「なんてことなの、子供に危害が加えられているのに…!」


「父が()()暴力を振るう時だってそう。いつだって母は、かわいそうとは言ってくれたけど決して助けてはくれなかった。」


 アンゲリカが心から腹を立てているのを横目にエリナの精神は凪いでいた。


「前妻のえりなさんのこと、私が生まれて数年後に聞かされたらしいのね。だからどうしても私を愛せなかったんじゃないかな。実の娘ではあるから、ちゃんと衣食住は与えてくれていたけど。昔、何度か『学校辞めて私が働くから、私と妹を連れて父の元から逃げてくれないか』って言ってみたけど、お金がないからムリって。後になってそれは全部嘘だったと分かったけどね。」


 エリナの未成年期の体験については、本当はそんなに簡単にまとめてしまえるようなものではなかったけれど、深刻な話をこれ以上深刻にしないよう端折りながら話していった。ただ、自分のことながら短くまとめてみたところでかなりひどい内容だなとも思う。ひも解くように話していると、何年も心の奥底に溜めていた「どうして?」の想いがどくどくと溢れていった。


「そう、エリナはお母さんに連れて逃げてほしかったのね。」


「うん、まあね。」


「それは普通の感情よ。申し訳ないけど、私なら子供が旦那から暴力を受けたらすぐに連れて逃げるわ。子供が世界で一番大切だから。普通の母親ならみんなそうすると思うわ。」


 アンゲリカが厳しい目つきで、エリナのために怒ってくれているのが分かる。それが伝わっているはずなのに「普通は」という枕詞がエリナを苦しめる。エリナの母にとっては、エリナにはその「普通」の愛情を与える価値すらなかったのだと知らしめられるからだ。


「というか、エリナには妹がいるのね?」


「うん、彼女はいわゆるサポートが必要な個性を持った人間で…」


 何度も繰り返した説明に頭が痛くなる。


「いくみっていうんだけど、生まれてすぐ大病を患ったの。もう生きるのは無理だって言われていたのに奇跡的に助かって、けど結局重い後遺症が残った。本当に色んな事に介助が必要で、車いすでの生活に加えて、発達にも問題があった。」


 それを聞いたアンゲリカの顔には同情の色が浮かんでいる。


「まあそうだったの。私も教育分野にいたから、そういう子たちと関わったことはあるけど…家族として支えるというのが大変なことは想像がつくわ。」


「まあね。私はハンデのある妹を支える姉の役割を与えられて、家でも学校でも欠かさずに妹のフォローをしていた。あらゆる場所で『ああ、いくみちゃんのお姉ちゃんね』って言われて、小学校に妹が入学してきた後は、彼女が問題をおこすたびに私が先生に呼び出されてたよ。」


「ええ?なぜエリナが呼び出されるのかしら?」


「……ずっと、頑張っていたのね。」


 再び怒りを露わにしたアンゲリカの横で、時折短い相槌を入れながら淡々と話を聞いていたラウラが苦しそうに絞り出した言葉はしっかりとエリナの耳にも届いていた。彼女が辛そうにすることは予想外だった。


「これもさ、ありがちな話なんだけど。両親は妹が死にかけたときにカルト宗教に傾倒したの。だから物心つく前からいろんな『勉強会』に参加していろんな大人たちに会って。そこで会う大人はみんな口をそろえて『家族の試練だから姉として両親と妹を支えなきゃいけない』って言うんだよね。」


「小さな子供に?なんということなの…!」


 ついにアンゲリカは額に手をあてて天をあおいだ。エリナも自分で話しながら役満家庭だよなあと思う。


「絵にかいたような、でしょ?」


「かける言葉がみつからないとしか…」


「だよね。」


「エリナはその宗教を信仰していたの?」


「いや全く。だって妹に『神の子だ!生きているだけで素晴らしい!』『なにもしないでもありのままの個性で!』って言うんだよ?さすがの私にも違和感はあった。けどそれはそれとして、私にとっては妹が生まれてから彼女の世話は当たり前に人生に組み込まれたものだったでしょ?だから高校生になって妹と違う学校に通うまで、妹をフォローする以外の人生があったなんて考えもしなかった。」


 ここまで話した所で、ふとエリナは片方の手に温かいものを感じた。それはラウラが手を握ってくれていたぬくもりだった。エリナは話すことに集中していたので本当にいつの間にか、だった。気がついてすぐにラウラに視線を向けると目が合ったが、その手が解かれることはなく、むしろ込められた力が強くなったのを感じながらエリナは話を続けた。


「私は妹のことが好きだったし、妹のために何かをすることは苦にならなかったんだ。でも妹は妹で、ずっと自分で生きる術を教わってこなかった。できることが少なくて、自己肯定感が低くなって、どんどん攻撃的な性格になっていった。私にも暴言を吐くようになって、それは結構つらかったな。」


「私は、親が生きる術を教えないことも立派な虐待だと思うわ。」


 会ったこともない人間のことまで考えて怒るアンゲリカは心底優しい人間なのだろう。エリナの話が始まってからずっと心を痛めている彼女は、怒ったり悲しんだり、終始険しい顔をしている。


「だよね。妹も大人になったら、社会のどこかで生きていかなきゃいけないのに。そのことに妹も両親も気がついてはいなかったの。私はずっと『妹のために診断を受けて公的サービスに頼って』ってお願いしてたんだけど、全部個性だからって。なんにもせずに結局、彼女は家で飼い殺し状態になっちゃった。ちなみに私は『いろいろ申請したけどダメだった』って嘘つかれてたんだ。真実を知った時には、流石にびっくりしたよ。」


「は?なぜエリナに嘘をつく必要があるの?何か不都合があるのかしら?」


「わかんない。ずっと、何も分かんないよ。」


 怒れるアンゲリカの言うことはもっともすぎるので、エリナは力なく笑うしかなかった。この十数年ずっと対話と説得をを試みてきたエリナが、ついに分かり合えなかった人たちのことを説明するのは難しかった。


「あれだけ妹を『神の子』だって囃し立てていたカルトの人達も、今は私の家族をお布施ランクの低い家庭だってぞんざいに扱うのにね。両親も妹も『神様だけは裏切れない』って言って、一生懸命通い詰めて『恩返し』してるよ。」


 絶句しているアンゲリカには申し訳ないが、エリナはここまで来たら最後まで話しきるつもりだった。


「お母さんはいつも、父と妹のことで大変だって言ってた。最近になって色々と彼女の嘘が発覚したけどそれまでは私、お母さんは被害者だと思ってた。だから私は、少しでもお母さんの負担を減らせたならって。お母さんの抱える問題を少しでも一緒に背負ってあげられたら、いつか問題に悩まされなくてよくなってお母さんがまっすぐに、私のこともちゃんとお母さんの子供としてみてくれるかなって。そうしたらうちも、普通の家族みたいになれるかなって。」


 エリナは目線より少し高い位置を見据えたまま自虐的に笑った。


「たぶんずっと小さい時に、私は人生の目標をそう決めたんだよね。…もうずっと、昔のことだからすっかり忘れていたけれど。」


 エリナはできるだけ感情に支配されないように集中した。話しているとどうしても涙がこぼれそうになるから。なるべく他人事として話せば、少しは感情に支配されないで済む気がした。


 ーーそうやって繰り返していけば。いつか自分の過去を話しても心を無にして、過去を乗り越えたと思えるのかな。


 この時エリナはラウラがその目に涙を浮かべていたことには気がつかなかった。


「けどさ、夫の前の女の名前を呼びながら育児なんて、やる気が起きないでしょ?」


「エリナ…」


 アンゲリカは何かを言いたげだったが、何を思ったのか目が合うとすぐに口を閉ざした。


「そこまで母に愛されても、何が気に入らないのか父は暴力をやめなかった。『お前なんかいつでも殺せるからな』って言われて私は幼い私自身と、母と妹を人質に取られていたの。」


 語気が強まったところで自分が感情的になっていることに気がついたエリナは一呼吸を置いた。落ち着いて周囲を見ると、いつのまにかタマラが居なくなっていることに気がついた。どこに行ったんだろうと、チラチラと足元を確認してみたが姿は見えない。


「…誰も助けてくれる大人はいなかったの?先生とか、近所の人とか…。」


 アンゲリカが悲痛な声を出してうなだれている。そんな彼女を見てさすがのエリナも、もうこれ以上の話はやめようと思えた。


「だいたいの人間は、面倒ごとには首を突っ込みたがらないんだよ。もちろん優しい人もいるけどね。やっぱり目に見えて助けが必要な妹の介助とかは特に、それは嬉しかったよ。けどそれ以上のことはねえ、何もしないけど話だけ聞いて『かわいそうだね、がんばってるね』って言って応援してあげることが助けになると思ってる人って、結構いるんだよね。」


「信じられない!そんな幼い子に誰も手をさしのべないなんて…」


「それはアンゲリカがいい人だからだよ。…まああなたが近くにいてくれたら、もしかすると私の人生も違っていたのかもしれないけどね。人間が幼いって、それだけでかなりの弱みなんだよ。幼さを理由に十数年も他人に命握られるんだから。」


 ここまで一気に話してきたせいか頭がじわじわと熱くなっていたが、そのせいで冷たい風が湖の方面から吹き込んできているのがわかった。頭の片隅で「あとで雨が降るのかな」なんて考える。


「それは、エリナ。子供が対処するには、あまりに何もかもが起こりすぎているわ。」


 アンゲリカが幼い頃のエリナを想って感情を昂らせているのが分かる。その優しさを有難く思いながらも、当時こういう大人が周囲にいなかったことを思うと虚しくなる。


「私の子供時代ってきっと、すごく短かったんだよね。自分が子供のままでいたら、この家は崩壊して私は生きられないって、五歳くらいの時には気がついていたから。」


「…ねえ、エリナはどうして自分が逃げなかったのだと思う?」


 ずっと手を握ったまま黙っていたラウラが静かにエリナに尋ねた。しかしその質問にエリナは一気に心が凍てつくのを感じた。


「…逃げる?どこに?」


 小馬鹿にしたような乾いた笑いが出る。弱くて小さな子供に、これ以上一体何ができたというんだろう。いくらラウラでも、幼い自分が無我夢中でやってきた選択の歴史を否定してほしくなかった。するどい敵対心をみせたエリナだったが、それでもその間ラウラはエリナの手を握ったままだった。


「そうね、幼いあなたはよく()()()()()と思うわ。だから幼少期ではなく…もっと後のこと。エリナが成人…十八歳になってからすぐに、家を出ていくという選択肢はなかったの?家族とみんな連絡を絶ってさ。見切りをつけて、何もかも捨て置いて。新しく自分だけの人生を始めるの。自分の身だけでも守ろうとは思わなかった?」


 エリナは首を振った。


「ラウラの言いたいことは分かるよ。もっともだとさえ思う。けど私は家族に真っ当になってもらおうとした。妹のことは親が死んだ後も私の人生に関係してくることでしょ?だから私と妹のことも考えて、彼らに変わってもらおうと…してしまったの。」


 言いながら自分が情けない表情になっているだろうことが分かる。


「問題は山積みだったのに、私の両親にはその一つだって解決できていなかった。だからここ数年の私はずっと伝え続けてきたの。殴られたって罵倒されたって無視されたって、私は努力して全部全部言葉にして伝えて説得を続けてきた。大人になった私の言葉ならあるいは彼らに届くかなと期待していたの。バカげたことに、あわよくば良いお父さんとお母さんになってくれないかなとさえ思ってたよ。本当にバカなことにね。それもこれもみんな、私が『普通の家庭』じゃなくて『私の家族は普通』を求めたからなんだと思う。」


 言いながらエリナの中で数々の記憶がよみがえる。これまでにあったこと、たくさんの記憶たちが何度も掘り起こされてはエリナを無力感で支配しようと襲い掛かってきた。


「…真っ向から家族に向き合ったことを後悔はしていないよ。出来ることはすべてやり尽くした。おかげで、どうやったって私には彼らをどうすることもできないって理解できたから。」


「私もそう思うわ。いくら家族とはいえ、危害を加えられるなら離れなければいけないわ。」


「そうね。周りの人間から見れば、私が成人してからの数年間は愚かで間違った選択だったのかもしれない。先輩にも『アナタもっとはやく自立できたでしょ』って言われたしね。それはそうだよね、私だって自分一人分の人生にだけ集中していればよかった人たちを、羨ましいなって思うよ。」


 恨み事が出てしまったところで、エリナは自分の限界を悟った。焦って目元を押さえつける。


「私、学生の時にベビーシッターをしていたことがあるんだけどね。ある日赤ちゃんのお母さんがテレビのニュースを見ながら『虐待を受けた人って必ず虐待するらしいよ』って言ったの。『愛を知らない人間なんて恐ろしい』『私の息子に絶対に触れさせない』って。一気に体が冷えていくのが分かったよ。そしたら私の方を向いて『だからエリナちゃんがシッターさんでよかったわ。エリナちゃんはしっかり者だし愛情深いし、息子もエリナちゃんのことが大好きだから』だって。ワインボトルで頭を殴られたみたいな衝撃だった。同時に『私って普通じゃないんだ』『でも普通に擬態はできてるんだ』って思った。そして、そうやってすぐに何も知らない他人の物差しに迎合する自分にも、嫌気がさした。」


「エリナはおかしくなんてない、あなたは立派よ。」


 ラウラは力を込めてエリナに伝えてくれる。アンゲリカはもはや無言だった。ただ彼女はエリナの隣で静かに涙を流していた。


「エリナはちゃんと、これまでずっと頑張ってきた自分を…誇りに思っているのね?」


 そう言うとラウラは優しくエリナの手を取った。そんなラウラに、彼女こそがとうとう現れた「理解者」なのかもしれないという想いと、あなたに何が分かるのという想いがエリナの中でぶつかった。そこまで考えたところで、エリナはもう流れる涙をそのままにしておくことにした。ラウラがどっち側の人間だったとしても、もうどうだってよかった。



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