それぞれの来た道
一瞬のことだった。
全員が見ている目の前でマリーサは忽然と姿を消した。あれだけみんなを笑顔にしてくれた彼女がぽろぽろと涙をこぼしていたのに、エリナにはどうすることも出来なかった。彼女は大丈夫なのか、もう会えないのか、色んな感情がぐちゃぐちゃになって、エリナは呆然とその場に立ちつくすしかなかった。
「おい、グアダルーペ…!」
その声にハッとなって前をむく。目の前で姉が消えひとり取り残されたグアダルーペに一番に駆け寄ったのはカルロだった。
「グアダルーペ、一旦落ち着こう。大丈夫だ。」
「えっと、俺って…弟じゃなかったのか?」
「グアダルーペ、それは…」
「この世界が、現実ではないってことには気がついていたけど、まさか姉弟じゃなかったなんて。けど、そんなことって本当にありえるのか?」
最後の方はほとんど聞こえないくらいの声の大きさだった。うつむいていたグアダルーペだったが、そこへ飄々とした様子でビクトリアがやって来た。かと思うと彼女は珍しく、彼の足に優し気にしなりと寄り添った。
「ふふ…この世界は本当じゃないなんて何を可笑しなことを言っているの?この世界は本当よ。時に自分の常識を疑うことも大切。あなたの言うところの『本当の世界』が『夢』かもしれないとは考えないわけ?想像力は感情を乱すためではなく、自らをコントロールするために使いなさい。」
すりすりと慰めるように寄り添うビクトリアだが出てくる言葉の一つ一つは手厳しい。ビクトリアは黙ったままのグアダルーペをじっと見上げると、さらに言葉を重ねていった。
「…あのね。例えばシャルロッテは貴族の娘じゃないわ。本当の彼女はいたって普通の日本の女の子だと言ったら?」
その言葉を聞いてエリナはビクトリアを凝視した。
「そんなに驚かなくても、よく観察していれば彼女が日本人だということはわかるはずなのよ。そして、あなたたち姉弟。」
ビクトリアはグアダルーペの足元から少し離れた場所に座るといたってネコらしく顔を洗った。
「あなたたちがこの洋館で会えたのは、姉と弟の『つながり』があったせい。この洋館へやって来た理由とは別。あなたたちはそれぞれにきっかけがあって、偶然この場所に、偶然二人同時に迷い込んだ。」
おとなしくカルロに肩を抱かれていたグアダルーペは顔を上げると、苦しそうに眉根を寄せたまま語気を荒げてビクトリアに詰め寄った。
「けど、シャルロッテはここでの姿が本当の姿じゃなかったんだろ?事実とは違うことがここでは起こるということじゃないか。」
すると一転、ビクトリアは呆れたような表情になった。
「あのね。さっきも言ったけど、この場所では『事実』はさほど重要じゃない。確かにここにも事実というものはあるけど、あなたたちがそれを選択するかどうかはまた別の問題でしょう。」
グアダルーペの目の前を左右に行ったり来たりしながら、ビクトリアはずっと喋っている。ずっと隣で聞いているエリナも頭が痛くなってきた。
「シャルロッテはまだ幼いし特殊な事情があったから、アイデンティティの揺らぎもあってあの姿をしていたけど、ほとんどの大人は自認通りの姿でここに存在する。そんな見かけのことよりも、ここで重要なのは『感情』よ。あなたたち姉弟は生まれたときにお互いの存在をきちんと認識しているの、覚えていなくともね。だから無意識に心の奥底ではずっと姉弟に会いたいって求めていた。その無意識の『感情』が、この世界に受け入れられてつながったの。」
感情が処理しきれないのかグアダルーペは悲壮な表情をしていた。エリナは見ていられなくなって、グアダルーペの元へ駆け寄って慰めたい気持ちになった。しかし同時に今は、彼のパーソナルスペースに立ち入ってはいけないような気もした。チラリとカルロの方を見るとまたしても目が合った。彼は肩に回した手に力をこめ、ビクトリアが続きを話始めるとそちらを向いた。
「『つながり』のおかげで、この世界ではお互いを姉と弟と確認できた。あなたの言うところの『現実の世界』での事実よりも、事実をさほど重要としない『夢の世界』での出来事の方が、何よりも真実を見せてくれていた。ただそれだけのこと。」
それだけ言うとビクトリアはタッタッと軽快な足取りでラウラの足元へと戻っていった。その後ろ姿を見送ったグアダルーペは、ぐっと拳を握りうつむいてしまった。隣でずっとカルロが心配そうにしている。カルロが肩をポンポンと叩くと、グアダルーペもその手を軽くたたいて応えていた。エリナはビクトリアが戻っていったときに見たラウラの表情が気になっていた。辛そうだがどこか悟ったような、あの表情はいったいなんだろうか。
ややあってグアダルーペが顔を上げた。それは先ほど彼の姉が見せたような涙を耐える表情ではなく覚悟を決めたような、まっすぐに前を見据えた表情だった。グアダルーペは自分の肩に置かれたカルロの手を静かに外すと、乾いた笑いでみんなに微笑みかけた。
「ごめんね、みんな。俺、今ちょっと一人になりたいんだ。」
「……うん。」
エリナが辛うじて返事を返すと、グアダルーペはくるりと踵を返して部屋の入り口のドアへ向かって歩き出した。何か声を駆けたくても誰も口出しできない。グアダルーペのいた場所からドアまでは少しの距離しかないはずなのに、それはひどく長い時間に感じられた。長い、長い数秒間の後、カチャリと音がすると扉が開かれ、グアダルーペはそのまま振り返ることなく静かに部屋から出て行った。
再び沈黙が訪れる。
「…大丈夫かな、アイツ。」
カルロが心配そうな顔で彼の出て行ったドアを見つめていると、いつの間にかカルロの足元にタマラが立っていた。
「カルロは優しいにゃあ。グアダルーペは大丈夫だから心配することないにゃ。」
そう言って慰めるようにカルロの足をポンポンと前足で叩いていた。
「ありがとうな、タマラ。そういえばシャルロッテの話は、本当か?」
「本当だにゃ。」
「そうか。じゃあ俺たちもその…本当は別の姿を持っているかもしれないってことなのか?」
「…んにゃ。ビクトリアも言っていたけどシャルロッテはまだ幼くて特殊な事情があったから、どちらかというとイレギュラーにゃ。基本的にはカルロはカルロ、エリナもエリナ、タマラもタマラ、だにゃ。」
タマラは終始のほほんとした声色で、淡々とマイペースに事実を教えてくれる。
「ビクトリアの言い方は知っている側からすると分かりやすいけど、知らない側からするとめちゃくちゃ分かりにくいんだにゃあ。なんか怖いし…でも、悪気はないんだにゃ。」
そう言うと、顔を二、三回洗った。今日はいつもよりネコちゃんらしさのある行動が多い。
「まあ、今日もお茶にするかにゃ?今日はお庭にお茶を用意しちゃおうかにゃ。」
まさかの提案にエリナは「今?」と思った。だが何かをしようとも、何かをせずとも、たったいま目の前で起こった出来事に関してはどうすることもできないのも事実だった。
「まあ、バラ園でお茶にするの?私も是非いいかしら?」
ずっと黙っていたアンゲリカが身を乗り出して、タマラの提案に食い気味に反応する。そんな彼女にエリナは少し驚いた。思っていたよりもドライな性格だったのだろうか。
「色々な話を聞いちゃったから、一旦頭をスッキリさせるのもいいかもね。カルロはどうするの?」
口ではそう言っても、エリナはこんな事態でのお茶会をすんなり受け入れたワケではなかった。ただ、これ以上気落ちしたくないという思いと一時避難的な意味合いを含めて、この状況でも平気そうにしているアンゲリカと一緒にいることを選んだのだ。だからカルロはどうするのかと思い話を振ってみたのだが、すぐには返事がなかった。即断即決の多い彼にしては珍しいなと思っていると、アンゲリカの方は反応のないカルロの様子を見て「行かない」という意思表示だと捉えたらしかった。
「オーケー、じゃあ私たちは一緒にお茶してくるわね。でも、あんまり考えすぎないように、ね?」
アンゲリカはカルロを気遣うように言った。するとカルロは顔を上げてハッとした表情になり、
「いや、俺もいいか?少し話でもして、頭ん中をまとめる時間が欲しい。」
と、急いでエリナとアンゲリカの方へと寄ってきた。シャルロッテ、マリーサ、グアダルーペの三人がいなくなった今、この場所に残されているのはエリナ、カルロ、アンゲリカ、そしてタマラ、ラウラ、くま執事だ。ビクトリアはというといつの間にか姿が見えなくなっていた。
ラウラを先頭に、全員でバラ庭園へと降りていく。バラ園の中にはすでにテーブルが用意されていた。そこから洋館の方を見上げてみるも、無論テラスの上には誰の姿も見えない。そこにいなくなった三人の笑う姿を想像してとたんに寂しくなった。
いつもと同じところと、いつもとは異なるところが交じり合ってぎこちなさが漂っている。テーブルにつくと、アンゲリカは依然として落ち着いていたが、カルロはずっと考え込んでいる様子だった。そこへいたっていつも通りに銀のワゴンを押したくま執事が、手際よくテーブル上に飲み物とお菓子を並べていった。
「なんか、色々あって…びっくりしたね。」
エリナが沈黙を破ると、アンゲリカがこちらを見た。
「そうね考えもしなかった…けれど、そこまで驚きはしなかったわ。」
「そうなんだ。アンゲリカはみんなが居なくなること、寂しくない?」
「そうね、寂しくないわけじゃないけど…しかもこんなに急に目の前から消えるとは思わなかったけど…でも普通に生きていても、急に会えなくなることって起こりうることだし。」
「まあ。それは、そうだけれどね。」
カップには紅茶が注がれているが、すぐに手を付ける気にはならず、エリナはおもむろにカルロの方を見る。先ほどから彼はじっと考え込んでいるようで、今もカップを握ったまま手元を見つめていた。
「カルロは、大丈夫そう?ずっと考え込んでるね。」
「…ああ、この場所についての話あっただろ?アレでちょっとびっくりしている。」
「そうだよね。この世界はおおぐま座にある星?で、確かに実在しているっていうのは、改めて言われるとびっくりするよね。」
「現実味はないわね。まあもともと現実離れした空間ではあったけど。」
「二人とも、自分が元居た場所のことは覚えていたりする?」
エリナが尋ねるやいなや、アンゲリカが口を開いた。
「私は前にも何回か話したことがあると思うけど、一人息子を育てているシングルマザーで、教師をしている。ちなみにミュールハイムに住んでいるわ。エリナは?」
「…実はあんまり覚えてないの。昔のことならよく思い出せるんだけど、直近のことになると全く分からないんだよね。なんとなく思い出せるのは日本の輸入会社で働いてたこと。すると外国のメッセなんかにも行くはずだから…私ドイツ語話せるしドイツにも行ってたはず。でもここに来る直前に何をしていたのかは、さっぱり思い出せないんだ。」
「まあ、そうだったの。そういえば、ここで話すうちにみんなの人となりは知っていったけど、仕事は何をしているのかとか、どこに住んでいるのかとかそういう、なんていうの?社会的ステータスに関しては話してこなかったわよね。私はともかく。」
「そうだね。必要なかったし。」
「ね。…で、カルロは?何か覚えていることはあるかしら?」
アンゲリカがカルロの方を向くと、カルロも口を開いた。
「実は、俺もあんま記憶がない。俺には下に弟と妹がたくさんいて、生活に余裕なかったから、学校卒業したらすぐ職業訓練校にいって働き始めたんだが…今現在何をしているかって言うと、詳しいことが全く思い出せねえ。」
「え、何して働いていたか思い出せないの?」
「思い出せねえ。たぶん仕事にそんな興味なかったんだろ。」
「なるほど…。」
アンゲリカはカップに口をつけると一息ついて、先生らしく二人の話を総括し始める。
「グアダルーペも自分がどんな人物だったか全く思い出せないって言っていたものね。シャルロッテはどうやら、まだアイデンティティの確立されていない時期の子供みたいだし。むしろ私やエリナ、そしておそらくマリーサもだったのかしら…?が、よく覚えている方なのかもしれないわ。」
「そうだね。」
エリナはいつの間にか目の前に座っていたタマラに目線を向ける。
「タマラは今日みんなが居なくなるかもしれないこと、知っていたの?」
「いや、知らなかったにゃ。」
タマラは目をぱちぱちとさせながらそう言うと、カップの紅茶を飲み干すまで一気にあおった。三人がそろって沈黙し、その姿をじっと見つめているとカップを置いた彼女は再び口を開いた。
「さっきも話したけど、この星に時間はないんだにゃ。でもみんなは時間の概念のある世界から来ている。だからこの世界でも君たちに関わる限りの事なら、ある程度の結末は決まっている…それでも今この瞬間にみんなが何を想い、選択するかで道筋は変わっていくんだにゃ。」
「なにそれ、結局どういうことかしら?」
「えーと。決まっているけど、決まっていないということ?」
「…ああ、そういうことか!分かったかもしれない。」
タマラが話した内容にアンゲリカもエリナも頭を悩ませていると、それまで大人しかったカルロが突然大きな声を上げた。




