マリーサ
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ピピピピピ…
携帯のアラームが鳴り響く。ベッドのすぐそばに置いているそれにはAM07:00の表示。画面をタップして、また布団に潜り込む。
ピピピピピピピ…
音の出所を掴むと、今度はAM07:30の表示だ。ぐぐぐっと背中を丸め、一気に背伸びをしてバッと布団をひるがえしたら、のっそりと起き上がる。もう一度背伸びをしながらカレンダーを確認すると、本日は金曜日。今日を一日頑張れば、明日から三連休だ。
――なんか今朝の夢は、とても悲しい夢だった気がする。
何度背伸びをしても、しっくりとこない感覚がある。
――なんだろうこの違和感は。変な夢でも見ちゃったのかな。私、夢は見るけど朝起きたら全く覚えていないタイプなのよね。いつも感覚だけは残っているけど。
どうにか気分が変わらないかなと、キッチンで湯を沸かして白湯を飲む。
――ここに引っ越してからずっと、寝起き快調だったのに。
マリーサは先月からカリフォルニアにある法律事務所で、インターンとして働いている。故郷のメキシコを離れて、アメリカで一年半のインターンのために一人暮らしをすることは、だれもができる事ではない。マリーサはこれもひとえに両親の協力のおかげだと思っていた。
――知らないうちにストレス、溜まってきてるのかな。
マリーサの両親は、当時貧乏ながらに孤児だったマリーサを引き取り、愛情たっぷりに育て上げてくれた人たちだ。マリーサが十歳になったころ、両親の営んでいた事業が一気に好転してお金持ちになった所謂成金だ。両親は自分たちが経験してきた苦労の理由をきちんと分かっていて、マリーサの教育にお金をかけることをいとわなかった。そうやって大切な一人娘として、両親の愛情を一身に受けて育ったマリーサは血のつながりはなくても彼らの愛情に報いたいと思い、現在国際弁護士を目指して頑張っているところだ。
だから、少しくらいめげそうなことがあったってへこたれない!と心に決めていたマリーサだったのだが、日々蓄積される心身の疲労は勢いだけでは吹き飛ばせないようだった。
――でも!明日はいよいよ、お父さんとお母さんのところに帰る日!お土産何にしようかな。
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久々のメキシコシティ、空はカラッと晴れ渡っている。
マリーサの帰宅を両親はとっても喜んでくれた。お土産は何にしたらいいか分からなかったので、なんとなくカリフォルニアっぽい雰囲気のTシャツを買っていってあげたら、すごく喜んでくれた。
「今日はマリーサの好きなものばっかり用意しているからね!がんばっている娘には、ご褒美をあげないと!」
帰省するとすぐにぎゅっと抱きしめて頬にキスをくれる母に、マリーサも抱きしめ返してキスを返す。こうやって母に包まれていると幸せで胸がいっぱいになる。その後父とも挨拶を交わして、積もる話を語り合っていると、その間姿の見えなくなっていた母が近所から幼馴染のガブリエラを連れて帰ってきた。
「マリーサ!会いたかったわ!向こうでの生活はどう?」
ぎゅっとハグをしてチークキスをすると、ガブリエラは昔から変わらない笑顔で手を握ってくれた。彼女はマリーサの両親が事業で成功し、今の場所に引っ越してから初めて出会った同年代の女の子、いわゆる幼馴染だ。
「ガブリエラ!来てくれたのね、うれしい!向こうでの生活はすごく順調よ。」
「それは良かった!ずっと、気になっていたのよ!心配しておばさんともよくお話したりしてね?」
「そうだよ。毎週木曜日の八時からね!」
ガブリエラとマリーサの母は、ニコニコと笑い合っている。
「あ、そういえば聞いて!私この前たまたまなんだけどバスに乗る機会があって。初めてバスに乗ったんだけどね?」
バシバシと肩をたたきながら、ガブリエラは興奮した様子でマリーサに言った。
「マリーサにそっくりな、美人の運転手がいたのよ!とはいっても、男だったけど!」
「!」
それを聞いた瞬間、マリーサは心の奥底に小さな針が引っかかったような感覚を覚えた。
「…へえ、そうなの?私にそっくりの美人って…?……つまり美人レベル100とか?!」
「そう!まさか、あんな美形が街中で普通にバスの運転手しているんだもん、びっくりしちゃった!いつかSNSで勝手にバズって、有名になったとしてもおかしくないわよ!そのくらい美形だった。」
冗談で言ったつもりが普通に会話が続き、マリーサは一人で気まずくなった。
「えー、それは言い過ぎよ。いくら私が美人だからって~」
気づいてもらうまでと追加でふざけてみたがガブリエラは訂正する気はないようだった。マリーサが肩を落としていると、それには気がついたガブリエラがムッとした顔になった。
「あのね!冗談になってないわよ、あなたとってもキレイなんだから!カリフォルニアで変な男にひっかからないか、私心配でたまんないわ!」
「あはは、また言ってる!大丈夫だって。ていうか男運ないのはガブリエラでしょ?」
「!!…そう、私こそ男運がないのよ…!きいて、私フアン・カルロスと別れた。」
ガブリエラがそこまで言うと、話を聞いていたらしいマリーサの母が
「ガブリエラにはもっといい人がいるよ!」
とキッチンの方から激励を浴びせた。すぐに続けてごにょごにょと父が賛同する声も聞こえる。
「ありがとうおじさん、おばさん!わたし元気出すわ!」
キッチンのほうへ大声で返事をするガブリエラは、実はもう失恋なんてほとんど気にしてないだろうというかんじの笑顔だった。
「ていうか、夕飯までまだ時間あるわよね?よかったらちょっとウチでお茶していかない?」
「ええ、いいわよ。」
「よし、おばさーん!!夕方までマリーサを借りてもいいー?第四回ガブリエラ失恋大会議なの!美しき我が友、ミス・マリア・ルイーサの専門的観点からの意見が聞きたいわ!」
ガブリエラが冗談を言うと、笑い声が近づいてきてマリーサの母が姿を現した。
「ははは!どうぞ、二人で作戦会議にいってらっしゃい。マリーサは、あんまりお茶菓子を食べ過ぎてこないようにね。今日のディナーはあなたの好きなものをたくさん用意しているんだから!」
「はーい、ママ!じゃあちょっと行ってくるね!」
ガブリエラに手を引かれ、母の笑顔に見送られるとマリーサは実家を後にした。
「今日は良いコーヒー豆とシナモンが手に入ったから、最高のカフェ・デ・オジャが飲めるわよ。」
門の外に出るとガブリエラは軽やかな足取りで自宅まで進んでいった。彼女の家で何を飲みながら話をするか軽く相談したあと、マリーサは先ほどの話を思い出していた。自分とそっくりの顔が、バスの運転手をしている。マリーサの頭の中に、ショートカットの自分がそのままバスの運転席に座っているイメージが浮かんできた。もし自分が今の両親に引き取られなかったら、そういう人生だってあったのかもしれない。
「…ねえ、ガブリエラ。」
「なあに?」
「私がショートカットにしたら、その運転手さんと同じ顔になるかな。」
「かなり瓜二つになるよ。マジでそっくりだったから。」
「ふーん。」
「何、気になるの?」
「まあね。実は今度ショートカットにしてみようかなって思っていて。」
完全なる思い付きで言った事だったが、口にしてみるとすごく良いアイディアのような気がしてきた。
「えー、本当に?せっかく長くしていたのにもったいなくない?」
「なんか、気分変えていこうかなって。」
「へえ~まあいいんじゃない?あなたには何でも似合いそうよ!」
ニカッと笑うガブリエラは、初めて会った時から変わらない太陽のような笑顔。どんな時もマリーサをポジティブな気持ちにさせてくれるのだ。
「よし。じゃあカリフォルニアに戻ったら、思い切ってショートカットにしてもらおうかな。」
そう心に決めると、不思議と朝から感じていた何かが引っかかったようなモヤモヤした気分が晴れていくように感じた。
ガブリエラの家の門までやって来たところで、セキュリティ・カメラに反射している自分と目が合う。なんとなくニコッと笑ってみた。丸くてツヤツヤしたカメラの表面には、自分とそっくりで髪の短いもう一人の存在がこちらを見て微笑んでいる。もちろんレンズが丸いせいで、ゆがんで髪の毛が見えづらくなっているだけなのだろうが。マリーサはもう一人の知らない自分からエールを受け取ったような、そんな気持ちになったのだった。
――うん。もう大丈夫だ。
後ろを振り返ってみると、メキシコシティは今日も綺麗な青空だった。




