この場所の真実
シャルロッテはもうここに来ない。告げられた内容にその場は水を打ったように静かになった。
数秒の沈黙の後、マリーサが大きな瞳を揺らしながらまず話を切り出した。
「どうして、もう来ないと思うの?」
単なる思いつきならすぐ訂正してほしいというような尋ね方に、エリナの胸がきゅっとなる。マリーサの気持ちが手に取るように分かるからだ。全員がラウラの顔を見つめている。一方のラウラは何とも言えない不思議な表情を浮かべていた。訝し気に思ったエリナが話しかけようとすると、彼女はそれを目線で制してそっと口を開いた。
「彼女には、もう一つのつながりができたから。」
たったそれだけ。あまりに不明瞭な内容に反応すらできない。それは皆も同じだったらしく次に続くラウラの言葉に全員が耳を澄ませていた。
「以前、シャルロッテが石をもらっていたでしょう?あれはつながりをあらわすの石なの。今彼女は新しい世界に出会った。けれど、こことは世界の在り方が違って両方は選べない。だから彼女は自分の意思で、もう一つの方のつながりを選んだ。」
半分も理解できないが、エリナにはシャルロッテが自分たちを選んでくれなかったと言っているように聞こえた。それが事実かどうかもわからないのに、エリナの心はすっと冷えていくようだった。
「つまりシャルロッテは私たちにもう会わないと決めたと言いたいの?それって本当の話?」
「その辺は難しいのよね。望むもの二つが同じ世界上にない場合、必ずどちらか一つだけを選ばなければならないでしょう?両方共にとても大切でも、どちらかしか選べない。その時の苦しみったらないのよ。身を引き裂かれるような辛さ、悲しみだったりする。だからシャルロッテはここでみんなと一緒にいたという『情報』ではなく、『感情』だけを心に宿してもう一つの世界に戻ったの。違う世界の情報を覚えていることが、彼女の心を壊してしまうかもしれないから。」
「それはどういう…」
「ここでのことは彼女の大切な一部。もちろん、あなたたちの存在も。だから寂しがる必要はないわ。残された側の、あなたの気持ちもわかるけれどね。」
分かるような、分からないような。それでもみんなラウラの話を理解しようと真剣に彼女の話を聞いていた。
「その、もう一つの世界って言うのは何なんだ?」
皆が黙って考えをまとめていたところで、いち早くカルロが疑問を口にした。
「もう一つの世界だなんだっていうけど、そもそも俺たちは洋館で過ごす時間が何なのかすらよく分かっていない。別に理解しなくても、問題なかったからな。けどシャルロッテがいなくなった今、まるで世界が複数存在するような話をするのなら。まず俺たちが今いるこの場所について教えてほしい。」
みんな一度は頭をよぎったことがあるはずだった。自分たちが洋館で過ごす時間はなんなのか。どうして自分たちはこの場所にいるのか。この不思議な空間は何なのか。
「…私はここ、寝ているときに見る夢の世界だと思っていたのだけれど、違うの?」
そう発言したのはマリーサだ。ひどく困惑した表情からは、それ以外の答えは求めていないという拒絶の色が見える。始めて見る彼女の様子にすぐに彼女の元へ駆け寄ることもできないまま、エリナの心はざわついていた。
「そうだね。俺もマリーサと同じでここは夢だと思ってる。正直、俺は起きている時の記憶はないんだけど。ここでの事だけは全部思い出せる。これが毎日分割した夢を見ているのか、一つの長い夢なのかは分からないけど。」
珍しくこわばった表情の解けないマリーサを気遣ってか、グアダルーペは彼女の背に手をおいて励ましながら彼女の言葉を肯定した。マリーサはこくこくとうなずいている。
「そう、そう!ただの夢でしょ?だから何でこんな話になるのか、全然分かんない。」
エリナはマリーサをじっと見つめてみたが、彼女がこちらに気がつく余裕はなさそうだった。何とか目線を合わせようとしていると「へえ」と相槌を打ちながらアンゲリカが口を開いた。
「そうなの?私、何にも考えたことがなかったわ。確かに青天の霹靂ではあるけど…まあしょうがないのかもしれないじゃない?私は別にここがどんな場所だっていいし、シャルロッテがちゃんと元気に過ごしているのなら、それで良いわ。」
マリーサたちのまとう怯えや緊張感のようなものと比較すると、アンゲリカはかなり肩の力が抜けている。年長者の余裕と言えばそうなのかもしれないが、それにしても達観し過ぎではないかという印象を受ける。ふとカルロの方を見ると、ちょうど彼もこちらを見ていたようで目が合った。お互いの視線がぶつかり合った直後、カルロの視線はスッと外れていった。
「俺は、この世界が実在しているのかどうかが気になる。その答えによって現状考えられることが変わってくるからな。」
不思議な質問だなとエリナは思った。
私たちは確かにここにいて、物事を考え、言葉を交わしている。この場所が本当は実在しないかもしれなくて、その可能性をまずは潰したいだなんて。それはエリナにとって新鮮な考え方だった。
しかし思い返してみると、エリナはここを自分の人生の延長線上、つまり死後の世界か何かだと捉えているが、あくまでエリナの勝手な解釈だ。この場所を夢の中だと思っている人がいるのなら、自らの空想の世界と考える人がいても不思議はない。エリナは困惑しながらカルロの方を見た。
その時足元からクスクスと笑う声が聞こえた。驚いて声の方へ視線を彷徨わせると、カルロの背後から真っ黒なネコがスルリと姿を現した。いつもと違ってネコらしく四足歩行でしなりしなりとこちらへやって来る。
「面白い思考をするのね。ここが存在しない場所なのであれば、そこに存在するあなたは一体何なのでしょうね?」
黒ネコのビクトリアは、普段は無口気味で興味のないことには一切関与しない。ビクトリアは四つ足で地面を踏みしめながらカルロの目の前まで回り込み、前足をそろえて座り込んだ。彼女の言葉を受け取ったカルロは顎に手を当てて何やら考えている。
「俺は、実は自分が死んでいるんじゃないかと思っている。」
カルロの言葉に、ビクトリアは再びクスクスと笑った。
エリナはというと、カルロが自分と同じ見解を持っていたことに驚いた。彼の発言から、カルロは自分とは違う認識でこの世界を捉えているものだとばかり思っていたからだ。そしてエリナは自分と同じ彼の見解がビクトリアにより一笑に付されたのを見て、頭が空っぽになってゆく感覚に襲われていた。
「ああ、カルロは死後には何もないと思っているタイプなのかしら?それとも何だったからしら、天国?があると思っている?それがあちらの世界で生きてきた君にとっての常識だったのかな?」
「…。」
「まあ、そんなことはどうでもいいけど。そこの二人が夢の世界だと言うことも正しいし、君が言う死後の世界というイメージも間違ってはいない。けれど、一つだけ言えることは、この場所は実在している。個人的な空想の世界ではない、ということよ。」
エリナはビクトリアがのらりくらりとした表現で人間をもてあそんで楽しんでいるような気がした。例えるなら彼女が私たちを獲物にして狩り遊びをしているような、そんな感覚だ。一歩引いてまたカルロの方を見ると、彼はさきほどよりさらに考え込んだ顔をしている。
すると今度はのんびりとした声が聞こえてきた。
「ビクトリアはなんでそうやって脅かすような言い方をするかにゃあ。みんながびっくりしちゃうにゃ。」
次に前に出てきたのはタマラだった。のほほんとした声色でやって来たかと思うと、カルロと彼とビクトリアとの間に割って入った。
「カルロ、ビクトリアの言うことはつまりだにゃ。」
「おお。」
「つまりこの世界には、時間がないのにゃ!あっ、急がなければいけないって意味じゃなくて。時間そのものの概念がないんだにゃ。この世界では…いや、そもそもこの言い方が悪いのかもにゃ。」
タマラはピッと二足歩行で背筋を伸ばし、カルロの目をじっと見つめる。
「ハッキリと言わせてもらうとだにゃ!」
片前足を腰に手を当てたまま、もう片前足をビシッと掲げているタマラに、全員が注目する。
「『この星』には!『時間』はない、代わりに『感情』が流れているにゃ。大切なのは『事実』ではなく『想い』。だからこそ本来バラバラだったみんなはここに『つながり』を持てている。この場所について各々違う捉え方をしながらも、同じ空間にいることができているんだにゃ。」
その言葉に、カルロは目を見開いた。
「この星?…ここは違う星にある世界なのか?」
カルロがほぼ独り言のように呟くと、タマラが「にゃあ」と頷いた。
内容が想定を軽く超えてきているせいで、具体的な説明をうけたはずなのにどこか捉えどころがない。情報として理解はできるが、感情が追い付かないといったところか。混乱したままのエリナはとっさに疑問を投げかけてみる。
「じゃあ、この星は宇宙のだいたいどのへんにあるの?」
「おおぐま座の足元らへんよ。あなたたちの世界で言うところのね。」
エリナはタマラの方に向かって尋ねたが、この問いにはビクトリアが答えをくれた。おおぐま座はどこにあるのかと自分の中の知識と照合していると、急に視界の端が騒がしくなる。
「そんな…じゃあ私は!…ここが夢じゃないなら、私たちは!」
マリーサが突然大きな声をあげるとぶつぶつと言いはじめ、顔面が蒼白になった。ひどく怯えた様子に、彼女の背中を撫でていたグアダルーペがすぐに肩に手をまわして彼女を抱え直した。
「姉さん大丈夫だよ。しっかりして、どうしたの?」
「だってもしここが夢の中じゃないなら、あなたは本当は私の弟ってことになるじゃない…!」
「?本当にどうしたの?俺たちは双子の姉弟だろ?なにがそんなに…」
「…ないのよ。」
「?」
「現実の私には、弟がいないのよ。グアダルーペ…」
「え?」
その場の全員の動きが止まった。マリーサの顔から血の気がひいている。グアダルーペもすぐに反応を返せずそのままの体制でフリーズしていた。
「グアダルーペ、私の可愛い弟。あなた本当に…!本当に!…あの世界の、どこかにいるのね?」
マリーサが消え入りそうな声で弟を見つめる。その大きな瞳から涙が零れ落ちた時、彼女はこの世界から忽然と姿を消したのだった。




