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アンナ

 

**********


「遠くまできたなあ…」


 故郷の青よりも深い青を見上げ、アンナはつぶやいた。視界の端から流れてくる雲の前を飛んでいった鳥を見て、遠い異国の地へやってきた自分と重ねてみたりする。

 アンナが初めて日本に来たのは大学生の時だった。知り合いは当時「南米文化の研究に興味があったアンナがなぜ日本に?」と口々に疑問を呈した。確かにアンナは大学に入学した当初ブラジルに関する研究に携わっていたのだが、調べるうちに南米に日本移民がいた事を知りこれに心惹かれたのだ。研究のため英語やポルトガル語の史料には目を通したアンナだったが、やはりどうしても日本語が必要だった。だからすぐに留学を申し込んだ。

 はじめて訪れた日本はすごく新鮮で、もちろん多少のカルチャーショックもあったが、それは刺激的というよりかは、ずっと温かいものとしてリザの心に残った。それから紆余曲折を経て四月から広島市内にある大学で研究を開始し、傍らドイツ語の講師としても務めている。ドイツと日本では働き方が全く異なり、覚悟はしていたものの慣れるにはしばらく時間がかかりそうだった。

 新居に物をそろえ諸々の手続きを終えて、アンナは必死で新しい環境にくらいついていた。やっと気持ちに余裕が出て自分の住む広島という街を堪能してみようという気になった時にはもう、梅雨も終わって日差しがギラギラと照り付けてくる季節になっていた。

 今日は、ドイツから古い友人のリザが遊びに来ている。アンナは彼女を連れて自身もはじめて、県内の世界遺産へ観光に行くことになった。


「実は私もはじめて行くんだ。職場や自宅からは離れているし、四月から本当に忙しかったから。」


「まあ働き始めはそんなもんだよね。ただでさえ言葉も文化も違うし働き方も違う。思いもよらない事がおこったりするでしょ?文化の壁、お互いの前提とする常識・思考のズレよね。想像力が必要だもの。ゆっくりとやっていかないとね。」


 リザとは父親が親友同士で、姉妹かと聞かれるほど昔はいつも一緒だった。毎年夏になるとアンナとアンナの父、リザの家族で一緒に旅行へ行った。だいたいはビールの美味しい街をめぐりながら自然豊かな湖のある土地でキャンプをするのが定番だった。親たちが街の酒場で乾杯する中、子供たちはリンゴジュースを炭酸で割った「アプフェル・ショーレ」で乾杯するのだ。自分とリザ以外には大人しかいない中、地元の人たちが二人を可愛がって一緒に乾杯をしてくれることは、アンナを一足早く大人の世界に足を踏み入れたような気分にさせてくれた。それもあってアンナはいつも、夏の旅行をとても楽しみにしていた。


「今回私は二週間日本にいるから、その間にいろいろ聞かせてね。」


「うん。リザ、ありがとう」


 そんな話をしながらフェリーターミナルへ向かう。二人の出身は海のない町だったので、港からフェリーに乗り込む二人のワクワクはひとしおだった。乗り場手前のコンビニですてきなデザインのビールを見つけると「新しい土地との出会いと、我々の未来に乾杯」といって早速アルコールをあおった。



 **********



 道を行き交う人々に混じり、あたりまえみたいな顔して島中を闊歩するシカにも見慣れてきたころ、大鳥居の手前までやってきた。今は干潮で観光客はみんな鳥居の足元まで歩いている。汐は引いているものの地面はぬかるんでいて、靴が汚れるのが気になったアンナは泥棒みたいな抜き足差し足で海砂の上を歩く。少し先を行くリザが「ほら!やっぱり私サンダルできて正解だったわ!」と得意げに叫んでいる。その姿がずっと小さい時に北海へキャンプに行ったときの、海辺でのリザの姿と重なった。確実に大人になった二人だったが何一つ変わっていないこともある。アンナは眩しさに目を細めた。


――こんな瞬間を、かけがえのない幸せというのかな。


 この遠い異国の地で忘れていた記憶のかけらを拾う。それが今アンナの心の中で再び形を結ぶ。


――この感情もまたいつか、同じように思い出す時がくるのかな。


 何にせよ、自分は今すごく大切な時間を過ごしているのではないかと感じる。アンナは自分のこれからに明るいものを感じた気がした。手を伸ばして足元の何かを拾い上げるとリザの下へ歩き出す。


「みて!これ手の中、何がいると思う?!」


「やだ!ちょっと待って、何拾ったの今?」


「じゃーん!ヤドカリでした~!お家を着て歩いてるの、かわいくない?」


「かわいい~」


 童心にかえって話をしながら来た道を戻ると入り口が見えてきた。それが有名な神社の入り口だということはばっちり予習済みだ。


「ここは日本でもかなり有名な神社よ、海の上にある珍しい神社。今は潮が引いてるけど」


「あ~!満ちているときはこの建物の下が海になるのね?」


「その通り。」


「ここはなにをするところなの?」


「私たちにとっての協会みたいなものよ。」


「はあ~なるほど!何かマナーとかある?あれば失礼のないように教えてほしいんだけど。」


「もしお祈りをするならしきたりはあるけど、基本的に景色とか建築とかを楽しんでくれてかまわないと思うよ。」


「おっけ~。」


 小声でそんな話をしながら景色や本殿の建築を楽しんでいると、海の方に先ほどまで自分たちがいた大鳥居が見えた。そこにいた時には気がつかなかったがものすごい数の人が見える。

 しばらく歩いた後、二人は人々が祈っている場所に辿りついた。アンナはいつも通り「二礼二拍手一礼」をして此方の神に敬意を表する。顔を上げると隣でリザが、アンナや周りの日本人のお参りする姿を見よう見まねで真剣にジェスチャーを真似ているのが見えた。

 アンナはリザが後ろに控えるだろうと勝手に思っていた。こういう時「自分はキリスト教徒だから祈らない」という人間が多いからだ。これならちゃんと作法を教えてあげればよかったかなと少し後悔したが、当の本人はさして気にしていないようだった。二人は手を合わせた後、目配せをして拝殿の少し後ろで合流した。それまで無言でいたリザが「ふう」と息をはきだし、一気に喋り始める。


「緊張したわ!怒られないかなって思いながらみんなの真似したの。けどこれで私、日本マスターへの道の権利を手にしたかもしれないわ!」


「はは、とても大事なことだもんね。」


「私は礼儀正しい外国人でいたいのよ」


 拝殿を超えてもうすぐ出口なのかな?と思っていると、


「あれはなに?」


 と、リザが「おみくじ」を指さした。


「ああ、やってみる?おみくじっていうの、占いみたいなものに近いかな」


「やってみる!」


 アンナは何回かおみくじを引いたことがあるが、ここのは小箱を振って出てきた棒に書いてある数字のおみくじを選ぶシステムだ。


「シェイクシェイク!一番いいやつをゲットするわ!」


 リザが張り切って箱を振る横でアンナも箱を振った。カランカランと音をたて、中でたくさんの棒が混ざっているのが聞こえた。いつの間にかスッと棒が飛び出していて、示されたアンナの番号は二十一だ。同時にリザの方も棒が出てきていたようだった。


「私のは…?なんて書いてる?二…?…二番!!やった!準優勝じゃない?」


 すごく楽しそうだ。彼女のテンションが高いので、アンナは周りの日本人が不快そうにしていないか気になった。チラチラと顔色を伺ってみると、本殿でお参りを終えたばかりの様子のおばあちゃんと目が合う。彼女は二人を見るとニコッと笑顔をむけてくれた。安心したアンナが「こんにちは」と話しかけると、おばあちゃんも「こんにちは、今日は暑いねえ」とニコニコ微笑みながら返してくれる。こういう日常のささやかな交流は最近のアンナの楽しみでもある。


 ちなみに先ほどのようにアンナがふとした時にみせる「周りの様子に気を配る」行動は、ドイツから日本に来て格段に深いレベルで求められるようになったスキルだ。ただ、一度そういった能力が求められてみると、意外と自分は周りに気を配ることが得意な方だと気が付いた。実際アンナには心当たりがあった。

 実は、アンナは十三歳から数年間だけ母親と二人で暮らしたことがある。アンナの母親は、アンナに暴力で支配しようとした。母にはどうしても優しい母になってほしかったアンナは、彼女が暴力をふるわないような人間になってくれるように対話の努力を重ねていたが、一度大怪我をさせられてからアンナはいつも母親の顔色を伺ってきた。アンナはそんな自分自身のことをどうしても好きになれなかった。

 けれど日本で生活していく上では、その身に染みついた周りを伺う癖が負け犬の顔色伺いではなく「他者への配慮」として「評価」されるようになったのだ。それが良いことなのか悪いことなのかは置いておいても、実際新しい生活になじむのに自分の助けになっているものだから、わからないものだなとアンナは思う。

 そんなことを考えていると、さっきまではしゃいでいたリザが静かになっていることに気がついた。横から変なつぶやきが聞こえる。


「…るだけ…をへり………わからない。ひらがなしか読めないから。」


 リザはなんとおみくじを読み解こうとしていたらしかった。彼女は日本の漫画が好きで、実は子供のころ一時期日本語を練習していたこともある。その為ひらがなはよめるらしい。他にも簡単な単語やフレーズならわかることもある。アンナ自身、日本とは遠い所にいたはずの自分のキャリアが今こうなっているのは、もしかすると彼女の影響があったりするのかなと思ったこともある。


「できるだけ身をへりくだり、まあ、謙虚にってことね。…我を張らないで協調性を持てば幸運が訪れる、ですって。」


 リザを見ると、眉毛が八の字になっていた。


「謙虚にします。」


「おばあちゃん家の犬がおこられたときいつもそんな顔してたわ。けどまあ、旅は良いって書いてあるから!旅行は楽しんだらいいんじゃない?ほどほどに。」


「ほどほどに…」


 リザがまた眉毛を八の字にしてみせるが、口元は笑っている。やっぱりおふざけモードだったらしい。へへへ、と笑うリザはアンナの分のおみくじをのぞき込む。


「旅行のことまで書いてくれているのね!アンナのはどうだったの?」


「私のはね…ええと…」


 アンナは自分の二十一番と書かれたおみくじを取り出した。


「ええと…今まで大変だったけど、だんだん心清らかになって全部オーケーになるって書いてるわ。」


「えー!めっちゃいいんじゃない?!旅は?旅は良い?悪い?。」


「じゃあ、旅立ちと方角の項目かな。」


「え!方角まで教えてくれるの?親切だなぁ~」


 アンナは「方角」「旅立ち」の項目を読んだ。


「方角は南、旅立ちは…少し後にいいみたい。」


「へえ~わたしのは?京都の方角だったらいいな~!次の目的地だから。」


「えっとリザのはね、方角は東が吉だから…まあ、だいたい京都じゃない?」


「わ~い!」


 私のいいかげんな回答でとても満足そうにしてくれている。リザはどの方角に遊びに行っても、楽しく逞しくやっていきそうだと思う。


「私はじゃあ、ちょうど来月にまた連休があるはずだし四国にでも行ってこようかな。ここからだと船で行けるはず。」


「へえ~!行ってきなよ!せっかくだからおみくじに従って、ちょっと後に!」


「そうね、まだまだ暑いだろうけど…」


「今でもこんなに暑いのにまだ暑くなれるの?信じられない…日本って湿度が高いのよね。」


「京都はもっと暑いよ、地形のせいでね。」


「え~!けど京都は絶対行きたい…!」


「うんうん、ぜったい行くべきだよ!」


 いつの間にか神社を出ていたアンナたちは折り返してフェリー乗り場へ歩きだす。長い間会えなかった分話したいことは山ほどあった。幼いころにはあたりまえだったことが、大人になると当たり前じゃなかったことに気がつくなんてことは往々にしてある話だ。

 遠くに見える少しけむったような本土の海岸線を見つめつつ、二人はお互いの知らない近況について話をしたし、どうでもいいくだらないことも話した。そうやってなるべくゆっくりと時間をかけて二人は、元来た道を歩いて帰ったのだった。




20241016_修正

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