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エリナとくま執事

 

 この世界にエリナがやって来てから、最も現実離れしている光景が目の前にあった。


「なんで!服着てるの?!!」


 二メートルはあるかというクマが、執事服のようなものを着て、直立でこちらの様子をうかがっていたのだ。


「………」


 クマは、何か言いたげな様子で、かといってこちらへ近づいてくるでもなく、頭をかきながらエリナのほうを見ている。


「いや、ポリポリ…じゃなくて。」


 いつの間にかクマに背後をとられていたエリナだったが、彼女の反応はいつも通りであった。なぜなら、


 ーーこのクマ…!ほとんど、ぬいぐるみだ…!


 クマは二メートルあるが、見た目はぬいぐるみのくまさんだったのだ。

 見た目だけなら、執事服コスチュームのテディベアがもそもそと動いているという、なんともほんわかする絵面。ただ、このテディベアはめちゃくちゃでかいし、生きていた。エリナはいよいよ、ここが自分の生きてきた世界ではないと、確信にいたる。

 エリナのいた世界では少なくとも()()、二メートルの執事服を着たテディベアのくまさんが自立歩行したりはしていなかった。くま執事は、ポリポリと頬を搔いて、ボーっとこちらをみつめている。


「あの…私はエリナと申します。ここがどこだか、ご存じですか?」


 自分の知っている熊類とは似て非なる、高次の知的生命体である可能性を考え、失礼のないように会話を切り出した。


「………」


 くま執事は喋らなかったが再び頭をポリポリと掻いた後、こちらを向いたまま背後の森を指した。


「…あちらに行ったら、良いんでしょうか?」


 依然として返事などはなく、じっとこちらを見つめている。


 ーーどうしよう。


 目の前には言葉も交わせず、力ではかなわなそうな相手。どうコミュニケーションをとるか。


 ーーいや、一回死んだ気になってやってみよう。まずは相手を観察、けど必要以上にへりくだらない。


 先ほどまで世界に自分しかいなかった時、エリナの心は「孤独の不安」で占められていた。今は「未知の存在に対する恐怖心」で占められている。油断すれば湧き上がってきそうな恐怖心を抑え込もうと、エリナは無意識に平静を装っていた。そんな彼女にとって、自らの意思やチカラではどうしようもできない状況に陥った時に恐怖心を抑え込む方法は「とにかく思考を止めないこと」そして「覚悟を決めること」だった。

 そんなエリナをよそに、くま執事はテディベアらしい丸くてつぶらな瞳をこちらへむけるとポリポリと頭を掻き、先ほど自分で示した方向にむかってのっそりと歩き始めた。


「はーい、ついていきまーす…」


 エリナはとりあえず、くま執事に従順であることを選択した。着いて行くと、森に入ってしばらくしたところで木々の間に舗装された道がみえてきた。先ほどの街の砂岩のレンガとは違い、ここはグレーの石畳だ。どうやらくま執事は、本当に洋館からやってきたらしい。

 石畳は館の方向へ続いているようだった。先導されるままに石畳の上を歩いていくと、真っ白な小ぶりのバラの咲いた垣根が目に入った。どうやら大きな庭につきあたったらしい。垣根に沿ってまたしばらく歩き、角を曲がると大きな青銅の門扉の前に出た。察するに、くま執事は庭の中を通っていたのではなく、脇道を抜けてわざわざ正門の前までエリナを連れてきてくれたのだった。


 ――正門から入れてくれようとするってことは、お客さんとして扱ってくれるってことなのかな。


 チラリとくま執事の方をみると、くま執事もこちらを見つめていた。その口元は弧を描いており機嫌よさそうに見える。


 ーーか…かわいい!!ででででも…!くまさんの一族が、どういう(ことわり)に生きてる生命体なのか、まだわからないから!


 「油断するなよ!」と自分に言い聞かせ、しかし逃げ出すという選択肢は頭になく、エリナはくま執事のあとを着いて行った。門をくぐり、屋敷までの舗装された道を歩く。街の上から見たときはとてつもなく大きな洋館に見えていたが、いざ目の前までやってくると、確かに敷地は広く建物も大きいが、常識の範囲内だった。エリナの知識内でこれを説明するとすれば、フランスあたりの古い貴族屋敷に近い。


 ーー街からだとすごく大きく見えたんだけどなあ。


 再三の疑問に頭を悩ませていると、くま執事がこちらへ向き直った。そしてエリナにペコリと一礼をして扉を開けてくれた。エリナも、ペコリと一礼を返す。ついにエリナは対岸の街から目指してきた、洋館へと入ることができたのだった。



 *******



 外から見た印象通り、内装もかなり立派なものだった。玄関扉から入ってすぐの空間は、壁紙も天井画も、美しい曲線をえがいた植物のモチーフだ。いくつかの高級そうな調度品も目に入り、右手奥に美しいガラス棚が見える。白磁製品などが飾られているようで、ガラス棚の木枠にも美しく流れるような植物の装飾が施されている。すぐ右手にあるドアは開かれいて、先は応接間へと続いているようだった。

 大いに興味をそそられたが、くま執事は目もくれず奥へ進んでいく。エリナはそれらを一瞥するだけで通り過ぎた。


 ーーくまさんの歩幅が小さい。私の歩くスピードに合わせてくれてるのかな。


 エリナとしてはこの可愛らしくも大きい、力の強そうな存在の機嫌を損ねないようにしないと、という意識が強く真っ直ぐにくま執事の後を追った。何も分からないこの場所では、くま執事の大きさの割にかわいらしい見た目が罠である可能性があるのだ。

 玄関ホールを抜け、そのまま奥へ行き左手に進むと、ドアの並び立つ長い廊下へとでた。くま執事は、そのドアのどれをも通り過ぎていく。美しいがかわり映えのしない廊下を進みながら、エリナの興味は目下くま執事の方に向いていた。二メートルもある大きなクマの執事服姿をじっと見つめていると、背中側の襟元からふわふわとした毛がのぞいているのがみえる。


 少しだけ小走りになって、不自然じゃない程度に距離をつめてみる。目を凝らして見ると、やっぱりぬいぐるみのようなふわふわだ。エリナの知識上、こういう獣の毛は遠くからはふわふわ、つやつやにみえても、近寄ると剣山のようにツンツンしていたりするものだ。


 ーーやっぱり、このくまさんは「クマ」よりも「テディベア」に近い。


 こういう細かい部分さえも、ここが「違う世界」なんだと訴えかけてきているようだった。今のところくま執事自体の危険性は低そうに感じているのだが、エリナは慎重に周囲の観察をつづけることにした。


 ーーすごく広いお屋敷なのかな。結構歩いているけど、まだ着かない。


 実のところエリナが思うほどには、洋館に入ってからの時間は立っていなかった。しかし景色がかわらないこと、そして自覚しないようにしていたが精神的な疲労もあって、エリナは非常に長い廊下を歩いたように感じていた。 

 しばらくすると廊下の突き当りの壁、大きな茶色のドアに辿り着いた。このドアも例に漏れず、植物をモチーフにした曲線の美しい立派な彫刻が施されている。


 ーーあ…


 くま執事がこちらに向きなおる。

 スッと左手を差し出して「こちらです」と言いうように示してくれた。


 ーーこの部屋に入ったら、わたしは…


 このドアをみていると、ぞわぞわした感覚がする。先ほどまでの、緊張と興味、悲観と楽観…ないまぜになった色んな気持ちは全部、吹き飛んだ。

 よく分からない。

 くま執事は、そのまま右手でドアを開けてくれようとしたけど、エリナはそれを制した。


 ーー何故かは分からない。分からないけど、この扉は私自身の手で開けたい…!


 心臓がとくとくと、全身に血液を巡らせているのが聞こえる。まるで自分の体が、この先に待ち受けているものを渇望しているみたいだった。


 ーーいいかな?


 はやる気持ちをおさえて、エリナは冷静にくま執事の様子を伺った。ここで台無しにはできない。この行動が許されるかどうかで、くま執事のエリナに対するスタンスが分かると思った。ここまで送り届けてくれた彼は、エリナの味方か、否か。ゆっくりと、くま執事が立っているドアの前へ一歩踏み出す。


 一方、くま執事はきらきらの黒目をぱちぱちとさせ、手のひらをこちらにむけてあわあわと振りながら「どうしよう」というしぐさを見せていた。表情からするに心配してくれているのだろうか。けれど彼はじっとエリナを見つめると目を細めて笑い、右手で扉を示すしぐさだけをしてみせた。


 ーー許されたし、笑ってくれたっぽい?


 くま執事は今、両腕をおろしてドアの側に立っている。エリナの意をくんでくれるみたいだった。エリナにとって、この二メートルもある大きな存在に「友好的に扱われているらしい」という実感を得られたことは大きく、安心感で肩の力が抜けた。さきほどまでドキドキと体をあばれまわっていた、高揚感のような、焦燥感のような感情はもう、なりをひそめていた。

 やや塗装の剥げかけたバラの花の彫刻の施された金のドアノブに右手をかける。

 すこし緩んだような感触のするノブを回すとカチャリ、と音が鳴り、見た目ほど重くはない扉がキイと音を立てて開いた。




20241014_修正

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