森の妖精
「ついたー!」
「よし、さっそく釣りに行こうぜ。」
目の前には大きな湖。少し波が立っている様に、風があると湖でも波が起こるんだなと思いながら、釣りをするために湖に近づいていくカルロとグアダルーペの背中を見送る。ここへ来る時にカルロから聞いたのだが、この湖での釣りはちょっと特殊らしい。驚かせたいからといって詳しくは教えてもらえなかったが、なんでも湖に気に入られると宝物をもらえるらしいという話だ。その話をしてくれるカルロはずっとウキウキした様子で、エリナはその顔を思い出すだけで楽しい気分になった。
「ねえねえ、私たちはちょっとその辺でも散歩してみない?」
マリーサが湖の手前にある木立を指す。エリナがシャルロッテの方を見ると、彼女もエリナの様子を伺っていた。
「いいね、いってみようか。」
二人で笑ったあとにエリナだけ返事をすると、一緒にマリーサの方へ駆け寄った。一瞬、目印がてらバスケットをその場に置いていくかエリナは逡巡したが、結局心配が勝ってそのまま散歩に持っていくことにした。重みはさほど感じないので問題はない。三人は再び歩き出した。
さく、さく、さく、
森には獣道などはなくただ木々の間をぬけていく。時々落ちている枝や落ち葉のせいで草原とはまた違ったかんじの足音が鳴った。
「なんか、冒険しているってかんじしない?」
「そうね、私こういうの生まれて初めてかもしれない。ちょっと楽しいわ。」
マリーサの後を追ってシャルロッテがやや弾むように目の前を歩いている。
「あんまり奥に行くと帰れなくなるかもしれないからほどほどにして戻ろうね。」
エリナは少し心配になり、大きめの声で二人に声をかける。
「分かってる、分かってる!大丈夫よ。最悪、くまの執事ちゃんが迎えに来てくれるだろうし。」
――たしかに、それはそうかも。
あの仕事のできるくま執事のことだ。彼女の言に納得ができて、心配な気持ちは和らいだ。そのまま三人は歩みを進めていく。まだ湖の姿は見えており迷子になるような距離ではない。
「なんか、思ったより何にもないね。風は気持ちいけど。」
マリーサが少し残念そうな顔でエリナたちに話しかけると、前を行く二人の歩みがゆっくりになったのでエリナも歩くペースを緩めた。
「どこかよさそうな場所を見つけて、お茶にしちゃう?」
エリナが提案すると二人とも「いいね」と嬉しそうな顔を見せた。
近くに良さげな切株を見つけたエリナはその根元にバスケットを置いて、敷物を取り出して近くにくるくるっと広げた。マリーサも折り畳みのミニテーブルを取り出すと数種類のクッキーが載った中皿をテーブルの下に置いていき、取り出したグラスをシャルロッテに渡した。シャルロッテも、ちょうどアイスティーの入ったピッチャーを取り出していたエリナにティーを注いでもらうと、ふたたびグラスをテーブルの上に戻していった。三人の素晴らしいチームプレーのおかげで、設置も早くできた気がする。
「いいかんじ!みんなで協力して準備するのもいいね。何気に初めてじゃなかった?」
「いつも何もしなくてもくまの執事ちゃんが爆速で準備してくれるもんね。」
「ふふふ。」
洋館で働くいつものくま執事の姿を想像して、シャルロッテは笑いが込みあげたみたいだった。エリナがあえて目を合わせに行くとばっちり目線が合って、二人は声を出して笑いあった。その間にマリーサはアイスティーをごくごくと半分ほどまで一気に飲み干していた。
「はあ~、結構のどが乾いてたみたい。あんまり歩いた気はしなかったけどね。」
「そうだね、まだ湖が見えてるし。」
「…?あれ?」
なんてないような話を繰り返していると、シャルロッテが何か言いたげな様子でテーブル下に置いてあったクッキー皿を取り出した。何かあるのかと思っていたが、そこで動きは止まってしまった。彼女の仕草を不思議に思った二人は会話を止めてシャルロッテを見る。
「どうしたの?」
エリナが尋ねると、シャルロッテは首をかしげた。
「いえ、見間違いかもしれないわ。けど、なんか…」
「あれ、これジャムのところだけ無くなってない?」
マリーサが指をさした所を見ると、苺のジャムが載った部分だけきれいに穴があいているクッキーがあった。
「え?これ誰が食べたの?」
「え?誰かが食べちゃったの?入れ忘れじゃなくて?」
全員の頭の上に疑問符が浮かんでいると、突然その場に聞いたことのない高い声が響いた。
「うふふふ!」
「ああ!やっぱり!」
シャルロッテが声をあげる一瞬の隙に、テーブルの真上に小さなピンク色の何かが姿を現した。
――なにこれ、虫?
エリナが驚き口を半開きにして固まっていると、ピンク色の陰がもう一人現れてエリナの口にクッキーを放り投げた。
「え!むぐぐ…」
「きゃははは!」
急いで咀嚼しながら目を凝らしてみると、ピンク色の服を身に纏う人間の女の子の姿をした、五センチくらいの存在が目の前の宙を漂っていた。
「きゃはは!こんにちは。」
「!お話しできるの?!」
「あら、本当だ。お話しできるのね?」
小さなピンク色にオウム返しをされて眉間にしわを寄せたマリーサが「どういうこと?」といぶかしむ。
「私たちの声が聞こえる人間って初めてかも。いつもと違う空間だからかしら。」
その存在は独り言のようによく分からないことを呟きながら、目の前をふよふよと飛んでいる。
「あの…このジャム食べたのってあなた?」
エリナが尋ねると振り返りもせずに「そうよ。」と簡潔に返ってきた。
「あなたって、妖精さんなの?」
「まあ、そうね。」
どうやら妖精だったらしい。シャルロッテの質問にも適当な返事をよこした妖精は今彼女に夢中らしく、じろじろと彼女を見つめながら周囲を飛びまわっていた。二人の内さきほどエリナの口にクッキーを放り投げたもう一人の妖精は、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
「あなた、シャルロッテでしょう?こちらへ来てごらんなさい。これをあげる。」
ひとしきりシャルロッテの顔をじろじろと見ていた妖精はそう言った直後、急に笑顔になった。妖精の急激な表情の変化にエリナたちがびっくりする間もなく、何もない空間からパチンと、ルビーのようなキラキラした石が現れる。慌てて手を前に出したシャルロッテの手のひらにすっぽりと収まったその石は、触れた瞬間、キラリと輝いたように見えた。
「これはなあに?もらってもいいの?」
シャルロッテが尋ねると、妖精はキレイな笑顔のまま気になることを話した。
「いいわよ。精霊様が、あなたにって仰ってたから。」
ーー精霊様?この世界には妖精も精霊もいたの?
エリナが驚いていると、石を渡されたシャルロッテはじっと手の中の赤い石を見つめていた。
「あの、あなたたちは妖精で、この森には精霊様がいらっしゃるんですか?」
マリーサが丁寧に尋ねると、妖精はマリーサとエリナを交互に見比べた。
「本当にあなたたちみんな、私たちと話せるのね。面白いわ!」
ピンク色の妖精は満足そうに頷くと数回宙がえりをした。三人が数秒間続いたその行動を困惑しながら見つめていると、一通り回り終えたのか妖精は再び口を開いて先ほどのマリーサの質問に答えた。
「そうよ私は妖精。精霊様はここじゃない場所にいらっしゃるの。あなたたちのことはタマラから聞いているわ。たぶんあなたがエリナで、そっちはマリーサ。」
これを聞いて「ああ」と、エリナにはピンとくるものがあった。
「もしかしてタマラのお友達のミリアちゃんって、あなたのことなの?」
エリナが尋ねると妖精はニッコリ笑って「そう!」と答えた。
「え、タマラのお友達って妖精のことだったの?じゃあいつもお茶会のお花を用意してくれているのって、あなた?」
ミリアはまた「そう!」と答える。すると、それまで戸惑いながらじっと妖精の姿を観察していたシャルロッテが一気に表情を柔らかくした。
「そうなの?いつも綺麗なお花をありがとう。本当にいつも楽しませてもらっているわ。」
妖精のミリアは再度笑顔になると、もう一度シャルロッテの前で嬉しそうに宙返りをした。
「あれは、大樹の近くに咲く花たちよ。いつも精霊様が私に持たせてくれるの。」
「そうなの?じゃあ精霊様にもお礼をお伝えください。この綺麗な石もいただいたし、本当にありがとうございます、って。」
シャルロッテがお礼を言うと、宙がえりをしてはしゃいでいたミリアがシャルロッテの顔に近づき彼女の頬に自分の頬をすり合わせた。シャルロッテは驚いてはいたが、すぐにニッコリと微笑んで二人はとても楽しそうにしている。
「なんか、おとぎ話のお姫様みたい。かわいい。」
エリナがそうつぶやくと隣でマリーサも頷いていた。そうこうしているうちに、ミリアはシャルロッテから離れたミリアはクッキー皿の上までやって来て、吟味して小さめのクッキーをつかむと細かく砕いて食べ始めた。
――自由なところ、タマラと似てるなあ。
エリナは「ほんとに類は友を呼ぶんだな」なんて考えながら妖精の自由な振る舞いを見ていた。
「たくさん食べなさいね。」
マリーサは可愛いもの好きなので子供に話しかけるときのようにミリアに話しかけている。もぐもぐとクッキーを頬張りながらミリアは「人間と話すのって結構楽しいのね」と言っていた。場が一旦落ち着いたところで、エリナは思っていた疑問をぶつけてみる。
「普通は、人間とは話せないってことですか?」
「うん。…というか、私たちはずっと話しかけているのに、みんな知らんぷりするの。きっと本当は気がついているのに、気付かないふりをしているんだ。」
「気がつかないふり?」
どういうことだろうかとシャルロッテが首をかしげる。すると話始めたミリアの表情は唐突に悲しげなものに切り替わった。
「耳元で叫んでも、気にも留めてくれない。この前も、人間が車にひかれそうになるのを見かけたから『止まって!』と何度も叫んだの。その人間はちゃんと止まってくれたんだけど『ラッキーだった』『俺にはそんな予感がした』とか、そんなこと言って。私たちの声を聴いたってことは全然口にしてくれないの。」
「え?つまり、なんかラッキーなことが起こったり、嫌な予感がした時って、全部妖精が耳元で叫んで教えてくれているからなの?」
マリーサは困惑してそう言いながらも、途中からだんだんと口元が緩んでいった。たぶん、自分が耳元で叫ばれているところを想像したのだろう。しかしミリアはその疑問自体が気に障ったらしく、くるくると切り替わる表情は今怒った表情になっていた。
「決まってるじゃない!」
「じゃあ『虫の知らせ』とかっていうのも案外、妖精さんの親切心だったりするのかなあ。」
何気なくエリナがそうつぶやくと、ミリアが怒った様子で目の前までやって来た。
「まあ!虫だなんて、なんて失礼なの?よりによって虫だなんて!あんな働き者の、頑張り屋さんたちと一緒にしないでほしいわ!」
「ご…ごめん。」
特に弁解はせず謝った。働き者と一緒にされたくないだなんて、妖精の界隈では怠惰が推奨されているのだろうか。抗議が終わったミリアはすぐにクッキー皿へと戻り、とたんに嬉しそうな表情に戻って今はまたクッキーを頬張っている。ミリアのこれは感情の起伏が激しいというより、切り替わりがとても速いように感じた。エリナはなんとなく、ミリアたち妖精は一つの出来事につき一つの感情しか保てないのではないかと推測した。
――人に似た姿をしているけど、やっぱり人間とは違うんだな。
ニコニコとクッキーを頬張る妖精を眺めながら、エリナも自分のクッキーをポイっと口の中に放り込んだ。
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