知らないこと、知ること
数分後、ミラがラウラに手を引かれながら部屋の外から戻ってきた。ミラは何やら興奮した様子で勢いよく部屋に入って来るやいなや、全員に届く大きな声で叫んだ。
「ねえ!お姫様がいたよ!」
エリナたちがドアの方を見るとラウラのすぐ後ろにシャルロッテの姿が見え、その場の全員の合点がいった。今日はしっかりとボリュームのあるピンク色の洋服を着ているシャルロッテは、簡素なティーガウンだけの時よりもひときわお姫様っぽい。貴族の娘らしいので当たり前といえば当たり前の話なのだろうが。
「こんにちは。みなさん、ティータイム中だったのね。」
「シャルロッテ!今日はいないのかと思って、俺たちもうティータイム始めちゃっていたよ。どこかに出かけてた?」
グアダルーペが尋ねたがシャルロッテはその質問には答えず…というより、答えられなかった。足元でミラがシャルロッテに夢中になってずっと話しかけていたからだ。シャルロッテは困ったように笑いながらグアダルーペに目配せをして返事ができないことを謝ると、ミラの方に向き直った。
「はいはい。ミラちゃん、どうしたの?」
「ねえ、お姉ちゃんはお姫様なの?」
「私は貴族の娘よ、どちらかというとお嬢様?名前はシャルロッテ、よろしくねミラちゃん。」
「はい、ミラです。わあーこのお洋服可愛いねえ。ミラも着てみたいなあ。」
少し期待のこめられた表情のミラに苦笑しながら、シャルロッテはエリナたちの方を見た。小さな女の子のぐいぐいとやって来るパワーに押されてか、珍しく彼女から助けを求められた。
「ミラちゃん、お姫様になりたいの?」
エリナが尋ねるとミラは「なりたい!」と勢いよく答え、すぐにシャルロッテの方へ話しかける。
「ねえ、お姉ちゃんはどうやってお姫様になったの?なんで?」
「私はお姫様じゃないわ…それにミラちゃん。ミラちゃんはすごく可愛いいわ。だから今この場でみんなのお姫様よ。」
そういってシャルロッテは細い美しい手を伸ばして、ぎこちなくポンポンとミラの頭を撫でた。すると、どういうことだろうか。ミラはこれを身をよじってそれを嫌がった。その場の全員も「アレ?」という表情になる。
「ああ、ごめんね?頭触られるの嫌だった?」
シャルロッテが謝るとミラは複雑な顔をして黙った。その様子を見たマリーサは席を立ち、ミラの横まで来るとしゃがんだ。そのまま彼女と同じ目線からシャルロッテの方を見上げると、優しい表情で口を開いた。
「たぶんシャルロッテ、おだんごにしている髪の毛のほうをポンポンって触ったんじゃない?」
「え…?うん、髪の毛が可愛くて触っちゃったけど…もしかしてそれが嫌だったの?」
シャルロッテが驚いてミラを見つめると、彼女は黙ったまま大きく身振り手振りを交えて頷いた。
「やっぱり。私の友達にもアフロの子がいるんだけど、小さい頃はアフロが珍しいと思っている大人たちがよく髪の毛を触って来るもんだから嫌だったって話していたのよ。どうも特有の悩みっぽくて。そんな悩みがあるんだーって、思いもよらない悩みだったから私よく覚えてる。」
マリーサの話を聞いたシャルロッテはばつが悪そうな顔になって、もう一度しっかりとミラに謝った。ミラは「いいよ。」とだけいうと、ケロッとした様子でシャルロッテにむけてニッコリと笑顔になる。
「お姉ちゃん、お姫様みたいでいいなあ。ミラもお姉ちゃんみたいなプリンセスの顔になりたい。」
エリナにはこんな小さな子が「理想のプリンセスの顔」という概念を持ち合わせていることに驚いたが、マリーサとグアダルーペのすこし悲しそうな顔をみるかぎり、二人もエリナと似たようなことを思ったのだろうなと察した。グアダルーペも立ち上がってミラのそばまで来ていたが、すぐにしゃがんでミラの両肩に手を置き、彼女の目を見ながら、
「ミラ。ミラは俺たちにとってすごくかわいい、素敵なお姫様だよ?」
と伝えた。その一言に続いてマリーサも「そうよ!ミラはお姫様よ!」と真摯に思いを伝えようとしている。ミラはというと、とても素直にその言葉を受け取り嬉しそうにしている。
「だって、ミラの持ってるおもちゃのお姫様は、みんなお姉ちゃんみたいな見た目だもん。」
大人たちはやや気まずい顔になったが、みんなにお姫様だと言われてやや機嫌のよくなったミラはどこ吹く風という様子で、先ほどに続けてシャルロッテに話しかけた。
「ねえ、お姉ちゃんはダンスもできるの?」
「ええ、来年から舞踏会にも行くからダンスのレッスンもしているわ。」
「わあ~!すごい!ミラも、バレエがやりたいなあ。」
「あら、ミラはバレエをやりたいの?」
「うん、ミラはバレエのお洋服が着たいからバレエを習いたいの。」
「あら、ふふふ。とっても素敵な理由ね!」
二人がのんびりとお話をしているのを聞いて、先ほどの気まずさが少し和らいだ気がしたエリナたちは、シャルロッテのことをお茶会に誘った。
「ええ、もちろん。ごめんなさい、お茶会を中断してしまって。立ち話が長くなってしまったわ。ラウラ、私もティーと何か軽くいただけるものをお願いできるかしら?」
シャルロッテがそういうと「もちろんよ」と言って、くま執事がシャルロッテの椅子を引いて彼女を座らせている間に、ラウラがフルーツティーパンチとクッキーを用意してテーブルへと持ってきた。
「あ~!ミラもクッキー欲しいなあ。」
その様子を見ていたミラがラウラにおねだりすると、ラウラは「はいはい」と一口サイズのクッキーが二かけ載った小皿をミラの目の前に置いた。ミラは満足そうに「ありがとう~!」と、クッキーに釘付けになったままお礼を言った。微笑ましそうに「どういたしまして」と返したラウラは、いつものようにくま執事のもとへ戻っていく。
エリナはさっそくミラがクッキーを頬張る姿をみて、このままだとまたクッキーが足りなくなってまた要求するんじゃないかと予感した。心配になって、食べるのをゆっくりにさせられないかとミラに話しかける。
「ねえ、ミラ。」
「なあに?」
「ミラはいつも、お友達と何をして遊んでいるの?」
「ミラはねえ、この前はザハラといっしょに公園で遊んだし、その前はザハラのお家でお誕生日パーティをした!」
自慢げに誕生会に参加したことを教えてくれるミラはやはり可愛らしい。マリーサの方をチラリとみると、彼女は何度目といっていいかわからないほどミラにめろめろになっていた。小さなミラとお話がしたいマリーサは、積極的に彼女に質問を重ねた。
「ザハラちゃんっていう子と、仲の良いお友達なのね?彼女はどんな子?」
「ザハラはねえ、すごく元気!昔ね?ミラがお母さんと一緒に道を歩いていたら、ザハラのおかあさんがミラに話しかけてきたの。それで、ザハラのお母さんはお家にきて、ミラの髪の毛を綺麗にしてくれたの!それでザハラちゃんと仲良くなった。」
「あら、先にザハラちゃんのお母さんと仲良くなったのね?」
「うん。けっこう昔の話だけどね!」
「ふふ…昔ね。」
「あのね、ミラのお母さんは日本人だからミラの髪の毛を上手に作れないの。ザハラのお母さんはミラの髪と同じだから、上手に作ってくれた!」
「そうなんだ、ザハラちゃんのお母さんはすごく優しいんだね。」
「うん。でも子供のザハラはちょっと元気すぎるね。」
突然お友達に辛辣な評価を下したミラにエリナは思わず失笑してしまった。隣でマリーサも笑っている。二人が笑ったのに気がついたミラと目が合うと、なぜ笑われたのかがよく分かっていないらしい。彼女特有のゆったりさを感じるおおらかな笑顔がエリナに向けられた。その表情を見てエリナは彼女のことを本質的に懐が深い子なんだろうだなと感じた。
「ミラが優しい子だから、優しい人が助けてくれたんだね。」
エリナの一言にミラはきょとんとした顔になる。エリナはラウラに振り返ると
「ねえラウラ。桜の花…枝を分けてもらっていい?細くて、花がついているやつ。」
と尋ねた。突然のエリナの注文にその場のみんなの注目が集まる中、エリナは桜の花の咲いた細い枝を受け取りミラのもとへ行って、彼女の髪に笄のようにさした。
「まあ、ミラ!かわいいわ!」
「ほんとうに、花のお姫様みたいだね。」
「そうね!まるで桜の花の妖精さんみたいだわ。」
マリーサ、グアダルーペ、シャルロッテから次々と誉め言葉をもらい、かなり照れた様子でミラは体をよじった。そして目の前のグラスを両手に取り、最後にすこしだけ残っていたりんごジュースを一気に飲み干したかと思うと、満面の笑みでニッコリと笑った。
20241015_修正