ミラの来訪
「あら?」
気がつけばその小さな女の子はテラスのテーブル席にちょこんと座っていた。椅子に乗り上げた小さな背中がキョロキョロとバラ庭園の方を見渡している。こちらを見ていないその後ろ姿に近づくと、エリナは下手くそな咳ばらいをしながら女の子に話しかけた。
「んん、…こんにちは!」
「!こんにちは。」
その小さな女の子は素早くこちらを振り向くと一瞬びっくりした表情を見せたが、泣いたり狼狽えたりするような様子はなくすんなりとエリナの存在を受け入れてくれた。
「私はエリナ、あなたのお名前を聞いてもいい?」
しゃがんで視線を低くしたエリナがそう尋ねると、小さな女の子はどこか所在なさげではあるがしっかりと顔を上げ、こちらの目を見ながら返事をした。
「私はミラです。エリナちゃんはここがどこか知っているの?」
その女の子は四、五歳くらいだろうか、見たところ東洋人と黒人のハーフらしく、目元は涼しげな二重のアーモンドアイで、髪型はふわふわのアフロヘアーをポンポンみたいにして高い位置できゅっとお団子にしている。太陽を思わせる肌の色に映える綺麗な黒目がキラキラとこちらをのぞき込む様はとても眩しく、とても可愛らしかった。
「ここは森の洋館だよ。みんなでお菓子を食べたり、お茶を飲んだりしてお話しするところ。ミラちゃんも、みんなと一緒に遊んでいく?」
「うーん。ミラ、今日は忙しかったんだけど、別にいいよ!今からみんなでお話しするの?でも、みんなって誰かなあ?」
ミラは彼女の大らかさが伝わってくるようなおっとりとした笑顔でエリナを見て笑った。するとエリナの背後から
「みんなっていうのは、私たちのことよ!」
という声が聞こえてきた。振り返るとマリーサと一緒にグアダルーペが室内からテラスへとやってきていた。ミラは声の出処を見ようと洋館の方に体を向けていたが、ちょうどエリナが壁になっていたせいで二人が突然に現れたように見えたらしい。再び驚きに目をぱっちりと開くと、エリナを陰にして顔を少しだけ出して二人を見ていた。
「なんてかわいいの…!」
マリーサが近いづいてミラの目線に合わせてしゃがむと彼女の頬を撫でた。ミラははにかんだ笑顔で「へへへ」と、ちょっと困り眉になって笑っている。そんなミラに対してグアダルーペも
「俺はグアダルーペ、こっちのお姉さんはマリーサだよ。」
とミラに笑顔で話しかけた。彼はしゃがんだりせずそのままだったので、ミラは彼を見上げて挨拶を返した。
「私はミラです。」
きちんと挨拶のできたミラは、そのことを褒めまくるマリーサに頭をよしよしと撫でられている。
「よろしくね?今日のティータイムは賑やかになりそうだなあ。ねえ、ラウラ。」
グアダルーペがいち早く、部屋の中からちょうどやってきていたラウラに気がついて彼女に話を振ると、ラウラは会釈をしてミラの方へ視線を向けた。
「ミラちゃんこんにちは、私はラウラといいます。」
「…こんにちは、私はミラです。」
「まあ、きちんとご挨拶できてすごいわ。ミラ、今からみんなでお菓子パーティをしようと思うのだけど、何か好きな食べ物とか飲み物はある?」
ラウラが屈んで優しく尋ねると、ミラは着ている服の裾を掴んで「えっとねえ」と、ゆらゆらと体を揺らしながら考え始めた。
「えっとねえ、ミラはりんごジュースが好き。あとクッキーも好き。あと氷も好き。あとね…」
「まあ!ふふ…好きなものがいっぱいあって素晴らしいわね!」
マリーサがめろめろの笑顔でほめると、ミラはちょっとだけ頭を傾けながらはにかんだ。ラウラはそんな二人のやり取りを見て笑顔になると、そのままの顔で大人たちの方に向き直った。
「実はこの後、雨が降るかもしれないらしいの。だから今日のティータイムはお部屋の中にしましょうか。」
ラウラの提案で全員が室内へ向かって歩き始めた。みんな…主に女性陣がミラの一挙手一投足に夢中になっているので、全員の足取りはミラの歩幅に合わせてとてもゆっくりだった。
最近はほとんどいつもテラスでティータイムを嗜んでいたため、エリナは室内にみんなで集まることに新鮮味を感じていた。ただあの大きなテーブルをみんなで囲むとすると、全員の位置が少しずつ遠くに離れてしまって、近くの人間だけでの会話になってしまいがちなのではないかと予測している。
室内ではいつも通り、くま執事がすでにティー・タイムの準備を終えていた。今日は見た目も華やかなカットフルーツが入った紅茶、フルーツティーパンチが用意されている。それぞれの席には小さなアイスのパフェと、シンプルな一口サイズのクッキーが供されていた。テーブルの中央にはみごとな桜の花が生けられており、エリナはこの場に生ける花としては少し意外だなと思った。そんなことを考えていると、ラウラのサポートで席に座ったミラも、すぐに真ん中の見事な薄桃色の花に目を奪われたようだった。
「あ!さくらだ!ねえ、これさくらじゃない?ミラは日本に行ったときにおばあちゃんと一緒に見たんだよ。」
エリナがなんとなくミラに「お母さんかお父さんが日本人なの?」と尋ねると、ミラはお母さんが日本人だと答えた。
「ミラのおかあさんは日本人で、おばあちゃんも日本人なんだよ。東京に住んでるの。お母さんの弟はえっと、弟は違うんだよ。いつも新幹線に乗ってる。」
一生懸命に説明してくれるミラの視線は、話の途中からすでに目の前のパフェに移っていた。そのせいか後半の方の発言はなんというか、ギリギリ理解できたかあやしかった。それがおかしくて、マリーサとグアダルーペ、そしてエリナもみんなニコニコと微笑ましく彼女を見守る。
「わあ!すごいよ!これ見て!綺麗~!」
ミラは再び目をキラキラさせて手を合わせてパフェを見つめている。そんな彼女にラウラが近づいて首に真っ白なナフキンを結んだ。
「りんごジュースもあるし、飲みたければお茶もあるのよ。欲しいものがあったら言ってね?」
「ありがとう!」
そう優しく告げたラウラは、ミラに微笑むとくま執事の元に戻り真隣に並んだ。すでにスプーンを手に握ってパフェから目が離せない様子のミラだったが、大人たちもミラが早く食べられるように、すでに席に着いていた。
「わあ~!美味しい!アイスだ!ここアイスが入ってる。」
ミラがマリーサにパフェをすくった一匙を見せると、まだ口に入れていないのに「美味しい!」と宣言し始めた。マリーサは笑いをこらえながら「わあ、すごいわね!」「おいしそうね!」と彼女を誉めていた。ミラは周りのみんなが笑顔で自分を見つめていることに満足すると、やっとパフェのクリームやアイスを口にした。一口ごとに「美味しいな~!」と、アピールしながら食べている。
室内に入ってエリナが初めに予測した通り、一人ひとりの席の距離は確かに離れていたが、ミラのおかげで全体に一体感があった。可愛らしいミラがパフェを口にするところを見て笑顔を浮かべるエリナたちも本日のティー、フルーツティーパンチを口にした。
「え、美味しいわねこれ!自分で作ろうとすると、紅茶の渋みが際立っちゃうような感じになって、なんだかなってなるんだけどね。これはとっても美味しいわ。」
マリーサが本当にびっくりしたときの顔で口元を片手で覆い、すぐにその手をエリナの腕に置いてそう言った。エリナもフルーツティーパンチの美味しさにびっくりしたので気持ちは分かる。
「本当に!たぶんフルーツがもともと砂糖?シロップ漬けにしてあって、紅茶ともしばらくなじませているんじゃないかな。この調和のとれたバランス感覚はマジで素晴らしいね。」
「へえ、そんなことまで分析できちゃうんだ。さすがグルメのエリナだね。」
茶化すようなセリフだが発言したグアダルーペの顔を見ると、本気でそう思っているような表情だった。大人三人がそんな会話をしていると、パフェを口にしながらその様子をじっと眺めていた小さなミラがおもむろに一言発した。
「ミラもそのジュース飲んでみたいなあ~。」
やや会話に被るように発されたミラの言葉に真っ先に反応したのは、意外なことにグアダルーペだった。
「はは、これはジュースじゃなくてお茶だよ、紅茶。ミラも飲んでみるの?」
「うん。じゃあ、ミラも飲んでみようかなあ。」
大人たちの飲み物に興味津々で、気持ちがはやるのか自分のパフェ用スプーンをなめていた。
「紅茶はちょっと大人の味かもしれないけど、フルーツが入っているから大丈夫かしら?」
マリーサが自分のティーカップの中身を確認していると、ラウラの手によってフルーツティーパンチが注がれた小さな透明のマグカップがミラの目の前に置かれた。ミラは声を発しこそしないが、手をパチパチとたたきながらすごくうれしそうにみんなの顔を交互に見ている。
「飲んでいいの?」
「ええ、召し上がれ。」
笑顔のラウラに差し出されたカップを両手で持ち、ミラはティーパンチをぐぐっと飲んだ。飲み込んだとのミラは特に変化のない表情で、何かを考えているようだ。
「…ねえこれって、中のやつは食べてもいいの?」
「どうぞ、食べていいよ。」
エリナは自分のティーカップの中からフォークを刺したオレンジを取り出して齧って見せた。するとミラも自分のカップにフォークを突っ込んで、取り出したフルーツを口にした。しばらく真顔で咀嚼したあと、彼女はマグカップを横によけると今度はクッキーを食べ始めた。
――あ、あんまりだったのかな?
そんな様子も子供らしくて、実に可愛らしい。マリーサとグアダルーペ姉弟のいつものお喋りは鳴りを潜め、二人でミラの様子に夢中になっていた。エリナはそんな二人の様子こそ可愛らしく感じて、小さな女の子に微笑む二人の姿を見つめながら、小さく笑っていた。
20241015_修正