二回目はミントティー
「…期待はされるに決まっているわ。みんな、あなたが頑張ることに慣れているんだもの、止めたりしないと思うわよ。だってそれが彼らにとっての得になるんだから。」
エリナがテラスを訪れると、シャルロッテとラウラが見たことのない、眼鏡にスーツ姿の男性とティータイムの真っ最中だった。なんとなく入りづらくて、軽く会釈をしながら横を通り過ぎバラ園の中に入る。
「だからあなた自身を大切にってことなのよ。先日私の友人が言ってたの。あなた自身が頑張ることを止めないと、会社の誰もあなたに『あなたが頑張って、踏ん張って、自己犠牲の精神でいること』をやめさせようとする人なんていないわよ。だって彼らはそれで楽ができるんだもの。」
シャルロッテの声が聞こえる。大人顔負けの論を展開しているようだった。
「だってほら、こんなに楽しいお菓子とティーセットを毎日頼んでもないのに無償で用意してくれる人を突き返す人なんていないでしょう?それでもね?もし今はもう何も考えられないとか、何かをする力も残っていないのであれば、助けてくれる人を見つけましょう?それはあなたの家族かも知れないし、友人かも知れない。あなたにだけ考えさせる人じゃなくて、あなた自身のことを考えてくれる人がきっと一人はいるはずよ。」
前にもそんな話したような、なんて思い出しながら遠くなるシャルロッテの声を背に反対方向へ歩いていく。バラ園の向こう側に広がる草原と木々を見ると、さらにもっと遠くの山々には雪がみえていた。
「なんかシャルロッテ、アクセル全開だな。」
「!」
背後からよく知った声に話しかけられて勢いよく振り向く。
「カルロ、庭にいたんだ。」
「まあな。今日は先に誰か来てるみたいだな。ほら、あのアジア人ぽい男。」
カルロがテラスの方に視線を移す。ひょっとして日本人じゃないかなと思える見た目の、スーツを着た男性。そして一緒にテーブルを囲む、ひらひらの桃色のドレスを身に纏った背の低い女の子とスラリとした落ち着いた雰囲気の女性の姿。
「…なんかさ、前から思っていたんだけど、ラウラとシャルロッテって雰囲気あるよね。服装からしても、まさに異世界。この洋館の住人ってかんじじゃない?」
「はは、たしかに。シャルロッテはあの見た目だけど、賢さはその辺の大人を上回るしな。シャルロッテの存在がより一層、この場を神秘的な雰囲気にしてるんじゃないか。」
「あはは、たしかに。」
二人は顔を見合わせて笑った。それから二人はしばらく庭園を散歩しながら話をしたが、穏やかに会話しながらもずっと笑みは絶えなかった。そんな二人の前に突然、くま執事が現れた。くま執事はやはり何か言葉を発することはなくテラスの方を指し示している。
ーーあれ、もう終わったの?
「あれ、もうお茶会は終わったのか?」
エリナと同じく驚いたカルロが尋ねると、くま執事は大きな足を一歩一歩を踏みしめながらのそのそとテラスの方へ向かって歩き始めた。そんなくま執事を見ていると、ここへやって来て最初にエリナを案内してくれた時はかなり意識的にちょこちょこと歩いてくれていたんだなと、微笑ましくてじんわりと心が温かくなった。
「えっと、つまりこっち来い…じゃない?」
「だな。」
くま執事につづいてエリナとカルロがバラ園を通ってテラスへ戻ると、先ほどの男性はすでにおらず、シャルロッテとラウラが二人だけで話しているところだった。
「こんにちは!会いたかったわ、二人とも!」
シャルロッテが立ち上がって手を振りながらニコニコと屈託のない笑顔を向けてくれる。先ほど男性にズバズバと持論を展開していた人間と別人みたいに、無邪気な笑顔だ。
「シャルロッテ!ラウラと一緒にお客さんをおもてなししていたみたいね?」
「おもてなしっていうか、お話していただけだけどね。あまりにも頑張りすぎている人だったわ。どうか彼が救われるといいのだけれど。」
通りすがりに聞こえてきた会話の内容を思い出し、なるほどと思う。優しいシャルロッテは彼がいなくなった今も心配そうな表情のままだ。
「シャルロッテは、エリナたちとのお茶会はどうする?」
その様子を気遣ってかラウラがシャルロッテに尋ねると、彼女は少しだけ口をとがらせて
「私も、エリナとカルロと一緒にお話ししたいわ。」
といった。ラウラはニコリと微笑むとシャルロッテの頭を撫でる。
「そう。じゃあ今度は紅茶じゃなくて、ミントティーにしましょうか?みんな、ミントティーはお口に合うかしら?大丈夫?」
ラウラがみんなの顔を伺うと、三人は同時に顔を見合わせて順に口を開いた。
「私は大丈夫よ!」
「私も!ミントティー好きだよ。」
「俺も飲める。」
全員がミントティーを嫌っていないことがわかり、ラウラは再び笑顔をみせると少しワクワクした様子でくるりと背を向けた。
「じゃあ、タマラに言ってとびきりのやつを作ってもらいましょう!」
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「わあ!きれいなグラス!これって、ミントティー専用なの?」
エリナが感嘆の声を上げる。
「そうにゃ。今回はこの銀製のポットとこのグラスを使って、モロッコ風のやり方でミントティーを淹れるにゃ。」
目の前には繊細な装飾が施された小ぶりなグラスが用意されている。隣にある美麗な装飾の凝った銀色のポットの中には、緑茶の茶葉、砂糖、スペアミントが入れてあるらしい。すでに出来上がっているというミントティーを、タマラがそれぞれのグラスに注いでくれた。
「わあ、すごく高い所から淹れるのね!」
タマラが高い位置から勢いよくミントティーを注いでいるのをみて、好奇心旺盛なシャルロッテは身を乗り出してタマラの行動を観察している。
「こうやって泡が立つように淹れるのがとても良い淹れ方とされているのにゃ。これもちゃんと、学校で勉強したから見ててにゃ!」
いつも通りの得意気な表情でティーを淹れてくれるタマラが可愛らしくて、その場の全員が微笑んでいる。美しい飴色のような色のティーに気泡が立つ様はカップの装飾性の高さも相まって、エリナは芸術品を眺めているときのような気分になった。
「このミントティーによく合うのが、こちらのゴリバという焼き菓子にゃ。」
目の前の大皿には表面に割れの入った小さくて丸いころんとした形のクッキーが載っており、一緒におおきなデーツも添えられている。さっそく一つ取って口の中に入れると、さくほろりとした食感と芳醇なアーモンドの香りで満たされる。素朴な味わいだがとても美味しい。
「!これは!」
エリナはすぐにミントティーのグラスを手に取り口に含むと、爽快感が口の中を駆け抜けていった。
「すごい!このクッキー、ミントティーとよく合うね!香ばしさと清涼感が交互に味わえちゃうから、コレはどんどん食べちゃうかも…!」
「ほんとだ、美味しい!」
シャルロッテも気に入ったようで、先ほどまで別のお茶会をしていたはずなのにあれよという間に二つ、三つとゴリバを口に運んでいく。
「俺も、これは休憩中とかに食べたいかもな。このミントティーと一緒に。」
カルロも気に入ったようで、モロッコのミントティーとお菓子は大好評だった。
「場所くらいしか知らない、行ったことがない国でも、こうやってお茶もお菓子もいただくとなんだか勝手に身近に感じるかも。」
エリナはデーツをかじり、ミントティーをひと口飲んでとりあえずは小休止とする。
「確かにそうね。ミントがもてはやされるのは暑い地域ならではって感じるわ。夏の暑い日に、冷やして飲むのもいいかもしれない。」
「それか案外、冬の寒い日に暖炉の近くで飲むのも乙かもしれないな。」
「あ~それもいいかも。つまり…」
「「「おいしいってことだ(よね)。」」」
「にゃあ。そんなに喜んでくれるなら、このティーを紹介した甲斐があるにゃあ。」
タマラは少し誇らしげな顔で、尻尾は嬉しそうにピンと上に立っていた。そのままゆらゆらと左右に揺れ出すしっぽを見ているとおもむろに彼女は立ち上がった。
「洋館ではみんな、対等な友達。楽しんでってにゃ。」
今日のタマラは会話には入らず、少し離れた席でお茶を楽しむらしい。そのままスタスタと室内のテーブルまで戻っていった。
「次からは私が新しいティーを淹れに来るからね。」
入れ替わるようにしてラウラがそう告げに来ると、そのままテラスの入り口付近に立っているくま執事の横に並んだ。その様子を見送りテーブルの方へ視線を戻すとシャルロッテと目が合った。彼女の方も気がついてすぐにニコリと微笑んでくれた。
「いつかモロッコの人ともこの洋館で会えたら面白そうよね。」
「たしかに面白いよな。俺たちはモロッカン・ミントティーの大ファンで、ゴリバが好きですって伝えたらどんな顔すんのかな。」
カルロには珍しく、先ほどからかなりお気に召した様子でミントティーを飲んでいる。
「それが本当に起こり得るから、洋館って本当に素晴らしいと思う。実は私ね、自分にとってメキシコは憧れの国だったからマリーサとグアダルーペに会えてものすごくうれしかったんだよね。彼らの話を聞いてるだけですごく楽しかった。」
「そうだったのか。確かに洋館ではいろんな国の人と会えるから、色んなヤツと色んなことを話してみたいよなあ。」
「洋館では言葉の壁も無いものね。だけど、なんだかやけに日本人とドイツ人の比率が高い気がしないかしら?さっき私が一緒にお茶した男性も日本人だったのよ?」
シャルロッテが疑問を呈すると、カルロは背もたれにゆったりとくつろいでいた上体を起こして前のめりになった。
「俺もそれ気になってたんだよなあ。何か法則でもあるのか?」
そんな二人の様子に、自分の知る限りの情報を伝えようとエリナは口を開いた。
「…前に聞いた話だと、この洋館には他にも部屋がたくさんあって、どの部屋に辿り着くのかは人によるらしいんだよね。」
「へえ、一応そんなルールが存在するんだな。」
そこまで気にならなかったのか、カルロはエリナの説明を軽く流したようだった。それに少し寂しくなったエリナがさらに言葉を重ねようとしたところで、再びカルロが口を開いた。
「それで結局、ドイツ人と日本人の割合の高さには、どう関係しているんだろうな?」
どうやら気にならなかったのではなく、さらに細かいことが気になっていただけだったらしい。エリナからの情報を得た後は眉根にしわを寄せて何やら考えている様子だった。じっと彼の顔を見つめていると、ちょうど三杯目のミントティーに口をつけようとしていた。
「!三杯目は結構渋みが強いな。ラウラ、もしよければ新しいのを淹れてもらえたりするか?」
カルロが文字通り「渋い顔」で伝えると、ラウラは笑ってタマラのお茶ルールについて説明してくれた。
「ふふ…タマラ曰くミントティーは三杯目までいただくのが流儀らしいのよ。まあ、これも人によるし、一杯目と二杯目をかるく淹れてポットに戻してから、三杯目をいただく人もいるらしいんだけれどね。」
「へえ、そうなんだな。ちょっと儀式的というか、もはや芸術の域だな。」
カルロが新しい一杯目をもらい、顎に手を当て感心しながら新しい一杯に口をつける。その時ふわっと風が吹き、エリナのところまで新鮮なミントの香りが漂ってきた。こうなるとエリナも一杯目が欲しくなってくる。
「ラウラ、私も新しいミントティーをおねがいできる?」
分かっていましたよとでもいうように、ニコリと微笑んだラウラがすぐにやってきて、カップにミントティーを注いでくれた。美しい琥珀の水面を見つめる。いつもより少しだけゆったりと流れる時間の中、エリナたちは引き続き三人でのティーを楽しむのだった。
20241017_大修正