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アンゲリカとバラの花

 

 *******


 これは…また、夢かな…


 目線がすごく低い。おそらく三~四歳くらいの自分だろうか。隣には一歳に満たないくらいの姿の妹がいて、目の前には見知った景色。…これは母方のおばあちゃんの家の居間だ。ちょっと古い時のおばあちゃんの家の雰囲気だろうか。そこに集まったたくさんの大人たちがエリナの妹を抱き上げ、笑顔で囲んでいる。


「いくみちゃん。大変だったけど、お母さんと一緒によう頑張ったねえ。」


「本当に、一時はどうなるかと思ったけど、本当に生きててよかった。これも仏様に守られているからかねえ。」


「そうねえ…ねえ?いくみちゃん?ああ、かわいい!私の顔みて笑ったわよ。もうね、いくみちゃんは生きているだけでみんなの希望なんよ。」


「そうよお。ご両親も、いくみちゃんに死んでほしくないってがんばってくれたからねえ。よかったねえ。」


「神様が生かしてくれたんやから、いくみちゃんはすごい子供になるに違いないよ。神様に愛された子供やからね。」


「いくみちゃんは奇跡の子やもんねえ。」


「おばさん、そんな期待をかけるのはよくないでしょう。いくみちゃんには後遺症も残ってしまったんだし。これからも色々と大変になるでしょう。奇跡の子だって言う気持ちはわかるけど、自由にのびのび生きてくれるだけでいいんじゃないかな。」


 そこまでで、大人たちは妹に向けていた視線をこちらに向け笑顔で語りかける。


「そうそう。やから、いくみちゃんのお姉ちゃんにはおかあさんと妹を支えてもらわないとね。いい子にしないかんよ?お姉ちゃん。」


 高い位置にある大人たちの顔がいっせいにこちらを向き、ドキリと心臓がはねる。


「お姉ちゃんだからね、いくみちゃんが大変な時は助けてあげてね。お母さんもこれから大変になるだろうし、二人のことをずっとずっと助けてあげてね。守ってあげないかんよ?」


「そうよ、お姉ちゃんが頼りやからねえ。立派な人間に育って、しっかり親孝行するんよ?」


 それだけ言うと、またすぐに大人たちの視線はエリナから外れていった。先ほどと同じように、まるで初めからエリナなんてそこ居なかったみたいに、だ。


「それにしても、いくみちゃんの方はどんな子に育つんやろうか。確かに困難はあるだろうけど。」


「いくみちゃんはちゃんと育ってくれたらそれでいいじゃない?好きなもん目指して、好きに生きてくれたらいいよ。子供の成長って本当に楽しみやねえ。」


 ずっと妹を囲んで話し込んでいる大人たちの言葉は、途中から耳に入ってこなくなっていた。


「ね?えりなちゃん。」


「?うん!」


 この時は幼いながらに可愛い妹を守る役目を与えられ、期待されたと思い嬉しかった。妹も、お母さんも、あまり会えないけどお父さんのことも、大好きだったから。その後はずっと妹にかかりきりになる母も、家に帰らない父も。エリナが献身的に支えることで、いつかは問題は解決され、、


 …ずっと、覚えている。


 だってこれは、今後ずっと私の無意識下に根差すことになる言葉だもの。いつの間にか刷り込まれて深く、深く。エリナの人生における様々な選択肢、そのさらに根底の部分に固く根差してしまった。エリナが生きる上での、全ての行動・思考の大前提になってしまった。私の存在を定義づける…


 他人のための、私の信念。



 *******



「…エリナ?」


「ああ、ごめん。ボーっとしちゃってた。」


「大丈夫?雨、あがったみたいよ。クマちゃんがテラスのテーブルとイスを拭いて準備してくれるんですって。」


 今日は桃色のひらひらとしたティーガウンを着ているシャルロッテがエリナに話しかけてきた。外は先ほどまで雨が降っていたのだが、ネコちゃんたち曰くすぐに止むだろうということだったので、室内で雨が止むのを待っていたのだ。


「アンゲリカはまだ、お庭をお散歩しているみたいだわ。」


 このアンゲリカと言う女性も、記憶を保ちながら洋館(ここ)を何度も訪れている人間のうちの一人だった。さきほど彼女と初めて顔を合わせたエリナは、彼女が庭へ行ってしまう前に簡単な挨拶をした。落ち着いた色味の金髪に青混じりのグレーの瞳、ミディアムヘアの壮年の女性で、早くに夫と死別してからは小学校の教師をする傍ら、来年高校生になる息子を育てているという。

 挨拶の後はラウラから傘を受け取るとすぐに、バラ庭園を見てくると言って、アンゲリカはテラスの方へ出て行ってしまった。


 ――ハキハキと快活で、明るい印象の女性だったな。


 エリナは先生という職業の人に苦手意識があるので少し身構えてしまったが、明朗快活という言葉が似合うのにプラスして、母親としての優しさも感じられるような女性だなというのが、エリナの第一印象だった。


「じゃあみんな、今日はこのままテラスでお庭を眺めながらティー・タイムかな?」


「そうね。やっぱりテラスでのお茶会が一番気持ちがいいもの。雨上がりで外は少し肌寒いかもしれないけれど、温かいティーをいただけばポカポカしてちょうどいい感じになるのよね。」


 シャルロッテがいつもより饒舌にティーについて語る。おそらくこの洋館を訪れる者のなかで、ネコのタマラの次に紅茶に熱心なのがシャルロッテだろう。二人で会話していると、部屋の扉から二匹のネコちゃんたちがやってきた。


「にゃ、準備できてる。」


「テラスにセッティングするわね。」


 タマラの隣には真っ黒な毛色のネコちゃん、ビクトリアが立っている。黒猫のビクトリアもタマラと同様にワーキングホリデー中で、この洋館に雇われているらしい。タマラがにゃあにゃあ喋るのに対して、ビクトリアにはそのような語尾はなく、キリッとした雰囲気で人間と同じように話す。

 タマラの興味がお茶文化研究にあるように、ビクトリアの興味と探求心の矛先は「人間の存在とその形成する社会」に向いているらしい。平たく言ってしまえば「人間の生態」ということになるのだろうか。二匹の故郷がどんなところなのかは分からないが、他種族の生態と文化を学ぶ機会があるという高度な文明があることだけは確かだとエリナは思う。


「じゃあタマラとビクトリア、彼と一緒にテラスを準備してきてもらえるかしら?私はお庭のアンゲリカを呼んでくるわ。エリナとシャルロッテは、しばらくしたら呼ぶからテラスに来てちょうだいね。」


 ラウラは二匹とエリナたちそれぞれに呼びかけ、タマラとビクトリアはそれぞれ「にゃい」「はい」と同時に返事をして、テラスの方へくま執事とともに外へ出て行った。

 今、室内に残されたのはエリナとシャルロッテだけだ。


「しばらく、と言ってもすぐに呼ばれるだろうね。」


「そうね、いつも仕事が早いもの。」


「爆速行動くまさんだもんね。」


「ふふ…確かに。瞬きをしているうちに行って帰って来てしまうものね。」


「「ふふふ…」」


 シャルロッテとエリナは見つめ合い、次の瞬間にはチラリと同タイミングで部屋の入り口のドアを見た。くま執事が部屋を出て行ってからすぐに戻ってくる様を思い出し、お互いが今何を想像したのかを理解し合うとニヤリと笑いあった。


「にゃあ、準備できたにゃ~!」


 案の定、二言三言交わした後に即、タマラからお呼びがかかり、予測通りの展開にエリナとシャルロッテは声を上げて笑い、おなかを抱えたままテラスへの出入口の方へ歩みを進めた。


 雨雲は流れ、空には明るさが戻っており、雨上がりに吹く風だけがまだ少し冷たかった。掃き出し窓の窓枠を超えたところで、すでに席についているアンゲリカとおおきなアフタヌーンティーのセットが、庭側にある二つのティーテーブルを使って五つ分、用意されているのが目に入る。三段のアフタヌーンティーは下段にサンドイッチ、中段にスコーン、上段にスイーツと、典型的な仕様のアフタヌーンティー・スタンドの造りとなっていた。


「まあ!今日はアフタヌーンティーだったの?!」


 これに大喜びだったのはシャルロッテだ。その場で飛び跳ねそうなくらいキラキラと喜びにあふれるシャルロッテが、すぐに真ん中の席駆け寄る。その姿をほほえましく思いながら、エリナも口元に手を持ってきてアフタヌーンティーの豪華なセットを感心しながら見つめる。


「すごいなあ、圧巻!」


 そのまま席に着くとタマラとビクトリアも席に着いた。足元はまだ濡れていたがテーブルとイスに一切の水気はない。今日はラウラとくま執事がそろって給仕をしてくれるらしく、二人仲良く並んで後ろに控えていた。それでも紅茶をカップに注ぐことはタマラがやりたいらしく、そのかわいらしいふわふわの前足の一体どこでつかんでいるのか分からないが、みんなに紅茶をいれて回った。


「今日の初めの一杯は、アッサムティーを用意したにゃ。他のティーが飲みたいなら、クマかラウラに直接言えばなんでも出してくれるにゃ。」


「その通り。タマラに出せないお茶はないからね。」


 ビクトリアが誇らしげにフンと鼻をならした。ツンとした仕草につややかな黒毛が美しく、白くてふわふわのタマラとはまた別の個性を感じられてとても可愛らしい。


「本当に!私はタマラの用意してくれる飲み物が大好きよ。」


 そう言うシャルロッテはワクワクからか、いつもより少しだけ声が大きい。


「お茶もさることながら、このバラ庭園は本当に素敵ね。私ここにきて初めてバラをみたとき、小さい頃に育ったお家にもバラの花が咲いていたことを思い出したのよ。ずっと忘れていたのだけどね?」


 アンゲリカが遠くを見つめてそう話してくれた。


「そうなんですね。思い出の花なんだ。」


 エリナがそう言ったところでタマラが自分のカップに紅茶を注ぎ終わった。タマラが席に着くとさっそくアフタヌーンティーの開始だ。エリナもたまに友人とホテルのアフタヌーンティーに行くことがあったが、ちゃんとした知識には自信が無かった。そのためいつも通り、まずはゆっくりと紅茶を口にはこびながら「美味しい!」「当然にゃ!」等と短い会話を交わしながら、みんなの出方を観察した。

 そんなエリナの様子に目ざとく気がついたのはアンゲリカだ。


「ふふ…エリナ、好きなものを取っていいと思うわよ。確かに下の方が軽食で上の方に甘いものって感じにはなっているけど、ほら。シャルロッテのアフタヌーンティーにはアイスクリームがあるでしょう?アイスはとけちゃうから、最初にたべちゃう。つまり順番なんて、あってないような物よ。」


 なるほど、先ほどアイスクリームを食べたがっていたシャルロッテのためにアイスが上段に置いてあった。さっそくシャルロッテがニコニコしてバニラアイスを口にしている。アレンジして中段にあったスコーンと一緒に食べているようだった。それを見たエリナは少し気を楽にして、それでもなんとなく記憶の片隅にある慣例に従いながら、下段にあるキュウリのサンドイッチから手を付けた。


「!おいしい!このキュウリ、すごくみずみずしいけど決して水っぽくはない。すごく丁寧に作られているのね。」


 本日も優良コメンテーターぶりを発揮するエリナだが、今日は茶化すものはいなかった。


「まったくその通りね!このサーモンとクリームのサンドイッチも美味しいわ。」


 アンゲリカもサンドイッチを口にしながらニコニコしている。美味しそうに食べる人を見るとエリナは幸せな気持ちになるし、同じものを食べたくなる。エリナはサーモンとクリームのサンドイッチに手を伸ばした。


「そういえば、アンゲリカは雨が降っていても傘をさしながらお散歩するのね?なんていうか、とっても粋だと思うわ。」


「それ!私もびっくりした。けど本当に粋、風流よね。私も真似してみたいって思ったもの。」


 軽やかに微笑んでアンゲリカに話を振るシャルロッテは、姿勢よくティーカップに口をつけている。

 いつも思うことだが、シャルロッテは言動に年相応もしくは幾分幼いところがあるものの、語彙力や感性、振る舞いなどは大人びている。そのためエリナは尊敬の意を込めてシャルロッテを年齢通りの少女として扱うことはとっくの昔にやめていた。もちろん大人として見守りはするが、彼女に対して一個人として敬意をもって接するという意味だ。シャルロッテに大人と対等に会話ができる賢さが備わっていることは、洋館(ここ)のみんなが気がついているし、だからこその庇護欲のような感情さえ湧く者も少なくなかった。

 今話しかけられたアンゲリカの表情からも、彼女がエリナと同じような感情を持っていることがうかがえる。彼女はシャルロッテに微笑むと懐かし気な眼差しで庭を見つめ、ゆっくりと雨降りの散歩についての理由を話してくれた。


「実は、いままでこういうことはしたことがなかったんだけどね?ここには息子もいないし、仕事もない。自分の時間だけが、存在しているでしょう?それでふと周りを見渡すと、あのバラの花たちが咲いていたの。おかげで自分の小さい頃のことを思い出したのよ。そうしたら何故かね?何度も、何度でも見たくなっちゃった。幼い頃は雨の日でも外に出かけたりしたでしょう?それと同じなの。ただなんとなく、それだけのことなのよ。」


 どこかうっとりとした表情のアンゲリカは幸せな少女のようで、エリナの目には彼女がとても眩しく映った。


「アンゲリカさんの小さい頃って、どんなかんじなんだろう?雨の日にも外で遊んでたってことは、活発にどこにでも遊びに行く子だったんですか?」


 エリナが尋ねると、アンゲリカはニコッと笑ってエリナの方を見た。


「そうね、とってもわんぱくな女の子だったわ。よくおてんば娘って言われてたの。ふふ…恥ずかしいけど、リーダーになって他の子供たちにあれこれ指図したりなんかしちゃって。それで大人になった今は、今度は先生として子供たちにあれこれ指図しているのよ。」


 アンゲリカが分かりやすくおどけて言って見せたので、エリナもシャルロッテも遠慮なく笑った。こういうちょっとブラック寄りな冗談も、言い方が機知に富んで気を遣わない程度に明るく言えるところが、アンゲリカのステキなところだった。


「あはは、じゃあアンゲリカはあの時のアンゲリカのまま、ずっと可愛いってことね。」


「うふふ、エリナは上手ねえ。実は私の息子もね、しっかり母親(わたし)に似ちゃって。わんぱくすぎて最近は放課後のスポーツクラブで骨折しちゃったのよ。だから息子が移動する時の送迎も必要になっちゃった。けど私も似たようなことしていた時代があったから、あんまり厳しく叱れないのよね。」


「ええ、そうなの?」


「そうよ?」と笑いながら息子の顔を思い出しているのだろう、母親の顔をみせたアンゲリカはそのまま話をつづける。


「夫と死別してからはシングルマザーとして息子を育ててきたから、他の子よりはあまり親子の時間が取れなかったの。だから朝夕の送り迎えも含めてどんな些細な移動でも、息子と一緒にいられることは嬉しいのよ。もちろん息子は怪我をして痛いしたいへんだろうけどね?私は息子と過ごせる時間が増えて、実はちょっぴり嬉しいわ。これ、内緒にしてね?」


 ふふふと笑うとアンゲリカは人差し指を口元に持ってきて「しー」のポーズをした。その後少し話が長すぎたと思ったのか、姿勢を少し変えたアンゲリカは二人に話を振った。


「シャルロッテ…は今も若いけど。エリナたち二人はどんな子供だったの?」


 エリナはちょうどスコーンを齧ったタイミングで、それを見たシャルロッテはその状況を把握したらしく、先に自分のことについて話し始めた。






20241015_修正

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