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ひとりとだれかと

 

 ピクニックに来て小一時間ほど経ったころ、日差しを遮っていた木陰が少し横にずれて、設営場所には直に太陽の光があたり始めていた。風向きも少し変わり湖面のほうからたまに、少しだけ強めの冷たい風が吹いてきていて、日の当たる割には涼しさを感じる。そんな中、エリナ、カルロ、シャルロッテ、マリーサ、グアダルーペ、ラウラの六人の話は尽きることはなく続いていた。


「ねえ、エリナ。」


 ラウラと会話を終えたマリーサが、チュロスを差し出しながらカフェ・デ・オジャを飲むエリナに話しかけてきた。


「この前はさ、私たちの話ばっかりだったから今度はエリナの話を聞かせてよ。」


「うーん、難しいな。何を話したらいいんだろう。」


 エリナも渡されたチュロスを受け取りながら、返事をする。


「あ、そういえばエリナは、仕事で数年間ドイツにいたんでしょ?その時にあった笑える話とかあったら俺、聞きたいなあ。」


 グアダルーペは胡坐(あぐら)をかき、猫背気味になりながら片腕の肘を自分の膝当たりについて、顎を手のひらに乗せながら首をコテンとかしげるような仕草をしている。


「ああ、それは俺も興味ある。自分の国が外国人からどう見えるのかっていうのはな。」


 カルロも胡坐をかいたまま、体を少し後ろにそらし、両手を地面についている。とてもリラックスした様子でエリナに話を促した。


「私も聞きたいわ!私まだ、外国には行ったことがないの。」


 意外なことにシャルロッテはまだ国外には行ったことがなかったらしい。こちらを見ている彼女の大きな瞳は、期待の色に満ちている。


「ん~、いっぱいあったはずだけど。今パッと思いつくのがねえ…。あ~、あるある。」


「いいわね!聞かせて、聞かせて?恋愛の話とかあったりする?」


 マリーサが身を乗り出して聞いてきた。事前に二つほど思いついていて、どちらから話そうかと考えているところでのリクエストだったので、エリナはまたすこし考え込む。


「え~、恋愛の話?んー恋愛で面白い話はなあ…外国のスーパーで野菜見てたら『君たちの国では正確な教育を受けられないと聞いてるから僕が教えてあげる、僕の部屋に来ない?』って誘われたことがあったよ。」


「ぎゃはは、やばすぎ!」


 マリーサは手をたたいてゲラゲラと笑っている。


「この世で最も女性を口説くのに向いてないやつに話しかけられたな。」


 カルロは後ろの地面についていた両手を前に持ってきて、お~怖い怖いみたいなジャスチャーと表情をしている。


「…マジで危ないじゃん。大丈夫だった?」


 思いのほか深刻に受け止めているグアダルーペは顔が引きつっている。


「私も、ちょっと怖いわ。」


 シャルロッテもびっくりした顔をしていたので、一発目のつかみとしては失敗したなとエリナは反省した。


「ごめん、ごめん。恋愛の話でそんなに面白おかしく語れることがなくて。」


「俺のいる地域だと、そういうのはマジで危ない。」


「たしかにもっと直接的に笑える話がよかったか。うーん、あとはね?」


 エリナはこの失態を取り返そうとして、間髪入れずに次の話を展開した。


「友達とクリスマスの屋台に行った時なんだけど。話が盛り上がってお腹抱えながらゲラゲラ笑っていたら、知らないおじさんに『あまりアルコールを飲みすぎたらいけないよ』って本気で心配されたことがあったの。ちなみに私と友達はリラックス・ハーブティー飲んでた。」


「ははは、どんだけ騒いでたんだ。」


 今度はややウケのグアダルーペを見て、エリナはすべらない話って結構難しいんだなと痛感する。それでもマリーサだけはずっと大口を開けて笑ってくれていることがかなりの救いだ。それこそ、お酒でも飲んでるのかってくらいに笑ってくれている。


「アジア人て若く見えるし、それで未成年が酒飲んでるように見えて心配されたのかもな。」


 カルロが冷静なフォローを入れているように見えるが、顔はにやにやと笑っている。何度目かのお茶会でエリナが、「実はアジア人なのに実年齢より上に見られたことしかない」と落ち込んで見せたのを覚えているらしく、わざとこんなことを言っているのだ。

 エリナは唇を尖らせてカルロの肩を小突いた。その間もどういうわけか、カルロはずっとにやにやしている。エリナは、なんだか子供にちょっかいをかけるお父さんみたいだな、と思った。



 **********



 カルロはふと湖の方を見つめた。

 ほんの少しだけ湖面がキラキラと輝いているのを見止めながら、みんなのリクエストに応えてエピソードを話しているエリナの声に耳を傾ける。ここしばらくはエリナとシャルロッテの三人で話す機会が多かったせいか、もはや聞きなれた声は聴いているだけで何となく心地よい感じがした。エリナは聞き上手なせいで控えめなキャラクターだと思われるかもしれないが、カルロから見た彼女はわりとアクティブな一面もあり、会話もウィットに富んでいる。なによりもカルロのくだらない話にもよく笑ってくれた。


「んでね。これは本当に文化の差を感じた話!みんなにも聞いてみたいんだけどさ、みんな自分の国で『一人で外食すること』って普通?」


 エリナがみんなの顔を見渡して質問を投げかけた。なぜかちょっと熱が入っている様子で、大きく瞳を開いてみんな表情を伺う彼女は、いつもよりパッション強めでやや幼く見える。


「外食?インビスとかで、ファストフードをさっと買って食うのとはちがって、ちゃんと席について食べる店について言っているか?」


「そうそう!ランチ時に入るごはん屋さんとか、ちょっと軽食に立ち寄るカフェとか…トラットリアとか!」


 カルロが返すとエリナは「いい質問!」と言って楽し気な笑顔を見せる。そんな彼女の顔をカルロは優しい気持ちで見つめた。単純に彼女を見ていたいという気持ちと、彼女の話をちゃんと聞いてるよということを、きちんと態度で示したいと思う気持ちの両方があるからだ。

 みんなの顔を見わたすと、シャルロッテが片手に持ったグラスをテーブルに置きながら真っ先に答えた。


「私は、外食はあまりしないけど一人で食べることに抵抗?はないわ。」


「え~?私は必ず誰かと行くかも。一人だとなんかさみしくない?」


「俺も、ランチは仲間と行くかなあ。一人だと少し危ないこともあるし。」


 マリーサとグアダルーペが、顎下に手を当てて考えながら全く同じ仕草で、同じことを言った。さすが姉弟だと感心する。彼らが答えるとエリナは、今度はカルロの方を期待を込めた眼差しで見ている。


「俺もカフェにはよく行くけど、座って、何か食べ物と一緒にカッフェを飲むときは、たしかに家族や友人と一緒だな。…それがカルチャーショックだったのか?」


 きちんと答えると、すかさずエリナがカルロに向かってビシッと指を立てた。かと思うとチッチッと指を振りながら、まるでとっておきの秘密を話してくれる時のような勢いで、全員と目を合わせる。そんな彼女の姿を見てカルロは「そういえば自分の母親もこんなふうなジェスチャーをしていたよなあ」なんて思い出していた。


「そう!それね!日本だと、一人でご飯屋さんに入ることって、ごくごく当たり前のことなのよ!」


「へえ!そうなんだ。やっぱ治安良いんだね。」


 一番反応したのはグアダルーペだ。すると今度はグアダルーペの方を見ながら、エリナは話を続ける。


「確かに治安は良いかも!ドイツに転勤して二年くらいたったころにね?同僚から『エリナは一人でカフェに行ってるの?』って言われて『そうだよ?』って返したら『友達いないなら、紹介しようか?』ってすごい憐みの目で見られちゃったんだよね。」


 どうにもエリナにとってはかなり衝撃的な話だったらしく、未だに「とは言えドイツ以外の国ではどうなんだろう」と一縷の望みをかけて、色んな国の人に話を聞くようにしているということらしい。カルロ的には、一人でカフェにいるやつはたまに見かけるしそんなにびっくりすることだろうかと思ったが、「俄に信じがたい話だ」といった様子で一生懸命話しているエリナがとても可愛くて、口を挟まずにいた。彼女の話に耳を傾けているとマリーサとグアダルーぺが、息ぴったりにやはり似たようなことを言い始めた。


「あ~その人の気持ちはちょっと分かるかも。」


「うん、俺もかな。ちょっと孤独な人間に見えなくもない。」


 頷き合う二人を横目に見て、エリナはみるみる肩を落としていった。思わず「いやそんなことないんじゃないか」と言って慰めようかと逡巡していると、珍しく食い下がってエリナが持論を展開し始めた。


「やっぱりそうなの…?私、ひとりでのごはんが普通のことだと思っていたから、趣味で街のいろんなランチ店を一人で開拓していたんだけどね?食べること、大好きだし。そしたら同僚に『それ完全に友人のいない寂しい人間に見られてるよ』って言われて。それ聞いた後に、ふと周りを見渡したら確かに、満席の店内でひとりランチしてるの、私だけだったんだよね…」


 その場を想像してみたが、客観的にみて確かに悲しかった。しかし同時に、エリナ本人はわりかし満足そうに美味しいものを頬張っている様子も想像できる。カルロは想像の中の、一人で店にいるエリナの隣に駆けつけて一緒にごはんを食べる想像をしてみた。彼女はきっと一瞬驚いた後、喜んで迎え入れてくれるだろう。

 その間にも、エリナはさらなる実体験を話し続ける。 


「それでも根強く一人でランチに行ってたんだけどさ。帰国するまで、自分以外に一人でランチしている人を見たのは、カフェでコーヒーとケーキのセットを注文していたおばあちゃん、ただ一人だけだったんだよ。しかもその時、たまたま一緒に来ていた友達がそれを見て「かわいそう、おばあちゃん一人だ。」って!…決定的だったよね。それでようやく、確かに私は孤独な人間だと思われていたんだって実感したもん。かなりカルチャーショックだった。」


「あ~けどほら。日本人はシャイって言うからさ!ごはんも他人と食べるのが恥ずかしいとかじゃなくて?」


 マリーサはフォローしようとしたようだったが、きっとエリナからすると絶妙にポイントがずれているんじゃないかとカルロは思った。今までエリナとたくさん話してきた中でイメージできる、エリナを通してみた世界では、そのフォローは何か違和感と言うか。そういうのとは根本的に違う、まだ知らぬ文化的背景が理由な気がするのだ。カルロの思った通り、目の前のエリナは笑ってはいるがそれは少しだけ困ったような笑顔だった。


「いや、ないない。いや、そういう人もいるかもしれないけど。もっと単純な話。一人でランチに行ったりするのは私にとって普通のことなんだよ。老若男女、関係なく。だって食事の時間は深く味わって楽しみたいじゃない?」


「一人でなら、たしかに。でも私はしないかな。なんでわざわざ一人で食べに出かけるの?」


 いまいち的を射ないという表情で、それでもマリーサは一生懸命考えようとしているようだった。こういう二人のやりとりを見ていると、彼女たちが仲が良いのは二人とも根がとても真面目だからだとカルロは思う。


「それね。私からすると逆に、外食の時に毎回わざわざ家族や友人と予定合わせないと食べたいもの食べられないの不便じゃない?って思うの。」


「え~。外食ってちょっと特別っていうか。家族や友人とか、大切な人と一緒に食べてこそ楽しいじゃん。一人なら、家でちゃちゃっと食べればいいし。」


「それもわかるよ!私も友達と食事に行くと楽しいし。けど自分のためだけに外食に行くのも楽しくない?外に食べに行きたいときに毎回他人に連絡してたら、疲れるし面倒だもん。それより、毎日どんな美味しいもので満足するかの方が重要かな。」


「え~私はそういう時はもう、家で簡単に済ませちゃうからなあ~。」


 話のテーマ自体はどうでもいいような日常の一コマでしかない。しかしそれはあまりに日常すぎて、双方の感覚や価値観の違いがお互いの間に立ちはだかっているのが分かる。真に互いを理解するにはまだ時間がかかるのかもしれないが、お互いに理解し合いたいという想いを共有している二人は、何を話していても笑顔が絶えなかった。少し羨ましく感じながらも、カルロは真剣に話し合う二人をずっと見守っていた。


「私も、エリナの言うこと少しわかる気がします。誰と食べるかも、もちろん大切ですけど。毎日のことですし、気にしていたらもったいないというか。いつ終わるか分からない、人生には限りがありますから。」


 これまでずっとカルロと同様の姿勢でいたシャルロッテの発言は、その姿勢も含めて終始真面目だったが、カルロはまるで生き急いでいるような彼女の発言が引っかかった。不自然とまではいわないが、なんとなく違和感を持つのは、カルロの持つ年齢への偏見なのだろうか。

 これは彼が以前から感じていたことだが、年の割に落ち着いているシャルロッテを尊敬する一方で、どこか危うさすら感じる発言を心配に思うことがあるのだ。もちろん本人はいたって普通にしていて、悲壮感とかそういうものは一切ないのだが。


「ね!自分のために用意してもらった食事、ちょっと贅沢な時間を楽しみたい。そう思っちゃうのよね。」


「はあ~なるほどなあ。」


 マリーサとグアダルーペは「う~ん」という表情のままだったが、なんとか理解を示そうとしているのが伝わる。エリナはそれを感じ取って嬉しかったのだろう、ニコニコとしていた。


「たぶんエリナって、基本的にグルメなんだよ。ティータイムの時も、いつもナイス・コメンテーターやってるしな。」


 そう言ってカルロがニカっと笑いかけると、エリナは声を上げて笑った。


「まあ、俺もカフェでエスプレッソ頼むときは一人だしな。そんな数分もかからないのに人を呼びつけたりするのは変だし。エリナのは、その延長線上だろ。」


「カルロ…!!」


 エリナが冗談っぽく感激した様子でバシバシと大げさにカルロの肩をたたいた。一瞬、サッと腕で防ぎかけたカルロだったが、おおげさな仕草の割にかなり控えめな叩きに拍子抜けし、思わず笑ってしまった。そのまま受け入れてされるがままにしている間、エリナはずっと笑っていた。

 カルロにとって、エリナとのやり取りはずっと楽しい。言葉を交わすたびにパズルのピースがパチリとはまる時のような感覚を得て、満ち足りた幸せな気持ちになれる。そのたびにカルロはもっとエリナと、ずっと話をしていたい、一緒にいたいと思うのだ。


 ーーエリナは、どう思っているんだろうな。


 すでにマリーサたちの方を向いている彼女の横顔を見つめて、彼女も同じことを思ってくれていたらいいなと、そんなことを考えた。


「なんかとっても些細で、マジでどうでもいいようなことだけれど。こんなに理解が難しいなんて思わなかったわ。」


 マリーサが深く考え込んだ表情をして言うと、エリナも「そうだね」と軽い相槌を打つ。追って姉とそっくりな表情のグアダルーペが、ゆっくりと口を開いた。


「そうだねマリーサ、きっとこれが異文化ってやつなのかな。みんなのことを本当に理解したいと思わない限り、自分が多数派にいることも認識しないまま、深く考えずに流してしまいそうになるよ。俺もみんなとのお茶会だからこそ、ちゃんと耳を傾けようって思えるんだよね。」


 グアダルーペがそう結論を語ると、全員が黙って頷いてその意見に同意した。

 その瞬間ほんの少しだけ会話が止まり、さわさわと頭上の木葉が擦れあう音が聞こえた。そこでカルロは、自分たちがピクニック開始時からずっと途切れなくわいわいと会話をしていたことに気がついた。それはこの場みんなの、気の置けない関係性を物語っているようだった。


「……そうやって伏し目で考えこんでると、ほんと瓜二つだな。」


 特に何の意図もなかったが、二人をまじまじと見つめたカルロは沈黙を破った。


「あら、私も同じことを思っていたわ。」


 シャルロッテがそう言うと、何故かエリナがビクリと驚いた様子で言葉に詰まりながら「わ、わたしも同じこと思った」と言葉を重ねた。あまりの挙動不審にどうしたのかと彼女をこっそり見ていると、今度はだんだんニヤついてきているのが分かった。


 ーーくく、なんだよそれ。


 意味は分からないが、カルロはそういう彼女の謎の行動すらも気になってしょうがなかった。


「ふふふ、私もよ。おんなじこと思ったわ。」


 ラウラがそう言ったことで全員が同じことを考えていたことが露呈し、みんなは一斉に笑いだした。はじめはこっそりニヤニヤしていたエリナも、今はみんなと同じように笑っている。そんな彼女がおもしろくも可愛らしくて、きっとみんなとは別の理由だったが、カルロも口をあけていっぱい笑ったのだった。


 ひとしきりはしゃいだ後。ふうと一息つき、そっと目を閉じる。

 そわり、そわりと、肌を撫でる風と太陽のぬくもりを感じた。

 カルロはあたたかい幸福が胸に灯るのを感じていた。



20241117_修正

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