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名より実

作者: 公社

「公爵閣下、ご無沙汰しております」

「そう畏まらないでくれ。互いに知らぬ者でもないのだから」

「そうは仰せでも、本日のご用件は……そういうことでございましょう」


 ある日、王国の重鎮の1人、ヒルデスハイム侯爵の屋敷を訪れたのは、これまた王国でも一二を争う大貴族であるクラウゼヴィッツ公爵の当主フェリクス――当年28歳。若くして公爵家の家督を継ぎ、次代の宰相と目されている新進気鋭の青年だ。


 その目的は、幼い頃からその為人(ひととなり)を良く知る、侯爵家の令嬢ルイーゼに婚約を申し入れるためであった。


「私のような年寄りではお気に召さないか」

「年寄りなどと仰るお年ではございませんでしょう」


 ルイーゼは現在18歳。先日高等学院を首席で卒業したばかりのうら若き才女である。


 中央政界に広く人脈を持つ公爵家と、国内で最も農業生産が盛んな侯爵家。この二家が縁付くとなれば、それは所謂政略結婚というべきものだろう。


 相手は昔から兄様と呼んで親しくしていた人だから、まさかそんな申し出をされるとは思っていなかったが、嫌な話ではないし、政略となれば10くらいの年の差はよくある話だとは思っている。


「年の問題ではないとすると……溢れ者にどうして声をかけたのか、といったところかな」

「閣下にはお見通しでしたわね」


 しかし、今このタイミングでの申し出に、ルイーゼは若干の懸念があった。淑女たるもの感情を出してはならぬと教えられてきた彼女だから、当然顔にそれを出したつもりはないが、同じく高位貴族の子として育てられたフェリクスもそれはよく分かっており、ルイーゼは一瞬の困惑から、心の中を見透かされたように感じた。


「仰せのとおり、私は殿下のお相手に選ばれることもなかった"溢れ者"ですので」




 ルイーゼが通っていた高等学院には、同い年の王太子ダミアンも籍を置いていた。


 この王太子は、こと王としての才覚においては今ひとつ、今ふたつ足りない凡庸な能力の持ち主と見られていたが、一方で人柄は篤実で、家臣領民を虐げるとか、女性関係が派手といった醜聞とは無縁そうだったので、彼の表の立場たる政治の世界に関しては、臣下がしっかりと支えれば大過はないだろうと思われていた。


 そして、後は家庭人としての彼を支える妃にも、同じような素養が求められるとも……


 そのため、有力貴族たちは己の娘に対して、殿下のお力になって自身の価値を示せと言い含めて学園に送り込んだ。ルイーゼもその1人であるから、彼女は折を見て、ダミアンに苦言であったりアドバイスであったりと積極的に交流を図ったのである。


 篤実な王太子はそれらの忠告を真摯に受け止めてはいたものの、ルイーゼは優れた令嬢たちが多くいる中でも最も才女と謳われており、彼女の話す言葉の行き着く先が遥か高みにあることも感じており、自身の現状とのギャップに思い悩むこともしばしばあったらしい。そんな中で王太子の心を射止めたのは、ルイーゼとは毛色の全く違う令嬢だった。


 その婚約が発表されたのは卒業式後に開かれたパーティーでのことなのでかなり最近の話だが、それより以前からダミアンとその令嬢が懇意にしていることは知られており、ルイーゼたちは妃に選ばれることはないだろうと薄々感じていた。そこで彼女たちは、自分たちのことを"溢れ者"と称していたのだ。


 婚約が発表されるまでは、あくまで可能性が薄いというだけの自嘲であったが、今となっては負け犬の称号と化してしまったわけである。


 無論王太子妃になれなかっただけで、誰かの妻になるという未来が閉ざされたわけではないから、見込みが完全に無くなったとなれば新たな嫁ぎ先を探すことになるが、王太子の婚約発表から日も浅いうちに表立って令嬢側から動くのは節操なしに見られるし、足元を見られることになる。


 かと言って、男性のほうから婚約話を持ち込むのも、タイミングが早ければ、売れ残ったから貰ってやるという受け取られ方をされかねないので、やるとすれば外に漏れないよう互いの家同士で内々に下話を進めるのが一般的であり、当の本人が相手方の家を直接訪ねるというのは、異例中の異例と言える。だからこそルイーゼはフェリクスの行動に眉を顰めるのだ。


 優秀と謳われる公爵閣下にしては軽率すぎやしませんか? と。


「それだけ君を他の男に取られたくないと考えていると、好意的に受け取ってもらえれば幸いだ」

「私のような小娘にそれほどの価値がございますでしょうか」

「ある。実際にシンシア嬢が殿下の婚約者となったのは、君の力添えが大きいらしいではないか」

「ご存じでございましたのね」

「学生たちの中の話とはいえ、いずれ国政にも深く関わる話だからね。知らぬ顔はできまい」




 シンシアとは、王太子の一学年下で入学した伯爵家の令嬢であり、先ほど話したルイーゼとは全く違う毛色の女子とは、まさに彼女のことである。


 その性格は一言で言うならば控え目でお淑やか。物静かであまり自己主張をすることもなく、どちらかというと人の話をじっくりと聞いて寄り添うといった具合だ。 


 伯爵令嬢は格で言えば妃となれなくはないが、シンシアの生家はそれほど力のある家ではなかったので、王太子や王妃の後ろ盾となるには弱い。そのため彼女は王太子妃となる望みなど持ち合わせてはいなかったが、ある日のこと、苦悩する王太子からその内心を打ち明けられるということがあった。


 周囲からの期待、それに伴う苦言や提言。分かってはいるがその期待になかなか応えられないことからくる重圧。王太子の偽らぬ本心、しかしながら臣下の身としてはできれば聞かされたくない話であったが、シンシアが口を挟むことなくそれを聞き続けたことで、ダミアンは気が楽になったような感じがしたという。


 そしてそのことをシンシアに話すと、彼女は非才の身では大したアドバイスもできないし、まして頑張れなどと勝手に励ますのも不敬だから、話を聞くことしかできないが、それで少しでも心が軽くなるのなら、いつでもお話しにいらしてくださいと、にっこり微笑んだという。


 こうして、何の運命か2人は次第に心を通い合わせるようになったのだ。


 しかし、これは妃の座を狙う他の令嬢には面白くない話であるから、このせいでシンシアが有象無象の嫌がらせを受けたことは想像に難くない。


 実際に本人も妃の器ではないと思っていたので、可能であればそういった喧騒とは距離を置きたいと願っていたが、自身の存在がダミアンの支えになっているということも分かっていたから、敢えて甘んじてこれを耐え忍んでいた。そんなとき、彼女を助けたのがルイーゼであった。


 当初、他の令嬢たちと同じように、シンシアに対して身を引くように仕向けようという声が、ヒルデスハイムの家門に連なる家の令嬢たちの総意であった。


 ルイーゼがそこで首肯すれば、シンシア本人、もしくは伯爵家が良からぬことに巻き込まれることとなったわけだが、彼女たちが仕える(ルイーゼ)がそれに対し、


「で、それを成せば殿下のお心が私のものになるという保証はあるの?」


 と言えば、妬み嫉みが理由の妨害であるから、それに"はい"と答えられる令嬢はいない。


 むしろルイーゼは、2人の仲を応援する側にいち早く回って、他の家門の令嬢たちの嫌がらせからシンシアを守るという判断をしたのだ。


 そして、嫌がらせとこれを守るルイーゼたちの攻防が少しずつ激しくなると、やがて王太子の耳にそれが届くに至り、シンシアが本格的にダミアンの庇護を受けるようになると騒ぎは治まりを見せたわけだが、これが結果的に王太子妃選定の契機になったと言える。


 何の力も持たない伯爵家の令嬢ではあるが、そこにヒルデスハイムの令嬢が力を貸すとなれば、王家としても妃に迎えるのに不都合は無いという判断だろう。




「未来の王妃の座は逃したが、その親友としての立場、そして王太子殿下の信頼も勝ち得たのだから、シンシア嬢を除けば一番の勝利者ではないかな」

「それが一番最善と思ったまでのことです」

「と言うと?」

「私が妃の座を望んだのは、ひとえにヒルデスハイムの栄達のため。当時はその最善が殿下の妃になることと考えておりましたが、どうにも相性が悪すぎると思うようになりましたの」


 未来の王妃を輩出すれば、実家の地位は格段と高くなる。だからこそ各家の当主は娘にそれを求めたわけで、ルイーゼもそれに従い行動したが、如何せんダミアンとは性格が合わないとも感じていた。


 決して悪い人ではない。努力をしようとする姿勢は評価している。しかし能力がそれに追いつかないこともしばしばあるためか、必要以上に思い悩む悪癖も垣間見えるから、口出しせざるを得なくなるの繰り返しだ。


 ルイーゼは、故に自分が妃となれば、家臣たちは私に殿下をどうにかしてくれと考えることになるだろうが、むしろ言えば言うほど真面目な殿下が思い悩むに至り、いずれ身を壊しかねないと懸念したのだ。


「かと言って程々で収めては皆が納得する成果は出ないでしょうし、何より私が納得できません。どちらにせよ不和の種を生むことになり、妃の座を得たことで却って名を落としかねません」

「それでシンシア嬢をフォローする立場に転身したわけか」

「ええ。あの2人、お似合いでしょう。元より政は臣下がそれを担えば大過はないという評価ですし、後は時々殿下の愚痴をシンシア様がうんうんと聞き入れて差し上げれば万事上手く収まるかと」


 歩みはゆっくりだが一歩一歩を踏みしめて成長しようとする王太子と、常に側にあって余計なことを言わず、暖かく見守る妃。円満な夫妻になるのではとルイーゼは見立てていた。


「あくまで目的は家門の栄達。王妃を目指したのはその手段に過ぎません。他の方法でその目的が達せられるなら、それを選ぶのが妥当でございましょ?」


 多くの令嬢は親からそう言われたからと、王妃の座を目指していたが、ルイーゼが言う通り、それは目的を達するための1つの手段でしかない。


 実際にシンシアという強力なライバルがいて、仮に彼女を蹴落としてその座を掴んでも、目的が果たせるか怪しいとなれば、目指すだけ損というわけだ。




「良い狙いだと思う。殿下の心のケアはシンシア嬢にお任せすればよいのだからな」

「あら、まるでシンシア様がそれしか能の無いような仰りようは如何なものでしょう」


 シンシアも伯爵令嬢としての嗜みは身に付いている。されど未来の王妃となると、更に一段高いものを要求されるわけで、元々妃になろうと考えていなかったから、そこに対する教養が足りなかったのだが、この一年でルイーゼが習得してきた数々を彼女に伝授してきた。


「ですから、王妃となられても他者に侮られるようなことはございませんわよ」

「なるほど。それを教えたルイーゼ嬢は、謂わば未来の妃殿下の師。信頼に足る人物であるな」

「閣下は当然そこまでご存知で当家にいらしたのですよね」

「無論だ。だからこそ、君を妻に迎えたいと考えたのだからな」


 妃の座を無理に争うくらいならば、協力者という形で関与したほうが、相手の心象も良いし、後々の繋がりを築くには効果的だと考えたルイーゼの判断。


 フェリクスはそれこそが自身の求めていたものだと言う。


「つまり、王太子殿下との強固な繋がりを持つ閣下の元へ、妃殿下との繋がりを持つ私が嫁げば、クラウゼヴィッツの権勢ここに極まれりでございますわね」

「両家が縁付き、次代の国王夫妻との縁も強固となれば、ヒルデスハイムにも悪い話ではあるまい」

「政略結婚ですわね」

「政略結婚だな。だが私も男だ、誰でも良いというわけではない」




 貴族とは家の繁栄を第一に考えるもの。故に益をもたらす相手と縁付くのは当然の話だが、男である以上は美しい女性を娶りたいと願うフェリクスの言葉は、下衆な話だが本心だろう。


「正妻が好みでないのなら、妾でもお作りになればよろしいのでは? 公爵家ならばそれくらいの財力はございますでしょ」

「財力はあるよ。だけど無駄だろ」


 貴族ならば妾の一人や二人居ても不思議ではない。実際に家の外に女がいて、子供もいるという貴族は多い。


 しかしフェリクスは、正妻が愛するに足る人物ならば、わざわざ外に女を作る必要は無いだろうと、それこそ時間の無駄ではないかという考えの持ち主で、故に今まで婚約者も作らなかった。公爵という立場を考えると、28という年まで独身なのはかなり珍しいといえる。


「そこへようやく妻に迎えたいと思える令嬢が現れたわけだ」


 それはつまり、政略を抜きにしても、希望に添える程度に美しく成長出来たと考えてもいいのかとルイーゼが問えば、フェリクスが笑顔でそれに答えた。


「君のことは小さい頃から良く知っているが、兄様兄様と子犬のように懐いていたあのお転婆姫が、私が求婚したいと願うくらいの令嬢に成長したこと、時の流れを感じるよ」

「……少々発言が年寄りじみておりますわ」

「……いかんな。重鎮の御老体と長く関わるせいか、どうにも思考がそちらに寄りがちだな。それはともかくどうであろうか。発言が少々年寄り臭いかもしれんが、君を大切にするという言葉に偽りはないし、何より両家にとってメリットのある話だと思うが」

「とても有り難いお話ですわ」


 ルイーゼに否やはない。元々政略で縁付くのだと考えていたのだから、思いがけない良縁だと思っている。


「それはもう、年寄り臭いのを考慮しても、十分に有り難いお話ですわ」

「おい……」

「冗談ですわフェリクス兄様。末永くよろしくお願いいたしますわ」




 こうして、王国でも有数の貴族である二家の縁談は成立した。


 後に、夫フェリクスは新国王となったダミアンを宰相として、妻ルイーゼは王妃シンシアの良き相談相手として、共に国王夫妻を支える立場となり、その揺るぎない権勢をもって王国の繁栄に貢献した。


 またプライベートでも二男四女の子を授かったこともあって、フェリクスは終生外に女性を持つことはなかったという。

政略結婚でも幸せならいいんじゃないですかね

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― 新着の感想 ―
いい意味で公私混同出来るんならそれに越したことはないですね。
[良い点] 政略結婚というか、お見合い結婚の方が、離婚は少ないって話。 条件と相性が合ったら、0から作り上げていく方が、長続きするんじゃないかと思います。 恋愛結婚に異議があるわけじゃないんだけどね。…
[良い点] 政略結婚だってお互いが相手を敬愛すれば、大切にしあえばいいのでは? 恋愛結婚もお見合い結婚もどちらでも同じように幸せになれるはず。「名より実」っていいですね。
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