初恋
高台にそびえる高層マンションからは、遠くの海が見える。
街中の家々の明かりは大人のモダン住宅の一部のようにアクセントになった。
「カーテンもまだで」
「そうだね」
「あ、でも、エアコンがついているから、寒さには対応できると思うよ」
「毛布もあるしね」
「う、うん、一組だけね」
「でかいからいいじゃん」
「クィーンサイズだからね」
「そうなんだ」
「う、うん、そうなのですよね」
顧問弁護士付きの元婚約者の彼女は「だって、私を見なかったから」と友達に言った。
「私を見なかった。アツシは、私でなくて、現れた彼を観ていた。私がアツシを観ていたと同じ目で、だから許せなかった」
「アッくんって童貞なの」
「そうだよ」
「結婚破棄された彼女も」
「そうだよ」
「だろうね」
だろうねって、言葉にむっとなった。
「あのきれいなねーちゃん、百合持ってて、ヘッドドレスにミカンの花があったもんね」
「そういうのって、よくわからん。彼女は貞操を守る人だったから、婚前交渉とかそういうノリもだめだし、僕もそういうものだと思っていたし」
「キスとかは」
「ないよ! 」
「え」
「チャーチでのキスがファーストキスだって言われていたから」
「アッくんもそうなの?」
「え」
「え、ってなによ」
いや、実はそうじゃないことは言えない。目の前の自分よりも若くて元気な神隠しにあったこの人が小学生の自分にキャンディーをくれたこと。ヴァレンタインのチョコレートがバッカスで「うわっ、まずっい」っていうから珍しくてのぞき込んだら、「お前にもくれてやるわ大人の味を」ってきゃっきゃいいながら舌の先にピリリと来た煙草の味とざらついた砂糖コーティングのお酒のチョコレートの味が口に広がってきたこと。
たぶん覚えていないだろう。だからぼんやりと「そうだね」とか言ってみた。
「俺は覚えているぞ、メガネかけたクソガキだった。なんでそいつにチューしたのか覚えてねぇし、間違ってもロリペドじゃねえし、まあ、なんっつうかな、手付?みたいな」
「みたいなってなんだよ。うわぁ、なにそれ、本人が聞いたら引く」
「本人前にして言ってるんだけどね」
「う、うわあああああああああ」取り敢えず、鍵のかかる部屋にアツシが逃げた。「ごめんなさいキャパオーバーです、今、ちょい、オーバーです」
「開けて、それより、こちらこそ、膀胱タンクもうオーバーしそうなのです」
「だからって、なんで今ここで、それ言うかなぁ」
「え、だってここ、そういう流れっしょ」
「やーめーてぇええ」
アツシはたまに思う。楽天的で馬鹿ほど自分が落ち込んだりしたときにひょいと垣根を越えてきてくれる。そういう人がとても憧れていた。自分がとても狭い心の持ち主であるがゆえにコンプレックスを覆してくれる人がいるということが嬉しくてしょうがなかったということを。