五里霧中の試行錯誤
目覚めたらいつもの退屈な日々というのは、学生か社会人の特権だと思うのだが、現在この二人にとって目覚めは退屈な日常からは程遠い。まず、目を覚まして、これが現実世界なのだと確信してがっかりする。
あまり使わない床の間に宅配便で大量に届けられた熨斗だとか海苔だとかの乾物が引っ付いている水引群。軽いのに重たい結納セットと書かれている段ボールをドア越しに見て通り抜ける。
なのに、一緒に起きたそいつは普通にどんぶり飯でご飯を食べ終わっているのだ。
「若いって凄いわねぇ」
と、母親が笑っている。
「アッくんは、小食ったからねぇ」
「そうだね、遠慮しないで食べなさい食べなさい」
父親も好々爺のような笑いだ。
「おはよう」
アツシがそろそろと空いている椅子に座った。
「おはよう、アツシ」両親が同時に声をかけた。
「はよ」
「おはよう、あ……眼鏡、眼鏡かけている」
「コンタクトは通常時しないよ」
「……眼鏡、うん、眼鏡似合うね」
「飯食え」
ぶっきらぼうとすっとんきょうが黙って黙々と食事を始めた。高校生の通学路である道沿いから、学校のチャイムが響き聞こえてきた。
ヤンキー高校は、この前リニューアルして近代建築に建て替わった。このところの生徒数の減少で数年おきに制服を変えたり学校アピールを斬新にしているらしい。昔からあるモノと言えば、
「キタねぇ部室!」
外装だけはきれいに塗装しなおされている。コンクリートの固い建物は三十年以上同じ場所に耐久性があるみたいだ。
「クラブに入っていたの? 」
「入ってない。ダチが入っていたけれど名前だけだなぁ、だってくせぇし、キタねぇんだもん」だろうね。という答えだった。学生がよく抜け出でいた鉄状柵は道路一面に沿って城壁のように高いコンクリートの壁になっていた。おかげで近隣住宅への騒音が少しだけ減った。
「なんもねぇなぁ。すげえ綺麗じゃん」
アツシは二人で外来者用のスリッパを履いて学校の中を歩き回っていくうちにふと気がついた。目の前にいるのは17歳か18歳の少年であることだ。飛び跳ねていろいろ見て回っているが、ふと並んで歩くと自分の方が背が高く目線が頭皮のつむじに行くということ。
「ジャイアン、じゃなくて、剛田先生っておられますか」
職員室にペコっと頭を下げて、教員全員に睨まれたが口調はガキそのもので楽天的。ふわふわと癖毛の髪の毛が綿毛のように揺れるが、その先は少しだけ汗ばんでいた。
「そうですかぁ、ですよねぇ、はあ」
「どうした? 」
「ジャイアン、じゃなくて、剛田っち、定年退職ってさ」
その場で言う軽さ。
「うーん。そうか」
職員の女性が目の色を変えて「特別教室って今日じゃなかった?特進クラスの授業で再雇用されているのですよ。ね、ジャイアン先生」入試が終わるぎりぎりでも大学受験生プログラムが続いているらしい。「うちの学校、あれでしたでしょ、でも、学校そのものは古いから、受験生に有利なのよ」「いや、それは推薦組だけっしょ」「えー君も酷いこと言うね」「俺、OB? OBになるのかな」「あら、やだ。卒業生? ヤダぁ。君みたいな子覚えてないの先生損した! 」
おじいちゃんの先生は、「おう、マムシじゃねぇか、お前生きていたのか! 」だった。昨日の騒動で、親との連絡が取れず確認の連絡で元教員の剛田先生にまでつながていた。
「ほんとにお前だな、先生びっくりした」
と、先生独特の挨拶のような大きな手が背中をバシバシ叩いていた。そのたびに「いてぇっつうの」と笑っていたが「今日はラッキーだぞ、先生が巨大三角定規とかコンパスとか持ってなくてよかったわ」って普通の会話になっているところもアツシには引くところだった。
そして、教員らしく押し付けるように、
「親とのことがありますが、こちらも尽力いたします。その間、どうか、こいつのことよろしくお願いいたします」とぐいぐい来られた。
ふと、「なんでマムシ? 」とアツシが聞いてみたら、知らねぇと言われたのでうすぼんやりとそのまま過ごしていたが、入れ替わりに実家に戻ってきたアツシの妹に「斎藤利政っての、凄い名前。マムシだ、マムシ」と言って「兄の無知のばぁか」と笑われた。子どもと遊んでいる姿をアツシが見とれているけれど、「兄、私の部屋返してよ。隣はパパが週末だけ使うから。もう部屋ないよ」と言い出した。
「おにーちゃん、広い部屋持ってんじゃん。35年ローンの2LDK」
新居予定で購入した搬入開始が明日になっていた新築マンションのことをすっかり忘れていた。