神様日和
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
好きの反対は、嫌いじゃなく無関心である、とはときおり耳にする言葉じゃなかろうか。
私たちは何かと、自分の行動にレスポンスを求めてしまう。
やったからには結果が出てほしい。自分の行動や考えがどのようなものであるかの批評がほしい。よしにつけ、悪しきにつけだ。
ゆえに、長く結果が出ないまま頑張ることはしんどい。
捲土重来、鳴かず飛ばず、雌伏の時など、結果をぱっと知ることができる後世の者ならともかく、現在進行形で頑張っていた自分は、つらいなんてものじゃなかったと思う。
実際、頑張り続けたが何も残せず、消えていったものも歴史には多いだろうからな。そりゃ、すぐに現れる成果に飛びつきたくもなるさ。
それが子供ならなおさらだ。ちょっとした行動で変化が起こせると、ついそいつを何度も繰り返してしまう。おかげで、奇妙なことを引き寄せることもまれにある。
私の昔の話なんだが、聞いてみないか?
当時、小学校にあがったばかりだった私たちにとって、天気と身体に関することは、身近に触れられる不思議だった。
雨が降ることもまた、私たちにとってはひとつの不思議。その後にできる水たまりは、格好の遊び相手でもあったが、私たちの関心はもう少しずれたところにもある。
井戸づくり、と私たちは称していた。
もちろん、厳密に穴を掘って石で囲って……などという、本格的なものじゃない。
ぬかるんだ地面を靴底で踏んだり、かき分けたりして、その下から水をにじませ、湧き上がらせるというものだ。
内情はどうであれ、それまで表に出てこなかったことを、現実にするんだ。
しかもそれが、自分の行いによって。しかも時間をおかずに反映されるんだ。自分を認めてくれたような気がして、私と一部の友達はこの遊びにはまっていった。
どれほど水を出せるか。それによって、いくつの水たまりをこさえることができるか。
さながら神様のような行い。シミュレーションゲームのごとき感覚で、雨降りを。厳密には雨があがった直後の瞬間を、待ち望んでいたのさ。
その日は朝からのざあざあ降りだったが、一日中ひどい降りになるだろうという予報ははずれる。帰りのホームルームが終わるころには、雨はちょうど止みかけになっていたんだ。
かっこうの「神様日和」だと思った。
私たちはホームルームが終わると、すぐに昇降口を出ていく。
この時になると、決まって舞台とする場所は決めてある。自動車専用道路の高架をくぐってすぐ右手。資材置き場になっているフェンス沿いを歩いてたどり着く、もと駐車場だ。
草がいくらか生えているだけで、他はむき出しの土が顔をのぞかせている。それらはたいてい、いい具合に水を飲みこんで、足を乗せれば簡単に靴跡を表に残す。
元からできている水たまりには、なんの価値もない。
手ずから作り上げるもの。そして、自分のアクションに対し、敏感にレスポンスを返してくれるもの。
それこそが、若き承認欲求を満たすに足る条件だったんだ。
その日は、いつもに増して面白いように水たまりが湧いた。
足を乗せて、ひとつかけば音を立て、ふたつかけば涙がにじみ、みっつかいたら靴濡れる、といった拍子で、私たちはどんどん靴の形の池をもうけていった。
あまりに数が多すぎて、中には「合流」してしまった池もある。わざとじゃなければ、共有財産という扱いだったから、それはそれで例外を認めていた。
結果、広場の中央には大きな池、いや湖ができていた。
私を含めた参加者4名。その全員の足跡から流れいずる水の合流地点。雨と泥の交わる黄土色の水は、その底さえ見通せない濁り具合。
私たちの作った水源から、そこへ注ぎこまれる水はいまだ止まらず。湖のかさは、わずかずつだが、確実にせり上がっている。
――文字通りの掘り出し物だな。
満足気な私たちは、その日の収穫をそのままにし、この場を後にしたんだよ。
翌日は、打って変わっての晴天だった。
朝から強い陽の光が照り付け、昨夜の雨の後はほとんど残されていない。
それが午前どころか、午後までいっぱいだ。
すでに、近所の河川の水量もそれなりに落ち着いてきている。だとすれば、昨日の水たまりが存在し続けられる道理はないはずだ。
なのに、湖はそこにあった。
放課後、真っすぐにあの広場へ向かった私たちが目にしたのは、すっかり水源たる足跡の水を失ったにもかかわらず、なみなみと水をたたえる湖の姿だった。
そんなバカな、と私を含めたみんなが思ったよ。もはや道路の湿り気さえ、ほとんど失せている時間帯だというのに。
一度作った池のたぐいは、神様の不文律によって必要以上の手は加えないようにしている。誰かが水を後からつぎ足したのだろうか。
にわかに信じられず、私は神様代表として、近くの小枝を手にして池をつついて見たんだ。
ほんのわずか、枝の先を沈めただけなんだ。
なのに、私の差した枝は湖の底をつくばかりか、さしたる抵抗もないまま潜り込んでしまった。
身体も心も、想定してない。私は枝から手、手首、ひじと一気に湖へ飲み込まれて、バランスを崩してしまう。
とっさに、みんなが捕まえてくれなければ、完全に水の中へ落ち込んでいたかもしれない。それほどまでに濁った湖の底は深くなっていた。
片腕を完全に濡らしながらも、どうにか枝を手放し、陸へ尻もちをついた私。
だが枝が完全に沈んでよりほどなく、私たちは水の巻く音を耳にする。
ほどなく、湖の真ん中に、実際に渦巻きが現れる。
細長い渦の中央は、どれほどの深みがあるか見通せないほど。しかしそれが、栓を抜いた排水口のように、ぐんぐんと水を飲みこんでいく。
それにつれてあらわになる、池の全容は私たちの想像を、大きく上回るものだった。
せいぜい、二人が手をつないで輪を作れば、囲えてしまえそうな池回り。そこからのぞいいくすり鉢状の地形は、1メートルを超えてもなお深くへ潜っていく。
大人さえ、すっかり頭が隠れてしまうくらいまできて。
ようやく傾斜は中央に集まり始め、水はことごとごくその真ん中へ飲み込まれていく。
私たちのおはちがそのままはまり込んでしまいそうな穴。おそるおそる遠巻きに見る私たちの目の前で、穴はひとつ大きなげっぷをしてみせた。
すっかり呑み込まれてしまった水たち。その一部を、しぶきとして飛び立たせながらだ。
私たちはおののくまま、あたりから土たちをありったけ集めると、次々と穴と周りに注ぎ込んでいき、埋めて固めてしまったんだ。夢中になりすぎていて、終わるころにはあたりも暗くなり出していたよ。
ひょっとして私たちは神様として、あの湖を作ったのみならず、その下に住まう何者かさえも作ってしまったのかもね。