表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

神様日和 

これは、とある人から聞いた物語。


その語り部と内容に関する、記録の一篇。


あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。

 好きの反対は、嫌いじゃなく無関心である、とはときおり耳にする言葉じゃなかろうか。

 私たちは何かと、自分の行動にレスポンスを求めてしまう。

 やったからには結果が出てほしい。自分の行動や考えがどのようなものであるかの批評がほしい。よしにつけ、悪しきにつけだ。


 ゆえに、長く結果が出ないまま頑張ることはしんどい。

 捲土重来、鳴かず飛ばず、雌伏の時など、結果をぱっと知ることができる後世の者ならともかく、現在進行形で頑張っていた自分は、つらいなんてものじゃなかったと思う。

 実際、頑張り続けたが何も残せず、消えていったものも歴史には多いだろうからな。そりゃ、すぐに現れる成果に飛びつきたくもなるさ。

 それが子供ならなおさらだ。ちょっとした行動で変化が起こせると、ついそいつを何度も繰り返してしまう。おかげで、奇妙なことを引き寄せることもまれにある。

 私の昔の話なんだが、聞いてみないか?



 当時、小学校にあがったばかりだった私たちにとって、天気と身体に関することは、身近に触れられる不思議だった。

 雨が降ることもまた、私たちにとってはひとつの不思議。その後にできる水たまりは、格好の遊び相手でもあったが、私たちの関心はもう少しずれたところにもある。

 井戸づくり、と私たちは称していた。

 もちろん、厳密に穴を掘って石で囲って……などという、本格的なものじゃない。

 ぬかるんだ地面を靴底で踏んだり、かき分けたりして、その下から水をにじませ、湧き上がらせるというものだ。


 内情はどうであれ、それまで表に出てこなかったことを、現実にするんだ。

 しかもそれが、自分の行いによって。しかも時間をおかずに反映されるんだ。自分を認めてくれたような気がして、私と一部の友達はこの遊びにはまっていった。

 どれほど水を出せるか。それによって、いくつの水たまりをこさえることができるか。

 さながら神様のような行い。シミュレーションゲームのごとき感覚で、雨降りを。厳密には雨があがった直後の瞬間を、待ち望んでいたのさ。



 その日は朝からのざあざあ降りだったが、一日中ひどい降りになるだろうという予報ははずれる。帰りのホームルームが終わるころには、雨はちょうど止みかけになっていたんだ。

 かっこうの「神様日和」だと思った。

 私たちはホームルームが終わると、すぐに昇降口を出ていく。

 この時になると、決まって舞台とする場所は決めてある。自動車専用道路の高架をくぐってすぐ右手。資材置き場になっているフェンス沿いを歩いてたどり着く、もと駐車場だ。

 草がいくらか生えているだけで、他はむき出しの土が顔をのぞかせている。それらはたいてい、いい具合に水を飲みこんで、足を乗せれば簡単に靴跡を表に残す。

 元からできている水たまりには、なんの価値もない。

 手ずから作り上げるもの。そして、自分のアクションに対し、敏感にレスポンスを返してくれるもの。

 それこそが、若き承認欲求を満たすに足る条件だったんだ。



 その日は、いつもに増して面白いように水たまりが湧いた。

 足を乗せて、ひとつかけば音を立て、ふたつかけば涙がにじみ、みっつかいたら靴濡れる、といった拍子で、私たちはどんどん靴の形の池をもうけていった。

 あまりに数が多すぎて、中には「合流」してしまった池もある。わざとじゃなければ、共有財産という扱いだったから、それはそれで例外を認めていた。

 結果、広場の中央には大きな池、いや湖ができていた。

 私を含めた参加者4名。その全員の足跡から流れいずる水の合流地点。雨と泥の交わる黄土色の水は、その底さえ見通せない濁り具合。

 私たちの作った水源から、そこへ注ぎこまれる水はいまだ止まらず。湖のかさは、わずかずつだが、確実にせり上がっている。


 ――文字通りの掘り出し物だな。


 満足気な私たちは、その日の収穫をそのままにし、この場を後にしたんだよ。



 翌日は、打って変わっての晴天だった。

 朝から強い陽の光が照り付け、昨夜の雨の後はほとんど残されていない。

 それが午前どころか、午後までいっぱいだ。

 すでに、近所の河川の水量もそれなりに落ち着いてきている。だとすれば、昨日の水たまりが存在し続けられる道理はないはずだ。


 なのに、湖はそこにあった。

 放課後、真っすぐにあの広場へ向かった私たちが目にしたのは、すっかり水源たる足跡の水を失ったにもかかわらず、なみなみと水をたたえる湖の姿だった。

 そんなバカな、と私を含めたみんなが思ったよ。もはや道路の湿り気さえ、ほとんど失せている時間帯だというのに。

 一度作った池のたぐいは、神様の不文律によって必要以上の手は加えないようにしている。誰かが水を後からつぎ足したのだろうか。

 にわかに信じられず、私は神様代表として、近くの小枝を手にして池をつついて見たんだ。



 ほんのわずか、枝の先を沈めただけなんだ。

 なのに、私の差した枝は湖の底をつくばかりか、さしたる抵抗もないまま潜り込んでしまった。

 身体も心も、想定してない。私は枝から手、手首、ひじと一気に湖へ飲み込まれて、バランスを崩してしまう。

 とっさに、みんなが捕まえてくれなければ、完全に水の中へ落ち込んでいたかもしれない。それほどまでに濁った湖の底は深くなっていた。


 片腕を完全に濡らしながらも、どうにか枝を手放し、陸へ尻もちをついた私。

 だが枝が完全に沈んでよりほどなく、私たちは水の巻く音を耳にする。

 ほどなく、湖の真ん中に、実際に渦巻きが現れる。

 細長い渦の中央は、どれほどの深みがあるか見通せないほど。しかしそれが、栓を抜いた排水口のように、ぐんぐんと水を飲みこんでいく。

 それにつれてあらわになる、池の全容は私たちの想像を、大きく上回るものだった。

 せいぜい、二人が手をつないで輪を作れば、囲えてしまえそうな池回り。そこからのぞいいくすり鉢状の地形は、1メートルを超えてもなお深くへ潜っていく。


 大人さえ、すっかり頭が隠れてしまうくらいまできて。

 ようやく傾斜は中央に集まり始め、水はことごとごくその真ん中へ飲み込まれていく。

 私たちのおはちがそのままはまり込んでしまいそうな穴。おそるおそる遠巻きに見る私たちの目の前で、穴はひとつ大きなげっぷをしてみせた。

 すっかり呑み込まれてしまった水たち。その一部を、しぶきとして飛び立たせながらだ。

 私たちはおののくまま、あたりから土たちをありったけ集めると、次々と穴と周りに注ぎ込んでいき、埋めて固めてしまったんだ。夢中になりすぎていて、終わるころにはあたりも暗くなり出していたよ。


 ひょっとして私たちは神様として、あの湖を作ったのみならず、その下に住まう何者かさえも作ってしまったのかもね。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ