7★アルベルト殿下はリラ嬢を愛し続ける(アルベルト視点)
十四歳を目前にした夏、俺にも声変わりがやってきた。
俺の声楽指導を受け持っていた音楽監督は二人きりのとき、声を潜めてささやいた。
「今後もカストラートのふりを続けるなら、今以上に努力せねばなりませんよ」
そんなことは分かっている。俺はリラと一緒に歌えた声を失うわけにはいかない。
あの日、春の陽射しの中、二人の声が溶け合った瞬間を忘れられない。1オクターブ下じゃダメなんだ!
「もう一度、リラに『綺麗な声』って言ってもらうんだ――」
陽光の下、花開くような彼女の笑顔をもう一度見たい。俺が歌って彼女を笑顔にしたい――
扱いにくくなった声を、俺はなんとか技術でカバーしようと必死だった。去年までとはまるで勝手が違う。だけど――
「おお、素晴らしいソプラノを保っておりますな」
大教主様が小さな目を細めて褒めて下さった。
「彼ほど熱心に学ぶ生徒はめずらしいですからな」
音楽監督が、近衛兵たちが言っていたようなことをつぶやいた。
大教主様は小声で、
「命がかかっておるゆえ」
と、おっしゃった。命? そういえば俺は身を守るために、カストラートのふりをしているんだっけ。もはやリラが褒めてくれた声を保つことばかり考えていた。
大聖堂の外へ出る用事があるときは必ず、遠回りしてプリマヴェーラ伯爵家の前を通るようにしていたが、リラと話す機会はなかなか訪れなかった。
だが十七歳になったとき、またとないチャンスが舞い込んだ。プリマヴェーラ伯爵家の音楽教師が隣国の宮廷楽師として招かれたため、新しい教師が必要となったのだ。
そのころには俺は、少年歌手ではなくプロフェッショナルな聖歌隊員として第一ソプラノを務めていた。歌声を聴いたエージェントや劇場支配人から何度もオペラ出演を乞われたが、人前に姿をさらす危険を冒すわけにはいかないから全て断っていた。それが敬虔な印象を与えたのか、堅物の騎士団長に気に入られ、俺は晴れてリラの音楽教師となった!
「はじめまして、お嬢様。アルカンジェロ・ディベッラです。アルとお呼びください」
「分かりました、アル。こちらこそよろしくお願いします」
リラは俺の記憶の中の少女のように、折り目正しく挨拶した。
俺が伯爵家の音楽教師を引き受けたことを知って、大教主様は大層心配された。貴族社会から遠ざけておきたかったのだ。俺も危険は承知だったが、リラのそばにいられる千載一遇の機会を逃すことはできなかった。
リラ嬢はとても誠実な人柄だった。どんなに小さなことでも約束を守るのだ。
「ここのフレーズを毎日十回ずつ練習しておいてくださいね」
気軽にそんなことを言うと次のレッスンで、
「アル、毎日十回ずつ練習した成果を聞いてちょうだい!」
なんて言われる。俺はどこを指示したのか忘れていて、冷や汗を流す羽目になった。
子供のころ一度会っただけの快活な少女は、純粋で実直な心を持つ立派な女性に成長していた。知れば知るほど、俺はリラに惹かれていった。
だが俺の恋が実ることはないと思い知らされる出来事が起きた。リラがグイード・ブライデン公爵令息と婚約したのだ。
彼女のまっすぐな生き方を前にして恥ずかしいことだが、俺の胸には苦しい嫉妬の炎が燃えさかっていた。リラを独り占めしたくて、俺の知らないところで彼女が誰かと踊るなんて許せなかった。
それで不用心にも、暗殺事件の首謀者と疑われているブライデン公爵邸の仕事を引き受けたのだ。リラが、ブライデン公爵家主催の夜会に招待されたと言っていたから―― 俺は彼女を愛するあまり、冷静さを失っていた。将来王位を継ぐ者としてあるまじき失態だ。
斬り結んだとき、グイードは俺の右手の傷に気付いたのだろう。
奴がすぐに姿を消したのは、ブライデン公爵に報告しに行ったに違いない。公爵が斥候だか密偵だかを手配して、アルカンジェロ・ディベッラの出自を調べさせる――アルベルトが毒殺されたのと同じ月に、王都大聖堂に引き取られた十歳の少年だと知るだろう。
たとえ無関係だったとしても、身元も分からない庶民の歌手だ。誤って殺害しても構わんだろうと、暗殺者を送り込むに違いない――
果たして予想通りになった。
だが俺の予想と違ったのは―― 想像以上にリラ嬢がたくましかったことだ!
彼女はその的確な判断と気丈な振る舞いで、俺の人生を、王国の未来を救ったのだ。リラ・プリマヴェーラは素晴らしい女性だ。俺が十年間、想い続けてきたのは間違っていなかった!
次話では、リラを婚約破棄したグイードのその後をのぞいてみます。
父親のブライデン公が重罪人となった彼は、どうしているのでしょう?
グイードの新たな婚約者になったパメラ男爵令嬢のほうは?
一方、リラとアルは幸せになったようです。
次話で最終話です! ブックマークしてお待ちいただけると幸いです。
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