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5,リラ嬢は王太子殿下のお気に入り

 数日後、侍女たちの手で美しく飾られたリラは王宮へ向かう馬車に揺られていた。向かいには侍女頭のマリアが座っている。


「お嬢様、思ったよりずっと早く自由になられて、本当にようございました」


「ええ、ずっとお屋敷に監禁されていては、息がつまってしまうもの」


「――というだけでなく」


 マリアがうっすらと笑みを浮かべた。


「あら、マリアったら悪い顔しているわ!」


「ご結婚されたらあの堅物の騎士団長様から自由になれるではないですか」


「でも王妃になるための勉強をしなくては」


「お嬢様はお勉強が得意ですから心配ありませんよ。それより妃となられたら、部屋に若い歌手を連れ込んだくらいで激怒されませんわ」


 貴族社会とは不思議なもので、結婚するまでは貞淑であることが求められるのに、夫人となった後は若い騎士や歌手と浮き名を流しても許される風潮があった。だがリラはしっかりと首を振った。


「わたくしは愛するアルベルト殿下と結婚したら、そんなことは致しません!」


「まあ真面目ですこと。あなたのお母様は昨夜もお気に入りのカストラート歌手と、寝室で一緒に過ごされたようですよ? 伯爵様は女性歌手だとだまされていましたが」


「あの男性ソプラノ、いつも女性役の舞台衣装で来るのよね。お父様はちっとも劇場にお出かけにならないから、白魔術教会が女性歌手を禁じてから男性ソプラノが女性役を歌ってることも知らないんだわ」


 貴族たちが女性歌手のパトロンになって風紀が乱れることを嘆いた教会は、女性が舞台に上がることを禁じた。しかし男だけで物語を演じられるわけもなく、ソプラノの声を保つカストラート歌手が女性役を受け持つようになったのだ。結果、王都の風紀はより乱れたような気がする……


「お嬢様が王太子妃になられたら、アルカンジェロ・ディベッラのパトロンになるのかと思っていましたよ、私は」


「そうね。サロンを主催していつでも彼を呼ぶわ」


 リラは明るい未来を思い描いて心を躍らせた。


「これからはいつでもアルに会えるのね」


 その言葉に自分自身でハッとして、リラは口を閉ざした。マリアに悟られぬよう頬杖をついて、窓の外へ顔を向ける。


(私ったらアルベルト殿下より、アルに会いたいと思っているの?)


 この三年間、ひんぱんにお屋敷に通ってくれたアル、いつも無邪気な笑顔でなごませてくれた人――。二人で声を合わせてたくさん歌って、一緒に過ごすのが当たり前になっていた。


(私はいつの間にか、アルを愛してしまったんだわ。思い出の中の殿下よりも――)


 一筋の涙が頬を伝った。


(馬鹿ね、決して叶わぬ恋ですのに……)


 彼らカストラート歌手はどんなに素敵に見えても、恋をしてはいけない相手なのだ。身分違い以上の問題がある。父になれない彼らと結婚することを、白魔術教会は全ての女性に禁じていた。教会の教えでは、男女間の行為は愛や快楽のために行うのではない、唯一子を授かるためだけに許されるのだから。




 王宮に着くと立派な大階段を上がって、左右に名画の飾られた広い廊下を通って、客間に通された。


「リラ・プリマヴェーラ侯爵令嬢、こちらへどうぞ」


(お父様は伯爵から侯爵に陞爵(しょうしゃく)したのでしたわね)


 まだ「侯爵令嬢」という呼び名に慣れない。


「リラ、よくぞ参った。待っていたぞ」


 衝立(ついたて)のうしろからアルベルト王太子と思われる声がした。そのテノールの声に、リラの甘い妄想は打ち砕かれた。ほんのわずかだけ、アルベルト殿下がアルカンジェロだったらと夢を見ていたのだ。


「はじめまして、王太子殿下。プリマヴェーラ侯爵家のリラと申します」


 なぜ姿を隠しているのだろうと不思議に思いながら、リラは衝立に向かって挨拶(カーテシー)をした。


「はじめましてではないだろう?」


 笑いを含んだ声が聞こえる。


(ああ、アルベルト殿下は十年前のお茶会のことを覚えていらっしゃるんだわ)


 馬車の中で流した涙を振り切って前を向くと、リラは明るく笑った。


「十年ぶりですわね、殿下!」


 衝立のうしろで、王太子が椅子から立ち上がる気配がした。


「いや、一週間ぶりくらいかな?」


 ひょこんと顔を出したのは――


「えぇぇっ!?」


 あまりに驚いたリラは、まったく侯爵令嬢らしからぬ声を上げてしまった。


「アル!? どうして!?」


 健康的な小麦肌に真っ白い歯がちらりとのぞく屈託のない笑顔、美しい黒髪に魅惑的な緑の瞳―― 服装こそ聖歌隊服ではないものの、見慣れたアルカンジェロ・ディベッラその人だった。


「びっくりした?」


 彼はいたずらっぽく笑って、いつもの優雅な足取りで歩いて来た。


「七日間も俺のリラに会えないなんて、寂しくて死んじゃうかと思った」


 甘えた声を出して、リラをぎゅっと抱きしめた。


(あ―― いつものアルの匂い……)


 なつかしくて泣き出しそうになる。


「リラ、ごめん。俺の素性ずっと話せなくて――」


「アル――いえ、殿下。お声がいつもと全然違うのですが……」


 リラは混乱していた。


「訓練して高い声を出していたんだよ。王都聖歌隊の音楽監督はかつての名歌手で、今は素晴らしい声楽教師だから、彼に発声指導を受けたんだ」


「そんなものなのですか……」


 呆気(あっけ)にとられるリラに、彼はいつもするように歌うときの呼吸をした。


「こうやって出すんだよ」


 と、少年のような声に切り替えて話し始める。


「ファルセットを眉間に集めるんだ。最初は鼻の上が分かりやすいかな? それでしっかり下腹部と腰で支えて―― いつもお嬢様にご指導差し上げていることと同じなのですが……」


 音楽教師の口調で言われて、リラはたじたじとなった。


「そ、そうですわね」


「お嬢様、今日もレッスンしましょうか? この王宮にも音楽室がありますから」


「殿下、お嬢様って呼ぶのやめてください!」


 王太子はニヤッと笑った。テノールの声に戻って、


「じゃあリラも俺を殿下って呼ぶのやめてね?」


「そ、そんな――」


 困った顔をするリラに、口をとがらせた彼は少し寂しそうだ。


「アルって呼んでくれないなら、俺もお嬢様って呼ぶから」


「分かりました」


 リラは不承不承(ふしょうぶしょう)を装ってうなずいた。


(アルったら! そんな拗ねた子供みたいな顔されたら抱きしめたくなっちゃうじゃない!)


「よかった」


 ホッとした顔で、王太子は首に巻いた飾襟(ジャボ)を指先でゆるめた。


「あ……喉仏ありますわね。普通の殿方だった……!」


 すっかりだまされていたことがおかしくて、リラは笑いをこらえるのに苦労していた。王太子は肩をすくめて、


「毎朝髭抜いたり、暑い日でも体型隠す聖歌隊服を脱げなかったり、大変だったんだよ」


 真面目な顔で訴えるので、リラはついに吹き出してしまった。


 王宮の使用人たちは、アルベルト王太子と婚約者のリラ侯爵令嬢が、数年来の親友同士のように笑い合うのを見て、目を見開いたまま棒立ちになっていた。

次回からはアルベルト殿下の視点に移ります。

彼はこの十年間、リラにどんな想いを抱いていたのか――?


気になる方はブックマークしてお待ちいただけると幸いです。


・~・~・~・


※第一章完結済みのファンタジー長編もよろしくお願いします!


『吟遊詩人にでもなれよと言われて追放された俺、実は歌声でモンスターを魅了して弱体化していたらしい。先祖返りによって伝説の竜王の力をそのまま受け継いでいたので、聖女になりたくない公爵令嬢と幸せになります』


https://ncode.syosetu.com/n9315hr/

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第二章完結済み『精霊王の末裔』シリーズもよろしくお願いします!

『吟遊詩人にでもなれよと言われて追放された俺、実は歌声でモンスターを魅了して弱体化していたらしい。先祖返りによって伝説の竜王の力をそのまま受け継いでいたので、聖女になりたくない公爵令嬢と幸せになります』

精霊王の末裔
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