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3,青年歌手アルカンジェロの秘密

「お嬢様、お腹すいていませんか?」


 プリマヴェーラ伯爵邸に帰ってくると、アルカンジェロは気を利かせてくれた。


「舞踏会の最中、控室で少しビスケットをつままれたくらいでしょう?」


 夜会に行く前に早めのディナーは済ませてしまった。


「とても何か口に入れる気分じゃないわ」


 騎士団長であるお父様に対する申し訳なさと、グイードの非常識な態度へのいら立ちがせめぎ合って、胸に物がつかえたようだ。


「それよりあなたの歌を聴きたいわ。リラックスしたいの」


「そうですね、まだ寝てしまうには早い――」


 アルカンジェロはうなずいて、鍵盤楽器(チェンバロ)のふたを開けた。


「私が伴奏してあげる」


 チェンバロの横に置いた猫足のシェルフから、古い楽譜を引っ張り出す。


「お嬢様の大好きな十年前のアリアですね?」


「またそれって思ったでしょ」


「まさか。俺も大好きですから――『初恋はリラの花のように』」


 アルカンジェロの屈託のない笑顔を見るたび、髪の色が全く違うにもかかわらず、十歳のアルベルト殿下を思い出す。でも二人が同一人物のはずはない。なぜなら――


 リラのほっそりとした指先が、木の鍵盤の上を優雅にすべる。アルカンジェロは華やかなソプラノの声で歌い始めた。


 この国には、少年が高い声を保ち続ける禁術が存在する。白魔術教会に知れれば魔術師は破門という罰を受ける。だがソプラノの声を保ち続ける男性歌手――カストラートは教会でも劇場でも仕事にあぶれないから、農村の貧しい親は息子を魔術師のもとへ連れてゆくのだ。


 少年期にこの魔法をかけられると、髭が生えたり喉仏が現れたりといった男性らしさが発現せず、いつまでも少年の美声ときめ細やかな肌を保つことになる。だがその代償として彼らは父親になれない。


 世継ぎを残す責務を負った王族がカストラート歌手になるなど、いかなる理由があろうと決してあり得ないのだ。


「お嬢様、チェンバロの腕前、上達しましたね」


 歌い終わったアルカンジェロは、音楽教師らしいことを言って嬉しそうにほほ笑んだ。その貴公子然とした微笑は、とても貧しい農村の出身には見えない。


(アルって一切、子供時代の話をしてくれないのよね……)


 王都大聖堂の大教主の話では、ある日、すでに禁術をかけられた十歳の少年が大聖堂の前に置き去りにされていたのだという。白魔術教会では神を賛美するのに高い声が喜ばれるから聖歌隊員として面倒を見てくれるだろうと期待して、せめても教会前に子供を捨てる親は多いのだ。聖職者たちから読み書きも学べるかも知れない。


(きっと、つらい少年時代だったんだわ――)


 リラも必要以上に、彼を問いつめることはしなかった。


「アルこそ前よりもっと声が通るようになっているわ。劇場に立つ気はないの? 聖歌隊で歌うよりずっと豊かになれるでしょうに」


 彼は静かな微笑をたたえたまま、ゆっくりと首を振った。


「あまり目立ちたくないんです。大聖堂の聖歌隊席で歌っている分には、下の会衆席からよく見えないでしょう?」


「不思議な方。公爵家主催の夜会で歌ったら明るいシャンデリアの下、大勢の人から見られるのに」


 アルカンジェロの今夜の仕事を指摘すると、彼は(めずら)しく動揺した。


「だ、だって今日はっ…… お嬢様が招待をお受けになったっておっしゃったから――」


「あら、私のために来てくださったの?」


「それは――」


 アルカンジェロは少年のようにうつむいてしまった。


「ふふ、可愛らしい方。今日はアルがいてくださって本当に救われたわ」


 チェンバロから立ち上がったリラが彼のゆったりとした白い服に指をすべらせると、アルカンジェロは褒められて嬉しかったのか屈託のない笑みをこぼした。


「次はお嬢様が歌う番です」


 そうしていつものように姿勢や呼吸について指導してくれた。


「もう少し響きを頭の上に持って行って――」


 チェンバロを弾きながら、彼がやわらかい声でアドバイスする。


 しばらく二人で音楽を楽しんでいると、教会の鐘が時を告げた。


「ずいぶん長居してしまった。申し訳ない。そろそろ俺は帰ります」


 散らばった楽譜を片付け始めるアルカンジェロの白い袖を、リラはそっと引いた。


「ねえ、あんなことがあって私、今夜は眠れそうにないの――」


 首元からひざ下までを覆う彼の聖歌隊服に、リラは額を押し当てた。


「アル、お願い。今夜だけは泊まっていって」


「いけません、危険です」


「危険?」


 リラは意味が分からず、きょとんとした表情で見上げた。


「今夜はもしかしたら何者かが――」


 謎めいたことを言いかけてアルカンジェロは、はたと口を閉ざした。何も言わずに長い指で、リラのプラチナブロンドの髪を優しく()かしている。


「行ってしまうのね?」


 涙目で見上げると、ぎゅっと抱きしめられた。


「お嬢様にそんな寂しそうな顔をされたら、俺はどこにも行けません!」


 結局、アルカンジェロは窓際のカウチに腰かけて、腰の細剣(レイピア)に指先を添えたまま、まんじりともせず夜更けを待つこととなった。

「今夜一体何が起こるのか?」


「アルカンジェロは何を知っているんだろう?」


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第二章完結済み『精霊王の末裔』シリーズもよろしくお願いします!

『吟遊詩人にでもなれよと言われて追放された俺、実は歌声でモンスターを魅了して弱体化していたらしい。先祖返りによって伝説の竜王の力をそのまま受け継いでいたので、聖女になりたくない公爵令嬢と幸せになります』

精霊王の末裔
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