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引力のトルティット  作者: ニコラヒ・グヴェンコ
プロローグ
1/1

プロローグ:リエリットとの日常

 陽光が微かに差す中、魔導術式についての、研究書を片手に、優雅に紅茶を啜る。

 魔導大学で、優雅に魔導術研究ができる。ああ、なんと素晴らしい日常だろうか。

 新たな術式、空間術式もおおよそ完成し、後は実戦において使えるか検証するのみだ。大学の研究室に籠って半世紀、ついにここまで来たと思うと感動的だ。

「トルティット!」

 少女が私の名を叫ぶ。最早、彼女のこの行為も日常となりつつある。

 研究室の扉が勢いよく開かれる。そして、快活な少女が飛び出してくる。研究生として、私の下で術式研究を行っているリエットであった。私は彼女の事を愛称のリエで呼んでいる。

「トルティ、何ですかこの部屋」

「あー、小言は良い。わかっている」

「だったら、なんでこんな汚いのですか。全く、こんな閉め切って」

 リエはカーテンを勢い良く開く。溢れ出した日光は、暗闇に適応するべく開いた瞳孔に差し込む。

「や、止めて…」

 彼女の凶行に、私はそう懇願するしかなかった。

 そっと瞼を閉じて、少しずつ瞼を開けるのを幾度か繰り返し、日光に目を慣らす。

「なんですか、この散らかり具合は!」

 日光に慣れた瞳に映ったのは、泥棒に荒らされたが如く散らかっていた。書籍は乱雑に地面へ落ちていた。数日前に来ていた服が、ソファに掛けられ酷い有り様だった。

「ひ、酷い。誰が一体こんなことを…」

「あなたでしょう!」

 確かに数日間この部屋には私しか居なかった。けれども、私にはこのような行為をした記憶は一切ない。記憶がない者を誰が攻められようか。けれども、リエには関係のない話だった。

「全く、片付けるのはいつも私なのですから。散らかさないで下さいよ」

 リエはいつもに増してプリプリと怒り、片づけを始める。

「リエ、それには及ばないよ。ついに空間を制御する、空間術式の構築が完了した。見てくれよ」

 私は興奮する気持ちを抑えて、空間術式を発現させる。一定範囲内の空間の情報が頭に入り込んでくる。物質の情報や、空間上に存在する魔導粒子、部屋内に流れる微かな風、全てが流れ込む。

 情報を整理し、魔導力を動力に変換し物体を操作する。服は畳んで一カ所に集める。乱雑に落ちた本は本棚に戻される。部屋中の埃を一点に集める。

 部屋は見違える程に綺麗だった。

「どうだい、空間術式は」

「そんな、大層な術式をこんなことに使わないで下さいよ」

 彼女の怒りはより一層増している様子だった。何故だ、これほど立派な術式が完成し喜ぶべきことだし、部屋も綺麗に片付いているのだから文句なしだろう。なのに、何故彼女はそれほどに怒るのか。甚だ疑問である。

 私は椅子から立ち上がろうとした。けれども、立ち上がることはできずに、地面へと伏した。

「また、義足の手入れさぼりましたね。貴方がだらしないのにも慣れましたけど、義足の手入れぐらいちゃんとしなさい」

 リエは椅子から転げ落ちた私を見下ろして、正論という刃で突き刺す。

「はい、反省しています。だから、起こしてください…」

「今度こそ反省して下さいね」

 彼女はそう言って私の身体を引き起こし、椅子に座らせる。

「研究熱心なのは尊敬しますが、自堕落な所は直して下さい」

 彼女は更に普段の小言を重ねながら、棚から工具を取り出し義足を調整する。

「君はよく、こんな身体の私の下で研究してくれている。本当に優しい人間だ」

 私は守り人と呼ばれる亜人種だ。亜人種は、人間とは比べ物にならないほど強力な力を有している。さながら、人のような怪物なのだ。それは、さぞ恐ろしいだろう。人間は恐怖心から、迫害する。私もそんな目に遭ったこともある。

 私は、亜人種であるだけでなく。身体が欠損している。右足だけでなく、右眼も、右腕も無い。余計におぞましさが増している。

「私はただ、トルティが研究者として有能だから、貴方の元にいるだけですよ」

 しばし、無言の時間が流れる。工具がカチャカチャと音を立てるのみだ。彼女はそのまま作業を進めて、工具を置いて義足を軽く叩く。

「はい、できましたよ」

「ありがとう」

「いいですよ、いい加減慣れましたし」

 彼女は立ち上がり、私の頭にそっと触れて頭を撫でる。そして髪を櫛で軽く解き、耳に触れる。

「それに、私は貴方の長く尖り少し下に垂れている耳も、その幼い外見も、みんな大好きです」

 彼女は右眼や右腕、右足のあった場所に順に手をやる。

「この右眼も、右腕も、右足も全てが貴方の歴史で、それを醜いとは決して思わないです。それに、そんなに自分の身体を嫌っては自分自身が可哀そうですよ。大事にしてください」

 彼女は、本当に優しい。私はこの欠損した身体が大嫌いだ。けれども、リエにこう言われてしまったならば、私はこの身体を愛さなければならないな。

「トルティット殿、いらっしゃいますでしょうか」

 扉が四度叩かれて、男がそう叫ぶ。椅子から立ち上がり、扉の前まで行く。

「ここに。入り給え」

 扉を開くと若い男が立っていた。男は右手を握り、鳩尾から額の上へと動かし敬礼する。

 この敬礼は探索者と呼ばれる者達特有の敬礼である。

「私は探索組合本部所属、中級探索者。パリトリス・ルミアーヌです」

探索者とは、魔導生物と呼ばれる怪物を狩り、未知を探索する組合、探索組合に属する人々の事を言う。

「それで、何の用だ」

「組合長がお呼びです。本日、一三時に組合本部までお越しいただけますか」

「組合長が…?要件は何だ」

「いえ、私には知らされておりません」

 直接でないと話せないような内容とは、余程の事態なのだろう。全く、面倒この上ないがしょうがない。

「了解した。一三時に組合本部だな」

「では、これにて失礼します」

 青年はそう言って、一八〇度綺麗に反転し部屋を後にした。なにか、妙に疲れる青年であった。嵐が過ぎ去った後のような倦怠感が私を襲う。

「前々から思っていたのですが、トルティは何者なのですか」

「話せば長い。とりあえず、朝食に行こうか」

 そう、本当に話せば長いのだ。私の身の上話をするならば、有史以前まで遡らなければならない。歴史家達が、必死に考察し、研究しているような話になってしまうのだ。全てを語るには、リエの人生全ての時間を使っても終わらないだろう。

「はあ、わかりました」

 彼女はやれやれと溜息を吐きながら、私と共に研究室を後にする。


 大学を出て街を歩く、高層建築が立ち並び、最近開発された自動車がけたたましい音を立てながら道路を走る。私とリエは歩道の街灯の下を横並びになって歩く。

「あれ、自動車でしたっけ。凄いですよね、馬要らずの馬車ですよ」

「そうだね、私は自動車にもそろそろ慣れてきたよ。

 まあ、この魔導大陸は学園大陸とも言うべき所だ。様々な分野の研究狂いの学者がこぞって研究している。目新しい物が日夜、開発されゴミ箱に行ったりしている。

 リエもここに来て半年だ。目新しい物にも適性を持つようになるころだよ」

 ここは、魔導大陸。世界の最先端を行く、大陸だ。大陸全体が大学となっていて、剣術から魔導術、機構学、農学、そして文学まで、熱心に研究する者達、研究狂いとも呼べる変人研究者が集まっている。研究するには余りにも居心地も、環境も良い大陸なのだ。大陸全体が実験場となる、学びに励むものとしては天国とも言える場所だろう。

 行きつけの喫茶店「猫屋敷」で、朝食を取る。サンドウィッチに紅茶。いつもの朝食だ。

 リエはスクランブルエッグにトースト、そして腸詰肉とサラダ。飲み物にコーヒーを啜っている。

「リエ、研究の進捗はどうだい」

「魔導結晶内に封入されている魔導術式の制御を阻害術式で行おうとしているのですが、失敗続きでして」

 魔導結晶は魔導生物が体内に有している結晶だ。人類は魔導生物から取り出した魔導結晶を媒介として、魔導術式を発現し現実を改変する。そして、魔導結晶は魔導力を多く含んでいる為、術式発現による術者への負担を軽減する。なおかつ、魔導結晶は空間上に存在する魔導粒子を取り込んで、魔導力を補充する。そんな、万能的な物質なのだ。

 魔導生物は多様な魔導術式を操り、驚異的な力を発現させる。魔導結晶そのものに元々術式が記されており、その中から発現しているのは長い研究の結果、明らかになっている。

 けれど、私達人類は現実に発現させるための道具としての利用しかできていない。余りにも、術式が強力すぎるためその制御に至っていないのだ。

 亜人種は体内に魔導結晶を埋め込まれていて、元の魔導生物の使った術式を発現でき、その制御も自在に行える。つまりは、魔導結晶を保有する生体の知性による制御が行えるというのが、今現在までの見解である。

「術式による完全な制御ではなく。段階的にしていく方が良いのではないか。

 制御可能な事例から、具体的にどのような要素が制御に起因しているのかを考察し、条件の絞り込みを行うべきだろう」

「亜人種の持つ特有の術式の制御とかですか?

 でも、トルティは亜人種の術式使わないじゃないですか」

「私は亜人種の中でも特殊な守り人という部類だからね。私の魔導結晶内に術式は存在しない。魔導結晶の形質的遺伝により、空間上の魔導粒子や魔導力を把握し多少操作する程度の力しかない。

もっと、竜人や獣人、吸血鬼といった強力な力を有する者から情報を収集した方が良いよ」

「そうなりますよね、でも亜人の能力に関してのインタビューは、倫理委員会から許可下りづらいと聞きましたよ」

 気が付けば、サンドウィッチを食べ終えていた。それを見計らったように獣の耳が頭部から生えた店員のスレリアが菓子を持ってくる。

「リエちゃんのインタビューなら、私全然構わないけど」

 尻尾がピョコピョコとスカートの下から、可愛らしく動く。亜人種、その中でも獣人に属している。強力な動力術式を用いて、人間とは比べられない力を放つ。その拳は鋼鉄板に穴を空ける程だ。

「ありがとう、スレリア。そう言ってくれて嬉しいよ。けれど、本人が良ければ良いというわけでもないのよ」

「難しいのね。でもその、倫理委員会?から許可取れたら、快く受けるよ、私」

 倫理とは人の為にある。人と言えば、酷く概念的だが、人とは個人の集まりだ。個人が良いと言うならば、許可されて然るべきだろう。気が付けば、どこか違う方向に進んでしまい暴走しているように思う。

「トレティちゃん、はい。いつものデザート」

 黄色い卵の菓子。プルプルと驚異的なほどに振動を伝える。上には焦げ茶色のカラメルが掛かっていて、ほのかに苦い。そう、プリンである。

「スレリア、ありがとう」

 私はすぐさまスプーンを手に取り、プリンを掬う。プルプルとしていながら滑らかな舌触り、そしてカラメルのほのかな苦みと甘さの関係が程良く非常に美味しい。思わず、笑みが零れてしまう。

「トルティちゃんのその顔、私大好き。それ見たら、今日も頑張ろうと思えるから」

 リエはその言葉を聞いて思わず吹き出して、大笑いする。引き笑いをしながら、過呼吸気味になる。

「本当に、トルティはプリンを食べている時だけは、見た目相応だよ」

「そんなことないよ、トルティちゃんはいつも可愛らしい女の子だから」

 スレリアは後ろから抱きしめる。獣毛が生えた大きな手。そこから香る匂いが、何とも言えない安心感を与える。

「スレリア、今日も美味しかったよ」

「はい、美味しかったです。スレリアさん」

 私は、リエの分も纏めて代金を支払う。スレリアは向日葵のように眩しく、可愛らしい笑顔を向ける。

「トルティちゃん、リエちゃん、また来てくださいね」

 彼女が居るから、きっと私はここに通うのだろう。明るく元気で、可愛らしい。非常に元気を貰える。料理も美味しいが、彼女一人の存在が店の雰囲気に大きな影響を与えていて、それが理由でここに来ているのだろう。いや、それは過言か。けれども、一因となっているのは間違いない。

「まあ、リエ。君は優秀だから思うままにやると良いよ」

 彼女はとても優秀だ。光を操作する術式、光学術式により自分の虚像を作り出し惑わす術を完成させたのだ。通常、術式の開発は十数年掛かる。それを彼女は一月で終わらせ、実用段階にまでもっていったのだ。まさに天才と呼ぶにふさわしいだろう。いや、才能だけではない。努力も相当量重ねているだろう。

「そんな、トルティには及びませんよ」

「いいや、私なんてまだまだだよ」

 彼女は術式を一月で完成させてしまった。私が空間術式の完成に半世紀も掛かってしまった。彼女には遠く及ばないだろう。だとしても、彼女に褒められるとどこか悪い気はしないのだ。


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