望郷の風~スルトの風~ 第七話 「ウィンザード攻防戦 その1」
第七話 「ウィンザード攻防戦 その1」
ケンが馬を急かし砦にむかっているその頃、ニスクの街ではアドルが寝付けない夜を過ごしていた。
落ち着かないアドルは静かに家を出ると夜空を見上げ、違和感を感じた方角をじっと見つめた。
「どうかしたの?」
サラだった。
「起きていたのか?」
サラは小さく頷くとアドルの見つめた方角に立った。
「アドルもなの?」
唐突にサラは切り出した。
「アドルもあの方角に何か感じているの?」
「ああ。」
サラは胸元で両肘を抱えながら言った。
「何だろう・・・襲撃される前のサロの村で感じた感覚に近いの。」
アドルはサラの肩をそっと抱いた。
アドルの手にサラの震えが伝わってくる。
「中に入ろう?」
アドルの言葉にサラは無言で首を振った。
「また戦になるのかしら?」
アドルは先の方角を見ながら答えた。
「もしかしたら・・・すでに始まっているのかもしれない。」
アドルの言葉に驚いた表情を見せるサラ。
「僕は行くよ。」
「え!?」
唐突な言葉に困惑するサラを横目にアドルは続けた。
「何かが起こってる。僕の、いや僕らのこの胸騒ぎは気の迷いじゃない。」
サラはアドルの表情に迷いがなくなっていることに気づいた。
サラは俯き、少し口元に笑みを浮かべた。
「明日、生徒たちにしばらく道場をお休みすることを伝えないとね。」
「え?」
「貴方が行くのに私が行かない訳ないでしょ?」
「え?」
アドルは当然サラを残していくつもりであった。
「そうよね?」
サラが頑固なのは熟知している。
アドルは頭をかきながら呟いた。
「村長も苦労したんだろうな。」
「何か言った?」
アドルは覗き込むサラから視線を外した。
「な、なんでもない。じゃぁ今日はもう寝よう。明日、昼にはここをでるからな?」
サラは頷くと家に入っていった。
アドルは胸を撫で下ろすと改めてあの違和感を感じた方角を見た。
アドルにはその夜空が赤く燃えているように見えていた。
一方、ウィンザード砦近隣の丘まで戻って来たケンはありえない光景を目の当たりにしていた。
その光景は冷静を身上とするケンを大いに動揺させていた。
砦を包囲するように展開する軍勢が掲げる軍旗、それはかつてケンが掲げていた軍旗そのものであった。
「な、なぜスルト軍が・・・?」
ケンは暫し唖然としたがすぐに我にもどり、砦へと馬を急かせた。
砦に着くとデニスが待ちわびたようにケンを出迎えた。
「上流の軍勢はどうか?」
「ご安心ください。ヨルドの赤き竜率いる3000の兵は駆逐いたしました。それよりこの状況は一体?」
ケンは己が功績の報告をよそに状況の確認を即した。
「見ての通りだ。奴らはスルト軍を尖兵にして本隊の上陸場所の確保をしようとしておる。」
ケンは眼下の戦場を見ると歯軋りをした。
「スルト軍の主力は騎兵。上陸戦には最も不向きというのに・・・」
「恐らくは捨て駒だろう。本隊が上陸するまでの時間稼ぎに過ぎぬ・・・貴公には悪いが、これが戦だ。」
ケンはデニスの言葉に黙って頷いた。
しかし、窓越しにスルト軍の陣形を見たケンは目を見開き、そして口元に笑みを浮かべた。
「司令、私に策があります。」
「申してみよ。」
ケンは地図上で砦の周囲を指差しながら語りだした。
「今、スルト軍はこの砦を南東の川岸から北上して包囲しつつあります。」
「うむ、今は参謀の部隊が堰となってそれ以上の進軍はないが、ここを突破されれば半刻程で包囲されるであろうな。」
ケンは頷いて返すとその参謀の部隊を指差した。
「司令、まずはその堰となっている参謀の部隊を砦に戻してください。」
「篭城せよと申すか?」
「はい。しかし、スルト軍は包囲はするものの攻城戦はいたしません。」
「なぜそう言い切れるのか?」
「スルト軍の陣形です。」
「陣形だと?」
ケンは窓から包囲するスルト軍を見つめながら答えた。
「ご覧ください。スルト軍は主力たる騎兵を包囲網の外側に配置しております。」
「それはこちらの脱出経路を断つための備えであろう?」
デニスは兵法上の常識で答えた。
ケンはその答えに首を横に振った。
「あの陣形、本来は拠点防衛のために敷かれる布陣です。」
「なんと!?」
ケンは地図を指しながら続けた。
「ヨルド陣営から見ればスルト軍は騎兵を遊撃に用いた包囲陣を敷いているように見えるでしょう。しかし・・・」
「その実は我が砦を防衛するための布陣を敷いておるというのか?」
ケンは無言で頷いた。
「恐らく、スルト軍には私のようにヨルドに与するを良しとしない者が残っていたのでしょう。」
「ではスルト軍は?」
「間違いありません。味方です。」
ケンはそう告げるとデニスに背を向けた。
「どうするのか?」
ケンは背を向けたまま答えた。
「我が同胞を楯にするわけにはいきません。私も出向きヨルドの動きを封じてきます。」
ケンはそういうと足早にその場を跡にした。
ケンの指示とおり、参謀の部隊を砦に引かせると半刻もしないうちにスルト軍は砦を包囲した。
しかし、ケンの予想通りスルト軍からの攻撃は一切なかった。
睨み合いの状況が続く中、ゆっくりと砦の城門が開いた。
そして中から一人の将が馬に跨り出てきた。
ケンである。
その姿をみたスルト軍がにわかにざわついた。
そしてスルト軍の中からも一人の将が現れた。
見ればその将は新緑の如き鮮やかな緑の鎧をまとい、身の丈の倍はあろう戟を携えている。
そのいでたちを見たケンは内心喜んだ。
「まさか・・・貴方でしたか。」
ケンは馬を降り、その将に歩み寄った。
その将はケンが馬から降りたことを見ると同様に馬を降りて歩み寄った。
そして二人の距離が互いの間合いになると再び対峙した。
「青き風、久しいな。」
その将は静かに口を開いた。
「貴方にこのようなところで再開するとは思いませんでした。緑の風、いえ、ゲラン将軍。」
ゲラン・グリーク・・・近衛師団を率いる将軍で前国王の信頼がもっとも厚かった将である。
スルトの風を冠する将の中でも最も軍歴が長く、風の長とも呼ばれていた。
「よくぞあの包囲網を突破し、生き延びてくれた。」
ゲランはカーン砦での一件を振り返った。
ケンは首を横に振った。
「もし、あの包囲網を将軍が指揮しておられればこうしてお会いすることはなかったでしょう。」
「謙遜するな。仮に私が指揮しておっても貴公の知略には敵わぬわ。」
「あの時、将軍はどちらに?」
ゲランは天を見上げながら答えた。
「国王暗殺後、我が近衛師団はアレン王子から反逆罪の容疑で監禁されておった。」
「そうでしたか。」
ケンはそれ以上の言及は避けた。
「それはさておき・・・青き風よ、この状況をどうみるか?」
ゲランは風を冠する将が対峙する現状を指して言った。
ケンはゲランの意図することを読み取ると少し笑みを浮かべながら答えた。
「風は高き所から低きところに向かって吹くもの。将軍、己が心の志に忠実に動かれるがよろしいかと・・・」
ケンの言葉を受け取ったゲランは己が手の戟をケンに向かって放り投げた。
ケンはその戟を受け取ると、己の剣をゲランに放り投げた。
ゲランは剣を受け取ると大きく頷いた。
そしてスルト軍の陣営に向いその剣を天にかざした。
ケンも同様にゲランの戟を天にかざす。
するとスルト陣営から地を振るわせんばかりの喝采が沸き立った。
この様子を見ていた参謀はテジムに問いかけた。
「あれは一体?」
デニスは笑みを浮かべながら答えた。
「己が武器を互いに渡す。武人の魂を相手に捧げるのだ、本心である証ということだろう。」
「では、やはりスルト軍は?」
「うむ。我らの味方ということだ。」
参謀は手放しで喜んだ。
「スルトの風を冠する将が二人も味方とは・・・なんと心強い。」
「我々も負けてはおれぬな。」
デニスは参謀に迎撃のための出陣準備を急がせた。
対岸から様子を見ていたヨルド軍はスルト軍が砦を包囲した事を受け一斉に進軍を開始した。
この遠征部隊を指揮するのはヨルド五竜騎の一人、青竜のバルドである。
バルドは膠着する砦の状況を見て密かに喜んだ。
「スルトめ…捨て駒にしてはよくやる。」
バルドの横にいる参謀も満足げに頷いた。
「さすがは緑の風、といったところですな。」
バルドは鼻先で笑いながら答えた。
「スベルナニアがそれだけ腑抜け揃いなのかも知れぬがな。」
参謀はバルドの言葉に笑みを以って答えた。
「上流に先行したリザルの部隊はどうか?」
バルドは上流の方角を観ながら参謀に問いかけた。
「そろそろ定時連絡の兵が参るかと。」
「そうか・・・。」
バルドは眼前に砦を見据えながら呟いた。
「では、狩りを始めるとするか。」
バルドは全軍に上陸を指示した。
ヨルド軍本隊は5万の大軍を大小合わせて1500隻の船に分乗させていた。
その大半は小型の早舟で一隻に10名が乗り込んでいる。
スルト軍が上陸地点を確保していると完全に思い込んだヨルド軍は次々と着岸した。
その様子を見ていたケンはゲランに目配せをした。
ゲランは騎馬隊の首をヨルド軍に向けさせ、そして檄をヨルド軍に向けた。
「放て!!」
ゲランの号令とともに騎馬隊の後方から弩兵が弓を放つ。
無数の矢が上陸したヨルド兵に降り注いだ。
混乱するヨルド兵たち。
続いてケンが先陣を切って騎馬隊で突撃を開始した。
このスルト軍の動きはすぐにバルドに伝えられた。
「スルト軍が寝返っただと!?」
バルドは己が耳を疑った。
「はい、上陸した部隊はことごとく撃破されております!」
バルドは伝令兵に一時退却を指示した。
「参謀、リザルからの連絡はあったか?」
「いえ、未だ・・・」
バルドはため息をつきながら座り込んだ。
「リザルは律儀な男だ。そのリザルが連絡をよこさぬ・・・」
「まさか・・・?」
バルドは黙って頷いた。
「そしてこのスルト軍の寝返り、恐らくは相当の知恵者がウィンザードにはおるのだな。」
「将軍、報告ではかなりの損害がでております。一度引き、態勢を整えるが先決かと。」
バルドは参謀の意見に頷いた。
バルドは全軍に撤退の指示を出すと怒りに満ちた目つきで対岸を睨んでいた。
撤退を始めたヨルドの軍勢にスルト軍は一斉に勝どきの声をあげた。
「とりあえずは凌いだか。」
ゲランはケンに呟くように言った。
「はい。しかし、態勢を整える為に引いたにすぎません。次が本当の勝負となりましょう。」
ゲランは静かに頷いた。