望郷の風~スルトの風~ 第五話 「朱に染まる河-前編-」
第五話 「朱に染まる河-前編-」
サーシャとナタリーが保護されてから一夜が明けた。
サーシャは目を覚ますとナタリーを起こさぬよう気をつけながら見張りの兵に声をかけた。
「おはようございます。」
兵は軽く会釈を返した。
「少し外の空気が吸いたいのですが・・・」
「申し訳ございません。ここは砦の内部になりますので許可なくお出しするわけには・・・」
兵が丁寧に事情を説明していると背後から声がした。
「構いません、出しておあげなさい。」
兵が声の主を見ると、そこにはケンが立っていた。
「ハモンド将軍!?」
兵は慌てて敬礼した。
ケンは頷いて返すとサーシャを出すよう、改めて指示を出した。
「おはようございます。昨夜はよく寝れましたか?」
ケンは部屋から出てくるサーシャに声をかけた。
「おかげさまで・・・久しぶりに安心して床につけました。」
ケンは笑顔を返すとサーシャの横に並んだ。
「それは良かった。では私が砦の中庭にご案内いたしましょう。」
「将軍が?」
「実は私も昨日赴任したばかりなので中庭にはまだ行っておらぬのです。」
おどけて答えるケンにサーシャは笑みを浮かべた。
「ありがとうございます。ではご案内をお願いできますか?」
「勿論、よろこんで。」
ケンはサーシャを誘導するように手を差し向けた。
しばらくして中庭につくと、二人は城壁のそばの木の下に腰を下ろした。
「いい天気ですね?」
ケンの問いかけにサーシャは空を見上げながら答えた。
「本当・・・まるで昨日までの出来事が嘘だったみたい・・・」
ケンはそんなサーシャを見つめながら次の言葉を選んでいた。
そんなケンを見たサーシャは細く微笑みながらケンに言った。
「将軍・・・お気を使わずに。」
「え?」
サーシャは膝を抱え込むとつぶやくように話し始めた。
「もうご存知だとは思いますが、私たち姉妹はヨルドから来ました。」
ケンは黙ったまま聞いている。
「私たち姉妹が住んでいたのはサラト・・・」
「では、やはりあなた方はサラト自治区の?」
「はい・・・長の娘です。」
二人の間にしばし沈黙の時間が流れた。
「一週間前・・・」
静かにサーシャは語り始めた。
「サラトにヨルド本国からの使者が来ました。」
「使者?」
「はい、これまでにも本国は使者を立て、サーラ教徒の国外退去を度々要求してきておりました。」
「聞いたことがあります。自治区を容認しているにも関わらずヨルドが宗教的圧力をかけているという・・・」
サーシャは悲しい目つきをケンに返しながら頷いた。
「おっしゃる通りです。父は・・・いえ、我々カルサス家はそんなヨルドの要望を断り続けておりました。」
サーシャは前を見つめながら独り言をつぶやくように続けた。
「あの日・・・使者は父がいつものように断りを告げると懐から短剣を取り出し、いきなり父に切りかかりました。」
「使者が!?」
ケンは驚きの声をあげた。
そんなケンに頷くとサーシャは膝を抱えた手を握り締めながら続けた。
「父は使者ともみ合いになり、その末に使者を殺めてしまいました。」
サーシャはその目に涙を浮かべながら続けた。
「その事実を知った本国はサラトに軍を派兵し・・・」
「制圧された?」
ケンの言葉にサーシャは無言で頷いた。
「お父上は・・・?」
ケンの質問にサーシャは首を横に振って答えた。
「スベルナニアに侵攻の事実が洩れる事を懸念したヨルドは私たちを消そうと追ってきたのです。」
話を聞き終えたケンはただ黙っていた。
二人を沈黙の時間が包んだ。
風が吹き、木の葉の揺れる音だけがこだましていた。
「将軍・・・私たちはこれからどうなるのでしょうか?」
不意にサーシャが口を開いた。
ケンはその言葉の真意を瞬時に読み取った。
そして優しく微笑みながら答えた。
「大丈夫です。私が貴女たちをお守りいたします。」
「将軍・・・」
サーシャはケンの暖かい言葉に胸を打たれていた。
「ひとつだけ・・・聞いてもいいですか?」
ケンはあえてサーシャとは目を合わせずに問いかけた。
「なんでしょうか?」
「あの時、ヨルドのスルト侵攻を『私たちのせいで』とおっしゃいましたね?」
サーシャは黙って頷いた。
「訳をお聞かせ願いますか?」
サーシャは空を見上げながら答えた。
「将軍はスルトがかつてヨルド領であったことはご存知ですよね?」
「はい。ヨルドの宗教的弾圧に耐えかねた民衆が発起しスベルナニアの後ろ盾を得て独立したと・・・」
「そうです。しかし、この話にはもうひとつの事実があることををご存知ですか?」
「もう一つの事実・・・ですか?」
サーシャは無言で頷いて返すと静かに話を続けた。
「スルトの南東部、つまりナリス川河口にあるとある村が実はサーラ教とダガ教の真の聖地だったのです。」
ケンは耳を疑った。
「ば・・・馬鹿な!?」
サーシャは驚きの表情を浮かべるケンを横目に話を続けた。
「この事実は時代とともに忘れ去られていました。しかしサーラ教祖の末裔には伝承という形で受け継がれていたのです。」
「その末裔というのが・・・」
サーシャは頷くと続けた。
「私たちカルサス家と・・・もう一つ・・・」
「もう一つ・・・ですか?」
サーシャは頷いた。
「ダガ教の教祖の末裔、ヨルド家・・・つまりヨルド国王です。」
ケンはあまりの衝撃的な事実に言葉を失っていた。
「停戦協定の手前、軍事力でのスルト奪還をあきらめたヨルド国王は私たちを利用しようと企んだのです。」
「企み・・・ですか?」
「はい。以前からヨルドを脅威に感じていたアレン王子は幾度となくヨルドに密使を送りつけていました。」
「アレン王子が・・・密使を!?」
「そこに目をつけた国王はアレン王子とサーラ教祖の末裔である私たち姉妹との婚姻を画策したのです。」
サーシャは身を震わせていた。
「私たちは自分が外交の道具に使われることを頑なに拒みました。そんな私たちに見切りをつけた国王がアレン王子に出した条件が・・・」
「国王の暗殺・・・ですか。」
サーシャは言葉なく頷いた。
「私たちが・・・己の保身に走らずにあの話を受け入れていれば・・・スルトは・・・」
泣き崩れるサーシャの肩をケンはそっと抱き寄せた。
「貴女が気に病む必要はありません。誰も貴女を責めませんよ・・・」
ケンは優しく呟くと一連の話の流れを整理していた。
すると一つの仮説が導き出された。
ケンはその仮説を確かめるべくサーシャに問いかけた。
「サーシャさん・・・教えてください。もしかして・・・そのとある村とはサロのことですか?」
サーシャはゆっくりと頷いた。
「やはり・・・そういうことですか・・・」
ケンは立ち上がるとサーシャに手を差し伸べた。
サーシャはその手を取ると同じく立ち上がった。
ケンはその手を握りながらサーシャにささやいた。
「サーシャさん。貴女たちの亡命はあのヨルドの暴利を暴く証となるでしょう。」
「将軍・・・」
「貴女のお父様が命を賭して守ったもの・・・必ず私が守り通してお見せいたします。」
ケンはそう告げるとサーシャに背を向けた。
そんなケンを見送りながらサーシャは立ち尽くしていた。
ケンはサーシャと別れるとテジムのもとへと急いだ。
テジムはケンの表情を見て取ると人払いを命じた。
「何か・・・分かったのだな?」
ケンは黙って頷いた。
「司令、お願いがあります。」
「何だ?」
「事情は後からお話いたします。ですから急ぎあの姉妹を移送してください。」
テジムはケンの表情を見てその理由を聞くことはしなかった。
「わかった。丁度本日付でニスクに異動となる兵がいる。それに同行させよう。」
「ありがとうございます。それと・・・」
ケンは一際厳しい表情で言った。
「戦の準備を・・・私の予想が正しければ今夜にもヨルドは河を越えてくるでしょう。」
テジムは無言で頷くと参謀を呼び寄せ、戦の準備に取り掛からせた。
そしてケンを呼び止めると一言だけ呟いた。
「ケンよ・・・貴公を再び戦に巻き込むことになってしまったな。すまぬ。」
ケンはそんなテジムに微笑んで見せた。
「お気になさらずに。此度の戦・・・自らの宿命と考えておりますゆえ。」
「宿命とな?」
ケンは自らの拳を見つめながら答えた。
「国王暗殺・・・亡命・・・そしてカルサス家ご令嬢の救出・・・一連の出来事は偶然ではなくたった一人の悪意による必然でした。」
ケンはテジムに敬礼をしながら続けた。
「それを知り得た私が此度の戦に出陣するは宿命。司令、私、スルトが青き風は犬馬の労をしてこの戦の勝利に尽くしましょう。」
テジムはケンの凛とした姿に深く感銘した。
「分かった。貴公がそこまで言うのであれば何も言うまい。ただ・・・」
「何か?」
「貴公の真の戦はこの先にある。命を・・・粗末にするではないぞ?」
ケンは笑みで返すと敬礼を解き部屋を出た。
しばらくすると城門には準備を終えたサーシャとナタリー、そしてミゲルの姿があった。
ケンは三人に近づくとサーシャに声をかけた。
「サーシャさん、お達者で。」
「将軍・・・」
サーシャはケンの手をとった。
「将軍・・・私も・・・私も戦わせてください!!父の・・・父の仇を・・・」
ケンは空いた手をサーシャの肩に置きながら答えた。
「サーシャさん、お気持ちは察します。が、憎しみに囚われてはなりません。貴女には他になさねばならぬことがあるはずです。」
「私がすべきこと?」
ケンは静かに頷いた。
「そのためにも今はお行きなさい。貴女たちがこの国に来たことが必ず大きな意味を成します。」
サーシャはケンの言葉を聞くと静かに頷いた。
「ミゲル君、道中お二人を宜しくお願いします。」
「おまかせください。必ず無事にお送りいたします。」
ミゲルの言葉に大きく頷くと改めてサーシャを見た。
「将軍・・・また、お会いできますよね?」
ケンは微笑みながら答えた。
「スルトには綺麗な湖があります。いつかご案内いたしましょう。」
サーシャは大きく頷いて答えていた。
三人が城門から見えなくなるまで見送ったケンは三人に背を向けて砦に戻っていった。
時同じくしてニスクではアドルとサラが各々武器を手にして対峙していた。
「なぁ・・・本当にやるのか?」
アドルはやりきれない顔をしている。
「仕方がないでしょ?お互い相手がいないんだから・・・」
「でもなぁ・・・」
そんなやり取りをする二人を取り囲むようにして生徒たちが目を輝かせて見つめている。
「ほらほら・・・師匠もサラさんも・・・はじめますよ?」
二人の間に立つクリスが即すように手招きした。
「本気で行くからね?」
「へ?」
「はじめ!!」
唖然としたアドルを無視してクリスは合図を出した。
と、同時にサラは両の手に持った細身の剣をアドルの胴をめがけて水平になぎ払った。
「うわっ!?」
アドルは後ろに飛びのいてそれをかわすと槍を下段に構えながら呟いた。
「あ・・・あぶないじゃないか!?」
「アドルがこっちに来て鈍ったんじゃないの?」
そういいながらサラは今度は左手の剣を突いた。
アドルは槍の柄でその突きをいなした。
サラはいなされた力に逆らうことなく体を回転させ、右の手の剣を真一文字に切り払う。
アドルはその斬撃を立てた槍で受け、その刃が接した部分を基点に槍を跳ね上げた。
その刃先はサラの髪を数本切り落としていた。
それを見たサラは口元に笑みを浮かべながら呟いた。
「やっぱり・・・アドルは強い・・・。」
そして、その後もサラは休むことなく剣を繰り出した。
アドルは次第に表情から余裕が消えていった。
二人の打ち合いは五十合を越えた。
流れるような剣捌きのサラと風のように舞うアドルの槍捌きに生徒たちは言葉なく見とれていた。
それはクリスも同じであった。
そして我に返ったクリスは二人が肩で息をしていることに気づいて仕合を止めた。
二人とも全身から滝のように汗を流していた。
「流石です!師匠もサラさんも!!」
生徒たちも満足そうに拍手で応えていた。
「流石ね・・・お父さん以外でこんなにいなされ続けたのははじめてよ?」
「勘弁してくれよ・・・洒落になってないよ。」
「また今度、相手をしてね。」
そう告げるとサラは汗をぬぐいに家に戻って行った。
そんなサラを見送りながらアドルは生徒たちを帰宅させた。
生徒たちを見送ったアドルはその場に座り込んだ。
「サラさんの剣術って動の型なんですね?」
アドルが振り向くとひとりクリスだけが残っていた。
アドルはクリスに微笑みながら答えた。
「サラはわざと打ち込んで来てたんだよ。」
「わざと?」
アドルは頷くと槍を支えに立ち上がった。
「サラは本来相手の力を利用するんだ。押しては引き、引いては押して・・・ってね。」
「じゃぁなんでサラさんはあんなに強引に?」
「試したんだろ?」
「試す?」
「僕がずっと迷っていたからね。」
「ふーん・・・・」
クリスは面白くないといった風に答えた。
「どうした?」
「別に・・・なんでもないです!!私、帰ります。」
クリスはそれだけ告げると走って帰って行った。
アドルはそんなクリスに微笑を浮かべた。
そして夕焼けに染まった空を見上げた。
と、そのとき、一陣の風が頬を撫でた。
アドルはその風に言い表しきれない違和感を感じた。
「何か・・・嫌な予感がする・・・」
アドルは風が吹いた方角を見た。
夕焼けに染まる空とは対照的に暗闇に包まれ始めた空。
その方角にはウィンザード砦があることをアドルは知らなかった。