第十話 「止まぬ風」
第十話 「止まぬ風」
カシムに後を託したレドムは馬を急かしていた。
「アドル・・・・」
レドムは祈るようにその名を呟いた。
一方、ガズと対峙するアドルはガズの本当の力に驚愕していた。
アドルの技量は確かに人よりも抜きん出てはいた。
事実、ガズはその力量の差を認めていた。
しかし、歴戦を潜り抜けてきたガズにはその差を埋めて余りある「経験」があった。
ガズは己の体力を温存したままアドルの体力を減らしていた。
次第にアドルの足元が揺らぎ始めた。
ガズはここぞとばかりに剣を薙ぎ払った。
その斬撃を皮一枚で避けたアドルであったが大きく体制を崩してしまった。
「どうした?これで終わりか・・・・?」
地面に片膝をつき槍でその身を支えるのがやっとのアドルを見下ろしながらガズは呟いた。
「くっ・・・・!」
アドルは自分の不甲斐なさに悔しさを露にした。
「確かにお前は強い・・・が、それだけだ。」
「ど・・・どういうことだ?」
ガズは剣を鞘に戻しながら言った。
「今はその命、預けておいてやろう・・・」
「ば・・・馬鹿にするな!!」
アドルはふらつきながらも立ち上がり槍を構えた。
「やめておけ、今の貴様では私には勝てぬ。」
「それでも・・・貴様をこの先に行かせるわけにはいかないんだ!!」
アドルは最後の力を振り絞ってガズに突きを放った。
槍先がガズを捕らえかけたその刹那、乾いた音と共に槍はアドルの手から放れ宙に舞った。
「死しても私を行かせぬつもりか・・・よかろう・・・」
ガズは槍を薙ぎ払ったその剣を天に掲げた。
その時一人の兵士がガズの下に転がり込むように駆け込んできた。
「た、大変です!!」
剣を下ろしたガズは兵の尋常ではない様子を見てアドルに背を向けた。
「どうした?」
「し、白き風が・・・白き風がものすごい勢いでこちらに向かってきております!」
ガズは口元を緩めた。
「黒き風に白き風・・・か・・・」
ガズは無駄な兵力の損失を避けるため、レドムに対して道を開けるように指示を出した。
「アドルとかいったな・・・白き風に感謝するのだな?」
アドルは何も言い返せなかった。
ただ自分の無力さを痛感していた。
「アドル!!」
レドムはアドルを見つけると馬から飛び降り、アドルの下へと駆け寄った。
「大丈夫か!?」
「に、兄さん・・・ごめん。」
「よくやってくれた。おかげでギエンは我々と合流できた。」
「そっか・・・よかった・・・」
アドルはギエンの無事を聞くと安心した。
そして糸の切れた人形のように気を失ってしまった。
レドムはアドルをその場に寝かしてガズに背を向けたまま立ち上がった。
「ガズ・ヴォルフ・・・時間をやろう。」
ガズはレドムの凄まじい殺気に押し潰されそうだった。
「この状況でその強気・・・気でもふれたか?」
レドムはガズの挑発に耳を貸さなかった。
「選べ・・・」
ガズは耳を疑った。
「選ぶ?」
「私に斬られる事を望むか・・・このまま退くか・・・」
レドムはガズを睨みつけた。
ガズはその眼光の鋭さに物怖じした。
「流石は白き風・・・この私を恐怖させるとはな。」
ガズは剣先をレドムに突きつけた。
「白き風よ!スルトは我がヨルドの手に堕ちた。カジカの手引きによってな・・・」
レドムは黙ったままだった。
「もはや貴様らが反抗する意味を持たぬ!!大人しく我が軍門に下れ!!さすれば・・・・」
ガズがその先を言おうとした時だった。
レドムが剣を抜き放ち一振りした。
その一振りはガズの言葉を打ち消すほどの音を立てた。
「スルトは・・・滅びぬ!」
レドムはゆっくりとガズに向かって歩き出した。
「風が吹く限り・・・スルトは必ず甦る・・・」
レドムの威圧感に流石のガズも後ずさりをした。
それを見ていたヨルド兵はガズの身を案じて一斉にレドムに斬りかかった。
「ま・・・まて・・・」
ガズの静止も空しく兵達は次々とレドムに突進していく。
レドムは自分に近づく兵を容赦なく切り捨てていった。
ひとり・・・またひとり・・・
流麗で無駄のない動きから繰り出される剣の軌跡はさながら風の如く舞いながら兵たちを飲み込んでいく。
気が付くとレドムの周りには数百にものぼる死体が横たわっていた。
そして、返り血を浴びて真っ赤になった剣を片手にレドムはガズを睨んだ。
「まさに鬼人よの・・・」
ガズはあまりの凄まじさに落胆にも似た声で呟いた。
「白き風よ・・・黒き風といい、先のアドルとかいう若者といい何ゆえ執拗に抗うか?」
ガズは剣を片手に持ちながらレドムに歩み寄った。
「抗う・・・か。」
レドムはそのガズを横目に嘲笑するかのように呟いた。
「我らヨルドの支配を受け入れよ!さすれば戦によって無意味に散らす命も救えよう?」
ガズの言葉でレドムは足元を見た。
そして返り血で染まった己の手を見つめていた。
「それは・・・違う!!」
ガズとレドムが見ると槍を構えたアドルがそこにいた。
「アドル・・・」
「貴様の言葉は侵略する者の身勝手なへ理屈だ!!」
「アドルとか言ったな?しかし・・・力なき者が力ある者に与するが道理ではなく何だというのか?」
「力のあるなしなんて関係ない!!」
アドルは激しく首を振った。
「サロの人たちや戦で命を落とした人たち・・・その人たちの無念さをそんな道理で計られてたまるか!!」
ガズは黙って首を横に振った。
「その甘い考えが戦を拡大させ、その理想と欺瞞に満ちた感情が国家を滅ぼすと何故わからん?」
「貴様らがいたずらに力を誇示するから・・・だから戦が起こるんだろうが!?」
アドルは槍を振り回しながらガズに切りかかった。
ガズはアドルの槍を剣でさばきながら言った。
「力の誇示が悪というのなら・・・貴様の正義とはなんだ?」
ガズは剣でアドルの槍を押さえながら問いかけた。
アドルはガズの目を睨み付けながら答えた。
「・・・生きる・・・ことだ!!」
アドルは渾身の力でガズを押し戻した。
体勢を崩したガズを近くにいた兵士が支えた。
「生きる・・・か、面白い。」
兵に支えられながらガズが片手を挙げるとガズの後ろに構えていた兵達が一斉にアドルとレドムを取り囲んだ。
「この状況でもそんな戯言を言えるかどうか・・・」
アドルとレドムは互いの背を合わせながら取り囲む兵たちと対峙した。
「ガズよ・・・その目に焼き付けるが良い。」
レドムは剣を構えた。
「スルトの風は止むことを知らない!!」
アドルは槍を一振りしその先をヨルド兵に向けた。
「では・・・私が力づくで止めるまでよ。」
ガズはゆっくりとその手を振り下ろした。
一斉に二人に襲い掛かるヨルド兵・・・
その数は無限に見えた。
アドルとレドムは互いに背後を守りながら近づく兵を確実に斬っていった。
半時も経つと二人の足元にはおびただしい数の兵が横たわっていた。
しかし、なおも途切れることなく襲いかかる兵たちに二人は徐々に疲弊していった。
その時、囲みの一角が崩れ始めた。
「スルトが青き風、ケン・ハモンド・・・まいります!!」
馬に跨り細身の剣を巧みに振り回しながらケンが突進してきていたのであった。
「おお、ケン!来てくれたか?」
レドムはケンの姿を見るとにわかに生気を取り戻した。
ケンの後をカーンの騎馬隊が続いた。
数に劣るとはいえ、不意をつかれた格好のヨルド軍は散り散りになった。
そこを後から来たギエン率いる歩兵が急襲した。
その結果、形勢は一気に逆転しヨルド兵の士気は大きく落ち込んだ。
「将軍、このままでは・・・!!」
敗走を始めた兵たちを見て参謀は必死の形相でガズに撤退を促した。
「風が止む事はなかったか・・・」
「は?」
参謀はガズの言葉に首をかしげた。
そんな参謀を尻目にガズは全軍に撤退を命じた。
引き上げ始めたヨルド軍を見たアドルたちは各々に勝どきを上げた。
皆が勝利に酔いしれている頃、ケンは勤めて冷静にレドムに言った。
「レドム殿、恐らくヨルドは一時撤退したにすぎません。カシム殿のことも気になります。」
レドムはケンの忠言を聞くと全軍に一度カシムの下に引き返すように指示を出した。
そんな折一人の兵が叫んだ。
「な・・・何者か来るぞ!?」
皆が見ると国境の方角から何者かが単騎でかけてくるのが見えた。
「あ・・・あれは?」
その姿をいち早く見抜いたのはアドルであった。
「サラ・・・?」
「サラだと?国境を越えたのではなかったのか?」
レドムの質問にアドルは答えることができなかった。
サラはアドルを見つけると馬から飛び降りて抱きついた。
「良かった!本当に・・・本当に無事で良かった・・・」
唖然とするアドルをよそにレドムが声をかけた。
「なぜ君がここに?皆はどうした?」
サラは我に返るとアドルから離れた。
「す・・・すいません。つい・・・」
そんなサラにレドムは微笑みながら答えた。
「気にすることはない。」
「皆は無事に国境をこえました。そして朗報がもう一つ・・・」
サラは自分が来た方角を指差した。
「ご覧下さい。」
皆が見るとかすかに見慣れぬ軍勢の姿があった。
「あ・・・あれは?」
アドルはサラに半信半疑で聞いた。
サラはそんなアドルに優しく微笑みながら答えた。
「そう・・・スベルナニア軍よ。」
「スベルナニアが・・・動いてくれたのか?」
レドムは驚きの声をあげた。
「将軍、これで後方の憂いは薄れました。あとは・・・」
ケンの言葉にレドムは大きく頷いた。
「皆のもの、今より我らは全速力でカシム殿の救援に向かう!!」
サラはそれを聞くとアドルに詰め寄った。
「アドル、どういうこと?お父さんは・・・?」
アドルは馬に跨りながら答えた。
「恐らく・・・スルト軍の追撃を抑えてくれているんだと思う。」
サラは同じく馬に跨った。
「私も行くわ!!」
アドルにはそれを拒むことはできなかった。
ただ無言で頷いた。
「全軍、行くぞ!!」
レドムの号令で怒濤のごとく進軍を開始した。
サラは馬の手綱を握り締めながら父の無事を祈り続けていた。