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ファンタジー

癒し少女を癒したい

作者: 倉永さな






不遇の女の子がイケメン三人に溺愛されるだけの話です。







 イーラは六歳の時、疲れた心や身体を癒やすことが出来る力があることが分かり、孤児院から神殿に引き取られた少女だ。

 イーラのいた孤児院はとても劣悪な環境で、引き取られた当初は栄養状態も悪く、ひょろりとした棒のような腕に背も低く、髪の毛も根元で切られて男か女か分からないほどひどい身なりをしていた。

 そんなイーラを三人の少年と青年が甲斐甲斐しく世話をして、今ではもう、その頃の面影がないほど立派に成長していた。

 腰まで届く茶色のふわふわの髪に、晴れた日の空のような澄んだ蒼い瞳は見ているだけでも癒やされる。

 そんな少女もここに来てすでに十年、十六歳になった。


 ちなみに、イーラがいた孤児院だが、今は院長が変わり、しかも国からの補助も出るようになって、かなりマシになったようだ。

 イーラはそれを聞いて、安堵した。

 イーラは神殿に保護されてなに不自由のない生活を送れるようになったけれど、孤児院に残っている子たちのことが心配だったのだ。


 イーラだが、水の女神・チェルナーを奉じている神殿に引き取られてからは毎日、心が疲れた人たちの心を癒すというお勤めを果たしている。


 イーラの奉仕活動というのは、まだ陽が昇る前に起きて、まずは身を清める。以前はエミルが補助をしていたのだが、イーラも年頃になり、一人で出来るようになったため、エミルは身を清める泉の入口まで着いていくだけだ。エミルは短髪の黒髪に緑の瞳をした爽やかな青年だ。今年で二十四歳になる。エミルはイーラの身の回りをお世話する係だ。

 イーラは白い絹で織られたワンピースをまとい、泉に浸かる。

 夏場でも冷たい水に凍えながら身を沈め、心の平穏を願う。

 泉から上がるとすぐに濡れたワンピースを脱ぎ、布で全身の水を拭い、乾いた水色の下着とワンピースを羽織る。

 濡れたワンピースと布をたたんで泉の入口にいくと、エミルがすぐにそれを受け取ってくれる。


「ありがとうございます」

「礼は必要ない」


 とは言うけれど、本来ならばイーラが持ち帰る物だと思う。

 十年もの毎日のやり取りだけど、イーラは感謝の気持ちを忘れていない。


 無駄口を聞かないようにと最初に神殿に連れてこられたときに言われていたため、それ以降は必要最低限しか口を開くことはない。そのために元から口下手なのに、喋る機会がほとんどないため、会話は未だに苦手だ。

 イーラの部屋に戻ると、シモンがまず冷えた身体を温めるために温かなお茶を出してくれて、それを飲み終える頃に食事が出される。シモンはイーラが神殿に来たときから食事の世話をしてくれている。茶褐色の髪に茶色の瞳の、二十六歳の青年だ。イーラが来るまでは神殿で働く人たちのために食事を作っていたが、イーラ専属となった。

 今日は新鮮なサラダとふわふわなオムレツに柔らかなパン。

 孤児院にいた頃を思うととても贅沢な食事にイーラは未だに戸惑うけれど、食べなければ奉仕活動が出来ないのが分かっているので、黙って食べる。


「ごちそうさま。今日も美味しかったです」

「ありがとうございます」


 イーラの食事が済むと、癒しの仕事をするときに必ず側にいるトマーシュが迎えに来る。クセのある赤髪に赤い瞳の少し鋭い表情をした二十二歳の青年だが、いつもイーラのことを一番に考えてくれる。


 トマーシュはイーラの身支度が済んだのを確認すると、イーラの髪を撫で、水の女神・チェルナーの持ち色である水色のベールを被せてくれる。イーラはそのトマーシュの仕草が好きだ。


「ありがとうございます」


 と小さく呟けば、


「おう」


 と返ってくる。


 トマーシュの先導で神殿へと向かう。

 イーラの職場は、神殿の中にある小部屋だ。

 イーラが両腕を広げたほどの幅に、奥行きはその倍はあるが、さほど広くない部屋だ。壁と床は水の女神・チェルナーを現す水色で統一されている。

 奥に水色の机と椅子があり、遮るように水色に染められた板が立てられている。板には魔法がかけられていて、向こうからは見えないが、こちら側からは姿が見えるようになっている。術者の姿を見られるのはよしとしない、神殿側の配慮によるものだ。

 この小部屋に入れるのはイーラだけで、衝立の前にトマーシュが立ち、対応をする。

 トマーシュがいる空間は相談者のためのやはり水色の机と椅子が用意されており、エミルが相談者にお茶を出す。


 今日も朝からどこぞの貴族がやってきて、エミルが出した高いお茶を飲み、衝立の向こうにいるイーラに愚痴を吐き出す。

 かわいらしい愚痴であれば聞き流し、たまにそれらしいことを口にして気持ちが軽くなるように癒しの力を降り注げば気が晴れて帰って行くのだが、今日のはマズかった。


「第一王子の婚約者を蹴落とし、うちの娘にすげ替えたい」


 そう言いだしたのは──。


「ツルハ伯爵です」


 トマーシュがイーラにだけ聞こえるように伝えてくれた。


 第一王子の婚約者は確かドビタ子爵の娘だったはずだ。

 神殿に引きこもっているイーラでさえ第一王子とドビタ子爵の娘は相思相愛で、仲睦まじくお似合いだと伝え聞こえるくらいだ。

 その反面、今、目の前に座っているツルハ伯爵の娘は意地が悪く、わがままで、その内面の悪さがモロに顔に出ていて器量も悪いという。

 イーラとて顔で判断するつもりはないが、やはり国の代表であるからには、ある程度の見た目の良さは必要だと思っている。その点、ドビタ子爵の娘は美しいらしい。


 イーラがなんと返せばいいかと悩んでいても、ツルハ伯爵の恨み言は続く。


「子爵のクセに第一王子に取り入り、我がツルハ伯爵家をないがしろにするような告げ口までして!」


 たぶんだが、そんな事実はなさそうだと政治に詳しくないイーラでも思う。

 そもそも、第一王子とドビタ子爵の娘はすでに婚約をしているのだ。結婚も間近だという。まだ婚約をしておらず、ライバルを蹴落とすために悪口を吹聴するのならともかく、確定しているのに自分の印象を悪くするような行動を取るだろうか。

 イーラだったら取らない。

 イーラは内心でため息を吐きながら、口を開いた。


「ツルハ伯爵さま」


 まだ恨み言が続いていたが、聞くに堪えず、イーラは口を挟んだ。


「お心が、疲れていらっしゃるようですね」

「だからこそここに来たのだろうがっ!」


 そう言って、ツルハ伯爵はだんだんと机を叩いた。机に置かれた水色のカップがガチャガチャと音を立てる。

 そのような怒号は悲しいかな、慣れてしまった。


「ツルハ伯爵さまが今まで、ご立派な行いをされてこられたことは、水の女神・チェルナーさまもこの国に巡っている水の中からご覧になっていらっしゃいます」

「それではなぜ、うちの娘ではなくっ!」

「ツルハ伯爵さまは勘違いされていますわ」

「勘違い……だと?」

「そうです。ツルハ伯爵さま、お子さまは確か、お一人でしたよね?」

「……そうだが?」

「ドビタ子爵さまもお嬢さまお一人でしたよね」

「そうだが」


 そこまで言ってもまだ分からないのかとイーラは内心でがっかりしながら、口を開いた。


「ツルハ伯爵家はこの国が創設されてからずっと支えてこられたと聞き及んでおります」

「あぁ」

「そして、何人ものお妃様を輩出されたとも」

「そうだ。だから娘を……!」

「もし、ツルハ伯爵さまのお子さまがお妃様になられたら、伯爵家を継ぐ方は?」

「私の弟を──」

「その方がツルハ伯爵家の血を引いていなくても?」

「……な、に?」


 イーラはもちろん、事前に調査などしない。しかも部屋に入ってこられても、その人がだれであるかもほとんど知らない。そばにいるトマーシュに教えてもらって初めて相手が分かるのだ。

 それなのになぜ、そのようなことを知っているのかというと──。


 イーラの横にはイーラとお揃いの水色のベールをした少女が立って、イーラの肩に触れていた。イーラたちが信奉している水の女神・チェルナーだ。

 チェルナーがイーラにツルハ伯爵家の内情を教えてくれたのだ。

 イーラは水の女神・チェルナーの愛し子で、困っているとこうして手助けをしてくれる。

 向こうの衝立からはこちらは見えないため、だれもイーラのいる小部屋の様子をうかがい知る者はいない。まさかこの小部屋にイーラだけではなく、水の女神・チェルナーがいるとは思うまい。

 イーラは肩に置かれたチェルナーの手に触れた。

 冷たく清んだ水の感触。そこに癒しの力を強く注ぎ込めば、チェルナーから歓喜の感情が流れ込んでくる。


「チェルナーさま、ありがとうございます。助かりました」


 小さく呟けば、チェルナーはもっととねだってくるので両手で手のひらを包み込み、癒しの力をありったけ注ぎ込んだ。

 チェルナーはようやく満足したのか、イーラから離れて、イーラの額にキスをすると、音もなく消え去った。


「ツルハ伯爵さま」


 イーラは疲れを感じながらも、できるだけ声に張りを持たせて口を開いた。


「伯爵家を途絶えさせないための、よい気づきをチェルナーさまが今、示してくださいました。伯爵さまの血に連なる方たちに、さらなる癒しを」


 イーラの言葉とともに、ツルハ伯爵の上から水色の光が降り注ぐ。

 本来ならばツルハ伯爵相手に癒しの力を使いたくなかったが、チェルナー自らが具現化して、イーラに預託していったのだ。気に食わない相手だが、イーラ個人の感情など、ないに等しい。

 ツルハ伯爵が納得したかどうかは分からないが、時間にもなったため、部屋を出て行った。


「イーラさま」


 トマーシュも思うところがあったのだろう。珍しく名前を呼んできた。


「チェルナーさまの御心のままに」


 イーラが日々の生活に困らないのは、神殿で保護されているおかげだ。

 そして、チェルナーの愛し子でもあるのだから、チェルナーには逆らえない。


 そうして今日もイーラは静かに話を聞き、たまに言葉少なに助言をして、癒しの力を最後に与え、帰って行く人たちを見送った。


 それにしても、今日はいつも以上に疲れた。

 お勤めが終わった後はいつもなら自分で部屋から出られるのに、今日は立ち上がることができなかった。


 いつまで待っても小部屋から出てこないイーラを訝しく思ったトマーシュは、断りを入れてから小部屋に入り、ぐったりと力なく座っているイーラにさすがに思うことがあったようで、慌てて近寄り、その身体を抱き上げた。


「トマーシュ!」

「イーラさま、無理をされすぎです!」


 イーラは反論したかったが、もうその気力さえない。

 トマーシュになされるがまま抱きかかえられて癒しの部屋から出され、抱きかかえられたままイーラの部屋に戻された。

 シモンはイーラのことを考えて身体に負担のない食事を作り、自力では食べられないイーラの介助をして、エミルに身体を拭われ、寝間着を着させられて、早々にベッドに寝かされた。

 疲れていたイーラはあっという間に眠りに就いた。


 *


 イーラの世話をしている男三人はイーラの隣の部屋に集まり、難しい顔をしていた。


「イーラさまがここに来て十年になるが、よく考えたら休みを取っていないよな」


 そう口を開いたのは、イーラの身の回りの世話をしているエミル。


「……なにも考えていなかったが、オレらも休んでないな」


 とはトマーシュ。


「私たちはイーラさまの癒しの力があるから休まずともいけるが」

「……肝心のイーラさまは」

「休みが必要だ」


 そう結論を出した三人は、神殿長の元へと向かった。


 三人はイーラに休息が必要なことを訴えたのだが……。


「我々は民に平穏を与えるという崇高な役目があるのです。それを休むなど、言語道断!」


 その神殿長は週に二日も休んでいるうえに、ことあるごとにイーラを呼びつけて癒しの力を使わせているのを知っている三人は怒りで目の前が赤くなったが、エミルが進み出て、口を開いた。


「神殿長のご立派なご高説、さすがでございます。その考えからいきますと、私たちはこの狭い神殿に訪れる人たちだけに留まらず、世間に出て、神殿の威光をさらに世に知らしめなければならないと受け取りました」


 思いもしなかったことを言われ、唖然としている神殿長にエミルは高らかに宣言をする。


「私たちはイーラさまとともに、各地で癒しを求めている人たちのために、旅に出ます」


 そして、懐からいつの間に用意していたのか、四人分の「啓蒙活動願」と書かれた封筒が取り出され、神殿長の机のうえに置かれた。


「神殿長、もしや駄目とは申しませんよね?」

「イーラさまの力は、もっと多くの方たちに必要なのです」

「ま、待て、おまえたち! なにが欲しいんだっ? や、休みか? 金か? そ、それとも女かっ?」


 神殿長の言葉に、呆れた顔で三人は顔を見合わせた。

 コイツは駄目だ、と。

 どうしてこんなのが神殿長なんてしているのか分からないが、思っているよりも腐敗している神殿に、三人は踏ん切りが付いた。


「神殿長ともあろう方がそんな俗なもので引き止めようとするとは、嘆かわしい」

「私たちは神殿長のお考えの元、もっとイーラさまの力を有効的に使おうとしているだけですよ」

「ねぇ?」

「オレたちは神殿長の考えに賛同して、それを実行に移そうとしてるだけだぜ」


 それだけ告げると、三人は侮蔑の視線を思いっきり神殿長に向け、部屋を後にした。


「このままいては我々も腐りきってしまう」

「いくら身を、心を守っても、これでは確かに……」

「ここを後にするいい機会だ。とにかく、準備をして朝には出立するぞ」


 三人はそう決めると、それぞれの部屋へと戻った。


 *


 夜が明けて、イーラがいつもどおりに目を覚ますと、目の前にはすっかり旅支度が整った三人がいた。

 何事が起こったのかさっぱり分からないイーラは三人を順に見つめ、それからおもむろに名を呼んだ。


「エミル、シモン、トマーシュ?」


 三人の名を呼べば、三人とも満面の笑みを浮かべてイーラを見た。


「イーラさま、いきなりですが旅に出ますよ」

「え?」

「ほら、この服に着替えて」


 そう言って手渡されたのは、いつもの滑らかな絹の手触りではなく、懐かしい綿の布。


「着替えられないっていうなら手伝うが?」

「エミルっ!」


 イーラの声に三人は笑いながら部屋から出て行った。

 訳が分からないのはイーラだ。


 昨日のお勤めは、力を使いすぎて立ち上がれないという失敗をやらかしてしまったが、それ以外は特に問題なく済んだ……はずだ。

 一晩、ぐっすり眠った今は、少し気怠さは残るモノのいつもどおりだ。癒しの力も問題なく使えそうだ。

 それとも、ツルハ伯爵の件が問題だったのだろうか。

 だからイーラは首になって……?

 いや、それならばイーラひとりが神殿から放逐されるはずだ。それなのにあの三人も同じように旅装束で……。

 悩んでいると、外から扉が叩かれた。


「イーラさま、お手伝い、いりますか?」

「だっ、大丈夫ですっ!」


 どうやら、考えている暇はないようだ。

 いつもは絹でできたワンピースだが、用意されていた服は綿のブラウスに布に似た皮のズボン。白い綿の靴下に皮のブーツ。

 イーラは慌てて用意された衣服を身につけ、いつもは垂らしたままの髪を縛り、茶色のマントを羽織った。

 それらを身につけて鏡で確認してから部屋の外に出れば、トマーシュがイーラの手を取った。


「説明は後でする。とにかく今は一刻も早く神殿から出ることだ」


 いつもの三人が一緒にいるという安心感もあり、疑問はあったがイーラは素直に従った。

 神殿内の廊下を静かに歩き、裏口から外に出る。

 とそこで、神殿の外に出るのは、ここに連れて来られて以来だったことに気がつき、イーラは愕然とした。


 まだ陽が昇る前のため薄暗いが、トマーシュに手を握られているため、怖くない。イーラの歩調を考えて歩いてくれるらしく、辛くない。

 道を右に左にと歩いて行くと、広い道に出た。そこから少し歩いて三人に連れて来られたのは何軒か並んだ建物のひとつで、その前に荷馬車が止まっていた。

 エミルがなにか交渉をしていたが、話し合いはすぐにつき、イーラは荷馬車に乗るように告げられた。

 トマーシュに引っ張られるようにして乗り込み、クッションのうえに座るように言われたので素直に座った。

 エミルが御者台に座り、トマーシュとシモンは後ろの荷台に乗った。

 エミルはゆっくりと荷馬車を走らせ始めた。


「少し揺れますが、そのうち慣れると思います。気持ち悪くなったら教えてくださいね」

「はい」

「それと、寝起きすぐに連れ出してきましたから、喉が渇いているでしょう」


 シモンはそう言うと、背負っていた荷物から筒を取り出して、イーラに渡してきた。


「中は水です」

「ありがとうございます」


 イーラは栓を外し、すぐに口にした。

 清涼な水が口内に流れてきて、喉が渇いていたことに気がついた。すべてを飲み干したところで、イーラは困ったようにシモンに視線を向けた。


「あの、これ……」

「大丈夫です。まだ飲み水はありますから。それとも、足りませんでしたか?」


 イーラはシモンの質問に首を振ると、シモンはイーラから空になった筒を受け取り、片付けた。


「さて、なにも説明をしないでいきなり連れ出してしまい、申し訳ございません」


 シモンとトマーシュに頭を下げられ、イーラは戸惑った。

 イーラのいる場所は確かに神殿であるけれど、この三人がいない神殿にはいたくない。だから三人に行こうと言われれば着いていくのが当たり前だと思っていた。


「あの、頭を上げてください。わたしはあなたたちに頭を下げられるような立場にはありません」

「イーラさま」

「わたしはいつも、あなたたち三人に助けられてばかりで、わたしはあなたたちがいなければなにもできなくて、その」


 イーラはそこで止めて、それから息を吸ってから続けた。


「ありがとうございます」


 そう言って、イーラは深々と頭を下げた。

 まさかここで頭を下げられると思っていたいなかったシモンとトマーシュは慌てた。


「イーラさま」

「今までありがとうございます」


 イーラは姿勢を正し、シモンとトマーシュを見た。


「わたし、神殿から解雇、されたんですよね」

「……は?」

「昨日、ツルハ伯爵さまにとても偉そうなことを言ってしまいました。十六の小娘に説教されて、きっと、ツルハ伯爵さまはお怒りになり、わたしを神殿に置いておけなくて」


 それに、とイーラは続けようとしたが、今まで我慢していた分、それは涙としてあふれ出し、言葉を紡げなくなってしまった。


「イーラさま、違います!」


 なにも説明せずに連れ出してきたため、イーラは最悪なことになっていると考えてしまっていたということが分かった。トマーシュが慌てて説明をする。


「イーラは働き過ぎだ! だからオレたちが休ませるために神殿から連れ出したんだ」


 トマーシュはポロポロと泣くイーラを見ていられなくて、肩を引き寄せて、抱きしめた。イーラはどうすればいいのか分からなくて、でも、振り切ることもできなくて、されるがままだ。トマーシュはイーラの顔を胸に押し当て、肩を撫でた。


「イーラは頑張りすぎだ。そんなにボロボロになりながらも健気にあんな奴らを癒やし続けるなんて、人が良すぎる」

「自分を省みることなく、わたしたちにまで気を遣って、あなたはいつ、気を休めるのですか」


 そう言われても、イーラはこの持てる力で人を癒すのが役目なのだ。自分より疲れている人が多いのを、この十年間、ずっと見てきた。

 それに、イーラは恵まれている。

 優しい三人に助けられて、だからこそ、頑張ってこられた。これで疲れただなんて、言っていられない。


「わたしは、三人に、助けられて、きました」

「そんなの、当たり前だろう」


 涙声のイーラに、トマーシュとシモンは思わず顔を見合わせる。

 ここまでボロボロになってしまったのは、三人にも責任がある。

 六歳から十年。遊びたい盛りに大人のエゴで神殿に縛り付けて、力があるから、ただその理由だけで休みもなく、働かせ続けた。

 食べさせなければ生きていけないため、食費さえ最低限しか渡されていない。シモンはその少ない金銭でやりくりして、いかにイーラに栄養があって、それでいて美味しく食べてもらえるか、毎回、工夫して作っている。

 しかもイーラの施しに対して支払われた財貨は、あの神殿長がすべて懐にしまっている。イーラには一切の対価がない。

 ただ働き。

 これならまだ、孤児院にいたときの方が恵まれていたのではないか。

 ──とはいえ、あそこもあそこでひどいものではあったが。


 イーラは今まで、搾取しかされていない。

 彼女がどれだけ素晴らしく、唯一無二の存在であるということを、イーラが認識していないばかりか、そのあたりに転がっている石ころよりも価値がないと認識してしまっている。


「イーラ、いいか」


 普段はイーラさまと呼ぶトマーシュが先ほどからイーラと呼び捨てにしているのを聞き、ますますイーラは唯一の居場所であった神殿から見放されたと知った。


 今まで、神殿でやって来たことは、人々の話を聞き、癒しを施してきただけ。服を着たり脱いだりといったことは出来るけれど、片付けたり、ご飯を作ったり、いわゆる生活をしていくことは三人に任せっきりだった。

 今も丁寧に扱われているが、イーラはこれからどこかに捨てられるのか、売られるのかされてしまうのだ。売られたとしても、家事などしたことがないため、まったく役に立たない。

 どうやって生活をしていけばいいのか分からず、ますます涙が出てくる。


「泣くなと言っても涙は止まらないだろうから、そのままでいい、聞いて欲しい」

「……はい」


 返事をすればひどい涙声ではあったけれど、かろうじて声は出せた。


「イーラは自分を価値のない人間だと卑下しているかもしれないが、そんなことはない。そんなくだらない人間だったら、オレたちはとっくの昔に見限っている」

「トマーシュ、もう少し優しく話してあげてください」


 とシモンが苦言を呈するが、トマーシュはシモンを睨んだだけだ。


「イーラが要らない人間だったなら、神殿もとっくに手放してるよ。十年もの間、イーラを縛り付けていたのは、それだけ価値があるからだ」

「でも、わたしは……話を聞いて、心を少しだけ癒すことしかできません。ケガを治すことも、病気を治すこともできません」

「あのな、それがどれだけすごいか、ここにいるオレたち三人がどれだけイーラに救われてきたか、知らないからそう言えるんだ」


 エミルも、シモンも、トマーシュも訳があって神殿に預けられた、心に傷を負った者たちだ。そんな三人だからこそ、余計にイーラの存在は大切だ。


「オレたちのミスなんだが、イーラは神殿に来てからずっと休んでない」

「困っている人たちがいるのですから、休んでなどいられません」

「あのな、イーラ。オレたちは人間なの。いくら崇高な目的があっても、疲れた身体を休めないと駄目なわけ」

「でも」

「休むことは必要なこと。義務と言っていい。癒す側が疲れていたら、癒される側はどう思う? それなのに神殿長はその必要なものさえ、イーラから取り上げた。だからオレたちがイーラに休みを与えることにした」

「……え?」

「休むことは義務だ。分かったか?」

「でも」

「なんだ。言いたいことがあるのなら、言え」

「トマーシュ、そんな言い方をしたら、イーラさまも言えませんよ」


 シモンの苦笑した声に、イーラは止まらない涙を拭いながら、口を開いた。


「わたしが休むのなら、三人もお休みですよね?」

「そうだが」

「では、なぜ、三人はわたしに着いてきているのですか?」


 イーラの質問は想定内だったため、トマーシュは笑みを浮かべて答えた。


「それは、オレたちがイーラと一緒に遊びたかったからだ!」

「え?」

「それとも、イーラは嫌か?」


 嫌だなんてとんでもない! とイーラは首がもげるほど横に振った。

 それを見たトマーシュとシモンはようやく笑った。


「だから今日は、イーラはただのイーラだ。さまはつけない!」

「普段からもつけなくていいです」

「そういうわけにもいかないんだよ」


 トマーシュはイーラの頭を撫で、それから腫れぼったくなった瞼を押さえた。


「泣かせるつもりはなかったんだけどなー」

「……申し訳ございませんでした」

「そうやってかしこまらなくていいから」

「ですが」


 三人はイーラより年上で、しかも彼らがいないとイーラはなにもできないのだから、敬意を持って接するのが当たり前だと思う。

 トマーシュの腕の中でしょんぼりしていると、イーラの膝の上にふわりとなじみのある気配がした。

 顔を上げるとそこには水の女神・チェルナーがちょこんと座っていて、イーラの瞼を手のひらで覆っていた。


「チェルナーさま?」


 イーラの声に、トマーシュが下を向くと、イーラの上に見知らぬ水色の髪の少女が乗っていて、イーラの目を覆っていた。

 トマーシュはイーラと少女をひざに乗せているのだが、重みを感じない。これはどういうことかと悩んでいると、シモンが急に改まって膝をつき、頭を下げた。


「そこにおわすのは、水の女神であらせられるチェルナーさまで間違いないでしょうか」


 トマーシュは上からしか見ることができてないため、真偽を確かめられない。

 シモンの質問に水色の髪の少女は答えず、イーラに言葉を掛ける。


「イーラ、わらわを置いて、どこに行く?」


 水のように澄んだ声に、シモンとトマーシュの二人はこの少女の姿をした人が水の女神・チェルナーであることを悟った。


「あの、チェルナーさま?」

「朝の泉の浄化がないのはともかく、神殿からイーラの気配が消えた」


 チェルナーの責める声に、イーラはシュンとうなだれた。

 イーラたちは普段、チェルナーがどこにいるのか知らない。

 というより、そもそもが水の女神を信奉しているものの、本当に存在しているのかさえ疑わしい、というのが大半の意見だ。

 神殿を造り、それらしく見せているが、ほとんどの人間が存在していないと思っている。

 それだというのに、今、イーラの上にいる水色の髪の少女はその存在さえ疑わしいと思われていた水の女神。

 イーラは昔からチェルナーの存在は知っていたし、ことあるごとに助けてもらっていた。その対価に、癒していた。イーラとしては返していたと思っていたのだが、こうして追いかけてきたということはまだ足りてなかったのだろうか。

 そう思っていると、チェルナーが口を開いた。


「昨日、イーラが困っておったゆえに手助けしたが、そのせいでイーラは神殿におられなくなくなったのか? もしもそうならば──」

「ち、違います!」


 チェルナーがとんでもないことを言いそうだったため、イーラは先制して否定した。だけどチェルナーは納得していない表情をイーラに向けてきた。

 イーラとて、今の状況がどうしてこうなっているのか把握できていない。だから説明をしたくてもできなくて困っていると、トマーシュが助け船を出してくれた。


「チェルナーさま、無礼を承知で進言いたします」

「うむ、おまえはイーラが信頼を寄せておるトマーシュとやらか。よいぞ、申してみよ」


 チェルナーは水の女神。水を通してすべてを識る女神のため、人々の心の中の真実を識っている。

 チェルナーが言うように、イーラはトマーシュだけではなく、シモン、エミルの三人を心から信頼している。そして、信頼とともに好意も抱いている。

 イーラとしてみれば、三人に関して言えば、信頼していると好意を抱いてるは同じ感情なので、それをバラされた気分だ。

 嘘ではなく真実だからこそ、そういうことは恥ずかしいから言って欲しくないのに、隠さずに照れることもなく口にするチェルナーが憎い。

 イーラは真っ赤になりながら、トマーシュの腕の中で居心地が悪い。そして、そのトマーシュの顔も心なしか赤い。


「イーラはずっと働いており、疲れております。少し休息が必要かと思い、我らの独断で連れ出しました。処罰を下すのでしたら、我らに──」

「チェルナーさま、違うのよ! 三人は悪くないの! わたし、神殿に帰るからっ!」


 イーラの上に乗っかったまま、チェルナーはなにかを考え、それからイーラを見た。


「イーラ、戻る必要はない」

「……え?」

「世界は広い。なのにどうしてあの居心地の悪い場所にいなくてはならぬ?」

「チェルナーさま?」

「なぜ、イーラはあそこにいる?」


 なぜと言われても、イーラの居場所は神殿しかなく、そこから出されたら生きていけない。

 生きて行くには与えられた仕事をこなし、居場所を作るしかなくて……。


「わらわはイーラがあそこにいるがゆえ、我慢しているのだが、濁りきった水はわらわから力を殺ぐだけじゃ」

「あの、チェルナーさま」

「なんじゃ」

「怒ってない?」

「わらわを置いていったことに関しては怒っているが、神殿に戻るというともっと怒る」


 イーラは訳が分からなくて助けを求めるようにトマーシュを見た。


「チェルナーさまもご同行者していただけると?」

「当たり前であろう! イーラが行く先がわらわの安息の地となるのじゃ」


 そんな大げさなとイーラは思ったが、チェルナーは大真面目のようだ。ふとそれまでどこにいたのか不思議に思い、聞いてみることにした。


「チェルナーさまは今までどこにいらっしゃったのですか?」

「今までか? 命の泉と呼ばれるところにいたのだが、そこもよいのじゃが、イーラのそばにいると癒されるのじゃ!」


 チェルナーは癒されるのじゃーともう一度、叫ぶとイーラの背中に張り付いた。

 チェルナーが背中に張り付いても重たくはないけれど、女神さまに張り付かれている状況にイーラは落ち着かない。


「女神さまのお墨付き、ということですね」


 シモンはそういうが、イーラは複雑な気分だった。


 とそこで、腫れぼったかった瞼が治っていることに気がついた。先ほど、チェルナーが瞼に手を当ててくれていたのだが、癒してくれたのだろう。


「チェルナーさま、瞼、ありがとうございます」

「なに、それくらいは容易いことじゃ。わらわの大切なイーラを泣かせるとは、あやつらには仕置きが必要じゃの」


 あやつらとはだれかとか、仕置きとはなにをするのかと、聞こうとしたところで、荷馬車はゴトゴトと揺れが小さくなって、どこかに着いたのか、止まった。

 トマーシュはイーラに立つように伝え、手を取ってシモンと一緒に外に出た。

 荷馬車を操縦していたエミルも操縦席から降りてきた。イーラの背中にチェルナーが張り付いてもいるのを見ても驚くことなく、頭を下げた。


「チェルナーさまもご同行いただけるとは、光栄の至り」

「白々しいの。わらわを置いていこうとしておったのに」

「まさか! 我々がチェルナーさまを独占するのはよくないかと思い──」

「それを白々しいというのじゃ!」


 気安いやり取りに、イーラは首を傾げてエミルを見ると、エミルは苦笑を返してきた。


「チェルナーさまとは少しご縁がありまして」

「こやつはな、産まれてすぐに命の泉に投げ捨てられたのじゃ」

「えっ?」

「私は要らない子でして……」

「そんなっ」

「仕方がないからわらわが育ててやったのじゃ」


 エミルは多くは語らないけれど、それは悲惨な話なのではないのだろうか。


「私も六歳になって、それまでのご恩をお返しするために神殿へと入ったのですよ」

「なにが恩返しじゃ、育てられた恩を忘れて、仇を返すようにわらわを捨てて、あんな腐ったところに行きおって」

「恩は未だに感じてますし、捨ててませんよ。むしろ、恩を返すためにですよ。少しでもよくしようと思いまして」

「……まぁ、確かに少しはよくなった」

「ありがとうございます」


 話をしていると、良い匂いがしてきた。

 そういえば、朝、起きてから水は飲んだけれど食事をしていないことに気がつき、イーラのお腹はくぅと鳴った。


「ふふっ、確かにお腹が空きましたね。シモンがご飯を作ってくれてますよ。みんなで食べましょう」


 荷馬車の前で待っていると、トマーシュがやってきた。


「イーラ、ご飯にしよう。チェルナーさまはなにか食べますか」

「わらわは新鮮な水でいい」

「かしこまりました。すぐそこに沢がございますので、汲んできます」


 イーラとチェルナーはトマーシュに案内されて、平な岩の上に敷布を敷かれ、そこに座るように言われた。言われるままに岩に座り、周りを見る。

 ここがどこなのか分からないけれど、街道沿いらしく、木々の隙間からイーラが乗っていた同じような荷馬車が通り過ぎていく。


「簡単なものしか作れなかったけれど」


 そう言って、シモンはイーラに木の器を渡してきた。中には刻まれた野菜とハーブの入ったスープ。固いけれど、スープに付ければ柔らかくなってとびきり美味しくなるパンも付いている。そして器と同じく木で出来たスプーンを渡された。


「エミルとトマーシュもすぐに来ますが、先にどうぞ」

「わたし、待ちます」

「そうですか?」


 背中に張り付いているチェルナーが興味深そうにイーラの手元のスープを覗き込んでいる。


「チェルナーさま、食べてみます?」

「わらわは食べられるか?」

「具は無理かもしれませんが、スープの部分でしたら大丈夫かと」


 そうして、チェルナーにもスープが用意された。

 そこへ、水を汲みに行っていたトマーシュとエミルが戻ってきた。


「チェルナーさまも食べられるのですか?」

「うむ、美味しそうなのだ」


 そうしてみんなで食べる食事は孤児院以来で、イーラは楽しかった。

 チェルナーは塊は無理だったが、スープを飲むことが出来て、満足そうだった。


「すごく美味しくて、楽しかったです」

「それならよかった」

「みなと食事を摂るというのは、楽しいのだな」


 チェルナーは定位置となったイーラの背中に乗り、楽しそうに笑っていた。


 荷馬車の操縦は今度はトマーシュになり、イーラはなぜかシモンの膝の上に乗せられた。

 トマーシュはよく側にいるからそれほど抵抗はなかったのだが、シモンが近くに来るのは稀だったので、かなり緊張する。

 イーラの背中にいるチェルナーは特に気にならないのか、それともシモンが珍しいのか、しげしげと顔を見つめたり、茶褐色の髪を弄ったりしていた。シモンはされるがままになっていた。


「イーラ、緊張してます?」

「こっ、この状況で緊張しないわけ、ないでしょう!」

「俺はイーラをようやく甘えさせることが出来て、満足してますけど」


 そう言って、シモンはイーラの頭を撫でたり、髪の毛の先にキスをしたりとかなり甘い。

 それを見ていたチェルナーは、イーラのおでこや頬にキスをしていく。


「なるほど、こうしてイーラを愛でるのも癒されるのだな」

「えぇ、そうですよ、チェルナーさま」

「えっ、ちょ、ちょっと待ってください! そんなことされたら、恥ずかしすぎてわたしが死にます!」

「恥ずかしくなどないぞ。イーラは愛でるもの」

「えぇ、そうですね。さすがはチェルナーさま、分かっていらっしゃる」


 その会話を聞いていたエミルもシモンの対面に座り、イーラを挟むようにして愛で始めたのだから、大変だ。


「ちょっと、エミルまでっ!」

「最近ではなんでも自分でやってしまうので、イーラのお世話ができなくて淋しいのですよ」

「だ、だって、小さい頃ならともかく、着替えなんかは自分でできますし!」

「そうかもしれませんが、甘やかしたいのですよ」

「うんうん、分かりますよ。栄養の偏りがないようにですけど、できたら俺もイーラが好きな食べ物をたくさん食べさせたい」


 イーラはここで悟った。

 神殿にいても、神殿から出ても、この三人プラス女神さま一柱がいる限りは全力で愛されていることに間違いはない。これで疲れただなんて言っていられない。

 とはいえ、過剰すぎなのではないだろうか。むしろそれが疲れる。


「あのっ、皆さんの愛はすごく分かりました」

「まだこんなものではないんだが」

「これで根を上げられると困るな」


 えっ、これ以上ってなんですかっ?

 ほんとの本気で死んでしまう!

 今だって、心臓が破裂しそうなほどバクバク言っているというのに、まだって、そんな!


「あー、ほんと、イーラは癒しだわ」


 そう言ってスリスリしてくるチェルナーはとてもかわいらしいとは思うけれど、なぜ、女神さまにこんなに懐かれてしまったのか。

 それもだけど、シモンはずっとイーラの髪を撫でているし、エミルに至ってはイーラの手をずっと握っている。緊張で汗が出てきてそれがすごく嫌なのに、エミルは気にするどころか嬉しそうにしているのはなんでっ?

 これならば、神殿で愚痴を聞いている方が気が楽かもしれない。


「イーラはどこか行きたいところはない?」


 そう聞かれても、イーラはずっと神殿にいるものと思っていたし、行きたい場所は特にない。

 イーラが六歳までいた孤児院はきれいに整えられて清潔に過ごせていると聞いているし、行きたいと思わない。

 あえて言えば……。


「みなさんがいれば、わたしはどこでもいいです」

「欲がないのぉ」

「あえていえば、わたしの力で疲れている人たちが少しでも癒やせる場所であれば」


 イーラの言葉にシモンは呆れた声をあげた。


「……あのさ、なんか俺たち、全面的に信頼されてるけど、イーラを騙して金儲けしようとしてるとか、考えないのか?」

「もしもそうだとしても、優しさに嘘はありません」

「それが偽物の優しさだとしたら?」

「偽物でも、嘘でも、本物でも、わたしには優しさに変わりありません」


 もちろん、三人にはイーラを騙すだとか、金儲けに使ってやろうだなんて、そんなつもりはまったくない。それだからこそ、イーラが心配になる。


「簡単に信頼するなよ」


 イーラは孤児院にいた間、どれだけの辛い日々を送ってきたのか。胸が痛くなる。


「でも、今まで、見返りもなく、わたしのために──」

「見返りはしっかりもらってるし、下心もある」

「それは人として当たり前だと思います。わたしだって、三人にずっと側にいて欲しかったからやってきたのですし! それは今、こうして形になりました。それに、チェルナーさまも独り占めしてます」


 イーラの言葉に、チェルナーはくすくす笑った。


「なかなかにしたたかじゃの」

「そんなのではないです。人のためといいながら、結局は自分のためです」

「それはだれでもそうじゃ。わらわとてそうなのじゃから」


 イーラは背後にいるチェルナーを返り見た。


「イーラの側は癒されるから、着いてきているのじゃ!」

「それでは、こうしましょう。イーラがいうように、各地で疲れている人たちを癒して回りましょう」

「わたしのわがままに、付き合ってくれるのですか?」

「わがままではないですよ。イーラには伝え忘れていましたが、神殿長にはそういう名目で神殿を出ると伝えてきましたからね」


 エミルの言葉に、イーラは目を丸くした後、笑った。


「すごいです、ありがとうございます!」

「その前に、イーラが癒されないといけないわけだけど」

「えっ? わ、わたし、もう充分に癒されてますけどっ!」


 信頼できる三人と女神さまがいるだけで心強いし、頼りになるのに、これ以上、癒しを求めるのは罪だと思っているイーラは逃げようとしたが、ここは狭い荷馬車の中。


「イーラ、観念するのじゃ」

「えっ、えっ、な、なにここで癒しってなにをするんですか!」

「それはいいことだ」


 エミルとシモンはどこからか追加のクッションを取り出すと床に敷き、布を被せるとイーラを押し倒した。


「えっ、な、なんで二人とも、脱いでるんですかっ!」

「汚れるといけないからな」

「ちょ、えっ、ぁぁぁぁっ!」


 イーラは最初の内は抵抗していたものの、男二人にかかれば力に敵わず。

 すっかり骨抜きのマッサージ(・・・・・)をされて、イーラはクッションの上でぐったりしていた。


「最初からマッサージって言ってくだされば……」

「それだと面白くないだろう?」


 服の上からだったが、むき出しの場所にはオイルが塗られ、極上のマッサージにイーラはゆるゆるだ。


「それにしても、凝り過ぎだろ」

「気を張りすぎですよ」


 すっかりリラックスしたイーラは、とろとろと眠りに落ちていく。


「まだ目的の場所には着かないんだよな?」


 シモンの小さな声にエミルはうなずく。


「それなら、寝かせておこう。チェルナーさまはどうされますか?」

「イーラの側にいる」


 シモンとエミルは御者台に近寄り、小声で相談する。トマーシュはずっと操縦していたため、中の様子はほとんど分かっていない。


「イーラは予想どおりのことを言ってくれたよ」

「それならば、イーラの癒しの旅の始まりだな」


 残念ながら、神殿にいるときより辛いことに遭遇することもあるだろう。現実というのはそれほどシビアだ。それでも、あの神殿の中で緩やかに腐っていくよりはマシだと三人は思う。

 それに、イーラにはもっと広い世界を知ってほしい。

 そして、癒すだけではなく、癒されてほしい。癒される幸せを知ってほしい。


「わらわも着いていくぞ」


 イーラの側にいたはずのチェルナーが三人の男のところに来て、そう宣言する。


「おぬしたち男三人に任せておくと、ろくなことになりそうにないからな」

「チェルナーさまはなんでもお見通しですか」


 苦笑する三人に、チェルナーはそれぞれを睨みつける。


「甘やかすまでは許してくれますか?」

「甘やかしすぎて嫌われないようにほどほどにするのじゃ」

「ぐずぐずに溶かしたいのに、駄目?」

「あれは限度をわきまえておる。無理じゃの」

「時間を掛けて落としますよ」


 男たちの企みを知らない少女はすやすやと眠る。


「それよりも、人というのはお金がないと生きていけないのではないか?」


 ずいぶんと俗なことを言う女神さまに男三人は苦笑する。


「まぁ、そうですけど」

「まさかイーラ頼りなわけではないよな?」

「もちろん、イーラ頼りなんてことはしませんよ。……と言いたいところですが、手持ちは限りがありますので、あまり贅沢はできませんね」


 予想どおりの回答に、チェルナーは男たちにできるだけ頑丈な袋を出すように指示をした。

 疑問に思いながらも丈夫な革袋を用意したところで、その意味を知ることになる。チェルナーの手のひらからざらざらと財貨があふれ出してきたのだ。


「なっ?」

「これはわらわのために献げられたものじゃ。……と言っても、一部じゃし、イーラの働きに対してのものじゃ」

「えっ?」

「これは本来ならば、イーラが手にするするものじゃったもの。遠慮なく使うが良い」

「出所は?」

「言うまでもなく、分かっておろう。神殿長じゃよ」


 こんなにも貯め込んでいたのかと怒りを覚えたが、それと、とチェルナーは続ける。


「どこに向かっているのか分からぬが、行ってほしいところがあるのじゃ」

「チェルナーさまのお心のままに」


 目的の場所はあったが、いかなくてはならない場所ではなく、とりあえずで設定していた場所だったので、チェルナーが行きたいと言った王城へと向かった。

 城に到着した頃にはイーラもすでに起きていて、どこから出されたのか分からない儀式の時に着る幾重ものレースが重なった水色の礼服を着せられ、顔が判別出来ないほどの厚さのベールを被らされた。かろうじて内側からは外をうかがい知ることができるのは幸いなのか。


「あの?」

「お主は黙って三人に囲まれているだけでよい」


 なにをするのか分からないが、とんでもないことをやらかそうとしているのだけはイーラにも分かった。だから止めようとしたのだが。


「チェルナーさま!」

「まぁまぁ、お主には悪いようにはせぬ。むしろ、これからのことを思えば、憂いを断つための儀式」


 そう言われてしまえば、イーラはそれ以上、なにも言えず、チェルナーに従うことにした。

 馬車を降りて、三人に囲まれてしまうと、周りが見えない。城に来た、というのは会話で認識はしているが、あまり見えないために実感はない。


 城門へ行くと、すでに話が通っていたのか、なんの問題もなく通され、煌びやかな廊下を案内人に連れて来られたのはどう見ても謁見の間。

 イーラはボロボロの孤児院と質素をよしとしていた神殿しか知らないため、ベールを被っていても目映さに目が痛い。

 チェルナーはイーラのためと言ってくれたが、正直、もう帰りたい。……といっても、帰る場所はないのだが。

 そのことに気がつき、イーラは暗澹たる気持ちになった。

 チェルナーは神殿に戻るのは嫌だ、戻ったら怒ると言う。チェルナーには今まで何度も助けられたし、そのチェルナーを怒らせたくない。それにもう、イーラも三人が一緒にいてくれても、神殿には戻りたいとは思わなかった。

 となると、イーラはどうすればいい?

 イーラが悶々と悩んでいると、イーラの背中に張り付いていたチェルナーがイーラの頭を撫でた。


「なにも悩むことはない」


 三人に連れられて、イーラは玉座の下へとたどり着いた。

 イーラは作法は知らないけれど、きっとひざまずかなくてはならないと腰を落とそうとしたら、右にいたシモンが腕を掴み、止めた。

 それを見た周りの側近たちが大声を上げた。


「陛下の前であるぞ、頭を下げよ!」

「頭が高いのはそちらだろう! 水の女神・チェルナーさまの御前にもかかわらず、上段からの迎え入れとは、笑止千万!」


 左隣にいるエミルのよく通る声に、謁見の間にいる者たちはどよめいた。

 イーラの後ろにいたトマーシュはイーラの背中に張り付いているチェルナーを優しく抱き上げ、肩に乗せた。三人の中で一番体格の良いトマーシュが肩に乗せたため、よく目立つ。


「ゾルターンよ、まあ、そのままでよい。それよりも、頼んでおいた神殿長は連れてきておるか?」


 チェルナーの問いに、ゾルターンと呼ばれたこの国の王は丸々と太った身体を揺らして笑った。


「水の女神? どこに証拠が?」


 予想どおりの反応に、チェルナーは特に怒ることもなく、淡々と告げる。


「ふむ、予想どおりか。国の主なのに頼みごとのひとつも聞けないとは、嘆かわしい」


 チェルナーの一言にゾルターンは真っ赤になり、周りの兵士たちも抜刀しようとしたが、チェルナーは手で制止ながらトマーシュの肩の上でチェルナーは腕を振った。

 水の気配が濃くなったかと思うと、ゾルターンの上に穴が空き、水とともに人が降ってきた。その人はみっともなく服がはだけていた。

 ゾルターンは空から降ってきた男に押しつぶされ、玉座から滑り落ち、もがいている。空から降ってきた男は突然のごとくゾルターンの上で宙をかいていた。


「えっ、えっ? な、なにがっ?」

「とっ、とにかく! 陛下をお助けしろっ!」


 ようやく状況を把握した近衛兵がまずはゾルターンの上にいる男を引きずり下ろし、ゾルターンを助け出した。

 それと同時に、イーラたちは武器を持った兵士たちに囲まれてしまった。


「おっ、おいっ、おまえたち! わたしは神殿長のクサヴェルだぞ! なんだ、このぞんざいな扱いはっ!」


 混沌を極めた空間にチェルナーはトマーシュの肩の上に立ち、高笑いをした。


「国の上層部の者が、これくらいで取り乱すとは、みっともない。嘆かわしい限りである!」


 その原因を作ったのはチェルナーでしょう! と意外にも冷静なイーラは内心でツッコミを入れていた。

 銀色にきらめく剣に囲まれているけれど、まだ冷静でいられるのはエミルとシモン、そしてトマーシュの存在が大きい。それにイーラにはことの発端を作ったとはいえ、心強い味方であるチェルナーがいる。

 いやまさか、この段になって裏切られるということはないと信じたい。そうなったら世を儚んで死を迎えるまで。

 イーラは半ば諦めに似た境地にいたが、左右からエミルとシモンが力強く手を握ってくれた。


「心配なのは分かるけど、チェルナーさまに任せておけば大丈夫だ」


 その根拠がどこにあるのかは分からなかったけど、今のイーラは信じることしかできない。だからベールの中で小さくうなずいた。


「そこの性根の腐った男二人にはとっておきの罰を与えよう」


 チェルナーはゾルターンを指さすと、指を上に向けた。途端、丸い身体は棒のように真っ直ぐに伸び、青いじゅうたんの上にピョコンと立った。そしてその横に同じように神殿長が立たされた。


「おまえたちは国民、信者がおってこそのその地位であろう。皆の者にありがたいとひとりずつにお礼をして回ることじゃ」

「なっ、なにをっ!」


 そう言った途端、二人の身体は腰から綺麗に直角に折れ曲がるほどの深いお辞儀がなされた。ゾルターンはお腹が出ているためにかなり苦しそうだが、頭を上げようとしても動かないようだ。


「ゾルターンは息子に地位を譲り、クサヴェルは神殿長は首。神殿にいたいのなら、雑用からすることじゃ」

「なっ、なにを勝手なことを! なにが女神だ、偽物めっ!」

「まだわらわを偽物扱いするのか」


 トマーシュはチェルナーを肩に立たせたまま、ボソリと呟いた。


「対処が温すぎだから舐められてるんでしょう」

「ふむ、なるほど。慈悲深い心は要らぬということか」


 チェルナーはなにを追加しようかと思案する前に、トマーシュがわざと広間中に聞こえるほどの大声を出した。


「それと、皇太子殿下はそこの丸太のおっさんの血は引いてないって教えてやった方が親切なんじゃないか? あ、違ったか。そこの国王と名乗っているおっさんが実は王家の血を引いてないって教えた方がよいのか?」

「そういえばそうじゃったな。わらわは止めたんじゃが、前王妃が強行突破したんじゃったの」

「なっ、なっ、なっ! ど、どこにその証拠がっ!」

「王太子殿下は宰相の子じゃが、あやつは王家の血をきちんと引いておる」


 イーラはすでになにがなんだか分からなくなっていて、考えるのを放棄した。

 なんだかとんでもない暴露話が始まっているような気がしたが、聞かなかったことにした。


「あと、そこの神殿長じゃが、姦淫は御法度のはずなのに、昼から色欲に溺れ、わらわの大切なイーラにまで手を出そうとしていたな」


 ここで名前が出てきて、しかもとんでもない内容にイーラはブルブルと震え、エミルに抱きついた。


「俺は?」

「シモンはわたしのご飯を作ってくれる人なので、尊いのです」

「いやむしろ、尊いのはイーラだろう」


 シモンはイーラの手を少しだけ強く握りしめ、それから指先にキスをした。

 シモンの一連の動作に、イーラは真っ赤になり、それからエミルに助けを求めるように顔を上げたが、エミルはベール越しのおでこにキスをした。


「イーラが尊すぎて辛い」


 エミルの一言に、シモンとトマーシュが強くうなずいた。


「とにかく、そこの二人は深く反省せい」

「ふざけるなああああ!」


 怒号が聞こえたが、宰相とともに現れた第一王子がテキパキと指示をして、謁見の間の混乱は収まった。


「チェルナーさま」

「うむ」

「先ほどの話は、本当なのですか」


 うなだれた第一王子にチェルナーは淡々と真実を告げていく。


「先代の王には子を作る能力がなくてな。『いつまでも子が出来ぬのはお前のせいだ!』と先代王妃は周りに責められ、それならばとまぁ……。結果としては子は出来たが、先代王の子ではないのはわらわが断言する。それで、本当の父親に関しては、わらわは知っておるが、もう今となってはそこはどうでもよいことであろう? おぬしの父である宰相は先代王の弟の子。わらわが王妃に助言をしたのじゃ」


 それはある種の裏切りかもしれないが、国を思えばこその決断であったとも言える。


「恨むのならわらわを恨むが良い」

「なぜ? 母は国の、王家の正しい流れを思えばこその決断を下したのです。むしろ、チェルナーさまのおかげで歪むことなくこれたのです」


 第一王子は色々と思うことがあるようで、蔑んだ目でいなくなったゾルターンが消えていった扉を睨みつけていた。

 その様子を見ていたイーラは、シモンとエミルを従えて、第一王子に近づいた。


「あの、殿下。……あ、もう陛下になられるのですよね。わずかなことしかできませんが、陛下に癒しを」


 そう言って、イーラは手のひらを第一王子に向けて、癒しの光を施した。

 それはチェルナーと同じく水色の淡い光であったが、第一王子の上に降り注いだ。



「おお、これが噂に聞く癒しの力か。あぁ、確かに心が洗われるというか、静まる。これで明日からも頑張れる。ありがとう」


 イーラは頭を下げると、チェルナーに促されて謁見の間を後にすることになった。


 それにしても、とイーラは思う。

 あれだけの爆弾を投下するだけして、あとはよしなにって少し……いいや、かなりいい加減なのではないだろうか。

 そう思ってチェルナーに顔を向けると、イーラの言いたいことは分かっていたのだろう、ニヤリと笑われた。


「イーラがあれ以上、あそこにいると、要らぬ争いに巻き込まれるぞ」

「でも、あれはさすがにいい加減なのではないでしょうか」

「なぁに、問題ない。後は優秀な第一王子がなんとかするじゃろ。イーラはそこな三人に囲まれて、癒されるといいのじゃ」


 いや、癒されるって言われても。

 と戸惑っていると、謁見の間ではチェルナーを肩に担いでいたトマーシュがやってきて、イーラの顔を覗いてきた。


「疲れた顔をしている。今すぐ休息が必要だ」


 それはあれだけの騒動だったのだ、気疲れもする。


「王都に戻ってくる予定はなかったから、宿は取ってない。今から宿を探すのは大変なので、もう少し外を走って森の中で野宿となるが、それでいいか?」


 野宿などしたことがないイーラはその言葉に目をキラキラと輝かせた。


「野宿、素敵です!」

「言うほどいいものじゃないけどな」


 それでも、イーラの賛同を得られたことで、荷馬車に乗り込み、服も元に着替えて野宿が出来る場所へと移動した。

 荷馬車を止めて、シモンは食事の準備を、エミルとトマーシュは簡易テントを建て始めた。

 イーラも手伝うと申し出たのだが、チェルナーとともに荷馬車の中で待っていてほしいと言われたので、素直に従った。


「チェルナーさまは野宿、したことありますか? あ、女神さまだからすることないか」


 イーラは自分で聞いておいて、変なことを聞いたとえへへと笑った。


「わたし、野宿って初めてなんですよ」

「わらわもしたことがないの」

「じゃあ、一緒ですね」


 イーラがヘラッと笑うと、チェルナーも同じように笑い、イーラの頭を撫でた。


「イーラ」

「はい」

「そのまま純粋でいておいておくれ」

「チェルナーさまはそうおっしゃいますけど、わたし、全然純粋じゃないですし、ズルいと思いますし、さっきの国王と神殿長なんてざまぁって思いましたし、きれいなままではいられないですよ」

「それでも、性根のところを腐らせるのではないぞ」


 チェルナーの言いたいことは分かったので、イーラはうなずいた。


「もしもそうなりそうになったら、チェルナーさまが叱ってください」

「わらわがしなくても、あの三人がいるではないか」

「そうですけど。でも、チェルナーさま。あの、わたし、いつまでもあの三人に甘えていられませんよね」


 イーラがいくら癒しの力があるとはいえ、それもずっとあるのか分からない。ある日突然、使えなくなる可能性もある。

 そうなったら、それ以外、とりたててなにか出来るわけではないイーラは……。

 そう考えるとイーラは不安で仕方がない。


「わたし、自分のこと以外、なにもできませんし。全部、あの三人に任せっきりです」

「ふむ」

「今はチェルナーさまもいてくださいますけど、チェルナーさまはわたしだけの女神さまではなく、みんなの女神さまです」

「なんじゃ、そなたはわらわを独占したいのか?」

「そんなわけ、あるわけないじゃないですか!」

「それはそれで淋しいものじゃのぉ」

「なにをおっしゃっているのですか」


 恐ろしいことを言うチェルナーに、イーラは慌てて話題を変えた。


「チェルナーさまの水色の髪と瞳、とても素敵です!」

「……そうか?」

「それに、先ほどの水色のドレスも素敵でした」

「イーラはこの髪と瞳が綺麗だと思うか?」

「はいっ!」


 イーラは瞳こそ蒼いが、髪の毛は茶色くて神殿にいる他の巫女たちに地味な見た目と馬鹿にされているのを知っていた。イーラはそれでもいいと思っていた。それは覚えていない両親に繋がるものだからだ。そして、見た目以外のことでも色々と言われていたが、事実だったので、そのままにしていた。


「ふむ、いいことを思いついたぞ」


 そう言って、チェルナーはイーラの長い茶色のふわふわの髪に触れた。


「チェルナーさま?」

「イーラには家族がいなかったな?」

「え……、はい」

「ならば、わらわが今からイーラの家族になろう」

「……えっ?」

「イーラは今からわらわの眷属じゃ」


 そういうと同時に、イーラの髪の毛が茶色から水色へと変化していった。イーラは慌てて自分の髪の毛に触ってみた。触り心地は変わりなくふわふわのままだけど、水色になっていた。


「チェルナーさま?」

「これでだれも文句は言うまい」


 チェルナーはイーラが色々と言われていたことも知っていた。言い返せばいいのにと思うこともあったが、チェルナーには口出しできなくて、歯がゆい思いをずっとしてきた。

 だけど、眷属になればだれも文句は言えまい。チェルナーは満足していた。


「チェルナーさま、駄目です」


 イーラはチェルナーの瞳を見つめて、それから首を振った。


「わたしをチェルナーさまの眷属にしてくださったことは、大変、感謝いたします。ですが、わたしはチェルナーさまとともにいられません」

「何故じゃ?」

「わたしは、チェルナーさまの巫女でもなんでもありません。眷属になったからといって、ついていくことはできません」


 イーラはチェルナーの愛し子であり、そのための癒しの力かもしれない。それだけでも過分なのに、眷属にされ、常に付き従うことはできない。


「……わらわは独りじゃと?」

「違います! チェルナーさまを慕う人たちはたくさんいます!」

「わらわがほしいのはそんなものではないのじゃ」


 イーラの持つ言葉では、チェルナーに説明ができない。

 チェルナーの言っていることも分かるからなおさら、なんと言えば良いのか。


 悩んでいると、夕飯の準備とテントの設営も終わったようだ。

 トマーシュが呼びに来た。イーラの髪の色が変わっていることに驚き、思わず二度見、した。


「って、イーラ、だよな?」

「……はい」

「なにがあった?」


 食事をしながらイーラはつかえながらもなんとか経緯を話した。

 チェルナーはイーラの背中に引っ付いたまま、なにも語らない。


「チェルナーさまは子分が欲しいのか?」


 イーラのたどたどしい説明を聞いて、最初に口を開いたのはトマーシュだった。


「違うのじゃ。そうじゃないのじゃ」

「それなら、なにが欲しいのですか?」

「話をしたり、一緒に笑ったり、遊んだり、たまに馬鹿なことをやったりしたいのじゃ」

「チェルナーさま、それは友だちっていうのですよ」

「友だち……じゃと?」

「女神さま同士でそういうことはしないのですか?」

「しないのじゃ。神、女神が会うのは禁止されておるのじゃ」

「人間相手にはいいのですか?」

「託宣をしなくてはならぬからな」


 なんだか不思議ではあるが、それならば友だちはできないのも仕方がないのかもしれない。


「友だち……ねぇ」

「まぁ、今日一日、一緒に行動して、王と神殿長を断罪したり、ご飯を食べたり今から一緒に寝るんだから、オレたちもう、友だちだよな!」


 断罪はなにか違うような気がしたが、それ以外はおおむねそうのような気がする。


「私たちが友だちでは不満ですか?」

「いや……イーラはその、いいのか?」

「なんでわたしに聞くのですか?」

「友だちだぞ?」

「チェルナーさま、人間は一つの役割だけではなく、様々な役割を持ち、その相手との関係によって呼び方が変わってくるのですよ」

「そうなのか?」


 チェルナーは確認するようにみなの顔を見たので、全員がうなずいた。


「もちろん、わたしもチェルナーさまの友だちでもあるのですよ」

「イーラ……」


 チェルナーは感動して、イーラに飛びついた。イーラは嬉しくて笑っていた。

 しばらく談笑していたが、イーラのあくびを合図に、寝ることになった。この日は二つのテントに分かれて、就寝した。


 そして朝を迎えて目が覚めると、チェルナーはいなくなっていた。


「チェルナーさま?」


 寝るときは隣同士で手を繋いで寝た。それなのにチェルナーが寝ていた場所はぽっかりと空いていた。

 あれは夢だったのだろうか。

 そう思っていると、外から騒がしい声が聞こえてきた。


「わらわがイーラにあーんしてあげるのじゃ!」

「チェルナーさまにそのようなことをさせるわけにはいきません」


 なんだか不穏な空気にイーラは手早く着替えて、テントを出た。


「おはようございます」

「おお、イーラ! わらわが今、ご飯を食べさせて」

「チェルナーさま、自分で食べられます!」

「わらわは未来視でシモンとエミルが二人がかりで食べさせているのを見たのじゃ! だからわらわが今、するのじゃ」


 それ、どういう状況? とイーラは思ったが、丁重に断り、シモンが用意してくれたお皿を受け取り、自分で食べた。


「それで、相談なのですが」


 ご飯を食べた後、イーラは男三人とチェルナーを見た。


「わたしのこの癒しの力がいつまで使えるか分かりませんが」

「なんじゃ、そんな心配をしておったのか。それはわらわがイーラに授けたギフトじゃ。生涯、なくなるものではない」

「そう……なのですか?」

「ちなみに、子どもにも遺伝するものじゃから、たくさんの子を作るとよい」

「チェ、チェルナーさま!」

「ここにおる男どもはみな、イーラのことを愛しておる。子作りに励むと良い」


 チェルナーのとんでもない言葉にイーラは真っ赤になったが、顔を上げて、三人の顔を見た。


「あの……わたしについてきて、くださいますか?」

「もちろんだ」

「そのために神殿を出たのだからな」

「イーラと子作り……」


 一人、なんだか妄想しているのがいるが、イーラは無視して、続けた。


「住むところを見つけたり、その前に生活の糧を手に入れるためのお金を稼いだり……その、色々と大変なことをさせてしまうかと思いますが」

「そこはイーラは心配しなくていい」


 きっぱりと言い切るエミルにイーラは首を傾げた。


「イーラは人々をどうやって癒していけばいいかだけを考えていればいい」


 心強い言葉に、イーラはエミルに抱きついた。


「はいっ」

「私は?」

「シモンはその、尊くて」

「では、私から抱きしめよう」


 そう言って、シモンはイーラを抱きしめた。


「あれ、オレは?」

「トマーシュはヤラシイから駄目です」


 そう言いつつも、イーラはトマーシュに手を差し出した。トマーシュはイーラの手を取ると、指先にキスをした。


 イーラは信頼する男三人に囲まれて、ああ、これが癒されるということなのだな、と心から思った。


【終わり】

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