1話 星と夢
「おーーきーーろーー!!!ハヤトーーー!!!!」
突如、暗闇を引き裂くかのように声が脳に響き渡った。
「ゴフゥッ!!?」
腹部に衝撃が奔る。体内からすべての空気が吐き出され、視界が明転する。まるで魂が体外に引きずり出されるような不快感が体中に満ちていく。
「あ、やっと起きた?」
次第に明瞭になりゆく視界に少女の顔が映った。
長い睫毛に、ブラックオニキスを思わせるような大きな瞳。卵型の輪郭の真ん中には小ぶりな鼻がちょんと居座り、色白の肌に一層映える桜色の唇が控えめながらも、確かに存在を主張している。
飽きるほど何度も見た馴染み深い顔だが、今見直しても、彼女がかなりの美貌の持ち主だということを認識させられる。
しかし、これは一体どういう状況なのだろうか。寝起きざまなのと謎の腹痛のせいでまだ頭が働かない。
……てか、本当に痛い。鳩尾に入ったとかいうレベルじゃないくらいの尋常ではない痛みだ。あばらの一本でもイッてんじゃないのか、これ。
そんな苦痛に喘ぐ俺のことなど露知らず。俺の腹の上に鎮座する犯人と思しき少女はニヤニヤと得意気な笑みを浮かべている。
「起きた?じゃねぇよ……。一歩間違えたら永眠してんぞ……」
「なによ。こんな美少女が朝から起こしてあげてるのに」
朝っぱらから幼馴染にヒップドロップかます美少女がどこにいるんだよ。と、ツッコもうと思ったが、このまま続けても面倒なやり取りになる未来しか見えないので控えておく。学校に行く身支度もしないといけないし。
「いいからどけよ。このままだとお前のせいで遅刻するんだけど」
「んー……。仕方ないわね」
一体何が仕方ないのだろうか。よっ、と小さく声を出して少女は俺の腹の上から、もといベッドの上から降りた。一人分軽くなったベッドが軽く音をたてながら小刻みに揺れる。
「てか、珍しいね。ハヤトが寝坊するなんて」
栞はそう言いながら俺の部屋をふらふらと見回している。一歩動く度にヒラヒラと舞う紺色のスカートと同調するように揺れる亜麻色のポニーテールが目に止まる。
彼女の名前は葉山栞。俺の幼馴染みであり、隣の家に暮らしている。おそらく、俺がなかなか起きてこないので、こいつが起こしにきたのだろう。
……しかし、いくら幼馴染みとはいえ、暴力で起こすのはさすがにどうかと思う。幼馴染である俺個人の意見としては、もう少し女の子らしく、淑やかにして欲しいものだ。
「うわ。こんなに机の上散らかして……。また夜遅くまで勉強してたんでしょ」
当人はそんな俺の秘めたる不満などお構い無しに、俺の机の上を物色し始めた。いくら幼馴染とはいえ、年頃の男子のプライベート空間を漁るのはあまりにもプライバシーが無さすぎるのではないだろうか。
いや、机の上に見られて困る物とか断じておいてないが。
それでも俺の領土を好き勝手に荒らされるのは些か腹が立つ。
「おい、あんまり動かすなよ。そんなでも物の位置は大体把握してんだから」
「なによ。せっかく起こしてあげたんだから。ちょっとぐらいいいじゃない」
「起こしてくれと頼んだ覚えなんて無いし。そもそも、俺を起こしたところで俺の部屋を荒らす権利なんか与えられるはずも無い」
「ごちゃごちゃとうるさいわねー……。私が起こしてなかったら遅刻してたくせに。一体何を隠して──」
栞は物色する手をピタリと止め、むくれた顔から急にニヤついた表情を浮かべた。
「もしかして……エッチなやつ?」
「ねーよ。んなもん」
「ほんとにぃ?」
栞はわざとらしく両手で体を覆った。本っ当にめんどくさい。朝っぱらからこんなテンションで絡まれる俺の身にもなって欲しいものだ。
「ま、いいけどさ」
一通り俺をからかって満足したのだろうか、栞は俺の部屋の出口へと向かう。
「はやく準備しなよー。朝ごはん。みんな待ってるから」
パタンと軽い音とともに、部屋の扉が閉じられた。騒がしかった俺の部屋に静寂が訪れる。
俺は一息つき、腹部の状態を確かめる。……よし、骨は折れていない。痛みもだいぶ和らいできた。もう大丈夫だ。
「……さてと」
俺は体を起こし、ベッドから降り、軽く背伸びをする。
ふと、勉強机の上方に掲げられた「英雄」の二文字が書かれた紙を見つめる。小学六年生の時に、書道の自由課題で書いた作品だ。五年経った今では、半紙の端は薄っすらと黄ばみ、墨で書かれた文字は掠れ、所々ひび割れている。
「……準備するか」
俺は服を着替えるためにクローゼットの方へと向かい、紺色の制服が掛けられたハンガーを手に取った。
一体いつの頃からだっただろうか。
幼い頃から「ヒーロー」という存在に憧れていた。
幼稚園の頃は日曜日の朝は決まって早起きしてテレビに齧り付いていたし、 洋服や文房具なんかもヒーロー物ばかりを揃えていた。
小中生の頃は、マンガやアニメ、小説なんかにも没頭した。アメコミが映画化される時は、待ち遠しくて上映の一週間前からろくに寝つけない日々が続いたし、週刊誌の人気マンガが連載終了すると聞いた時には、ショックでご飯が喉を通らない日々が続いた。
ヒーローという存在が俺の全てだった。今まで見てきたヒーローはみんな俺を魅了した。
超能力や怪力を駆使して悪を挫き、市民の平和を守るスーパーヒーロー。葛藤しつつも、平和のためとイレギュラーな方法を用いるアンチヒーロー。コミカルな動きやドジな一面をみせることでオーディエンエンスを沸かせるファニーヒーロー。最初は弱くて泣き虫でも、不器用ながらに一途な努力を続け、ついにはみんなから認められるまでに成長する超王道ヒーロー。
全てのヒーローが、俺の心を惹きつけた。いつか彼らのようになりたいと、みんなを救うヒーローになるんだと誓った。幼い頃の決意は、十年を経た今でも変わらない。
この俺──星波隼疾の夢は、ヒーローになることだった。