魔法の涙
急遽集められた貴族たちが、それぞれの立ち位置に収まっている。ひそひそと、話す声はするが、内容までは聞き取れない。だが、これから起こる事についてしか、話題などないだろう。
騎士の合図で扉が開かれると同時に、全員が礼をする。
静寂の中、現れた王が玉座の前に立ち、軽く手を上げる。同時に、玉座の正面にある扉が、ゆっくりと開かれた。
まず、目に入ったのは第一王子、アルフレッド。いつも通り、穏やかな笑みを称えた美貌の少年が、堂々たる佇まいで扉が開ききるのを待っている。
彼の目がつと、横に流される。その先にはエスコートの為に差し出した手があり、いつもならばエステル・ターナー侯爵令嬢が微笑んで寄り添っているのだが、今回そこにいるのはエステルではない。
小柄ながら姿勢が良く、全体に凛とした空気が漂っている。
深紅色の、Aラインのシンプルなドレス。宝石類の装飾は最低限で、その代わり生地に細かな刺繍が施されている。派手すぎない光沢感といい、良い生地だというのは、ここに揃う貴族ならば誰でも分かるだろう。
髪は美しい金髪。長いそれを背に流し、毛先は軽く巻いて遊ばせている。耳のすぐ上辺りに、ドレスと同じ深紅の石の髪飾りをつけていて、こちらも華美ではないが、彼女の髪の美しさが更に強調されている。
長い睫毛が縁取る大きな目は宝石のような碧色。本来、意志の強い光が宿るその目は未だ、軽く伏せられたまま。
ほう、と両側に並ぶ男たちからため息が漏れる。
それほどに、極上に整った、だがどこかあどけなさも残す顔立ちの美しい少女だ。
しかも彼女は、国内最強の光魔法を扱えるという情報が事前にもたらされている。それが証明されれば、世が世なら、救世主とも言われる程の魔法使いという事になる。
アルフレッドに何か囁かれ、少女が頷きを返して二人は歩き出す。
アルフレッドのエスコートで、こういう場に慣れていないはずの彼女も堂々と歩いている。武術を修めているからこその安定した所作なのだろうが、それがまた洗練されて見えて素晴らしく美しいのだ。
それに、アルフレッドと並んでいると、髪の色合いも似ていてまるで兄妹のようだ。彼女の家系は皆、金髪に碧眼を持っていると聞いているが、どこかで本当に王家の血が入っているのかもしれない。
それにしても、よくこの短時間で、あれほどのドレスが用意出来たものだ。
宰相である父の傍らで、オレは密かに息をつく。ちらりと見やれば、エリオットもライナスも、それぞれの立ち位置から食い入るように彼女を見ていた。
大丈夫なのかあいつら、まだこれから役目があるのに。
思わず睨み付けそうになり、檀上に近いのだったと思い出してオレは表情を整える。
王の前に着いた二人は、儀礼に則り頭を下げた。
「楽にして良い」
「……ありがとうございます」
答えたのはアルフレッドだ。彼は、王を見、そして周りに分からぬ程度にオレを見てから、その視線をエスコートしてきた少女へと向ける。
「陛下。彼女が、わたしの学友であるアルマ・フェルトン辺境伯令嬢です」
「うむ。話は聞いている。とても優秀だと」
「ええ。彼女の働きがあるお陰で、学園生徒会の運営が円滑に進んでいます」
それだけではない。フェルトンが生徒会に導入したテンプレートは、今や城内のあらゆる書類の基本書式として浸透している。
文官をしている貴族が多く並ぶ一帯は、フェルトンに、神を見るような目を向けている。
「アルマ・フェルトン嬢。その優秀さから、前から一度城へ招いて話がしてみたいと思っていた。だが此度、城へ召集したのは別の件になる。分かるな? ああ、発言を許そう。楽にしてくれ」
見た目が幼く見えるからなのか、それとも美少女相手だからなのか、王の口調はいつもより柔らかい。
そんな王を真っ直ぐ見上げ、フェルトンはニコ、と微笑んだ。それはそれは、可憐な花が咲くような魅力的な微笑みだ。
玉座に近い高位貴族たちが、それだけでフェルトンに釘付けになったのがわかる。
なるほど、これがフェルトンの本気の外面モードか。よく見えてある意味特等席だな。目の毒でもあるが。
「ありがとうございます。はい、承知しております。ですが、私の身に余る事があり、おそれながら、お引き受けできるのはただひとつになるかと思います」
あまりの直球に流石にざわめいた。すかさず宰相であるオレの父が声を張り、なだらかにざわめきが止んでいく。
「ハハハ。先を越されてしまったな。だが、分からぬ者もいるであろうから、一から説明して貰えぬか」
王の返しに、フェルトンがそっとアルフレッドを見上げる。それを受けて、アルフレッドが微笑みながら周囲を見渡した。それだけで、貴族たちの視線がアルフレッドに吸い寄せられる。
「では、僭越ながらわたしから。こちらのフェルトン嬢は、光属性の魔法使いである事が分かっています。国内で彼女より強い魔法使いはおそらく居ないだろうと思われます」
いち、と示していたアルフレッドの長い指がもう一本追加される。
「そして、既に皆様ご存知の事と思いますが、今、わたしたちが通い……皆様の母校でもありますあの学園の森に、新たなダンジョンが生まれようとしています。彼女には、この大きな問題を解決に導く為、協力の要請を出しています。何故なら、彼女は光属性魔法使いというだけでなく、あのフェルトン辺境伯の後継者。ダンジョンについての知識が豊富です」
アルフレッドの指が三になった。ついでに若干纏う空気に闇が宿った。
「それから、彼女の優秀な魔法の才能を見込んで、ぜひとも王家と婚姻を結ぶべきだとの声が上がっています。という事は、第一王子であるわたしか、オスカー第二王子となりますが、あいにくどちらにも婚約者がいますし、それに彼女自身がそれを望んでいません」
まあ、オスカーの方の婚約者はおそらく顔合わせもした事がないだろうがな。
オレがそんな事を考えている間にも、アルフレッドが説明を続けている。
「フェルトン嬢には、新たなダンジョン誕生に際して、防衛の為の結界を張ってもらいます。それについてはフェルトン嬢から、光属性のみならず、全属性の魔力を注ぎ込んでの大規模な結界を張る事を提案され、その方が安全性が高いと判断し、採用しました。彼女にはその陣頭指揮を任せます。彼女としては、それだけで身に余る光栄。故に、他の申し出は引き受けられません」
きっぱりと言い切ったアルフレッドに、一瞬の間を置いて驚きの視線が送られる。そして、一部の貴族たちの目に邪な思いがよぎるのも、オレからはよく見えた。王家に取られる心配がなくなれば、心置きなく彼女を手にいれる算段がつけられる。などと考えているのだろう。甘いやつらだ。
光属性魔法使いは、通常ならば、発見された時点で報告の義務があり、王家お抱えの魔法使いたちの監視下に置かれる。求心力のある貴重な属性を、可能な限り王家に取り入れる為だ。
しかし、フェルトンは今はっきりと断っている。これまで、あからさまに自身の属性を隠していたのも、拒絶の為だろう。
そこまでいくと王家に対して不遜であると何かしらの罰があってしかるべきだが、そこに彼女の父、フェルトン辺境伯の意志があるとなれば話は別。
辺境伯を怒らせる事は国にとって有益ではない。王家は彼女を罰する事が出来ず、むしろ最高レベルの魔法使いである彼女に、協力を頼み込む側に回ってしまう。
事実、今回、フェルトンが光属性である事を明かしたのは、ダンジョンが誕生するという危機を前にして仕方なくなのだ。
王の威光とは何だと言いたくなるが、戦争の一時終結からまだ百年も経っていない上、フェルトン領は今も戦いが絶えない。戦いの中、英雄と言われてきた彼ら一族の動向は、たとえ王であっても制御できない。
「ふむ……それほど王家との婚姻が嫌なのか」
不遜を指摘するでもなく、ただ悲しそうに王が問う。つられたのかフェルトンが困ったように眉を下げると、それを隠すようにアルフレッドが前に立った。
「陛下。彼女には、既に想いを通わせている相手がいます。その想いを断ってまで王家と結ばれた先に、彼女の幸せなどありましょうか」
「なんと……それは、お前やオスカーが相手でなくとも、彼女に相応しいと皆が納得するような相手であるのだろうな」
「勿論。わたしがもっとも信頼する友の一人です」
そのアルフレッドの言葉でようやく気付く者もいたようだ。
フェルトンが身に纏うドレスの色は赤。第一王子が友と呼ぶ男の中でその色彩を持つのはライナスのみ。そのライナスはアルフレッドの騎士候補であり、最近は剣技の上達が目覚ましく、卒業後、騎士団に入れば即役職付の上級騎士になるだろうと言われている。
ライナスに視線が集まるが、彼は臆した様子もなくただひたすらフェルトンに熱い視線を送っているだけだ。その視線をほんの一瞬フェルトンが受け、直ぐ様恥じらうように俯く。しかし、既に頬は薔薇色に染まり目元までとろけたように細められているので、何も誤魔化しきれていない。そんな、関係性が明らかな二人の様子に、自身の息子をけしかけようと考えていた者たちが明らかに動揺している。
ところで、そろそろオレはこの茶番に飽きてきたんだが、いつまでやるのだろうか。
アルフレッドを見ると、彼も飽きてきたらしく生温い目で周囲を見ている。ついでに、その横のフェルトンがアルフレッドの袖をクイッとしきりに引っ張っているので、彼女の外面モードもそろそろ限界らしい。
「陛下。お認め頂けますよね。わたしは学園で得難い友人を得ました。その友人の幸せを壊すような事はして欲しくありません」
「うむ……」
畳み掛けにいったアルフレッド。しかしここにきて、なおも渋る王。周りは固唾を飲んで見守るだけだ。
すると、フェルトンがそっと前に出てきて、胸の前できゅっと手を組んだ。
「陛下……私の持てる全てで、皆様をお守りします。ですから、どうか……」
ポロリと、王を見上げる碧色の瞳から雫がこぼれ落ちる。
涙ながらに訴える美しい少女を前にして、全員の気持ちが光速で一つになる。
「そうか……そうであるな……そなたには、結界という大役を押し付けてしまう事になる……無理強いは出来ぬな……」
口元を片手で押さえながら、王が頷く。顔が真っ赤だが大丈夫だろうか。鼻血でも出しているのだろうか。
王はもごもごとまだ何か言っていたが、問答無用で父が遮って謁見の終了を言い渡す。
アルフレッドとフェルトンが下がっていくのを見送って、オレも退出する事にした。
一応横目で確認したら、退出する王に父がそっとハンカチを差し出していた。まさか、本当に鼻血なのか。
愕然としたが、気を取り直して、当初の打ち合わせ通り、オレはアルフレッドの私室へと向かう。途中でライナスとエリオットとも合流した。
王宮の、それもアルフレッドの部屋がある階に入った途端、エリオットが話しかけてくる。ここから先は盗聴の心配がない為、我慢していたようだ。
「マックスー。ぼくの魔法どうだった?」
「ああ、完璧だった。誰もあれが水魔法だと思うまい」
フェルトンの、最後の涙の事だ。外面は完璧だったが内心面倒くさいと思っている彼女があんなにタイミング良く泣ける訳がないので、エリオットの水魔法で出してもらったのだ。事前の打ち合わせ通り。
「でしょ~! 瞬きに合わせて落とすの結構気を付けたんだよ!」
「ああ、分かって見ていたのに俺も見惚れてしまった……素晴らしいタイミングだった」
ライナスがまだ顔を赤くしたままエリオットを労う。お前はそうでなくとも終始フェルトンに見惚れていただけだったと思うがな。まあ、演技しろと言って出来る男ではないので、それで十分だ。
アルフレッドの部屋の前に着くと、アルフレッド自ら扉を開けて迎えてくれた。
「みんな、お疲れ様。うまくいったね」
「ああ……だが、簡単にいきすぎじゃないか?」
「仕方ないよ。フェルトンの演技完璧だったし。陛下は特に可愛いものが大好きだからね。イチコロだよ」
「ああ……そういう」
確かに王妃も可愛らしい外見の女性だ。
そんな会話をしつつ、応接間にあたる部屋に到着したのだが、アルフレッドに静かに、と言われてオレたちは黙る。
「あのね、フェルトンなんだけど、ここに帰ってくるなり寝ちゃったんだよね」
「は?」
「謁見の前もたくさん練習したし、さすがに疲れたみたい」
指でソファを示されて、悪いと思いつつ覗きこむ。先程のドレス姿のままのフェルトンが、大きなクッションに埋まるようにして眠りこけていた。
着飾った状態で、喋らず睨まず無表情でもなく、こうして眠っているだけだと本当に整った外見なのだと感心する。
アルフレッド達と話し合って作り上げ、外面モードと彼女が名付けたアレは中身まで別人だった。普段と全く違う状態を続けるのは相当に神経を磨り減らしたようだ。
「ここ、男だらけなのによく寝たね……」
「そもそもわたしの部屋なんだけど。よっぽど男として見られてないのかな。まあ、良いんだけどさ……」
そう言うアルフレッドはどこか複雑そうだ。アルフレッド自身がエステル一筋とは言え、その気持ちも分からなくはない。
「いや……俺たちの事はそれなりに信用しているという事なんだろうが……」
あまりじっと見ているのはまずい気がする。ライナスの機嫌も悪くなる一方だ。いそいそと上着を掛けようとしているが、見せたくないからと顔を覆うのはやめてやれ。
「こういう訳だから、この後全属性結界について話し合おうと思ってたけど、今日の所は解散しよっか」
アルフレッドの言葉に、反対する者はいなかった。