Part71 忘我の果てに
「どうしたら良いんだこれ……」
小型の虎に喉笛を噛みちぎられること三、四度。
もはや何度目かもわからないリスポーンを経て、俺の心は若干折れかかっていた。
常に元気ハツラツとしていたウルフさんも、今ばかりは考え込むように口を噤んでいる。
それ程までに、アレは強い。
大きさは10センチを下回り、手乗りサイズのタイガーと化した白虎は、第一形態、第二形態とはまるで別種の強さを持っていた。
攻撃力は据え置きのまま速度が大幅に上昇し、その上で小さくなっている為攻撃が当てにくい。
魔法こそ使ってこないが、物理攻撃が予測してから回避することすら困難な速度で繰り出される時点で、両者の間には参照されるパラメーター以外の差異など存在していない。
リスポーンしても10センチから変動していなかったことから、アレが第三形態なのだろう。
同時に、おそらくアレが最終形態だとも思う。流石に1センチとかになることはないだろうと言う希望的観測ではあるのだが……仮にそうだとして、一体どうすればアレを倒せるのだろうか。
俺の能力をいくら過大評価しても、勝利に至る明確な道筋は見えなかった。
そんな絶望的な状況の中、ふと、ウルフさんが声を漏らした。
「もしかしたら、わたしの奥義で何とかできる……かも」
「奥義?」
そういえば、奥義というものの存在を完全に失念していた。冥幻闘士にはそういうの無いからな。
「うん。まあ……これはナツレンにも頑張ってもらわないといけないんだけどね?」
「今までも頑張ってたけどな……まあ、ヴァイスを倒せるのなら何でもやるよ」
もしかしたら、ここは他の誰かに代わってもらうことで容易に突破することが出来るかもしれない。
しかし、それでも、俺はウルフさんと共にこの白虎を倒したかった。
負けっ放しでは終われない。
それは彼女にとっても同じだったようで、ウルフさんは自身の奥義を——白虎を倒し得る、余りにも荒唐無稽な作戦について話し始めたのだった。
————
枯れ森のオブジェクトへとワープし、見慣れた道を進む。
最初よりも薄くなった霧の中に、変わらず白虎は立っていた。
手乗りサイズとなってもなお、その圧は揺るがない。
「準備はいい?」
「ああ。問題ない」
手に持った瓶を振りながら、俺はウルフさんの声に応える。
彼女は狼の毛皮を目深に被り、ゆっくりと白虎のもとへと近づきながら、唸るように低く呟いた。
「——《忘我》」
白く濃い霧を裂いて、ドス赤いオーラが溢れ出る。
流動する血のようなオーラはウルフさんを取り囲み、脈打つようにのたうち回った。
狂戦士の奥義《忘我》は、簡単に言えば《狂化》《狂暴化》に続く最後の状態変化スキルである。
その効果は効果時間中の超大幅なステータス上昇に加え、『スタミナが切れるまでの間、体の制御が利かなくなる代わりに近くの存在をオートで攻撃し続けるようになる』というとんでもないものだ。
スタミナが切れるまでという制限時間があり、その上効果が切れると虚脱状態になってしまうという扱いにくさゆえ、彼女もこれまでに使ったことはほとんど無いらしいが……しかし、そんなデメリットを打ち消す手段が一つだけあった。
それが、今俺の手に握られているスタミナ回復のポーションだ。
ドリンクと違って、ポーションは投げつけることによっても効果を与えることができる。
つまるところ、今回の作戦は『忘我状態となって敵味方問わず攻撃を繰り返す殺戮マシーンとなったウルフさんにスタミナ回復のポーションを投げ続ける』という、脳味噌まで筋肉でできていないと発案段階で却下されてしまいそうな作戦なのである。
それが可能か不可能かと聞かれれば、「理論上可能」だと答えるしかないのだが、制限時間付きで圧倒的な力を得るタイプの能力を半永久的に使い続ける方法が何故システム的に対策されていないのかというと、それは単純に難易度が高すぎるからに他ならない。
忘我状態のデメリットである『敵味方問わない無差別攻撃』が、同時にその抜け道を塞ぐ役割を担っているのだ。
そんなわけだから、いくら善戦しても俺は確実に数分でウルフさんに葬られることになる。
忘我状態のウルフさんの攻撃を避け続ける訓練を数時間ほどしたとは言え、その程度で覆せるような枷ではない。せいぜい数分寿命を延ばせただけだ。
白虎に関しても、忘我状態のウルフさんは自動で回避も行う為ヘイトを奪取する必要は無くなったわけだが、それでも俺が少しでも隙を見せたら首を掻っ切るだけの力はあるだろう。
虎と狼。両者の攻撃を避け続け、更にポーションを正確に投擲する。
当然俺への負担は半端無いが……やるしかない。
とにかく今は「流石にこんなに小さいんだからHPも少ないでしょ!」というウルフさんの楽観的な思考に賭けるしかないのであった。
「——ッ!!」
獣のような声を上げ、ウルフさんが地を蹴って白虎の元に迫る。
それを迎え撃つように白虎も行動を開始した。
二つの高速が衝突する寸前、ウルフさんは足先を地面に引っ掛けて姿勢を変化させる。そしてそのままの勢いで突っ込んでくる白虎の脚を掴み、身体の回転の勢いも加えて勢いよく地面へと叩きつけた。
砕けて飛び散った地面の破片が重力に引かれて落ちるのよりも早く、白虎は土煙の中から飛び出してウルフさんのもとへと迫る。
それを回避するのに精一杯なのか、ウルフさんは此処では反撃を行わなかったが、サッと踵を返すと白虎の着地を狙って鋭く蹴りを放った。
「すげぇ……」
手も足も出なかったあの白虎を相手に、ウルフさんは比較的優位に立ち回っていた。
偶に攻撃を食らいかけることもあるが、オート操作されているだけあって完全に白虎の動きに食らいついている。
俺の心の中には、ここに来てようやく「勝てるかもしれない」という希望が芽生え始めていた。
一つ問題があるとすれば、ポーションがなかなか当たらないことである。
一応どのくらいの頻度で投げるべきかと言うのもしっかり考えてはいたのだが、なんと忘我状態のウルフさんは俺の投げるポーションすら回避してしまうのだ。
「くそっ、これも攻撃って判定なのか……」
確かに、アンデッド系モンスターに回復アイテムを投げて倒すというような戦法は昔からいろいろなゲームであるのだから、システム的にそう言った行動を明確に「攻撃」として解釈することもおかしくはない。
流石にこの状況ではそこまで頭が回らなかったが。
完全な死角から投げても、彼女は圧倒的な反応速度でもってポーションを避ける。
一つだけタイミングがあるとすれば、それは白虎の攻撃を避けたタイミングだ。数度の投擲を経て何となく理解したが、ウルフさんの回避には優先順位がある。
まあ、白虎の攻撃とポーションを秤にかければどう考えたって前者の対応をするだろう。
もちろんそれでもタイミングはシビアだ。予備として大量のポーションを持って来たのは正解だったな。
白虎の爪の一撃に合わせて投擲した三本目のポーションがウルフさんへと命中する。
これで一先ずは延命できた。そう安堵するのも束の間——
「あっ……と」
——ぎろり、と。
彼女の瞳が俺を捉えた。
同時に、忘我状態の彼女を既に何度も見たはずの俺の背筋が凍る。
赤く染まった眼や渦巻くオーラなど、ゲーム的な演出だと分かっていても異常だと思わずにはいられない光景。
俺が構えるより早く、ウルフさんは跳ねた。
「マズい……!」
剣で切り裂くかのような鋭い回し蹴りが、咄嗟にしゃがんだ俺の頭上を通過し、編笠を飛ばす。一瞬でも回避が遅れていたら俺の首は胴体からテイクオフしていただろう。
連続する二度目の回し蹴りを今度は鼻先に掠めつつ、一度距離を置こうとするが——
「……付いてくるよなあ!」
その踏み込みはダンッ! と強く音を立て、三歩以上引いたはずの俺の目の前にウルフさんの赤い双眸が現れる。
瞬間移動と見紛うほどの移動速度だ。
急制動による反動まで計算の内に入れているのであろう機械のような正確さと、猛り狂う獣の様な威圧感。
回避に専念しているからこそ辛くも回避し続けられているが、仮に攻撃まで入れないといけないとなったらもうお手上げだ。プレイヤーとして、パラメーターも含めそもそもの強さが違いすぎる。
「——!!!」
放たれた剛腕が地面を砕き、めくれ上がるように地面が吹き飛んだ。その破片の一部にHPを削られながらも、逆に足場として利用することで一時的な離脱を図る。
と、ここで彼女は標的を白虎に変更した。
その隙にスタミナ回復のポーションを投げつけつつ、俺は安堵のため息を漏らす。
何かもう、既にしんどい。ただ単に強大なものを相手にしているからというだけでなく、なんというか、言いようのない圧を全身に受けることによって生じる疲労が凄いのだ。
トッププレイヤーの全力を相手にしているわけなのだから、これも仕方のないことだとは思うのだが。
さて、そのような感じで標的をコロコロと変える彼女を相手にひたすらに回避と投擲を繰り返していると、思っていたよりもスムーズに事が進んだ。
俺の回避力も成長を遂げているのだろう。練習ではなすすべも無くやられる事が多かったが、本番になると殆どダメージを受けずにここまで来れた。
白虎の動きが鈍くなることはないが、しかし大きさは徐々に小さくなって来てるように感じる。
……と、ここで最も恐れていた事態が起きた。
「マズい……反撃しなくなったぞ」
先ほどまで隙さえあればウルフさんに一撃加え入れようと行動していた白虎は今、明らかに回避に専念していた。
もっと正確にいうのなら、逃げ出す隙を伺っているように見える。
それが意味しているのは、単純にこの戦闘から離脱しようとしているのか……それとも、白虎の標的が俺にすり替わったのか。
果たして予感は的中した。
地を砕くウルフさんの一撃を待っていたと言わんばかりに白虎は間合いから離脱し、体勢を変えて俺を睨んだ。
「くそッ、後者かよ」
口を突いて出た悪態と、弾丸の如く放たれた白虎とが交差する。
今回は不意打ちではなく、ウルフさんとの戦闘を見てだいぶ動きを理解していたため、どうにかその動きに対応する事ができた。
しかし、それでもキツい。
白虎は跳弾の様に勢いよく飛び回り、目の前で消えたと思ったら背後から突撃を繰り出してくる。
そこに攻撃を入れてくるウルフさんに巻き添えを喰らわない様に俺は距離をとるが、しかし白虎は俺と距離を離さない。
そんな刹那の攻防の中、ついに俺は白虎の一撃を右腕に食らってしまった。
掠っただけだが、俺の残存HPは残りおよそ半分。
一度に大量のダメージを受けたせいで痺れが走り、右腕はもう使い物にならない。
最早リスポーンを覚悟するようなピンチだが、しかし、それだけではない。
逆境は波となって押し寄せるのだと、俺は心の底から理解した。
ウルフさんは今、明確に俺を標的として捉えていた。
「万事休すって奴か……!」
おそらく白虎のHPは残りわずかだ。
直感ではなく明確な事実として、白虎の動きや攻撃力は、徐々に遅く、弱くなっている。
元々俺のHPは二割近く削れていたため、いくら腕に当たっていたとはいえ第三形態になった直後の白虎の攻撃ならば致命傷になっていておかしくなかったのだ。
しかし、今の攻撃によるダメージは三割。
勝利はすぐ側にあると確信するには十分過ぎるだろう。
だが同時に、敗北もすぐ近くにあった。
あと二発……当たりどころが悪ければ一発。
そんなピンチの中で、ウルフさんのスタミナもまた、尽きかけていた。
利き腕が動かせなくなった今、ポーションをウルフさんに当てることなど不可能に近い。
先ほどポーションを投げた時間から考えるに、残り時間は十秒を切る可能性すらある。
勝利は近く、しかし敗北は更に近い。
どうすれば良いんだ……。
考える時間など最早なく、しかし考えなければならない。
そんな極限の中にあって——俺は唯一の可能性の藁を掴んだ。
これなら、勝てる。
至極単純な作戦だが、だからこそ効果的だ。
俺は待ち構える様に足を止めた。
その機を逃すまいと、白虎は鋭く跳躍する。
何度も死んでわかったことだが、白虎はトドメを刺す時に首を狙う。極めて回避の難しい角度で、的確に。
しかし今は避けるつもりなどなく。
「くれてやるよ……!!」
俺は残った左手を白虎に捧げた。
向かってくる白虎の口に手刀を叩き込む様に左手を噛ませ、牙諸共その下顎を強く握りしめる。
俺のHPは四割溶けた。
その上出血のデバフでHPは目に見えて減っていっているが、それでも俺は左手に握りしめた白虎だけは離さなかった。
全ては、白虎を倒すために。
「——頼む」
燃える様な双眸の先で俺の意図を理解したのかしていないのか、彼女は腕を振り上げる。
その圧を真正面から食らうのは、今まさに電車が通過しようとしている線路で佇む様な恐怖心を伴っていた。
でもまあ、これが最善手だ。
「ァァァアア————!!!」
ウルフさんの咆哮と共に、音すら置き去りにする究極の一撃が放たれる。
その一撃は俺を、そして白虎をも正確に射貫いた。
例えHPが満タンであろうと問答無用で即死させるであろう攻撃だ。当然手負いの俺が耐えられるはずもなく、視界は明滅し、吹き飛ばされたという実感の中徐々に意識が遠のいて行く。
俺の捨て身で白虎を倒せたのかどうか。
それは辺りの霧が文字通り霧散していくことからも明らかだった。




