儂と子犬 その1
カシ、カシ、カシ……というのは、子犬の足音……床に爪が当たる音だ。ホタルはそれを知っていた。何頭も犬を飼育したことがあるからだ。
だが……
(こ、こんなおっかないオーラ出す子犬知らない~~~……)
ずっとホタルが感じているずどんと重苦しいオーラは、生後二~三ヶ月と思しき純白のフレンチブルドッグのような動物から漂ってきていた。
異様な雰囲気を漂わせている動物を、リュエルはなんなく抱き上げる。
「この子はプニって名前。最近、家族になったばかりなの。プニ。このお爺ちゃんはホタルさんっていうんだよ。しばらく一緒暮らすから、仲良くしてね、プニ」
「ひゃうん」
プニの鳴き声を聞いたホタルは、リュエルの腕の中にいる愛らしい子犬を三度見した。
(なっ……なんじゃあ、今のプニの鳴き声……田○のおっさん……もとい、あ○おボイスじゃ……聞き間違ってなどおらん!! 大○明夫ボイスじゃ!! しかも、裏声!! マジ可愛い裏声!! めっちゃ貴重!!)
「あっ、そうだ。ホタルさん、トイレだよね。こっちのドアなんだけど……」
「ああ、いや。まだ平気じゃ。場所は覚えたから、必要になったら行かせてもらうとするよ。ありがとう、リュエルさん」
「わかった。じゃあ、次に必要なのはお風呂だね。お風呂は山から温泉を引いてあるから、薪がなくても入れるの。でも、あいつらが温泉のある山をいつ乗っ取るかわからないから、いつまで入れるかわからないけど……」
「あいつらって……荒くれ者どものことかのぅ?」
ランプ一つの薄暗い中でも、リュエルの顔色が変わったのが明確に見えた。
「まあ……うん、そんな感じ。お風呂の用意するから、ホタルさんが先に入って」
「いやいや、そんなわけにはいかん。リュエルさんが先に入っておくれ。爺さんの後に女の子に入ってもらうのは気が引けるしの」
「そんなの気にしなくていいのに。でも、ありがとう。じゃあ、先に入るね。あたしのお祖父ちゃんのパジャマだけど、用意しておくから、サイズが大丈夫なら着てね」
「うむ、何から何まですまんのぅ」
「じゃあ、あたしがお風呂に入ってる間、ここで待っててね」
最奥の扉は食堂に繋がっていた。
先に入ったリュエルは木製のテーブルの上のランプに火をつける。
「何か食べ物……あ、ドライフルーツがあった。これ食べて待っててね」
手早く皿にドライフルーツを入れると、リュエルは食堂を後にする。あちこちの部屋を出たり入ったりせわしなくしていたが、やがて風呂場に入って行った。
「さーてと……」
ドスの利いた美しい低音に、ホタルは木製の椅子に座ったまま、びくうと身を竦めた。
おそるおそる、声のした方を見る。
いつの間に、上ったのか。
プニはテーブルの上でお座りしていた。
さっき以上にプニからのオーラが重く苦しい。
ホタルはびくびくと震えるしかなかった。
「い、今の……お前さんの声かのぅ? ええ声じゃのう。この世界の犬は喋れるのか……?」
「んなこたあ、どうでもいいんだよ。てめえ、リュエルに何をした?」
「わっ、儂がリュエルさんに!? 何もしとらん。何もしとらん! 大事なことだから二度言うたわ!」
「嘘つけぇ! だったら、なんでリュエルの手から、てめえの魔力の気配がしてんだよ!」
「まっ、魔力の気配……? リュエルさんの手から? う~ん……ずっと手を繋いでもらってたとか……あとは、髪を括ってもらったくらいしか心当たりはないのぅ……本当に儂は何もしとらん。というか、儂、魔力でなんかできるんかのぅ?」
「ふざけてんのか? そんだけ……特に髪にすげえ魔力溜め込んでて、何かできるかのぅ? とか、どういうことだ、オラァ!」
「お、おお……お前さん、儂が髪に魔力を込めているのわかるのか。大した子犬じゃあ」
「へっ……俺が子犬ねぇ……」
「なっ、なんじゃ? 違うのか? このなんだかずどんと重いオーラを放ってるのは、こっちの犬の特性かと思ったんじゃが……それにしては、リュエルさんは気づいてないようだし……お前さん、普通の犬とは違うのか?」
プニは口の片端をニヒルに上げて、言った。
「聞いて驚け。プニはリュエルがつけた仮の名前。俺様は魔王。魔王デュガウル・ゾガレグ・ビュ・レグゾゾンガ様だ」
「まっ……魔王!? マジで魔王!? こんな可愛い魔王!?」
「ちょっ、まっ、どこさわってやがる!? 膝に載せて、仰向けにすんじゃねえよ! おっ……お、おお~……足の付け根を爪で軽く掻かれると気持ちいいじゃねぇか! むおおお、そのまま背中を掻かれると……た、たまんねぇ! ふぉぉぉぉぉ……! 眉間を掻かれると気持ちいいなんて……! 聞いてねえぞ! っていうか、お前、なんなんだよ! なんでそんなに犬の弱いとこ知ってんだよ!」
「生まれてからずっと何頭も犬を飼っておるからのぅ。犬の弱いとこは大抵知っとるわい。近所のわんこ達は、儂を見ると耳ぺったんで駆け寄ってきたり、二足歩行でジャンプしながら近づいてくるぞ。しかし、魔王とはのぅ……ドラ○エみたいな魔物タイプでも、は○ら○魔王○まみたいな人間型でもないんじゃのう……可愛いのう……はあ、まるまるとしてて可愛い。かんわいい~……」
「おう、ちょっと待て。ドラクエって、お前……こっちでもテレビゲームがあるってのか? 見たことねえけどよぉ……」
「なな、なんと! テレビゲームを知ってるのか!? もしかして、お前さん……儂のお仲間か!? 平成や令和、西暦ってわかるかの!?」
「平成と西暦はわかるけど、令和ってなんだ? ひょっとして、新しい日本の元号か?」
「お前さん、日本を知っとるのか!?」
「知ってるも何も、俺はここに来るまでは日本に住んでた日本人だ。バイクで事故って死んじまったけどな」
「おお……そうなのか。儂の友人も、令和になる前にバイクの事故で死んでおる。ハーレー乗りでな。お前さんもハーレー乗りだったら、どこかですれ違っていたかもなぁ」
「おっ、奇遇だな。俺もハーレーに乗ってて事故って死んだんだ。事故っつうか、山道で居眠り運転のトラックにぶつけられてよ。そのまま海に真っ逆さまでな」
プニの言葉に、ずっと撫でていたホタルの手が止まる。
「おう、どうした? なんで撫でてくんねえんだよ」
「……まさか……高森か? 中学時代、他校の不良も逃げる番長だった……高森 雄輔か……?」
「なんで、わかったんだ? 確かに、俺の名前は高森雄輔だ。ってことは、お前……向こうでの俺の知り合いか!?」
「わっ……儂じゃよぉぉぉぉぉ!! 蛍じゃ! 筒井蛍じゃあ!!」
「ケイ……? 蛍……だから、ホタルか!! マジでケイか!! 俺達が爺になっても、ことあるごとに俺にアニメやゲーム薦めてたオタクの!!」
「そうじゃよぉぉぉ!! いやぁぁぁぁ、こんなところで会えるとは思ってもみなかったぞぉぉ! お前さんの葬式で、儂、どれだけ泣いたか!」
「そいつはすまねえな。つーか、お前も死んじまったのか……死因はなんだ? コミケの戦利品でお楽しみすぎて死んじまったのか? オナ死か?」
「その死因はいやじゃのぅ……N○Kの朝ドラを見ていてもらい泣きをしたとこまでは記憶があるんじゃが、そっからはようわからん」
「なんだ、ドラマ見てておっちんじまったのか。健全だなぁ。もっとオタクらしい死に方しろよ」
「どういうのがオタクらしい死に方かわからんわい」
ホタルは再びプニを撫で始めて、ぽつりと呟いた。
「そうか……儂、やっぱり死んだのか……」