儂、ご相伴に与る
そうするのが当然のように、ホタルとリュエルは手を繋ぎ、マデナの後をついて商店街の道を歩く。
商店街から民家へ。民家が減っていくのに合わせ、草原が大きく広がる。
聞き覚えのある動物の鳴き声がした。ホタルの耳がぴくりと揺れる。
(牛の声……だと思うが、ここは異世界。どんな牛なんじゃ……? 立つ? 立ってる? 二本足で立ってる? 斧持ってる? モーモモーモーモーモーって鳴いて、猛スピードで追いかけてくる? 集団で? ディ○ブロみたいに! ディ○ブロみたいに!)
「ひっ……ひぃぃぃっ……!」
「どっ、どうしたの、ホタルさん!? ガタガタ震えて」
「ひょっとして、牛を見るのが初めてなのかい? ということは、こんな田舎じゃなくて、王都みたいな都会で暮らしてたのかねぇ。大丈夫。静かにしていれば怖くないからね」
マデナに優しく慰められながら、『オーユゥテ牧場』と書かれた看板のかかるゲートを潜る。
静かに歩いていると、四つ足で歩く薄いベージュ色をした牛の集団が見えた。牛舎へと向かっているようだ。
(あっちの世界の牛とほぼ変わらんが二回りくらい大きいのぅ。角も立派じゃ……)
牛を見ながら歩いていると、大勢の人の声が聞こえだした。
「あたし達が最後みたいだね」
緑の草原にできた白い獣道を進む。やがて、赤い屋根の大きな平屋が見えた。人の声はその横の庭らしき場所から聞こえた。
マデナとリュエルはそこへ向かっている。
ホタルの鼻がすんすんと動いた。
「いい匂いがするのぅ……」
「いいのは匂いだけじゃなくて味もだよ」
「牧場……味……それに、この匂いということは……」
ホタルが思ったとおり、庭では焼肉が振る舞われていた。
中華鍋を想起させる丸い鉄鍋に網を載せ、そこに肉だけでなく野菜も並んでいた。
一つの鍋を四、五人で囲み、地面に座って食事をしている風景を見て、ホタルは『動物○お医○さ○』で見た、花見でジンギスカンを思い出していた。
やって来た三人の姿を見て、先に食事をしている者達の何人かが、手を振ってきた。
(さっき、洋服を買ってくれたお客さん達かの)
ホタルは会釈をして、それに応じる。
大量の肉を運ぶぽっちゃりとした中年の女が、三人の姿を認めて笑顔を向けてきた。
「遅かったじゃないか、マデナ、リュエル。それと……」
「この人は、あたしの恩人のホタルさん。ホタルさん、この牧場を経営しているヨーシェおばさんよ」
「あっ、初めまして」
ホタルが丁寧に頭を下げると、ヨーシェもしっかりと頭を下げた。
「恩人ってことは、リュエル……『あいつら』と何かあったんだね。リュエルを助けてくれて、ありがとう、ホタルさん。さあ、食べてっとくれ。おなかすいただろ?」
三人はヨーシェが案内してくれた場所にある鍋を囲み、地面に座った。
マデナが手際良く肉や野菜を網に並べてくれている間に、ホタルは周囲を見回す。
(最初に町に入った時と同じく、ここにも女性と子供しかおらんのぅ。男性は別で食事をする習慣かの? だとしたら、儂もそっちでいただいた方がいいような……というか、そっちに案内されても不思議でないような……)
「さーて、そろそろ食べ頃だよ。いただきます」
「ありがとう、マデナおばさん。いただきます。ホタルさん、好き嫌いは?」
「なんでも食べるよ。だけど、肉はどうかのぅ。咀嚼できるといいが……」
転生前、肉を食べることはできたが、胃腸や咀嚼の問題で大量に食べることはもうなかった。
鍋の中の薪に炙られ、良い香りのする肉に食欲は刺激されるが、果たして。
「いただきます」
ホタルはしっかりと手を合わせた後、目の前に並べられたフォークと皿を手にして、網の上の一口大に切られた肉を一切れ刺し、ぱくりと口にした。
「うん……ん、んむ、む、ん、んん…………うっ、うま~~~~い!!」
(しっかりと咀嚼できる。結構な脂だが、甘みを感じる。しかも、この肉……柔らかい……? いや、儂の咀嚼力が若い頃のようになっているのか? どちらにしても、この感覚をまた味わえる日がこようとは……!)
「肉は飲み物~~!!」
「駄目よ、ホタルさん。野菜も食べなくちゃ」
「お、おおう……」
「少しだけど、ご飯もあるよ。食べるかい?」
「えっ!? ご飯!?」
マデナが差し出した小皿には、子供用の茶碗に入れた白飯を逆さにして皿に載せたような、半円の白飯が載っていた。
「おっ、おお~……! 本当に白飯じゃ……白いままじゃあ! まさか、こちらでも食べることができようとは! ああ……いただきます……んっ、んむ、ん、ん、ん、ん~~~~~!! 味も白飯じゃあ! 『ド○フ○ーズ』のお信のように白飯難民にならずに済んだんじゃ~! これは幸せじゃ~! 白飯最高~!」
「ホタルさんって、時々わけわかんないこと言うね」
「王都や大きな街の流行なのかね。そんなに感激してるとこ申し訳ないんだけど、白飯はおかわりが無理なんだ。まあ、肉も野菜もそこまで腹一杯になってもらえる量でもないかもしれないけど」
「おお、そうか。では、ちょっと遠慮して食わんとな。しかし、どうしてかの? 食糧事情が不安定なのかい?」
「不安定っていうか……まあ、色々あってね。それで、ホタルさん。これからどうするんだい?」
「これからって……そうじゃのう。どこか住める場所を探さんと。仕事もかのぅ……」
「ということは、この町でなくとも問題ないってことかな?」
ホタルはマデナの言葉に戸惑いながらも軽く頷く。
「お、おお……それはそうなるかの」
「だったら、ここは出た方がいいわ、ホタルさん」
「えっ……なんでじゃ? リュエルさん」
二人は困ったように笑って答えなかった。
「あと二日くらいかな。王都から騎士団が来ることになってるんだ。あんたのことは、あたしから騎士団に説明するよ。それで……あんたは騎士団が帰る時、一緒にこの町を出て、好きな町で暮らすといいよ。とにかく……ここはやめといた方がいい」
どうしてともう一度問おうとしたホタルだったが、声にできなかった。
マデナだけでなく、リュエルも……どこか悲しそうな顔をしていた。
○ ○ ○
「さて、と。どうするかね」
三人揃って洗い物をしていると、マデナがぽつりと呟いた。
「何が? マデナおばさん」
「ホタルさんだよ。騎士団に引き取ってもらうまで、どこに泊まってもらおうかね。今は、ほら……」
「それなら、うちに泊まってもらうのがいいかなって」
「そうだね……ホタルさん、いいかい?」
「リュエルさんさえ良ければ……でも、いいのか? 儂なら野宿でも……」
「できれば、泊まって欲しいの。あたし、一人になるのがちょっと……」
細くなったリュエルの声に、ホタルは昼間、少女の身に何があったかを思い出す。
(あんな怖い目にあったばかりだと、一人では心細いのは当然じゃな……)
「ありがとう、リュエルさん。では、お言葉に甘えるとするよ」
ホタルの返答に、リュエルはほっとしたように表情を緩めた。
○ ○ ○
「あたしの家はこっちなの」
マデナを家まで送った後、ホタルはリュエルと一緒に商店街を歩いていた。
町の入り口に近い場所にあるマデナの店とは反対、さっき行った牧場への道をもう一度辿る。
「ここなの」
と、リュエルが立ち止まったのは、商店街の最端、民家との境にある小さな平屋だった。
店内が見える格子ガラスの壁の向こうは真っ暗だ。
人の気配は一切無い。
所々禿げたモスグリーンの扉の上に、パンの絵が描かれた小さな看板がぶら下がっていた。
(リュエルさんのおうちはパン屋さんと言っていたが、本当だったんじゃな。だけど、商売をしている気配はないような……)
「こっちはお店の出入り口。おうちの出入り口はこっち。民家側なの」
リュエルに促され、ホタルは民家側へ向かう。
その足がぴたりと止まった。
(なっ……なななななな……? なっ……な、な、なんじゃこりゃああああああ?? 家の中から、なんだか異様で重い気配がするぞ!? なんじゃ、このずどんと重苦しい気配は? 殺気? 殺気なの? 知らないけど。いや、でもなんか違うような……)
――何かが潜んでいる。
ずどんと重い……そこに存在するというだけで、気配だけで、容赦ないプレッシャーを与えてくる、得体の知れない『何か』が――
カチャンと小さな音がした。
リュエルが扉の鍵を解錠したのだ。
「さあ、どうぞ」
(ど、どうぞって言われても……)
ホタルの足が勝手にがくがくと震える。
歯の根が合わない。かたかたと鳴る。
(なんでリュエルさん、平気なんじゃ!? 儂だけ!? 儂だけ、なんかあかん感じがするの!? どっ、どうしたらいいのぉぉぉぉぉ!?)